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〔三座〕南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身.三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人・御威光倍増、御利益広大、御報恩謝徳の御為に。これは、日蓮大聖人にたいして、おほめの言葉を申し上げてお礼を申し上げるのであります。なぜ本因妙の教主と申し上げるかといいますならば、釈尊は本果妙の教主なのであります。末法の仏は本因妙の教主になるのであります。教主とは、仏という意味であります。本因妙の仏法の中で、もし本因本果を立てれば、日蓮大聖人が本果妙の仏で、日興上人が本因
十年期して世界に価値論をわたくしが、牧口先生のことを申しあげると、止まることがなくなる。なぜなれば、そのころしかられていた連中の大将ですから。新しい連中は、オヤジと呼んでいた。わたくしと先生の仲は、親子といおうか、師弟といおうか、くみきれないものがある。わたくしは、先生のほんとうのものを知っていた。ほかのものは知らなかった。わたくしは、『いまに先生は死ぬんだ。そのとき、牧口先生と会っていたことが、自慢になる時期がくるんだ。はっきり信心しなさい』と言っていた。そしていま、その通り門
(三)宗教哲学の研究は、釈迦の時代に始まる。釈迦の研究の最高峰は、法華経である。法華経においては、ごく簡単にこれをいうならば、宇宙に仏という境涯の実在があり、われわれにおいても仏になりうると断定し、仏の境涯をさとりえたる人格の出現は、いっさいを仏にせしめんとするにある。しこうして、この仏の生命は永遠であり、したがって、これを信ずる者の生命も永遠であるとし、その永遠の生命を感得した者が仏である。しこうして、仏という生命を感得すれば、人生最高の幸福生活をなしうるのである。その仏の生命
罰論罰ということばは仏教用語である。このことばを現代語でいうならば、『反対価値』というべきで、われわれの生活に不幸を感ずる現象のことである。この現象が、われわれの生活にあらわれたとき、罰にあたった、罰をうけたと称するのである。すなわち、反対価値とは美の反対たる醜、また利益の反対たる損、また社会に損害を与える現象たる悪をいうのである。この悪、損、醜なる反対の価値が生活の内容となるときを罰の生活と称するのである。さて、信仰生活にしろ、不信仰生活にしろ、人が生活する以上
まとめ日蓮大聖人の御書「唱法華題目抄」は、法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を唱えることの功徳(くどく)と重要性を説いた文書です。この御書では、題目を唱える行為が仏道修行の中でも最も尊いものであり、それが末法の時代における唯一の正しい修行法であることが強調されています。以下に、その内容を要約し、さらに深く掘り下げて解説します。要約題目の意義「南無妙法蓮華経」という題目は、法華経の全体を要約したものであり、仏の智慧そのものを表しています。この題目を唱えることは、法華経の教えを実践するこ
千葉みなと駅まで行って。。。。モノレールに乗り換えて。。。。モノレール🚝好きだぁ!!!!デザインが楽しい!!!!新型のは、下が見えるんだよね。。。。わ〜い!!!!おいしそうなデザインのが来たよ!!!!こんな。。。。中は。。。。古いデザインだった。。。。床は通常。。。。ワクワク〜千葉公園まで乗るよ!!!!お久しぶりの仲良しさん!!!!今日も宜しくね!!!!ほんと、『男女平等』な時代になったね!!!!千葉市役所駅。。。。市役所、立派にな
(二)科学と相反せず、しかも科学的にして、実験証明のともなう、論理的な宗教が世界にただ一つある。最高にして純粋なものだ。その宗教の哲学の対象は何かというに、生命である。人間の生命・あらゆる物の生命・社会及び国土の生命・否進んでは大宇宙生命を研究対象としているのである。しこうして、その宗教は、大部分、人間の生命に、研究の度を置いているがゆえに、いかにせば、われわれは、幸福な生活を送りうるであろうかという点に重きをおくことは、科学と同様である。科学が、純粋の真理を求めつつ
次いで、典礼院(てんれいいん)別館(べっかん)の予定について発表いたします。顕正会の納骨堂(のうこつどう)として平成15年に開設された典礼院(てんれいいん)は、会員の増加に伴いすでに収容能力の限界に近付いておりました。どうしたものかと思(し)慮(りょ)をしていたところ、たまたま道路を挟んだ典礼院(てんれいいん)の真向かいの良き土地が購入できたので、そこに3階建てで耐(たい)震(しん)・耐(たい)火(か)・常(じょう)温(おん)・常(じょう)湿(しつ)という完璧(かんぺき)な設備を整(と
本日もまことに素晴らしい数々の登壇に大感動(だいかんどう)いたしました。この初陣(ういじん)は、先ほど発表の通り誓願(せいがん)の三万を大きく突破する2,3,4月法戦(ほうせん)としては過去最高の実に42,874名の大前進(だいぜんしん)が叶いました。この大(だい)折(しゃく)伏(ぶく)により、本年の270万の道が大きく開(ひら)かれたものと確信(かくしん)いたします。まことにご苦(く)労(ろう)様(さま)でしたこれ、大(だい)聖(しょう)人(にん)様(さま)が格別の御(ご)守(し
そして、今世(せ)界(かい)全体がもう三災(さんさい)七難(しちなん)で悩(なや)み切ってるでしょう。これが、いよいよ広宣(こうせん)流布(るふ)の前(ぜん)夜(や)の姿なのでありまするが、どうです、世(せ)界(かい)中でどの国も三災(さんさい)七難(しちなん)でもって苦(く)悩(のう)しておる。「三災(さんさい)」というのは「3つの災(わざわ)い」という事。これは「穀(こっ)貴(き)」「兵(ひょう)革(かく)」「疫(やく)病(びょう)」という。「穀(こっ)貴(き)」という「穀物(
本日、近(きん)畿(き)地(ち)方(ほう)の滋(し)賀(が)県(けん)に立派な彦(ひこ)根(ね)事(じ)務(む)所(しょ)が開所(かいしょ)され、感(かん)激(げき)でいっぱいであります。ここにお出ましの御(ご)本(ほん)尊(ぞん)様(さま)は日蓮(にちれん)大(だい)聖(しょう)人(にん)の御生命、そのお悟りの全体を文字をもって顕わし奉(たてまつ)ったものであれば、この御(ご)本(ほん)尊(ぞん)様(さま)を即(そく)富士大石寺にまします戒壇の大(だい)御(ご)本(ほん)尊(ぞん)、即(
本日、山(やま)形(がた)県(けん)の内(ない)陸(りく)に立派な最(も)上(がみ)事(じ)務(む)所(しょ)が開設(かいせつ)され、晴れて御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)がお出ましになられた事感(かん)無(む)量(りょう)であります。この御(ご)本尊(ほんぞん)様(さま)は、富士大石寺にまします本門(ほんもん)戒壇(かいだん)の大(だい)御(ご)本尊(ほんぞん)の分身であられます。ゆえに、この御(ご)本尊(ほんぞん)を即戒壇(かいだん)の大(だい)御(ご)本尊(ほんぞん)と深く拝し
良き法・良き師・良き檀那法華経に無上の宝珠、すなわち宝の珠です、それを不求自得、求めずして、おのずから得る。無上の宝珠とは、大御本尊様のことを申し上げるのであります。あなた方が御本尊様を求めていたのではなくて、今はこのようにすわっていれば、折伏などはあたりまえのように思うけれども、信仰をはじめる前には皆反対したのです。なかには、そうとう長いのもいたのだから。それは求めずして、おのずから得たので、求めなかったのです。無上宝珠不求自得、また時に応じてこの関西本部を求めずして御