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常滑街道は「大井越」?の微かな峠越えで豊浜から大井の集落に向かいます。戦前の地図で見るとこんな感じで豊浜師崎間の海岸線には道はまだありません。崖の地図記号が並んでますね。その峠と思われる場所になんだか案内板が。七曲山、28社めぐりというのがあるらしいのですが、「不動明王約150M」って、道は完全に草叢ですが笑。150Mならば行けたら行ってみたいのですがこれはムリ・・・。見なかったことにして先に進みます。このあたりもホントに野生のビワがたくさんなってますよ。
3月2日、ブルーインパルスの来る小牧基地航空祭を見に行ったりしていました。凄い人ですね。美しい写真はSNSでたくさんアップされてるのでここでは展示しません笑。飛んでいる写真にブルー要素が全くない笑。秘密基地感とかメカ整備感は男の子にはなんだかテンション上がるシチュエーションですね。自衛隊型常夜燈。惜しくも基地祭に間はに合わず次の日です・・・。先日も書きましたが使用中だったコンデジ、SONYのTX-30が不調になり、
内海に向かう峠越えの道を進みます。現在はこの小野浦から内海の間は海岸沿いに国道247号が走っていますが、昭和の戦前の地図を見てもまだ海岸の断崖絶壁には道はありませんでした。Googlemap先生がいつの時代の常滑街道ルートを示しているかはわかりませんが、この日の進路は内陸部を迂回していく戦前マップにある峠越えの道です。見たことない白い花、露草っぽいと思って調べたらトキワツユクサという帰化植物でした。山中にメチャ大繁殖してる。鈴鹿にもあるこの中日新聞の旗があると、なんだかうらぶれ
愛知県一宮市の臨済宗妙心寺派、妙興報恩禅寺。いわゆる妙興寺。一宮市博物館も隣接していて、今までも何度も散策しています。古地図を見ていると昔は妙興寺を囲むように家が建っていました。禁断のストリートビューで現在はどんな感じかなと覗いてみると・・・一基の道標を見つけました。地味な史跡定番のごみ収集場所になってて笑。車ならすぐ近くだし、いくらかの時間があったのでちょっと見物がてら歩いてみることに。ゴミがあっても回収済みの午後遅めの時間に笑。一宮市博物館の駐車場からスタート、反時計
先日の関ヶ原訪問では残念ながら今日は関ヶ原から伊勢の国桑名向かう道、伊勢西街道を歩きます。大きなくくりでの「伊勢街道」は関ヶ原を出て途中で養老山系の東側を回り三重県に向かう伊勢東街道と、西側を回る伊勢西街道に分かれます。伊勢東街道は[養老道を歩く]と銘打って2021年に歩いた南宮大社から桑名に歩いた道と近いルートです。今回の伊勢西街道、三重県側から見る濃州道、巡見道と呼ぶ街道とも重なりますが、(みえの歴史街道ウォーキングマップ参照)タイトルは岐阜県側から見た「伊勢西街道」に統一し
どうも、蕨です。しばらく鹿児島を離れ遠くに出張に行きます。その為今後は鹿児島以外のネタが増えるかもしれません。出張ハアマリニモ面倒…面倒ジャナイ?それはそれとして今回も引き続き熊本の八代ネタやっていきます。今回までやって今後一旦出張先ネタになりそうですねー。大鼠蔵はしばらくネタ庫に眠っててもらいましょう…。===↓他の八代探索はこちら===・小鼠蔵(干拓で陸続きになったかつての離島)・白島(干拓で陸続きになったかつての離島。八代城の城壁の採石地)・産島(古墳や貝塚の
上街道は善師野宿を越えて峠越えの道を進みます。舗装が尽きるところに・・・。車止めのチェーンと「不要不急の無断通行禁止」なる札が立てられてました。車両通行止めとの表示と判断しますが・・・。何らかのトラブル等があったのかもしれませんが・・・。歩きの旅人にここから引き返せはあんまりなのでお願いですから通らせてくださいとつぶやきながら踏み入りました。この岩壁は犬山市のパンフレットの犬山たび街道の巻に載ってた、江戸時代に磐座として有名だった「箕岩」ですね。この江戸時代
