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歯科治療、続いています。そんなに何か所も虫歯になっていたのか、と少々暗澹たる気分になります。今回は午後の予約だったので、新宿でお昼を食べることにしました。ルミネエストは、平日なら割に空いています。特にエスカレーターの行っていない8階は狙い目。前回食事をした時に、目を付けた寿司屋に向かいます。「こたま」という名前です。カウンターだけの小さなお店ですが、築地玉寿司の系列店のようです。ランチは各種あり、海鮮丼や握り寿司などいろいろなメニューがあります。その中から、「こた
『三国志』の英雄、曹操が愛したボディーガード・典韋。彼がその怪力と忠義を讃えられて授かったあだ名が、「古の悪来」です。現代の私たちからすれば「悪」という字が入っているため、少し意外な褒め言葉に聞こえるかもしれません。しかし、この「悪来」こそは、中国史における「剛力無双」を象徴する伝説の武将なのです。1.誰が悪来だったのか?悪来は、今から3000年以上前、古代中国の商(殷)王朝の末期に実在したとされる人物です。彼は時の暴君として名高い紂王に仕えていました。悪来の家系は非常に名門
歴史上の曹操といえば、冷徹な軍略家や「乱世の奸雄」としてのイメージが先行しがちです。しかし、彼は中国文学史において「建安文学」という輝かしい黄金時代を切り拓いた、不世出の詩人でもありました。なぜ、血なまぐさい戦場にいた彼がペンを執ったのか。そして、それまでの時代にはなぜ文学が大きく発展しなかったのか。その裏側にある、政治と芸術の意外な関係を紐解きます。なぜ曹操は詩を詠んだのか:自己表現と政治戦略曹操が文学に力を入れた理由は、単なる趣味ではありません。そこには、切実な「自己表現」と高度
もうすぐ月組の集合日ですね。RYOFUの配役が発表されるのでドキドキします珠李ちゃんは貂蝉役かと思ったら雪蓮だった。では貂蝉はどなたが?雪蓮と貂蝉を珠李ちゃんがやるのか、それともほかの娘役さんが貂蝉をやるのか。私、雨にじむ渤海のフィナーレでの礼華はるさんの天女の舞いを見てから礼華さんの女役も見てみたい気持ちがムクムク湧いてるんです。だから、礼華さんの貂蝉を見てみたい武将なら曹操が良いなぁさてさて、どうなりますか。きっとどの役でも礼華はるさんの演じる役を好きになるんでしょうけど
三国志の歴史を動かした魏と蜀。それぞれの国には、君主の傍らで異なる専門性を発揮した知将たちがいました。彼らが実際にどのような実務や戦略を担っていたのか、代表的な人物を挙げて解説します。【魏】巨大な帝国を機能させた「専門家集団」魏の知将たちは、個々の才能を特定の分野に特化させ、組織として勝利を積み上げるスタイルが特徴です。荀彧:戦略的バックボーンと人事の総責任者彼の役割は、現代で言えば「副社長兼人事部長」です。曹操が遠征に出ている間、本拠地を死守して兵糧を絶やさない「守り」の役割に加
三顧の礼とは劉備玄徳が「やっぱおれっちがいつも曹操に負けてるのは、ちゃんとした専門の軍師がいないからじゃね?」と思ったのが始まりです。曹操はほんとの天才で文章もうまいし戦争も強い。つーか生まれがいいから教養がある。芸術にも明るい。(ここは信長と似ています)はっきり言うと彼にアドバイザーは要るけど軍師はいらないわけです。自分で何でもできる。でも劉備には軍師が必要。じゃないと行きあたりばったりの戦いになる。まだ関羽とか張飛とか豪傑がいるからいいけど、組織だった大きな戦では勝てません。
群雄割拠の三国時代。戦場を駆け抜け、一国を築き上げた英雄たちは、その最期をどのように送り出されたのでしょうか。権力の象徴としての豪華な葬儀もあれば、自らの信念を貫いた質素な埋葬もありました。今回は、主要な英雄たちの「葬式」にスポットを当てて解説します。曹操:カリスマが選んだ「究極のリアリズム」魏の礎を築いた曹操は、死を目前にして非常に合理的な遺言を残しました。当時の権力者は豪華な墓(厚葬)を作るのが常識でしたが、曹操はそれを真っ向から否定します。薄葬の徹底:「金銀財宝を入れず、
