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郡上街道歩きその⑥からの続きです。暑いからまた涼しくなったら、と思っていた美濃市のうだつの上がる街並み、この暑い中、つい行ってきてしまいました。美濃太田駅で長良川鉄道に乗り換えます。なんか派手な車両だったと思いましたがJRが遅れて時間がないので飛び乗りました。窓際になんかいるけど?哀愁のある大根くんがうなだれています笑。網棚の上に書かれていました、食品サンプルが飾つけられているのでした。本物そっくりの食品サンプルは沿線の郡上八幡の名物です。先日の川底の内装の
郡上街道歩きその①からの続きです。この日初めての立派な神社は白山神社、長い参道が良い雰囲気です。もう昼ですがではあさイチ参拝を。参道にある石碑の解説がありました、寺社や城跡には漢文の石碑とか多いですが何となく雰囲気はわかるけど読めないものが多いですよね。こういうのは嬉しいですね。街道を歩いていると神社は横っちょから入ることが多いですが今日は大丈夫、ちゃんと正面から入っています。マジか。無事イノシシに会わずに参拝できました。街道横の美濃町線線路跡はソ
東海道57次30日目関宿→坂下宿→土山宿→あいくるバス・市場バス停なんせ電車の遠乗り移動だ😅。早起き朝食で、南草津駅7:21発→関駅8:48着。今朝は、風が強くて寒い😨!Tシャツの中に、長袖メリノウールのインナーを着た!昨日歩いた関宿の宿場通り、残り半分を歩く。浮世絵にある、「筆捨山」。街道から見える筆捨山は、あんなに岩峰は見えない。日本橋から107番目「市瀬一里塚」跡。坂下宿には、3つの本陣があり、鈴鹿峠超えの旅人で賑わったそうだ!日本橋から108番目「元坂下(荒井谷)
下街道歩き、その⑬からの続きです。朝一番、電車で土岐市駅に向かわなければいけないのですが逆方向の岐阜駅に向かいました。黄金の信長さま・・・頭に無礼にもカラスが笑。叩き切ってしまいそう。今日の切符はおなじみ名古屋お出かけきっぷ。わざわざ逆方向に来たのは、この写真にある整理券のホームライナー大垣という列車に乗ってみるための乗り鉄的回り道です笑。ホームライナー大垣2号とは。敦賀に向かう特急しらさぎ号の車両を間合いで快速?として使う列車です。通常は東海道線の電車
暑い盛りの長距離の街道歩きは体に悪いということで、短時間で歩き切れる都内の古道を探そうとGoogleマップを拡大して、地図上でバーチャル探索していたところ、北は南阿佐ヶ谷から南は国道20号まで続いている「鎌倉街道」の浜田山付近から新宿に至る「国府道」という聞いたことのないルートを見つけたので、今回はプチ街道シリーズの一種としてその「国府道」を歩いてみました。ルートマップは↓の通り。ネットで調べても皆さん、やはり「Googleマップ上で見つけた謎の道」的な扱いで詳しいことは分からないようで
年明けの1月10日(土)に千人同心街道の第四回=最終回として、東行田からゴール地点の佐野までを歩いた歩き旅の記録、の3回目です。当日の歩行ルートは↓歩いた距離は街道から外れた立ち寄りも含めてざっと27~28㎞前後。その2では行田市内で、武蔵用水や見沼代用水を渡った後、激渋な廃墟を発見し、ストリートビューでその変遷を追ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。暫く歩道がなく路肩の狭い道を歩いて休憩したくなった頃、折よく荒木天満天神社という神社が街道右側にあったので、
***前回の記事、その48より続きです***賑わう内宮を後に宇治岳道でいざ朝熊山山上の金剛證寺へ!足神さんにお参りしたしやや不安な脚も大丈夫、なはず。さて正面に見える扉の脇を抜けてすぐの林道の脇。ここが江戸時代の朝熊山山上に向かう宇治岳道の起点、というか当時の登山口。まわりに若木が生えっぱなしの林の中に埋もれてほらちゃんととても大きな石の標柱が建っています。梵字での虚空蔵菩薩を表す文字がいちばん上に。そして堂々「朝熊岳道」の文字。なるほど、寛永三年二月に建てら
Googleマップに現れた、「謎の古道なんじゃないかなぁ?」と思われる「国府道」を二日に分けて「プチ街道歩き」を楽しんだ記事の第6弾です。ルートマップは↓の通り。他の用事のついでで歩いたため、先に後半部分を歩き、後日前半部分を歩いています。歩いた距離は前半部分(浜田山ー方南町)が3.7km、後半部分(方南町ー西新宿)がジャスト4㎞の、計7.7kmくらいでした。第4回から日程的には先に歩いた後半部分に入ってます。(言い忘れましたが後半部分の写真は都合上全部スマホです)その5では、で