今回の歩きは八風道(八風街道)。鈴鹿登山をする方はおなじみの、釈迦ヶ岳と三池岳の間の赤い鳥居のある八風峠。先日も歩いたばかりです。その八風峠をまたいでの三重県と滋賀県を結ぶ街道があります。八風越とか八風街道とか八風道とか言い方はいろいろ。琵琶湖と伊勢湾を結んでいる昔の山越えルートのひとつです。Wikipediaでは・・・こちらをどうぞ。三重県側の登山区間だけは今まで何度も歩いてきていますが、伊勢湾の海沿いの富田一色から鈴鹿山麓までの区間を街道として歩いてみたいと思っていまし
昨年末の12月26日に、街道歩き休暇を頂き(勝手に命名:ただの有給休暇です)、鎌倉街道中道の旅の第5回として、新宿御苑から十条までの区間を歩いた旅の記録その7です。歩行ルートや立ち寄ったポイントは↓の地図の通り:寄り道併せると全部で歩いた距離は11kmでしょう。その6では、梵寿綱デザインのあるビルやサンシャイン60を眺めながら進み、鎌倉街道が都道305号と鋭角に接する部分で、シブい店舗の裏側を愛でたところまでをご紹介しました(↓再掲)。さすがに都道に出てしまうと街道の風情的
伊南房州通往還(房総東往還、単に房総街道、とも)の最終区間として小湊から館山までを5月1日~2日の二日間に分けて歩いた歩き旅の記録、2日目のその4(初日と併せ通算でその14)です。今回歩いた区間は↓。歩いた距離は神社仏閣などへの寄り道は含めずに44~45km程度でした。その3では、南三原(みなみはら)駅前の商店街のシャッター化に胸を痛めつつ、森永乳業の店舗だった看板建築=髙木商店というラーメン屋らしい、に思いを馳せたところまでをご紹介しました(↓再掲)。駅から街道に戻る最中に
・・・・・・前回の記事、その②より続きです。・・・・・・北方の町を出て一路南へ進んだ我が「北方美江寺墨俣竹鼻道(仮称)」または「西美濃往還(仮仮称)」。メジャー街道中山道と美江寺宿で交差します。中山道との合流ならアレがあるのはコース選定初期に調べがついていたので意気揚々と到着です。そう、道標です、バス停のあたりに・・・あれ?ない?。交差点にある美江寺宿観光案内マップにも載ってるのでここで間違いないのですが。てかここで我が「北方美江寺墨俣竹鼻道(仮称)」または「西美濃往
そろそろ緊急事態宣言下の散歩もネタ切れになろうかという1月末日、愛知県のブロ友さんが「古地図散歩」というアプリをご参考に、昔の地図(例えば明治時代)にあって、今も残っている道を歩くという企画をされていたのをパクっ、、、「インスパイア」され、近所にその名前が残るローカル古道、印西道(いんざいどう)を歩いてみることにしました。印西は松戸からだいぶ東の方に進んだところにある土地で、今も印西市がありますし、北総鉄道に「印西牧の原」という駅があります。歩行ルートは↓。二回に分けて歩きましたが、地図
どうも、わらびです。今回は国道10号線の鳥越隧道の旧道にあたる街道、磯街道を探索しました。===↓関連する探索はこちら===・鳥越坂と支線①(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道Part1)・鳥越坂と支線②(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道Part2)・行屋堀(稲荷川河口付近にかつて存在した運河)・初代・永安橋(磯街道に架かっていた岩永三五郎による石橋)====================地図赤線が今回探索した道です(地図上部の接続部に若干誤りがあります。スン
先日2日の西国街道の旅、後半です。(前半は→西国街道⑮-1(有年→船坂峠)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))船坂峠を越えて、西国街道では初めての岡山県入り。峠道を下り、備前市の中心部に向かって進んでいきます。何度も出会う国道2号線に合流したら、すぐに分岐し・・・・、JR山陽本線の踏切と交差します。ここは上下線の線路が大きく離れる箇所で、この踏切は姫路・神戸方面行の線路。村の中の道を歩いて、旧国道と思われる道と合流し道なりに歩きます。
福島県白河市女石(おないし)左白河街道(猪苗代方面)右仙台松前道(仙台方面)手前奥州街道16年前の2009年2月に日本橋を出て8月にたどり着いた五街道のひとつである旧奥州街道の終着点です。江戸幕府直轄街道である奥州街道はここで終わり。ここからは脇街道(地方道)である仙台松前道(奥州街道の続き)を歩きます。(右側を進みます。)スタートは東北新幹線新白河駅1月の朝は寒い。2011年福島第一原発の事故があり歩き旅には踏み出せませんでしたが、街道歩きのみな