三国志ファンなら誰もが熱くなる名シーン「関羽の千里行」。恩義のあった曹操のもとを去り、兄と慕う劉備のもとへ向かうため、五つの関所を突破し六人の将軍を斬る。圧倒的な忠義心にシビれる場面ですが、冷静に考えるとこれ、「超ド級の不法入国ならぬ不法出国」ですよね。現代の感覚はもちろん、当時としても「これ、国際問題レベルの大事件じゃないの?」という疑問が湧くのも当然です。今回は、この「関羽の関所破り」の真相と、その後の影響について深掘りしてみましょう。そもそも「五関斬六将」は実話なのか?まず、
ようやく吉川英治氏の三国志(全8巻)を読んだ!およそ1年がかり長かった~(三国志吉川英治著全8巻)この中国最大のダイナミックな動乱、魏、呉、蜀の三つ巴の戦いのドラマは三国の個性が面白い。また登場するキャラクターもバラエティーに富んで個性と個性のぶつかり合いが楽しい。だが中国の歴史物は苦手である。苗字が同じ人物が何人も登場して(例えば猿さん死んだと思ったら違う猿さんがすぐ出てきて???混乱する)かつそれが何代も登場するからややこしいのである。しかしそれでも何でこんな
人間の能力と倫理観にはどうしてもギャップがあります。Thereisagapbetweenindividualtalentandethicalvalues,能力の高い人が道徳的にも優れているとは限りません。whichmeanscapablepersonisn'tnecessarilyexcellentinmoral.三国志の時代に中国のリーダー曹操が、AChina'spoliticalleaderinthethirdcenturysaid
並木良和さんと出逢って、5年が過ぎて、ひたすら並木良和さんを追い求め続けて、私と向き合ってくれて、ここまで育ててくれて、本当に感謝しかありません。並木良和さんという存在がなければ本当に今の私という者は存在しないし、今の幸せも存在がし得なかったのです。少しはよそ見しながらもいつも引き戻されて、紆余曲折もありましたが、今までの人生の中で最も深い魂の交流だったと感じています。ほとんどオンラインなのに不思議です。東海ラジオの激しく幸せになる秘訣のために定期的に名古屋に通ってくださっていたことが、
三国志の世界において、「名門」という言葉は単なる金持ちを指すものではありません。それは何代にもわたって朝廷の重職を歴任し、儒教の教えを体現し、天下に膨大な門下生(ネットワーク)を持つ家系を指します。今回は、乱世を動かした「真の名門」とそのブランドの裏側を解説します。1.袁家(汝南袁氏)「四世三公」の絶対王者三国志の前半戦、最強のブランド力を誇ったのが袁紹・袁術を輩出した汝南袁氏です。理由:4代にわたって、国の最高官職である「三公(太尉・司徒・司空)」を輩出したことから、「
ヒゲの渦を巻き起こし、曹操をヒゲの海へ沈めようとする関羽です。三国時代の武勇伝として後世まで語り継がれそうです。三国志置物関羽像高級天然ツゲ木彫り置物中国伝統美術品木製彫刻青龍偃月刀商売繁盛金運アップ(高さ12cm×巾5.9cm×奥3.5cm)Amazon(アマゾン)三国志関羽青龍偃月刀最後の一閃(吹替版)Amazon(アマゾン)三国志英傑伝関羽Amazon(アマゾン)曹操:奸雄に秘め
三国志の歴史を語る上で欠かせないのが、魏の礎を築いた風雲児・曹操。彼が一代で巨大な勢力を築き上げられた背景には、単なる個人の才覚だけでなく、鉄の結束を誇る「親族軍団」の存在がありました。今回は、曹操を支えた血縁・義理のファミリー勢力を、その絆の深さと共にご紹介します。1.曹氏一族(直系のエリート集団)曹操の父・曹嵩の血を引く、いわば「本家」のメンバーです。文武両道な人物が多く、魏の屋台骨となりました。曹丕:曹操の次男。魏の初代皇帝。文才にも長け、父の覇業を政治的に完成させま
こんにちは^-^たけたけです!今回は、はちみつ皇帝こと袁術に続いて、呂布が負けます。最後まで見てくれると嬉しいです。^-^目次1.劉備、曹操と組む2.呂布、死す3.最後に1.劉備、曹操と組む呂布に徐州を乗っ取られ、追い出された劉備は、人質を取り戻し、すぐに曹操のところへ逃げます。曹操は、一度自分の領土を呂布に取られて恨みを晴らしていないので、呂布の本拠地、下邳を激しく攻めます。もちろん劉備はついていきました。呂布には陳宮という軍師がいて、曹操の背後をつくように進言しました
