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≪その昔、この近くに狐と蟹が住んでいて、坂道の上まで競争しようということになりました。蟹は狐の尻尾に掴まり、坂道を駆け上がった狐が『蟹はまだだろう』と後ろを振り返ったときに素早く飛び降りて『とっくに着いていたよ』と言いました。勝利した蟹は、狐を追い出しそこに住みつきました。それからずる賢い大蟹は、旧街道のこの坂道に出てきて人々を苦しめていました。坂上寺兵庫県明石市和坂1丁目8−2坂上寺(ばんじょうじ)前の道は、西国街道で坂上寺前から西側に向かう緩やかな上り坂を「かにがさか」と
もう4か月以上も前、まだ寒かった2月3日(土)に、鎌倉街道中道歩きを始めました。もう何年も前に鎌倉街道下道の内、自宅最寄の松戸から鎌倉までの区間を歩いたことがありましたが、それがコロナ前の2019年8月だったので、4年半ぶりの鎌倉街道シリーズ第二段です。鎌倉街道中道は、埼玉県の川口辺りまで行くと、以前歩いた日光御成道と重なってしまうので、今回は川口まで5,6回かけて歩く予定です。今回歩いたルート地図は↓。歩いた距離は寄り道含めて15kmくらいです。当日は朝かなりの早起きをして
今日は散歩にゴーの日散歩は朝派?夜派?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう🙋お晩ですぅ〜🌠散歩は朝派?夜派?明るい時間派(笑)🤩姐さんちの周りは平坦な所が少なくて(¯−¯٥)薄暗いとか仄明るいとかの時間はあっぶねぇのでありまする☝️🙄姐さんが徘徊する散歩道は各地の神社仏閣森林公園関東ふれあいの道アルプスの眺めの良いお山歩道旧街道の山道階段階段(笑)ベンチは丸太です🪵時々はお山歩に出掛ける時に登山届けを出しちゃったり
今回もまた東海のローカル街道を歩きます、その名は大浜街道。この街道が向かう大浜という町は愛知県の衣浦湾三河側にある現在の碧南市の海沿いの古い市街地で湊町。しかしどこからかと起点を探ると諸説、というか、いろんなところからの道が「大浜街道」と呼ばれていたようで、絞り切れません。東海道の知立や安城などからも大浜街道が来ています、どの道も途中の刈谷から大浜まではほぼ一致しているようです。その中でも今回は以前歩いた常滑街道の大高で分かれた師崎街道を緒川まで経由し、緒川から境川を越えて刈谷から三
2013年3月10日(日)9日(土)は子供の学校行事があったため、10日(日)に大山街道の青葉台⇒鶴間の区間を歩きました。この日の歩行距離はおよそ11.3km、歩行ルートはこちらです。前回ゴールの東急田園都市線青葉台駅から真直ぐに南下し、国道246号の手前で右折すると旧道が残っている区間に入ります。上の写真の少し先で、再び旧道ルートは土地再開発などで無くなってしまっているため、いつもの様にこの本に従ったルートで、なんとなくジグザグ調子で歩きます(詳細は歩行ルート参照)。ホントに歩く大山街
八風道、緑の田んぼの広がるのどかな区間を行きます。古そうな凝ったデザインの橋の欄干だけあるようですが・・・。すぐ先に水門があるので、欄干のとこにあった古くからの川を付け替えたのだろな。GTO!街道脇の大きな木ってかなり好き。にわか撮り鉄。歩き撮り鉄なのですがこういう所で電車来てくれない。朝明川沿いに出ます。目の前の鈴鹿の山は花崗岩の山なので川の砂は白っぽい。電車きた、すかさず撮り鉄。指名手配級外来植物の美しいお花畑が目を楽しませてくれま
***前回の記事、その19より続きです***白子の町の真ん中あたり、クランク状に道が曲がる枡形になっている高札場跡です。酒屋さんの看板、メジャー銘柄ばかりかぁ。また和菓子屋さん、小原木本舗大徳屋長久さん。江戸時代享保元年創業の和菓子屋さんで「小原木」というお菓子が伝統の一品ということです。ですが紀州藩(当時白子は紀伊徳川家の領地だった)の殿様御用達のお菓子だったとのことなので街道を行きかうお伊勢参りの旅人の口には入らなかったのでしょうね。その昔には貴重だっ
10\3朝から大雨昼頃に起きたら雨も止んでいたので少し散歩に行きます。明石市大久保町の駅近くに洋館の廃墟があります。JRの車窓からもよく見えます。この洋館は大正8年(1919)に地元出身の実業家で大久保宿本陣の当主の家系である安藤新太郎が建築した石造の洋館。設計は東大寺大仏殿の保存などを担当した加護谷祐太郎。完成直前に新太郎が亡くなってしまった為に、葬儀に使用されただけで放置された。旧安藤家住宅洋館大久保駅から旧西国街道を少し東側に歩くと洋館の廃墟が見えてくる。明石市唯一の洋館である
