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しかし、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)のお力によって、必ず日(に)本(ほん)一同(いちどう)が「南無(なむ)日蓮(にちれん)大(だい)聖(しょう)人(にん)」と声をつるべて「南無(なむ)妙(みょう)法蓮(ほうれん)華(げ)経(きょう)」と唱え奉(たてまつ)る時が来(く)るんです。そして、見ててごらんなさい。広宣(こうせん)流布(るふ)の前(ぜん)夜(や)にはこの「信心(しんじん)口(く)唱(しょう)」を「我も致(いた)し、人にも勧(すす)める」この大(だい)潮流(ちょうりゅう)
そして、人(にん)間(げん)として生まれるという事(こと)はこれだけでも功(く)徳(どく)があり果報があるんですね。犬や猫などの畜生や様々な下等な生物に生まれず、地球上の生態系の中では最高の人(にん)間(げん)界(かい)に生まれるという事自体がすでに一つの福運であります。ですから、人(にん)間(げん)として生まれた以上はいかなる人にも必ず二つの天が影のごとくに添(そ)っているのである。その一つを同(どう)生(しょう)天(てん)といい、もう一つを同(どう)名(みょう)天(てん)と
ですから、私はこの御文を拝して「顕正会員は、共に尊敬(そんけい)し、励(はげ)まし合(あ)い、いたわり合(あ)い、麗(うるわ)しい団結(だんけつ)をもって」という事を言(い)ってる事はこの事なんですね。「共に尊敬(そんけい)し」というのは、この仏法(ぶっぽう)を大(だい)事(じ)に思う心があれば、自然と、健気(けなげ)な信心(しんじん)に立つ人を見て「偉(えら)いなあ、本当に、ああでなければいけない」という尊敬(そんけい)の気持(きも)ちが湧(わ)いてくるじゃないですか。これはもう
次いで、典礼院(てんれいいん)別館(べっかん)の予定について発表いたします。顕正会の納骨堂(のうこつどう)として平成15年に開設された典礼院(てんれいいん)は、会員の増加に伴いすでに収容能力の限界に近付いておりました。どうしたものかと思(し)慮(りょ)をしていたところ、たまたま道路を挟んだ典礼院(てんれいいん)の真向かいの良き土地が購入できたので、そこに3階建てで耐(たい)震(しん)・耐(たい)火(か)・常(じょう)温(おん)・常(じょう)湿(しつ)という完璧(かんぺき)な設備を整(と
ついでに、宗門の実態にも触(ふ)れておきます。第六天の魔王その身に入(い)る池田大作に諂(へつら)い大(だい)事(じ)の御(ご)遺(ゆい)命(めい)を売り渡し、先(せん)生(せい)の諌暁によって偽(にせ)戒(かい)壇(だん)正本堂が消滅してもなお御(ご)遺(ゆい)命(めい)の国(こく)立(りつ)戒(かい)壇(だん)に異常なまでの怨嫉(おんしつ)を抱き、今だに不(ふ)敬(けい)の御(ご)開(かい)扉(ひ)を強行する無道心の宗門もいよいよ餓鬼道に堕し、空(くう)洞(どう)化(か)が著(いちじる
で、この『四(し)信(しん)五(ご)品(ほん)抄(しょう)』も、日興(にっこう)上(しょう)人(にん)が「重(じゅう)大文(だいぶみ)のうちの一つ」と数えられたぐらいに重(じゅう)要(よう)なる御(ご)法門(ほうもん)を述(の)べられた御(ご)書(しょ)であります。富木(とき)殿(どの)が、建治3年に大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)に対して御(ご)質問(しつもん)申し上げたんです。「世間の学者(がくしゃ)どもが言っております『法華(ほけ)経(きょう)を修(しゅ)行(ぎょう)す
本門戒壇建立が「否定されずに骨抜きにされる」構造と釈門の戒壇が邪宗化する構造の相似正本堂問題を考えるとき、『報恩抄』に説かれた慈覚・智証の時代を思い起こす。それは、法がどのような構造の中で歪められていったのかを鮮明に示しているからです。1.慈覚・智証の時代に何が起きていたのか『報恩抄』において日蓮大聖人は、慈覚・智証を次のように破折されています。「或は真言すぐれ、或は法華すぐれ、或は理同事勝等云云。宣旨を申し下すには二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり。」ここで