曹操という男は、常に薄氷を履むが如き慎重さで乱世を渡り歩いてきました。しかし、そんな彼が一生消えない傷を負い、最愛の息子や忠臣を失ったのが「宛城の戦い」です。なぜ、あのリアリストの塊のような曹操が、あそこまで無防備に油断したのか?今回はその謎に迫る「しくじり先生」的な考察をお届けします。1.「格下」への慢心:降伏の早さが仇となった張繍は、曹操の軍門にあっさりと下りました。戦わずして勝ったことで、曹操の心に「張繍は自分に心酔し、完全に屈服した」という甘い認識が生まれた可能性があります
中国軍制服組トップも「例外なき粛正」習氏「一強」世代交代狙う?:朝日新聞中国軍で相次ぐ高官の失脚は、ついに制服組トップの張又俠・中央軍事委員会副主席に及び、習近平(シーチンピン)国家主席の3期目で最大の政治事件に発展した。例外なき粛正によって、習氏の「一強」を印象づける…www.asahi.com2025年12月に中国・北京であった中国軍の上将昇進式で記念撮影する習近平国家主席(前列左から2人目)と軍制服組トップの張又俠・中央軍事委員会副主席(同3人目)、劉振立・同委員会委員(同4人目
「大将軍に、オレはなる!」でおなじみの作品は三国志の時代ではありません。そこで、ふと気になったんです。三国志、魏の歴代大将軍って?と。(呼び名は大将軍とは違うでしょうけど)三国志の世界において、軍の最高指揮官である「大将軍」の座は、単なる役職以上の意味を持っていました。それは国家の命運を握る「盾」であり、時には玉座を脅かす「刃」でもあったのです。今回は、魏の建国から滅亡まで、その激動の歴史を支えた(あるいは塗り替えた)歴代の大将軍たちを振り返ります。1.黎明期の象徴:夏侯惇
「逃げるが勝ち」という言葉がありますが、歴史を動かした英雄たちほど、実は「逃げ際」の判断が驚くほど速いものです。織田信長の「金ヶ崎の退き口」などはその最たる例ですが、中国の三国志の世界でも、生き残って大成した者はみな凄まじい「逃げ上手」でした。今回は、三国志の英雄たちの鮮やかな逃げっぷりと、その裏にある哲学を紹介します。1.「逃げ」を執念に変えた男:劉備三国志の中で「逃げた回数」で右に出る者はいないのが、蜀の初代皇帝・劉備です。彼は生涯で何度も拠点と家族を捨てて逃げ延びています
ドラマ「三国志司馬懿軍師連盟」を見終わった。全86話。曹操から4代につかえた司馬懿仲達の人生ドラマ。「三国志」の終わり方ってあとからじわじわ来るっていうかあたかも劉備玄徳が関羽や諸葛孔明の協力を得て分裂した三国をまとめる、と思いきや主要人物が次々といなくなって最後は劉備に息子・劉禅を託された諸葛孔明も闘いのさなかに命尽きるんだよなぁ。魏・呉・蜀の三国はどうなるのか?しのぎを削っていた曹操、劉備、孫権の誰も三国を統一できないんだよなぁ
三国志を読んでいると「鎮東将軍」や「長沙太守」など、いかめしい役職が次々と登場します。これらが実際にどんな仕事をしていて、現代でいえばどの程度の権力者なのか、イメージしやすく現代の役職に例えて解説します。1.国の最高幹部:三公曹操などが就いた、朝廷のトップエリートたちです。司空:国土交通大臣土木工事や水利を司ります。曹操が就任し、インフラ整備を通じて国力を高めました。司徒:総務大臣兼文部科学大臣民政や教育、戸籍管理を担当。国の内政を支えました。太尉:防衛大臣軍政の
さて医師吉平による曹操毒殺計画は失敗。木に縛り付けられて木の棒で叩かれる、まぁ拷問というよりも死んじゃいますわな。拷問はもっとジワジワと苦しみを与えないと(笑)さらに王子服たちも逮捕されます。曹操が喪黒福造のようだ(笑)この世は老いも若きも男も女もココロの淋しい人ばかりですよ…さてこの企てを密告したのは董承家の下男。こーゆー召使いというか下男のことを中国では「慶童」と呼ぶのか……と思っていましたが、調べてみるとこの下男の名前が「秦慶童」というそーです。まぁ三国志演義にしか登場しな
三国志を読んでいると、ふと疑問に思うことってありますよね。特に、物語の主人公である劉備。物語や小説では「義に厚い」「民に愛される聖人君子」なんて言われていますが、その足跡を冷静に辿ってみると……。公孫瓚のところで世話になる→離脱。陶謙から徐州を譲り受ける(ちゃっかりゲット)。呂布に追い出されて曹操を頼る→隙を見て逃亡。袁紹を頼る→勝負が決まる前にトンズラ。劉表を頼る→荊州を実質的に乗っ取(ゲフンゲフン)。劉璋を助けに行く→結局、国ごと奪う。「あ
