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熱田神宮から名古屋城までの移動は、市営地下鉄を利用しました。熱田神宮伝馬町駅から名城線右回りで名古屋城駅まで約20分。名古屋城に到着!わーい、初めて見る金の鯱鉾だ!!感動(≧∀≦)加藤清正公も築城に関わっていたんですね。知らなかった。本丸御殿を見学。豪華絢爛でした。お母さん虎が子虎に授乳中の屏風もありました。勇猛な虎だけじゃなく、ほっこりな虎の絵もあって、和みました。本丸御殿を出たところに、前田慶次さんがいました!名古屋城おもてなし武将隊が日替わりで登場し
春特有の冴えない天気が続きます今は藤、ツツジが見頃ですそして今年はタケノコが豊作と、いうか出すぎ毎年欲しい分だけ自分たちで掘りますが後から後から出るので間引きもあり端にはタケノコの墓場が…わが家用には2本掘って様々な料理にしましたよ4月2週目の奥三河は桜が満開を少しすぎた散り始め大好きな時期に当たりました向かったのは北設楽郡設楽町歴史の里田峯城(だみね)です桜が見頃と出ていたのでどんな所かわからぬまま行きましたが「ホントにここの道?」って言うようなせまーい道を看板頼りに着
さて、ひろーい内部を見学していくわけですが、写真を撮りすぎて、まとめるのに一苦労です😅内部のイラストマップを頂きましたが、同じものがDLできましたので、貼っておきます。まず、御玄関から入ってすぐは、マップの1の御式台(おんしきだい)です。お客様の応接間、またはいろいろな行事を行う場所。正面に甲冑の展示青漆塗萌黄糸威二枚胴具足(せいしつぬりもえぎいとおどしにまいどうぐそく)佐賀藩歴代藩主所用の具足で現存する唯一のもの。初代鍋島勝茂が、天草・島原の乱で着用。佐賀藩は西洋から様々な
2023年9月の高知旅行の続きです。旅行2日目のドライブルートです。Ⓢ城西館①高知城②にこ淵③名越屋沈下橋Ⓖ黒潮本陣城西館を9時すぎにチェックアウト。まずは、高知城へ。高知城公式ホームページ|KochiCastleOfficialWebsite南海の名城、高知城の公式ホームページです。関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に城の大部分が完成、入城しました
岡崎城から名鉄などを乗り継いで鶴舞駅(つるまいえき)に到着東海地区のテレビで桜中継を3日連続で見たらやっぱり行っておこうかと鶴舞公園(つるまこうえん)です枝垂れ桜がとても綺麗でした桜より人多めです調子に乗って名古屋城にも地下鉄出口市役所の建物名古屋城のお堀は水の無い場所もあり遠くに鹿が居ました!飼われてるのかしら?名古屋城の天守閣は入れませんが本丸御殿には入れました立派な箱があると思ったら募金箱でした写真撮っただけでスルーしてしまいました🙇少し陽がくれてきました西側ま
◆名古屋城へ行きました犬山城へ向かっていましたが、うなぎで1時間待ちした為、急遽行き先変更しました。日本の名城100選スタンプ集めです。★名古屋城石碑到着時間が16時!ガイドブックに16時半閉館とあり焦りました。★入場券購入GWから夏時間なので17時半閉館に変更されていました。本丸御殿の入場受付は終了していました。残念!★金の鯱鉾記念撮影スポットに金の鯱鉾があります。長蛇の列になっていました。★名古屋城
名古屋城の本丸御殿(後半)本丸御殿の廊下や天井などにも見どころはたくさんあります。次は徳川家光上洛時に増築された上洛殿です。絢爛豪華に飾られた城内から外に出ました。金のシャチホコが見えます。不明門。御殿椿。名残惜しいので何回も天守を仰ぎ見ます。足もとにこんなものがありました。(撮影:2023.10.16)
名古屋城の本丸御殿(前半)現在天守閣には入れません。そこで2018年に復元された本丸御殿の中を見学しました。玄関を入ると、虎だらけ。ビックリします。謁見場所だった表書院です。藩主の身内や側近だけが入れる対面所です。復元後、間もないこともあって、装飾の色も鮮やかで見ごたえがあります。(撮影:2023.10.16)
◆川越城本丸御殿江戸期の現存本丸御殿正面の唐破風には「三つ葉葵」の御紋が輝いています。★縄張り図かなり大掛かりな城構えです。掘りと地形を利用した城郭です。将軍が鷹狩りの時に利用した城です。★本丸御殿正面威風堂々立派な佇まいです平屋建てなのに屋根が高い❗️本丸御殿は鷹狩りの将軍が宿泊に利用した為に格調高い作りになっています。★川越城本丸御殿石碑傍から見る唐破風の曲線が美しい庭木が良い演出をしています。
朝食後、小江戸川越の町並みを散策します~城下町として栄えた江戸の情緒が残る川越市。レトロな町並みが人気で、若い人たちがたくさん訪れているようですね本川越駅からバスに乗って、川越氷川神社へ。歩くと30分弱ぐらいの距離で、行きはバス、帰りは蔵の街並みを散策しました。縁結びのパワースポットとして知られる川越氷川神社今から約1,500年前の古墳時代の6世紀、欽明天皇の時代に武蔵一宮である大宮氷川神社を分祠したことに始まったといわれています。大鳥居の「中央扁額」の文字は幕
「豊臣秀吉の一族、子飼いから大名になった”お家”のお城シリーズ」は暫くお休みしていましたが、本日は、「秀吉」に若い時から仕えていた「脇坂安治」の子孫となる脇坂家のお城について紹介します。「安治」は、賤ケ岳の戦いの「七本槍の一人」として有名になりました。その後の働きによって、豊臣政権下では淡路国を任され「洲本城」城主となりました。そして、関ケ原の戦いでは西軍で参加していましたが、「小早川秀秋」の裏切りを見て東軍に付きました。この事が西軍の大勢を崩す要因となり、戦後は家康から領土を安堵されまし
名古屋城(別称:蓬左城・楊柳城・鶴ヶ城・金城・亀尾城・柳ヶ城)なごやじょう創設年代・・・慶長十五年(1610)創設者・・・・・徳川家康形態・・・・・・・平城遺構・・・・・・・本丸・二の丸・西の丸・深井丸・石垣・櫓三・門一・堀・石塁・土塁名古屋城天守閣・本丸二の丸東鉄門跡二の丸御殿跡二の丸御殿跡から本丸方面本丸東南隅櫓本丸表門に架かる橋本丸表門再建された本丸御殿御殿内部