名鉄岐阜駅。今日は岐阜市内に残る古い町並みを探して歩きます。岐阜市内は戦災でかなりの範囲を焼失しています。しかし北部(岐阜公園あたり)は比較的被害をうけなかったエリアです。国立公文書館デジタルアーカイブここに全国の都市の戦災地図がありました。古い町並みの残る町を探すヒントになりそうです。他にも江戸時代の国絵図なんかもあって興味深いサイトです。人気の川原町はその代表ですが今まで岐阜に行った折、住宅地にも古い家が点在しているようなので気になってました。今日はスマホの地図
10月31日(土)と11月1日(日)に決行した23回目の中山道歩き旅、1日目の旅の記録その11です。寄り道分も含めて今回歩いたコースは↓の通り。歩いた距離は初日ざっと28km前後、2日目15km前後でした(寄り道含む総距離)。街道上の見どころポイントについては順次書き足してゆきます。その10では、伊藤忠商事と丸紅の創業者と言える伊藤忠兵衛の家(現資料館)を見て、同業者として自分も頑張らねば!と珍しい決心をしたところまでをご紹介しました(☟再掲)。既にだいぶ日が赤くなり始めて
朝ゆっくり目に起きて、しかし近場でもいいのでどこか行こう。少し前から気になっていたJR東海のお得な切符の中にある「名古屋おでかけきっぷ」。名古屋を中心に関ケ原、三河三谷、武豊、亀山、釜戸、美濃太田、美濃赤坂までの範囲が乗り放題区間。範囲はまあ狭いことは狭いのですが値段がなんと破格の1500円。地元稲沢駅から武豊、三河三谷、関ヶ原あたりを単純に往復するだけでも元が取れます。1500円で一日楽しめると考えたら安いとも言えます。ただこれを買うにはちょっとめんどくて、スマートEXに登録し
おはようございます。Goodmorningeveryone^^今朝のウォーキングは、旧街道のコースを早足で。アイドリング完了です。本日は、所用で大須方面に張り切って参りましょうヒロオガワのCD音楽配信はこちらヒロオガワをAppleMusicでヒロオガワの音楽をAppleMusicで聴く。music.apple.comHiroOgawa-TOWERRECORDSONLINEHiroOgawa-タワーレコード|最新アルバムCD・シングルCDやBlu
ここ。旧の三国トンネルの左横。新トンネルの工事の時には工事車両や機材の置き場で立ち入り禁止だった路肩の🅿スペースの奥。この先は上越国境(上州と越後の境)の、旧の三国街道、三国峠に至る。『緑の回廊』として遊歩道に整備されてるようです。ここを覗きに行く時はなぜかいつも雨の日で、少し行っても毎度すぐに取って返してる。今回も。往古の人々が徒歩で越えた峠。ん?何かある。石仏。馬頭観音かな。馬頭観音なら勝負事の必勝祈願の仏様ですが、よくこの手の峠道にあるのは馬にちなんで旅路の足腰の丈夫
山の紅葉もピークを越えて、久しぶりに街道歩きをしたくなりました、大浜街道再開です。地元5時台の電車に乗って刈谷市駅に向かいます。リトルワールドの駅張ポスターは毎回笑わせてくれます、大ファンです。駅前ロータリーの謎の石物、何かわからなかったのです。駅を出て、前回の切り上げポイント交差点。お地蔵さまがおられたので今日の無事をお願いします。奥に和菓子屋さんがありますがまだ開店前です。歩道橋ってこうやって修理するのか。市街地の中を進みます、歩いてるとホント土地の起
こんにちは、もなかです明日はトレーニングなので、今日はハードには遊ばない日ですでもパパママがお休み、せっかくなのでドライブに行こうと、夕方から箱根に行ってきましたいつもは箱根新道を通って芦ノ湖畔に行くけど今日はふだん通らない道を通ってみようと、旧東海道で箱根を目指しました途中には楽しそうな自然探勝歩道がたくさんでも駐車場がないので通りすぎ、芦ノ湖の少し手前に、箱根の森という公園の駐車場を発見しましたそこに停めて、目指すは旧街道の石畳車窓から素敵な小道が見えたのです箱
松阪市・名古須川から伊勢神宮までの走行。途中、櫛田宿、小俣宿、山田宿を通って、外宮前を通過しておはらい町通りを走り、伊勢神宮で完走です。走行ルート日永追分から伊勢神宮までの走行結果