西暦208年、曹操率いる80万の魏軍に対抗するため、蜀の軍師・孔明は同じく魏に降伏を迫られている呉と同盟を結ぶ策に出る。魏軍と呉・蜀連合軍とが長江の赤壁で繰り広げ、「三国志演義」でも描かれた“赤壁の戦い”を、ジョン・ウー監督が壮大なスケールで映画化する全2部作の前編。蜀の劉備を支えた名軍師・諸葛孔明を金城武、呉の孫権に仕えた水軍の将・周瑜をトニー・レオンが演じるほか、チャン・チェン、ビッキー・チャオ、リン・チーリン、中村獅童などアジアのスターが集結。
魏の曹操を支えた名将であり、一族の重鎮。その名は曹洪(子廉)。物語では、戦場で「曹操が馬を失えば自分の馬を差し出し、『天下に洪はいなくとも、公(曹操)がいなくては困ります!』と叫ぶ」という、全読者が涙するレベルの超絶イケメンな活躍を見せたりします。……が。歴史ファン、特に『三国志演義』や正史の裏側を知る人々の間では、彼は別の意味で有名です。そう、「魏のケチ王」として。なぜ彼はここまでケチキャラ扱いされるのか?その理由をエピソードと共に紐解いていきましょう。1.「金の亡者」の名
三国志のロマンを支えるのは、戦場を駆ける武将たちだけではありません。その背後で彼らを支え(あるいは翻弄し)、激動の時代を共に生きた女性たちの存在もまた、歴史の重要なピースです。今回は、三国志を象徴する「三英雄」——劉備、曹操、孫権——にスポットを当て、彼らが生涯で何人の妻を持ったのか、正史や伝承、そして「英雄色を好む」という言葉に基づいた大胆な推測を交えて考察します。1.漢の末裔・劉備:放浪の裏に消えた「数多の絆」劉備の女性関係を一言で表すなら「苦労人の再婚ロード」です。正史『
「人こそが財産である」という信念を持っていた曹操。彼は一度惚れ込んだ才能に対しては、過去の恩讐すら超えて深い情愛を注ぎました。関羽にはその愛が届きませんでしたが、一方で曹操の熱意が実を結び、歴史に名を残す名コンビとなった事例も少なくありません。曹操がその「執着」を最高の形で実らせた、三つの成功例をご紹介します。1.張遼:敵将から「五将軍」筆頭への華麗なる転身曹操の「人材登用」の真骨頂といえるのが、張遼との関係です。張遼はもともと、曹操を散々苦しめた呂布の配下でした。呂布が敗れた
三国志史上、最もミステリアスな軍師を一人挙げるなら、私は迷わず郭嘉を選びます。若くして世を去りながら、曹操に数々の勝利をもたらした「鬼才」。彼の献策は、もはや知略というより「予言」に近い的中率を誇ります。しかし、ここで一歩踏み込んだ妄想をしてみましょう。郭嘉の知略とは、彼一人の天才的な閃きではなく、彼をトップに据えた「秘密諜報組織」の分析結果だったのではないか?というお話です。「十勝十敗」という名の事業計画書有名な「十勝十敗」の説破。袁紹と曹操の差を10の項目で論じ、曹操の勝利
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」が始まりました。一昨日のブログでも取り上げましたが、今年は戦国時代の人間模様が存分に楽しめそうです。織田信長には、草履を懐で温めたという逸話で知られる忠臣・猿(後の豊臣秀吉)がおりました。そして豊臣秀吉には、竹中半兵衛、黒田官兵衛という知略に長けた二人の軍師が。いつの時代も、名をはせた人物の傍らには、右腕となる人物が存在すると言われます。今日は、日本の戦国時代よりはるか昔、中国の「三国志」について触れてみようと思う。昨年、久しぶりに吉川英治の三国志
歴史の教科書を開くと、曹操はいつも「天下を統一できなかった男」として語られます。しかし、ちょっと待ってください。彼が支配した「魏」の版図を見てみましょう。中国の心臓部である中原を完全に押さえ人口も経済力も当時の世界のトップ。これだけの面積を支配していながら「勝者」と呼ばれないのは、あまりに不条理だと思いませんか?実は中国古代史を眺めると、曹操よりもずっと「狭い地域」しか支配していないのに、涼しい顔で「勝者(覇者)」の座に座っている人々がいます。今回は、曹操が泣いて悔しがるであろう「省エネ勝者