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で今私達も、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)のために一(いっ)生(しょう)懸命御(ご)奉公(ほうこう)をしているようでありまするが、実は、振り返ってみれば「大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)にかえって自分達は守られていたんだ」という事(こと)に必ず気(き)がついてくる。これは、私は御(ご)遺命(ゆいめい)守(しゅ)護(ご)の戦いにおいて身をもってこれを体験(たいけん)したんですね。「御(ご)遺命(ゆいめい)を守り奉(たてまつ)るに、かえって大(だい)聖(しょう)人(に
『乙(おと)御前(ごぜ)御(ご)消(しょう)息(そく)』に宣(の)給(たま)わく抑(そもそも)法華(ほけ)経(きょう)をよくよく信(しん)じたらん男女(なんにょ)をば、肩(かた)ににな(担)ひ、背(せ)にお(負)うべきよし(由)、経(きょう)文(もん)に見(み)えて候(そうろう)上(うえ)、くまら(鳩摩羅)ゑん(琰)三蔵(さんぞう)と申(もう)せし人(ひと)をば木像(もくぞう)の釈(しゃ)迦(か)を(負)はせ給(たま)いて候(そうら)ひしぞかし。日蓮(にちれん)が頭(こうべ)には大覚(だいか
この大誑惑(だいおうわく)を見(み)て私は「大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)の一(いち)期(ご)の御(ご)遺命(ゆいめい)が今破(は)壊(かい)されんとしている。これを眼前(がんぜん)に見ながら知りながら、もし黙(だま)っていたならば大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)に対し奉(たてまつ)る不(ふ)忠(ちゅう)これに過(す)ぎたるはない。顕正会がどうなっても構(かま)わない。たとえ命に及(およ)ぶとも、何としてもこれを阻止(そし)しなければ」という思(おも)いでもって
『聖(しょう)愚(ぐ)問答(もんどう)抄(しょう)』に宣(の)給(たま)わく汝(なんじ)只(ただ)正(しょう)理(り)を以(もっ)て前(さき)とすべし。別(べっ)して、人(ひと)の多(おお)きを以(もっ)て本(もと)とすること(事)なかれ。只今(ただいま)の御(ご)書(しょ)は、文永5年、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が47歳の御時(おんとき)の御(ご)著(ちょ)述(じゅつ)であります。『聖(しょう)愚(ぐ)問答(もんどう)抄(しょう)』というこの題号(だいごう)に示(し
『乙(おと)御前(ごぜ)御(ご)消(しょう)息(そく)』に宣(の)給(たま)わく抑(そもそも)法華(ほけ)経(きょう)をよくよく信(しん)じたらん男女(なんにょ)をば肩(かた)ににな(担)ひ、背(せ)にお(負)うべきよし経(きょう)文(もん)に見(み)えて候(そうろう)上(うえ)、くまら(鳩摩羅)ゑん(琰)三蔵(さんぞう)と申(もう)せし人(ひと)は、木像(もくぞう)の釈(しゃ)迦(か)を(負)わせ給(たま)いて候(そうら)いしぞかし。日蓮(にちれん)が頭(こうべ)には大覚(だいかく)世(せ
天使猫、チョコレートとライスクラッカーとゼリーかなぁ。。。。チョコレートは、少し前の記事に出したから。。。。ライスクラッカーと。。。。あとは、ゼリーかなぁ。。。。よく家に置いてるお菓子は?▼本日限定!ブログスタンプ『❣️❣️2026年1月1日(木曜日)の❣️わかちょび❣️。。。。❣️❣️❣️』いつも天使猫のブログを読んで下さっているみんなは、きっと『ブログスタンプをアップしている時間』の事、知っていると思うけれどにゃあ。。。。うん。天使猫のブログ…ameblo.jp
この御(ご)文(もん)、私は今『顕正会員に下(くだ)さっているんだ』と思(おも)っておりまする。広宣(こうせん)流布(るふ)の前夜に、戒壇(かいだん)の大(だい)御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)を遠く遙拝(ようはい)申(もう)し上(あ)げて、恋(れん)慕(ぼ)渇仰(かつごう)のお題目(だいもく)を唱えながら広宣(こうせん)流布(るふ)を健気(けなげ)に進(すす)めている。『この顕正会員をお励まし下(くだ)さる有難(ありがた)い御(ご)書(しょ)なんだ』という事(こと)を私は常(つね)