ふれあい伝承館今回の記事は、歴史ある古い街並みを見て歩くのが好き過ぎてしまって、ジオラマ模型を作って家の中でもミニチュア版を飾って楽しみたいと思っている人には、少しだけ参考になるかも?千葉県市川市の「行徳ふれあい伝承館」に来ていますよ♪※千葉県市川市本行徳35-7市川市行徳ふれあい伝承館|市川市公式Webサイト市川市行徳ふれあい伝承館についての情報をご覧いただけます。www.city.ichikawa.lg.jpメインの建物は、国の有形文化財に登録されている旧浅子神輿店(こ
今回もまた東海のローカル街道を歩きます、その名は大浜街道。この街道が向かう大浜という町は愛知県の衣浦湾三河側にある現在の碧南市の海沿いの古い市街地で湊町。しかしどこからかと起点を探ると諸説、というか、いろんなところからの道が「大浜街道」と呼ばれていたようで、絞り切れません。東海道の知立や安城などからも大浜街道が来ています、どの道も途中の刈谷から大浜まではほぼ一致しているようです。その中でも今回は以前歩いた常滑街道の大高で分かれた師崎街道を緒川まで経由し、緒川から境川を越えて刈谷から三
10月31日(土)と11月1日(日)に決行した23回目の中山道歩き旅、1日目の旅の記録その12です。寄り道分も含めて今回歩いたコースは↓の通り。歩いた距離は初日ざっと28km前後、2日目15km前後でした(寄り道含む総距離)。街道上の見どころポイントについては順次書き足してゆきます。その11では、新聞販売店の壁に古風な「かわら版」の立体絵的な看板を見つけ、日本古来の細工の繊細さに心を打たれたところまでをご紹介しました(☟再掲)。やがて「中山道愛知川宿」と書かれた冠木門風の
休みは雨ばっかりです、お山にはちょっと。なので歩いて来よう。オープニング写真は守口大根の里タワーで。葉っぱもついてます。名古屋から放射線状に延びるいろんな愛知県の街道。岐阜街道も美濃路も津島街道も上街道も岩倉街道も八神街道も佐屋街道も。愛知県の街道を歩いてるといつも交差する謎の街道、巡見街道。そのコースはこんな感じ、そりゃあ交差するわ~。なぜこんなコースかということで、まず初めに巡見街道なるもんのご説明を簡単に。江戸時代、幕府(例えると東京本社役員)が諸国の実情を見
皆様こんにちは!1月に入り、新しい大河ドラマが始まりましたね!その名も『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。横浜流星さん主演、江戸時代に活躍した、「日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎」を築いた人物とされる「蔦重」こと蔦屋重三郎の生涯を描いたドラマです。脚本は森下佳子さん。ドラマ『仁』や『義母と娘のブルース』を生み出したその脚本で、1年間どんなストーリーが描かれていくのか、とても楽しみです。さて、そんな蔦重のゆかりの地と言えるのが、生まれ育った「吉原」と、活動のフィールドだ
再びお伊勢参りの記事はまたお休みして・・・。こちらの写真は先日のお伊勢参りの旅で見た神戸城跡の石垣。良いわ~。を見てからちょっと頭の中がもっと石垣を見たい欲求がムクムクと頭をもたげました。今まで気にはなっていた岐阜市のもう一つの地味な方の城跡、加納城跡は航空写真で見るとこんな感じで。残ってるのは本丸部分だけですがこれは石垣鑑賞期待できそうです。加納藩10万石の石垣を見に行こう。午後から時間があった日、最寄りの名鉄茶所駅から歩きだします。地図なんかは用意せず行き当たりば
10\3朝から大雨昼頃に起きたら雨も止んでいたので少し散歩に行きます。明石市大久保町の駅近くに洋館の廃墟があります。JRの車窓からもよく見えます。この洋館は大正8年(1919)に地元出身の実業家で大久保宿本陣の当主の家系である安藤新太郎が建築した石造の洋館。設計は東大寺大仏殿の保存などを担当した加護谷祐太郎。完成直前に新太郎が亡くなってしまった為に、葬儀に使用されただけで放置された。旧安藤家住宅洋館大久保駅から旧西国街道を少し東側に歩くと洋館の廃墟が見えてくる。明石市唯一の洋館である