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三国志の世界は英雄たちの華々しい活躍が目立ちますが、その下で働く部下たちの苦労を想像したことはありますか?現代でいう「パワハラ」「ブラック上司」が可愛く見えるレベルの、性格に難ありな上司たちをピックアップしました。第1位:絶対的な実力、しかし理不尽の極み「曹操」圧倒的なカリスマ性と能力を持つ曹操ですが、上司としては「地雷」が多すぎます。疑心暗鬼の塊:「自分が他人を裏切っても、他人が自分を裏切ることは許さない」というスタンスです。寝言で人を斬ってしまうエピソードもあり、隣で寝るだけで
「三国志」という群雄割拠の時代、誰もが一度は夢想するのが「もしあの英雄がこの場にいたら?」という話。中でも、後漢を建国した「やり直し」の天才、光武帝・劉秀がもし黄巾の乱の後に現れていたら?歴史のifを、光武帝のキャラクターと実績から考察してみます。1.「柔よく剛を制す」外交で群雄を飲み込む光武帝の最大の武器は、曹操のような冷徹な覇道でも、劉備のような涙の王道でもなく、「圧倒的な調整能力」です。彼は敵対した将軍を許し、部下として使いこなす名手でした。もし彼が中原に立てば、袁紹や袁
曹操は、黄河沿いの官渡に城塞を築き、袁紹は、官渡に兵を進めて、籠城戦となった。戦いは、長期戦の様相を呈して、曹操軍は、兵糧が、不足したため、脱出者が、出始めた。袁紹は、大量の兵糧を運ばせ、駐屯させた。袁紹の配下で、曹操の旧知の許攸は、曹操軍に寝返って、烏巣に大量の食料があることを告げたのである。曹操は、自身、兵を率いて、烏巣を急襲すると、兵糧を燃やした。烏巣の戦いの勝利が、曹操と袁紹の勝敗を分けた。袁紹は、800人程度の供回りと河北に脱出し、官渡の戦いは、曹操の勝利に終わっ
193年、曹操は、父の曹嵩を兗州に迎えようとしたが、曹嵩は、徐州にて、殺害された。徐州牧の陶謙は、曹嵩の殺害に全く、無関係であったが、曹操は、徐州の全てを恨んで、徐州に攻め込み、大虐殺を行った。曹操孟徳の生涯の最大の汚点、「徐州大虐殺」である。曹操は、徐州の「男女数十万人」を虐殺し、鶏や犬さえ、いなくなったと言われる。曹操の徐州侵攻中、隙を突いて、張邈が、曹操の部下の陳宮と謀り、呂布を迎え入れて、曹操に反逆した。呂布は、『三国志』の中で、最強の豪傑である。兗州は、三城を
宦官撲滅の計画に先んじて、何進は、各地の将軍に洛陽に集まるように檄文を下した。それに応えて、西北の涼州から、董卓が、軍勢を率いて、弁及び、協を確保した。董卓は、皇帝の弁を廃すると、協を自身の傀儡とし、皇帝に立てた。漢の最後の皇帝、献帝である。曹操、袁紹等は、洛陽から、逃走して、郷里で挙兵した。曹操は、洛陽から、逃げ出す際、陳宮と共に逃亡中、呂伯奢の家を訪ねたが、呂伯奢が、自分を殺そうと勘違いし、その家の者を斬り殺した。その時、曹操の言い放った、言葉を敢えて、吉川英治の意
三国志の世界を彩る数々のドラマの中で、剣や矛よりも鋭く敵を射抜いた武器があります。それが「檄文」です。曹操が袁紹に罵倒されたあの文書や、諸葛亮が北伐の決意を記したあの名文。これらは一体どのようにして人々の心に火をつけ、広大な大陸を駆け巡ったのでしょうか?その知られざる裏側を深掘りします。そもそも「檄文」とは何なのか?一言で言えば、「正義の表明」と「敵への宣戦布告」を兼ねた公式声明文です。単なる悪口ではなく、自分がいかに正しい大義名分(フラッグ)を持っており、相手がいかに道に外れた
名作は何回見ても面白いね。「三国志司馬懿軍師同盟」1度見ているから展開はわかっているけど、それでも見入っちゃうなぁ。名優たちがドラマを生む。中国時代劇「三国志~司馬懿軍師連盟~」|BS日テレ若かりし頃の司馬懿は物静かな書生であったが、曹操暗殺の嫌疑をかけられた父親を持ち前の知略で見事救出し、人々の注目を集める存在となる。その天賦の才と『狼顧の相』と言われる野心的な一面を曹操に認められ、曹操の息子である曹丕に仕える立場となった司馬懿は、曹家の激しい後継者争いに巻き込まれながらも、曹