ここ。旧の三国トンネルの左横。新トンネルの工事の時には工事車両や機材の置き場で立ち入り禁止だった路肩の🅿スペースの奥。この先は上越国境(上州と越後の境)の、旧の三国街道、三国峠に至る。『緑の回廊』として遊歩道に整備されてるようです。ここを覗きに行く時はなぜかいつも雨の日で、少し行っても毎度すぐに取って返してる。今回も。往古の人々が徒歩で越えた峠。ん?何かある。石仏。馬頭観音かな。馬頭観音なら勝負事の必勝祈願の仏様ですが、よくこの手の峠道にあるのは馬にちなんで旅路の足腰の丈夫
今回の歩きは八風道(八風街道)。鈴鹿登山をする方はおなじみの、釈迦ヶ岳と三池岳の間の赤い鳥居のある八風峠。先日も歩いたばかりです。その八風峠をまたいでの三重県と滋賀県を結ぶ街道があります。八風越とか八風街道とか八風道とか言い方はいろいろ。琵琶湖と伊勢湾を結んでいる昔の山越えルートのひとつです。Wikipediaでは・・・こちらをどうぞ。三重県側の登山区間だけは今まで何度も歩いてきていますが、伊勢湾の海沿いの富田一色から鈴鹿山麓までの区間を街道として歩いてみたいと思っていまし
これももう少し前のことになります、とある午後。尾張四観音というものがあります。荒子観音、龍泉寺、甚目寺観音、笠寺観音、の四つの名古屋を囲むようにある観音さまの古刹で、徳川家康が名古屋城鎮護として定めたといわれているものです。津島上街道沿いの甚目寺観音は過去に訪ねています。東海道も歩いてるので笠寺観音も立ち寄ったことあるのですがあまり覚えてません。この日、名駅で用事があり少し時間があったので行った事のない荒子観音に初めて行ってみました。あおなみ線のホームはJR名古屋駅の南のはずれ
2013年4月14日(日)随分と久しぶりの街道歩きは、大山街道の第5回です。この日歩いたのは前回ゴールの小田急江ノ島線、鶴間駅から小田急小田原線、海老名駅までのほぼ10kmです。(歩行ルートはこちら)鶴間駅を下りると、この日はかなりの強風が吹き荒れており、帽子が飛ばされそうなほどでしたが、めげずに眼鏡+マスクを着用して砂埃+黄砂+PM2.5対策をして歩き始めます。歩き始めてすぐに目に入ったのがこの標柱。今歩いている「大山街道」とは、一般的にはこの標柱に書いてある「矢倉沢往還」が恐らくは本
2019年10月15日(火)、前日の体育の日に出張で名古屋に行った機会を利用して、飯田街道を名古屋の繁華街である栄から住宅地の原までを歩いた散歩記事のその4です。当日の歩行ルートは☟歩いた距離は11km強でした。その3では、川名の川原神社でお参りをした後、古民家などを愛でつつ歩いていると飛び出し嬢ちゃんに出会ったところまでをご紹介しました(☟再掲)。その3で書いた通り、その後ろには公園があります。川名公園。公園を横切ってそうな道は遠い先で右に湾曲しています。い
<2025年3月23日>先日の日曜日、2月の唐津街道に続いて今月も遠征をしてきました。東京単身赴任時以来の大山街道<矢倉沢往還>です。前回は気分が乗らず9kmでリタイアしましたが、今回は遠征ということもあり20kmをしっかり歩いてまいりました。(前回は→大山街道<矢倉沢往還>④(江田→すずかけ台)|Eddie'sDiary)夜行バスで定刻より40分早く横浜駅に到着後、東急のすずかけ台駅へ移動し、徒歩数分の前回のゴール地点に3年ぶりに戻ってきました。国道246号線
11月22日(日)、旧中山道を草津までゴールした翌日に、おまけとして旧東海道(中山道でもあります)の小関越えルートを歩いた歩き旅の記録その2です。この日歩いたルートは↓の通り。赤紫のルートが今回の小関越え、水色のルートが旧東海道のメインルートです。小関越えの後、山科駅まで歩きました。その1では、旧東海道(中山道でもあります)の小関越えルートから左にコースアウトして、大津大神宮でお参りした後、長等公園の紅葉を愛で、移り行く日本の四季の美しさにうはらはらと落涙したところまでをご紹介しま