『十(じゅう)如(にょ)是(ぜの)事(こと)』に宣(の)給(たま)わく此(こ)の道(みち)に入(い)ぬる人(ひと)にも、上中(じょうちゅう)下(げ)の三根(さんこん)はあれども、同(おな)じく一(いっ)生(しょう)の内(うち)に顕(あら)はすなり。上(じょう)根(こん)の人(ひと)は聞(き)く所(ところ)にて覚(さとり)を極(きわ)めて顕(あら)はす。中(ちゅう)根(こん)の人(ひと)は、若(も)しくは一(いち)日(にち)、若(も)しくは一(いち)月(げつ)、若(も)しくは一(いち)年(
で私は何年か前に(だいぶ前ですがね)、男(だん)子部(しぶ)の幹(かん)部(ぶ)が「自分の母親(ははおや)が末(まっ)期(き)癌(がん)でもって、まことに良き臨(りん)終(じゅう)をした」という事(こと)で発(はっ)表(ぴょう)していた事(こと)を今でも覚(おぼ)えておりまするが「母親(ははおや)が言(い)っておりました『一(いっ)生(しょう)懸命(けんめい)働いてきて、最後晩年(ばんねん)に癌(がん)になって『何としても癌(がん)から逃げたい。助かりたい助かりたい』とそういう思(おも)いで
そして、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)は「これが個人レベルで行(おこな)われているだけではいけない。国(こっ)家(か)レベルにおいて『受(じゅ)持(じ)即(そく)持(じ)戒(かい)』を行(おこな)わなければいけない」とおっしゃる。これこそが、本門(ほんもん)戒壇(かいだん)建(こん)立(りゅう)の重(じゅう)大(だい)事(じ)なんです。すなわち、国立(こくりつ)戒壇(かいだん)を建(こん)立(りゅう)すれば、国そのものが防(ぼう)非止(ひし)悪(あく)の当体(とうたい)にな
〔三座〕南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身.三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人・御威光倍増、御利益広大、御報恩謝徳の御為に。これは、日蓮大聖人にたいして、おほめの言葉を申し上げてお礼を申し上げるのであります。なぜ本因妙の教主と申し上げるかといいますならば、釈尊は本果妙の教主なのであります。末法の仏は本因妙の教主になるのであります。教主とは、仏という意味であります。本因妙の仏法の中で、もし本因本果を立てれば、日蓮大聖人が本果妙の仏で、日興上人が本因
御観念文について〔御観念とは〕この観念ということは、自分の心に念じて卸本尊に申し上げることであります。「題目をあげながら、いろいろ考えが出てくるのですが、いいでしょうか」と聞く人がありますが、悪いといっても出てくるものはしようがないでしょう。また、やめろというわけにもゆかないでしょう。しかし、御観念文をやるときには、気をつけなけれまならないのであります。「彼は、とんでもない人だ」などと思いながら御観念をいたしますと「とんでもない人だ」ということを御観念申し上げていること
『乙(おと)御前(ごぜ)御(ご)消(しょう)息(そく)』に宣(の)給(たま)わく人(ひと)の心(こころ)固(かた)ければ、神(かみ)の守(まも)り必(かなら)ず強(つよ)しとこそ候(そうら)へ。是(これ)は御(おん)ため(為)に申(もう)すぞ、古(いにし)への御(おん)心(こころ)ざし申(もう)す計(ばか)りなし。其(それ)よりも今(いま)一(いち)重(じゅう)強(ごう)盛(じょう)に御(おん)志(こころざし)あるべし。其(そ)の時(とき)は、弥弥(いよいよ)十(じゅう)羅(ら)刹女
『諸法(しょほう)実相(じっそう)抄(しょう)』に宣(の)給(たま)わく一閻(いちえん)浮(ぶ)提(だい)第一(だいいち)の御(ご)本尊(ほんぞん)を信(しん)じさせ給(たま)へ。あひかま(相構)へてあひかま(相構)へて、信心(しんじん)つよ(強)く候(そうら)いて、三仏(さんぶつ)の守(しゅ)護(ご)をかうむ(被)らせ給(たま)うべし。行(ぎょう)学(がく)の二(に)道(どう)をはげ(励)み候(そうろう)べし。行(ぎょう)学(がく)た(絶)へなば仏法(ぶっぽう)はあるべからず。
