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紀元208年、赤壁の戦い。稀代の英雄たちが覇を競ったその時代、一人の男が中国の乱世を駆け抜けました。その名は、曹操。権謀術数に長け、天下を揺るがすほどの力を手にした彼は、強大な魏王朝の礎を築きました。しかし、彼の死後、その子孫たちは一体どうなったのでしょうか?もし、あなたの隣に曹操の末裔がいるとしたら――。歴史の教科書から消え去ったはずの彼らが、実は現代にひっそりと生きているとしたら、あなたは信じられますか?2000年以上もの時を超え、今もなお受け継がれる血脈。それは単なる伝説ではな
○2024年12月19日、荆州古城を訪れた。最初に荆州博物館を見学し、続けて张居正故居を訪れた。その後、荆州古城の東門である『寅宾门・寅賓門』で一休みした後、向かったのが『关帝庙・関帝廟』である。○荆州古城で、最も西に位置するのが荆州博物館で、東端なのが张居正故居で、老南門に存在するのが『关帝庙・関帝廟』になる。したがって、荆州古城の北にある玄妙观を訪れれば、完璧だったのだが、残念ながら、玄妙观までは出来なかった。○中国で、夫子廟と『关帝庙・関帝廟』は、何処にでも存在する。ある意味、中国の町
『三國志』シリーズ40周年。今まで『信長の野望』シリーズをやってきましたが、『三國志』シリーズもやっていました。『Ⅶ』はやらず仕舞いでしたが、『Ⅴ』まではプレイしていました。…完クリしたのは『Ⅱ』『Ⅳ』『Ⅴ』だけでした。『三國志』シリーズの素晴らしさは、個人もしくは命令書の数でできる行動でした。『信長』シリーズのように、大名の能力が高いと行動が広がるのと違ってきます。『Ⅴ』のように、名声で行動力が制限されるのはキツいかもしれませんが、内政や領土拡大で命令書が増えるのは、ある意味楽しみ
誰もが知る歴史物語「三国志」。この壮大な物語の中で、多くの人が蜀を「正義」、魏を「悪」、そして呉を「影が薄い」と感じるのはなぜでしょうか。それは、物語の受容のされ方、特に『三国志演義』という文学作品が作り上げた構造に深く根ざした、非常に論理的な理由があるからです。蜀が「人気」と「正義」の象徴となった理由蜀漢が人々の心をつかむ最大の要因は、彼らが「漢の復興」という大義名分を掲げた唯一の勢力であった点にあります。「反骨の物語」としての魅力:蜀の指導者である劉備は、血筋は漢王室につなが
さて徐々に追い詰められていく呂布。ここで名前が挙がっている張遼とは、あの張遼の事です。三国志の武将の中でもトップクラスの張遼ですが、元々は呂布の配下にいたんですね…そして追い詰められた呂布、部下の心も離れていきます。陳宮も頑張ったんですがね。曹操を裏切って呂布に付くという判断自体は当時としてはそこまで間違いだったとは思わないんですよ、ただ呂布陣営としては袁紹なり袁術なり劉表なりともっとしっかりした同盟関係を結べていれば歴史は違ったかもしれませんがね…一方の曹操も降りしきる雪に弱音を吐きま