***前回の記事、その42より続きです***4月5日スタートのブラタモリ新シリーズ、東海道57次に続いて今度は伊勢街道の旅だそうです。「伊勢路は途中の町が面白い」とのテーマだそうです、これは歩いたばかりでジャストタイミングで嬉しい!途中の宿場町の古くからの和菓子はかなり食べたし笑。もしかして街道ものがこれからも続くのかな??それはさておき・・・。当方のお伊勢参りの旅は無事参宮は終えましたが、このシリーズまだ行かねばならぬ場所が二つ。途上にある片参りになる寺社(wik
***前回の記事、その15より続きです***日永の追分を後に東海道とサヨナラしていよいよ伊勢参宮街道に進みます。歩きだしてすぐに、東海道の旅人を密蔵院薬師寺に誘う道標が四基も並んでいるのでこりゃあお参りしていきます。久しぶりの羽田看板。密蔵院薬師寺は塀もなくオープンなお寺でした。通称蟹薬師さん、なんとまあ海から蟹に乗って現れた薬師如来さまをお祀りしてます。海や池なんかで見つかる仏さまの話って多い気がする。街道に戻ります、歩道の歩きは刺激が少なくて日当
2013年4月27日(土)、大山街道を前回ゴールの愛甲石田駅から、終点の大山阿夫利神社(下社)までを歩きました。地図の作成の都合上、ケーブルカーに乗った部分を合わせて、17.3kmの歩行距離(内2kmほどがケーブルカー)、歩行ルートはこちらです。この日も歩行ルートなどは例によってこの本に従っています。ホントに歩く大山街道(未知の道シリーズ)/風人社¥1,995Amazon.co.jp朝7時発の電車で、常磐線→千代田線→小田急小田原線と真直ぐに乗り継いで前回ゴールの愛甲石田駅に到着。駅
***前回の記事、その16より続きです***伊勢参宮街道は城下町&宿場町の神戸(かんべ)の町に入りました。流石の街並みが続きます。錆び錆びのペプシコ看板。王冠のデザインだったっけ、王冠ってもうビンビール飲み以外には開けた事ない人多いんじゃないでしょうか。王冠といえばコカコーラの裏をめくって書かれたスーパーカーやスターウォーズが懐かしい。タイ焼き屋さん看板のリアル系な鯛の絵がなかなか来る。看板建築化させてないこのタイプの看板は結構好き。ずっと
ある日の大洗町まだ秋口の頃大洗町の諏訪神社から少しお散歩しています良く通る旧街道沿いにある諏訪神社ですすぐ近くには大洗海岸があります石段の奥へ結構上るのかな・・・大きな樹木に囲まれています石段の両脇にそびえ立つそろそろ着きます拝殿が見えました境内はきれいです
2月11日旧東海道を辿る旅サイクリング。今日は静岡県掛川市からスタートだ。掛川宿は江戸から26番目の宿場町で、安土桃山時代の山内一豊が有名だ。城下町らしく、七曲りと呼ばれる街道の辻の静岡銀行には、功名が辻をモチーフにしたレリーフがあった。東海道サイクリングの下調べで、立ち寄りたかった馬喰橋の『もちや』さん。振袖餅が名物なんだって。残念ながら開店前で購入出来ず、行きたいトコリストに残しておく事にする。今朝の朝食は、『道の駅かけがわ』で取ろうと思っていた。1号
山の紅葉もピークを越えて、久しぶりに街道歩きをしたくなりました、大浜街道再開です。地元5時台の電車に乗って刈谷市駅に向かいます。リトルワールドの駅張ポスターは毎回笑わせてくれます、大ファンです。駅前ロータリーの謎の石物、何かわからなかったのです。駅を出て、前回の切り上げポイント交差点。お地蔵さまがおられたので今日の無事をお願いします。奥に和菓子屋さんがありますがまだ開店前です。歩道橋ってこうやって修理するのか。市街地の中を進みます、歩いてるとホント土地の起
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。<2022年1月2日>今年も旧街道の旅が初アップ、3年連続1月2日の西国街道歩きとなります。今回は岡山市内の中心部を抜けて西へと進みます。年始1発目、史跡などがたくさんあるといいのですがどうでしょう~。(前回は→西国街道⑯-2(備前大橋→東岡山)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))JR東岡山駅から約2分のこの交差点から初歩きを開始します。朝7時17分、寒いです!道なりに住宅街の