でこのように、大(たい)衆(しゅう)におもね、大(たい)衆(しゅう)の力を自(じ)分(ぶん)達(たち)の保(ほ)身(しん)の道(どう)具(ぐ)にする。では、大(たい)衆(しゅう)の支持(しじ)する者が必ずしも正(ただ)しいのか。みんなの信(しん)ずる物が正(ただ)しいのか。見ててごらんなさい。科(か)学(がく)の世(せ)界(かい)でもそうでしょう。数百年前までは、天動説(てんどうせつ)をみんな信(しん)じておった。一(ひと)人(り)のコペルニクスが地(ち)動説(どうせつ)を唱えた。
そしてもう一つ、広(こう)布(ふ)前(ぜん)夜(や)の今最(もっと)も重(じゅう)大(だい)な常(じょう)住(じゅう)此(しー)説(せっ)法(ぽう)がある。それは、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が偽(にせ)戒(かい)壇(だん)正(しょう)本(ほん)堂(どう)を崩(ほう)壊(かい)せしめたという事(こと)であります。この事(こと)は、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)の究極の御(ご)遺(ゆい)命(めい)に関わるものであれば、最(もっと)も重(じゅう)大(だい)ですね。
本日、長(なが)野(の)の県南(けんなん)にまことに立派な伊那(いな)事(じ)務(む)所(しょ)が開設(かいせつ)され、只今御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)がお出ましになられた事(こと)、有難(ありがた)さでいっぱいであります。大(だい)聖人(しょうにん)様(さま)は、この御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)に具わる無(む)量(りょう)無(む)辺(へん)の功(く)徳(どく)と、その功(く)徳(どく)を頂(いただ)く修(しゅ)行(ぎょう)こそが信(しん)心(じん)口(く)唱(しょう)である事
次いで、典礼院(てんれいいん)別館(べっかん)の予定について発表いたします。顕正会の納骨堂(のうこつどう)として平成15年に開設された典礼院(てんれいいん)は、会員の増加に伴いすでに収容能力の限界に近付いておりました。どうしたものかと思(し)慮(りょ)をしていたところ、たまたま道路を挟んだ典礼院(てんれいいん)の真向かいの良き土地が購入できたので、そこに3階建てで耐(たい)震(しん)・耐(たい)火(か)・常(じょう)温(おん)・常(じょう)湿(しつ)という完璧(かんぺき)な設備を整(と
無糖博英です。平成23年2月4日に開催された『松野殿御返事』御書講義を掲載いたします。席上浅井昭衞先生は雪山童子の求道心をもとに信心のあり方を指導下さいましたが「日蓮大聖人を信じ、南無妙法蓮華経と唱え、広宣流布・国立戒壇建立に戦える立場がいかに有難いのか」を実感させて頂き「受け難き人間としての生を得た以上、命がけの信心に立ち、一生成仏を得させて頂く事こそ人生の目的である」事を心肝に染めさせて頂きました。平成23年2月4日『松野殿御返事』御書講義説明松野殿御返事の説明お題目の功徳に
「我(われ)等(ら)が生(しょう)老(ろう)病(びょう)死(し)に南無(なむ)妙(みょう)法(ほう)蓮(れん)華(げ)経(きょう)と唱(とな)え奉(たてまつ)るは、併(しか)しながら四(し)徳(とく)の香(かおり)を吹(ふ)くなり」「生(しょう)老(ろう)病(びょう)死(し)に苦(くる)しみ悩む私達が南無(なむ)妙(みょう)法(ほう)蓮(れん)華(げ)経(きょう)と唱(とな)え奉(たてまつ)る時、自然と生(しょう)老(ろう)病(びょう)死(し)の苦がそのまま四(し)徳(とく)(四(よっ)つ
今此三界合文のまとめ「今此三界皆是我有(今この三界はすべて私の所有)」という言葉は、仏教における釈迦牟尼仏の救済観と慈悲の本質を端的に表しています。この言葉は、釈迦牟尼仏が三界(欲界・色界・無色界)に存在するすべての衆生を、自らの所有物のように大切にし、慈しみ、守護する存在であることを示しています。同時に、この言葉には仏教の核心的な教えである「主・師・親」の三徳が含まれており、釈迦牟尼仏が衆生にとって絶対的な存在であることを強調しています。以下、この御文の深い意味を掘り下げ、現代に生きる私たち