三国志の乱世において、武将たちの格付けを決めていたのは単なる武勇だけではないのかもしれません。彼らが執着し、時に激しく衝突した根理には、「官職」と「爵位」という二つの異なる序列体系が存在していたと考えられます。この二つの違いを紐解くことは、曹操や劉備が歩んだ覇道の背景を読み解く鍵になるのではないでしょうか。官職と爵位の根本的な役割の違い官職とは、一言で言えば「政府内での役職」を指していたようです。軍事を司る大将軍、行政を担う丞相、地方を治める太守などがこれに当たり、基本的には実務を伴う公
2月から開催されている、全武将ログインログインするだけで1日1体武将がお迎え出来る、全武将ログインで未所持だった武将をお迎えさせていただきました曹操周瑜呂布諸葛亮これでこれで今、真・三國無双覇にて登場している武将が全員揃いました曹操様以外は武将募集などのガチャでは登場しない方々だし、呂布さんはもう集めれるかどうか不明だし········と思っていたし、何なら軍師組はもう郭嘉さんと仲達様贔屓で最優先だったので、ほぼ諦めていたので、お迎えする事が出来て本当に本当に嬉しいです本当に
對酒當歌,人生幾何?譬如朝露,去日苦多。慨當以慷,憂思難忘。何以解憂?唯有杜康。青青子衿,悠悠我心。但為君故,沉吟至今。呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。明明如月,何時可掇?憂從中來,不可斷絕。越陌度阡,枉用相存。契闊談讌,心念舊恩。月明星稀,烏鵲南飛。繞樹三匝,何枝可依?山不厭高,海不厭深。周公吐哺,天下歸心。曹操
曹操孟徳は、紀元155年、曹嵩と丁氏の間の息子に生まれた。曹操の祖先は、漢帝国の高祖、劉邦に仕えた、建国功臣の曹参であるとの説があるが、曹参は、紀元前190年に、亡くなっており、曹操の誕生まで、345年間の開きがあるため、真相は、不明である。曹操の父の曹嵩の実父は、不明であり、夏侯氏の出身との説がある。曹嵩は、宦官の曹騰の養子であるため、曹操は、曹騰の孫に当たる。曹騰は、安帝の時に宦官として、宮廷に入り、30年の長きに渡って、政界を渡り歩いた。順帝が、皇太子の120年に勉強
秦の始皇帝を支えた王翦一族や蒙武一族。彼らのような「世代を超えて主君に尽くす武門の誉れ」は、男たちのロマンですよね。実は三国志の世界にも、単なる配下を超えた「一門まるごと忠義の塊」のような一族がいくつか存在します。始皇帝時代の名門にも引けを取らない、三国時代のサラブレッドたちをご紹介しましょう。1.魏の夏侯氏:曹操の覇業を支えた「身内」の絆始皇帝にとっての王一族に最も近い存在といえば、魏の夏侯氏でしょう。曹操とは族父兄にあたる非常に近い関係であり、まさに「魏の守護神」として代々最前
「治世の能臣、乱世の奸雄」人徳:84/統率力:97/決断力:94/政治力:93/行政力:100/軍事能力:97/武勇:88/知略:99/学識:98/天運:82=合計:932点日本一、有名な、中国史の小説、『三国志』。日本では、吉川栄治・北方謙三・陳舜臣・宮城谷昌光等、多くの歴史小説家が、独自の『三国志』を描いているが、日本人にとって、特に馴染み深いのは、吉川栄治の『三国志』であろう。なお、全60巻に及ぶ、横山光輝の漫画の『三国志』は、吉川栄治の『
曹操が、漢の創業に貢献した軍師・陳平のような人物を求めたかもしれません。今回は、なぜ曹操が陳平という人物を欲したのか、その能力や背景を含めて妄想いたします。陳平という人物の能力と功績陳平は、劉邦の天下統一において「奇計」を駆使し、戦局を覆す役割を担いました。彼の最大の特徴は、既存の価値観や道徳に縛られない、極めて合理的な思考にあります。状況把握と工作:敵の内部に疑心暗鬼を生じさせる「離間の計」や、外交的な駆け引きを得意としました。正攻法では打破できない困難に対し、心理的な隙を突くこ
今のような乱世に、こういう男が生まれたのも、天下の心あってのことかもしれない。(全30巻・2巻の381ページ)寝ている曹操様を殺すのを踏みとどまった陳宮様の御言葉。時代が曹操様を生まれさせたのかもしれません。
