サザン史外伝【連続ブログ小説】「クワタとハラ坊」㉔(続×③1969)「横浜Lady Blues」
1969(昭和44)年、当時、茅ヶ崎一中の2年生だった桑田佳祐少年は、それまでの「ムード歌謡」の歌唱法とは全く異なる個性を持ったボーカル・前川清を擁する、「内山田洋とクール・ファイブ」が歌った、『長崎は今日も雨だった』に、「どハマリ」していた。前川清は、桑田佳祐が初めて憧れた、「ロック魂」を持ったボーカリストであった。そして、1969(昭和44)年といえば、いしだあゆみが歌った『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒットした年でもあるが、『ブルー・ライト・ヨコハマ』は、作曲家・筒美京平
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アルバムで振り返るサザンの歴史(中)~『サザンオールスターズ』から『Young Love』まで
サザンオールスターズは1978(昭和53)年のファーストアルバム『熱い胸さわぎ』から、1985(昭和60)年の『KAMAKURA』まで、「年に1枚」のペースで、毎年、アルバムをリリースしていた。しかし、サザンは『KAMAKURA』のリリースを最後に、桑田佳祐の夫人・原由子が「産休」に入った事もあり、一旦、「活動休止」をする事となった。『KAMAKURA』は、それまでのサザンの活動の「集大成」とも言うべき、2枚組・全20曲の超大作であり、サザンのメンバー達も、一度「リセット」したいという思いも
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