先(せん)生(せい)の三回忌を前に、この山陰(さんいん)島(しま)根(ね)の地に素晴らしい出雲(いずも)事(じ)務(む)所(しょ)が開設(かいせつ)されました事(こと)感(かん)無(む)量(りょう)であります。本日お出ましの御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)を即戒壇の大(だい)御(ご)本尊(ほんぞん)、即日蓮(にちれん)大(だい)聖人(しょうにん)と固く信じ奉(たてまつ)り、日夜恋(れん)慕(ぼ)渇仰(かつごう)の信心(しんじん)口(く)唱(しょう)に励む事(こと)が大切であります。大
慈悲論仏に慈悲のない仏があろうか。仏弟子に慈悲がなかったら仏弟子とはいわれまい。仏教のはたらきは、慈悲をもって、もととしている。慈悲ほど強いものは世にないのである。絶対の慈悲の上にたって、衆生を化導せらるる仏にたいしては、慈悲に甘えるというより、われわれは慈悲の強さにおそれをなすのが、いつわりのない事実であり、真のすがたである。友人にむかって忠告し、子どもにむかって訓育する。部下を指導し、先輩にたいして礼をもって仕えるとしても、その行動の奥に深い深い慈悲の心を蔵するならば
まとめ日蓮大聖人の御書「唱法華題目抄」は、法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を唱えることの功徳(くどく)と重要性を説いた文書です。この御書では、題目を唱える行為が仏道修行の中でも最も尊いものであり、それが末法の時代における唯一の正しい修行法であることが強調されています。以下に、その内容を要約し、さらに深く掘り下げて解説します。要約題目の意義「南無妙法蓮華経」という題目は、法華経の全体を要約したものであり、仏の智慧そのものを表しています。この題目を唱えることは、法華経の教えを実践するこ
国政と宗教との違いこそあれ、松陰と大聖人とは、その志すところが同じであったのではないか訪問して頂き、いいね👍フォロー有り難う御座います。仏教ランキングに参加してます。ポチ宜しくお願いします。m(._.)m励みになります。😊日蓮宗新聞社が平成10年3月21日に発刊されました『ひと口説法』を引用させて頂きました。序伝道部部長小倉光雄このたび日蓮宗新聞社より、『ひと口説法』が発刊される運びとなりました。この書は、昭和64年の開始より現在に至るまで、全国各県において
御書・六巻抄に照らして破折す細井管長の訓諭さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はここに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕わし、本年十月、落成慶讃の大法要を迎うるに至る。日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明(せんめい)し、もって後代の誠証(じょうしょう)となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大
国土の相を見る立正安国論(御書全集三一ページ)にいわく、『若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし忩(いそい)で対治を加えよ、所以は何ん、薬師経の七難の内五難忽に起り二難猶残れり、所以(いわゆる)他国侵逼の難・自界叛逆の難なり、大集経の三災の内二災早く顕れ一災未だ起らず所以兵革の災なり、金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も他方の怨賊(おんぞく)国内を侵掠(しんりゃく)する此の災未だ露(あらわ)れず此の難未だ来らず、仁王経の七難の内六難今盛にして一難未だ現ぜず所以(いわ
只今広(こう)布(ふ)御(ご)供(く)養(よう)の目録(もくろく)を御(ご)宝前(ほうぜん)に備え奉(たてまつ)り、全顕正会員の御(ご)供(く)養(よう)の真心を大聖人様に謹(つつし)んで御(ご)奉告(ほうこく)申し上げました。昨今のインフレによる物価高で決して楽ではない中、ただ広(こう)布(ふ)推進(すいしん)のために貴(き)重(ちょう)な金(きん)子(す)を惜しむ事なく喜んで大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)へ供え奉(たてまつ)ったその皆様の信心(しんじん)を心から有難(ありが