昨日、仕事でイライラしまして。一晩経っても、まだイライラ引きずっております。なので、本日は自分を労わる記録をしたいと思います。好きを語りたい、、、違う。ひと匙のユーモアを補給して、イライラしている脳をゆるめたい。。。と。そんなわけで、ストレスケア。本日のストレス発散は、心を遊ばせてみよう♪お題は、、、ーー三国志の曹操のお気持ちを分析、、、というか、想像して心を遊ばせる(でも私の中で、曹操は推しではない)学生時代、三国志を読んでいて、曹操にまつわる、こんなエピソードを知りまし
https://t.co/bougGSvJri1日1テーマ30日で分かる三国志、読み終えた。なかなか良かった。イラスト、資料が多彩で、文章も結構分かりやすい。一つのテーマが4ページごとの紹介なので、三国志入門として簡潔にまとまってる良い本だ。—yosi(@yosifumu)April4,2026三国志の正史、演義の違い、曹操孫一族劉備の項目ごとの紹介、また、物語を彩る女性という三国志としては異色なテーマの章もあったり、現代に残ってる故事成語、日本の三国志の広まり方など、雑学
三国志において、曹操が築き上げ、曹丕が皇帝として建国した「魏」。この国名が、単なる地名や偶然から付けられたものではなく、古くからの歴史的・政治的な重みを背負った由緒ある称号であることはあまり知られていません。なぜ曹操は自らの政権を「魏」と名付けたのか、その背景にある由来を解説します。「魏」の起源は、春秋戦国時代の名門「魏」という文字は、もともと周の時代に封じられた「魏」という場所に由来します。春秋戦国時代、中国には「魏」という強大な国が存在しました(戦国七雄の一つ)。この戦国時代の魏は、
三国志吉川英治の小説「三国志」を1ヶ月半かかって通読した。初めてのことです。その基となっている…陳寿の歴史書「三国志」や羅貫中の物語「三国志演義」は勿論のこと…^^読んだことはありません。三国志については、ダイジェスト版や解説書、あるいは漫画やテレビの知識だけで今日まで生きてきていた。今つくづく若いうちに、できれば学生時代にちゃんと読んでおけばよかったと反省しきりです。登場人物は…小説に登場する人は、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備玄徳/諸葛亮孔明/関羽/張
三国志の魏において、軍を率いる将軍や軍師たちの関係性は、単なる主従を超えたドラマに満ちています。彼らの「絆」が戦果を左右し、時には国の命運さえも変えてしまったのです。ここでは、特に際立った二つの関係性に焦点を当てて振り返ります。最高の絆:曹操と夏侯惇魏の屋台骨を支えたのは、曹操と、その従兄弟である夏侯惇の圧倒的な信頼関係です。夏侯惇は曹操から最も厚い信頼を寄せられた将軍であり、彼を将軍として扱う際、曹操は他の部下に対するような厳格な礼式を免除していました。「良い仲間」と言える理由は、
数ある三国志の激戦の中で、なぜ「赤壁の戦い」が圧倒的な知名度を誇り、物語の代名詞として君臨し続けているのでしょうか。もちろん史実としての重要性も無視できませんが、私個人としては、この戦いが「物語全体を駆動させる完璧な心臓部」として機能しているからこそ、これほどまでに語り継がれているのだと確信しています。なぜこれほどまでに有名と言い切れるのか。私なりの視点で、その理由を紐解いていきます。「勧善懲悪」と「弱者の逆転」の完璧な構図私が物語の魅力を決める上で最も大切にしているのは、読者が思
いつもありがとうございます。ミズです。このブログにお越しいただき、感謝いたします。今回は、「人材」についてのお話をしたいと思います。人材を「人財」と表現する場合もありますね。ミズさんの勝手な解釈では、「『人』というものを、会社を発展させるための『材』料と捉えるのではなく、会社にとってかけがえのない『財』産だと尊重する立場」のことだと思っています。違ってたらゴメンなさい。ただ、一般的には「人材」と言うことが多い気がしますので、そのまま使っていきます。それぞれの会社や組織で、かけが
心が広いなと思う人は?▼本日限定!ブログスタンプ心が広いのとは違うかもしれないが、「三国志」の曹操。元敵であっても使える人材は自分の陣営に取り入れようとする。だから魏はバランス型で三国の中で1番好きだ。曹操自身は特に好きなわけではないが、曹操が悪役に書かれてる「演義」は好きではない。