久しぶりの、という書き出しばかりのお山です。春以来での灼熱地獄、筋力体力落ち、体重増、不安ばかりなので一番楽&ヒルの出そうにない道へ、という事で鎌ヶ岳武平コースで暑くなる前にササっと登って下りての予定です。伊勢参宮街道からもその勇姿が見えてたからね~。お天気はまあよさそうです。鈴鹿の稜線には雲がちょろっとかかっています。それではスタート!武平峠の鎌御在所分岐、もう疲れた笑。途中で水筒を落とらかす、なんとか回収できる場所で良かった、もう少し転がって行ったら回収不能
2019年10月15日(火)、前日の体育の日に出張で名古屋に行った機会を利用して、飯田街道を名古屋の繁華街である栄から住宅地の原までを歩いた散歩記事のその5です。当日の歩行ルートは☟歩いた距離は12km丁度くらいでした(地図を正しく書いたらちょっと距離伸びました)。その5では、八事交差点の先で長い上り坂に音を上げたところまでをご紹介しました(☟再掲)。かなり坂を上ったため、相当高いところまで登ってしまったらしく、街道から脇に逸れる下り坂はものすごい勾配です。更に進
<2022年1月2日>年明け早々の西国街道の旅、後半です。(前半は→西国街道⑰-1(東岡山→岡山)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))地下道をくぐってJRの向こう側へ出て、東横インの前の道を西へ進みます。かつてはこのあたりから岡山城下の外になったようです。この日2度目のアーケード付き商店街、奉還町商店街へ入っていきます。この商店街は明治維新後に武士が商売を始めたことから始まったそうです。正月&朝10時台なのでやはりほとんどの店が閉まってまし
・・・・・・前回の記事、その②より続きです。・・・・・・北方の町を出て一路南へ進んだ我が「北方美江寺墨俣竹鼻道(仮称)」または「西美濃往還(仮仮称)」。メジャー街道中山道と美江寺宿で交差します。中山道との合流ならアレがあるのはコース選定初期に調べがついていたので意気揚々と到着です。そう、道標です、バス停のあたりに・・・あれ?ない?。交差点にある美江寺宿観光案内マップにも載ってるのでここで間違いないのですが。てかここで我が「北方美江寺墨俣竹鼻道(仮称)」または「西美濃往
どうも、わらびです。今回は国道10号線の鳥越隧道の旧道にあたる街道、磯街道を探索しました。===↓関連する探索はこちら===・鳥越坂と支線①(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道Part1)・鳥越坂と支線②(稲荷町と磯を結ぶ山越ルートの古道Part2)・行屋堀(稲荷川河口付近にかつて存在した運河)・初代・永安橋(磯街道に架かっていた岩永三五郎による石橋)====================地図赤線が今回探索した道です(地図上部の接続部に若干誤りがあります。スン
ふれあい伝承館今回の記事は、歴史ある古い街並みを見て歩くのが好き過ぎてしまって、ジオラマ模型を作って家の中でもミニチュア版を飾って楽しみたいと思っている人には、少しだけ参考になるかも?千葉県市川市の「行徳ふれあい伝承館」に来ていますよ♪※千葉県市川市本行徳35-7市川市行徳ふれあい伝承館|市川市公式Webサイト市川市行徳ふれあい伝承館についての情報をご覧いただけます。www.city.ichikawa.lg.jpメインの建物は、国の有形文化財に登録されている旧浅子神輿店(こ
内海に向かう峠越えの道を進みます。現在はこの小野浦から内海の間は海岸沿いに国道247号が走っていますが、昭和の戦前の地図を見てもまだ海岸の断崖絶壁には道はありませんでした。Googlemap先生がいつの時代の常滑街道ルートを示しているかはわかりませんが、この日の進路は内陸部を迂回していく戦前マップにある峠越えの道です。見たことない白い花、露草っぽいと思って調べたらトキワツユクサという帰化植物でした。山中にメチャ大繁殖してる。鈴鹿にもあるこの中日新聞の旗があると、なんだかうらぶれ