三国志ファン、特に魏の陣営を愛する者にとって、これほど切なく、そして謎めいた最期はありません。曹操の「最高傑作」とも呼べる名軍師・荀彧。彼のもとに届けられたのは、中身が何もない「空の箱」でした。今回は、このあまりにも有名なエピソードの真偽と、そこに隠された曹操の真意について、歴史的事実と大胆な推測を交えて紐解いていきます。正史に記された「空き箱」の真実まず、このエピソードが正史(歴史書)にあるのかどうかという点から整理しましょう。結論から言えば、陳寿が記した正史『三国志』の本文に
「才能さえあれば、不道徳な者でも構わない」そんな強烈なスローガン「唯才」を掲げ、乱世に風穴を開けた英雄・曹操。しかし、彼が北方の覇者となり、魏王という頂点に近づくにつれ、その尖った方針には「あれ?言ってることと違くない?」という陰りが見え始めます。今回は、曹操の「唯才主義」がいつ変質したのか、そしてその矛盾が露呈したエピソードを紐解きます。ターニングポイント:建安22年の「求賢令」曹操は生涯で三度、大きな求賢令を出していますが、決定的な転換点は建安22年の三度目の求賢令付近だと言
「お前の家系は汚物だ!」なんてことを、天下の権力者・曹操に向かって大声で(正確には超一流の文章で)言い放った男がいました。その名は、陳琳。今で言うなら、超大企業の社長に向かってSNSで「お前のじいちゃんからお前まで全員ヤバい!」と超絶クオリティのディスり投稿をバズらせるようなものです。普通なら即ブロック、どころか社会的に消されてもおかしくありませんよね。でも、ここからが陳琳のワクワクするような逆転劇の始まりです!1.才能は「怒り」さえも「感動」に変える陳琳が書いた曹操への
はじめにこんにちは。普段は勉強ブログメインで書いています。が、華流にはまってしまい勉強ブログの最後にちょこっとドラマだったりC-POPの曲のことだったり書いていましたが、勉強ブログと分離すべく、テーマを分けました(ちょこっと書きは継続中)勉強ブログのつもりで来て下さった方はテーマから飛んでいただけたらと思います同じく華流好きで来て下さった方、メインはこちらになりますのでよろしくお願いします華流ドラマメインで、そのうち推し話が多めになるかと思います今回は中国映画『三国志
三国志の時代、一本の竹簡(ちくかん)や一巻の絹に記された文字は、単なる知識の記録ではありませんでした。それは時に、一国の運命を覆す「力」そのものであり、手にした者に神の如き知恵や悪魔の如き呪いをもたらす魔導装置でもありました。本記事で紹介するエピソードは、歴史書に記された「事実」と、後世の物語や民間伝承によって増幅された「虚構」が複雑に織り交ざっています。どこまでが真実で、どこからが人々の願いが生んだ幻想、虚構なのか。その曖昧な境界線こそが、三国の書物をめぐる物語の真の醍醐味なのです。
三国志(五)(吉川英治歴史時代文庫)Amazon(アマゾン)吉川英治著「三国志(五)」を読みました。多勢に無勢で曹操から攻められていた劉備ですが、曹操から和睦交渉を受けます。遣いに来たのは徐庶。和睦というのは名ばかりで、これを断れば劉備は攻め込まれ、民が苦境に陥り、受け入れれば現在の領土は曹操のものになってしまうという計略です。劉備は和睦を受け入れることはなく、孔明の助言もあって江陵へ移動を始めますが、これに民も皆ついて行くと言ってききません。そういう状態ですから
【三国志】9割が知らない!魏・呉・蜀が滅亡した原因とは?!-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be2024/11/02#諸葛亮#曹操#三国志魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権に代表される三国時代。そんな三国も最終的には終焉を迎えることになりますが、その原因は意外と知られておりません。今回は三国の建国から崩壊までの歴史を徹底的にご紹介していきます!諸葛亮が没