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「郵政」は、日本郵政公社広報部門広報部で発行されていた「郵政」は、2007年の郵政民営化で、「官から民へ」と代わりましたが、公社時代に、各部署ごとに配られていた広報誌だと思います。(詳しくは資料がないので詳細は不明です)一般には目に触れないような冊子です。1969年1月号に、日活女優の松原智恵子さんの随筆が掲載されています。「父のこと」という事で、父親の事が書かれていますが、日活入社への事から撮影所での事などが書かれています。お父様が亡くなられ訃報が届いたのが、小林旭さん主
映画「絶唱」は、レコード発売と共に大ヒット作品となって、舟木さんと和泉雅子さんの代表作になりました。しかし、この映画を最後に二人の映画共演は無くなってしまいます。その理由は、映画「絶唱」のヒット後の大阪新歌舞伎座での舞台「絶唱」に、日活映画側が、和泉雅子さんを参加させなかった事から、少々もめ事がありました。当然、舟木さん側では舞台の共演者、小雪役には雅子さんを起用したかった訳ですから、この雅子さんの出演が出来ない段階で、今後、舟木さんは日活映画には出ないと宣言します。元々映画「絶唱」の
北国の旅情作詞:西河克己作曲:松尾健司映画「絶唱」の後で作られたのが、この作品「北国の旅情」です。新歌舞伎座の舞台での出演ドタキャンがあり、日活映画には今後出ないと宣言した舟木さんを説得したのが「絶唱」を撮った西河克己監督でした。そして急遽舟木さんの映画出演が決まり、この台本を書き上げたのが、新人時代の脚本家倉本聰さんです。1967年の正月映画として封切されました。舞台は山形県。今では見る事がないSL列車がこの映画の中で見られます。のどかな風景、のどかな生活が見られるのは
日活映画「絶唱」は、舟木さんにとっても共演者の和泉雅子さんにとっても、代表作になった映画でした。配給収入は2億4000万円(1966年邦画興行成績第2位)という素晴らしい興行成績を収めた映画です。主題歌となった「絶唱」は、当初主題歌は無かったのですが、「舟木一夫の映画に主題歌がないとはおかしい」と言う事で、急遽、舟木さんご自身が西條八十先生に作詞をお願して生まれた楽曲です。そして、この年のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞します。この時、テレビドラマ「雨の中に消えて」にも出演していた舟
無料BSチャンネル“BS12トゥエルビ”で小林旭特集を放送中…ラインナップの中の「ギターを持った渡り鳥」は鑑賞経験があり、過去の別チャンネルのエアチェックがまだ手元にあったので、今回は鑑賞・録画ともにスルーしたんだけど…とりあえず見てなさそう、手元になさそぅなものは追いかけてみようかなと。そんなわけで、アキラが吉永小百合と共演した「黒い傷あとのブルース」をエアチェックしたので鑑賞…陰謀に巻き込まれ、大怪我を負い、ムショ行きになり、組まで潰された元ヤクザのアキラが、出所後に“復讐相手”を執念
昭和十八年、太平洋戦争も真っ只中の頃である。園田順吉は山陰地方の旧家でいまなお権勢をほしいままにしている家の一人息子である。ある日のこと、突然、父親から町の実業家の令嬢と結婚しろと言われ、激しい口論の末、これを断る。順吉には、園田家で女中をしている小雪と恋仲にあったのだ。それを知った順吉の父親は小雪を“他国行き”にさせようとするが、家を出ることを決めた順吉は、小雪を連れて日本海の荒波と砂丘に挟まれた小さな町で暮らし始めたのだった。貧しくも幸せに暮らす二人の下に、順吉の召集令状が舞い込む。
舟木さん22歳、松原智恵子さん同じく22歳。今でも素敵なお二人ですが、若さと美しさは一番の頃ではないでしょうか。舟木一夫悲恋三部作「絶唱」「夕笛」「残雪」を撮られた、西河克己監督が「夕笛」について語っています。「夕笛」の時に舟木君を説得して、古臭い話だから松原智恵子でいいよ、と僕が言って舟木君の相手を松原智恵子にしたんです。それで舟木君も気に入ってましたから、これで松原でいったんです。松原智恵子だと女学生と言う訳にはいかないんで、やはり役者に合わせて役づくりをしていくん
ラジオドラマ「赤胴鈴之助」で、さゆり役で芸能界にデビューした吉永小百合さんは、今日3月13日80歳の誕生日を迎えられました。吉永小百合ファンのさすらいですが、もう少し語ってみたいと思います。ラジオからテレビの時代になり、小百合ちゃんはテレビドラマに出演します。「赤胴鈴之助」と「まぼろし探偵」でした。出演しているのも知らずに見ていたさすらいです。映画デビュー作は、松竹映画の「朝を呼ぶ口笛」新聞少年たちが朝刊を配っている時代です。当時の新興住宅のお嬢さんが小百合ちゃんでした。日活映画
何とタイムリーな時期にお二人の登場でしょうか。我らの仲間のような、浜田光夫さんと松原智恵子さんが「徹子の部屋」に登場されます。2月に入り、武蔵野舟木組ブログ「舟木一夫日記」では、舟木さんが浜田さん松原さんと共演した日活映画「仲間たち」の撮影でのロケや撮影所の様子を綴っています。更には浜田光夫さんとの対談、松原智恵子さんとの対談の記事なども載せたところです。このタイミングで、現在のお二人が登場するのですから、何とも言い難い嬉しい事です。日活時代、歳も近く舟木さんとは、特
タイトル海底から来た女公開年1959年監督蔵原惟繕脚本石原慎太郎蔵原弓弧制作国日本出演者少女(筑波久子)鱶の化身敏夫(川地民夫)別荘に住む青年克彦(水谷貞雄)敏夫の兄ガンちゃん(武藤章生)敏夫の友人堤(内田良平)敏夫の近所に住む小説家藤作(浜村純)漁師婆や(本間文子)敏夫の家政婦本作は、1958年の「文學界」10月号に発表石原慎太郎の短編小説鮫「鱶女」を原作にしたファンタジー映画。鱶の化身の女と孤独な青年との愛を描いた作品で、後にテレビドラマにもなってい
チャンネルNECOにて…今年の7月に他界した和泉雅子の追悼特集。特に和泉雅子のファンというわけでもないのだが…日活映画なので、他にも好きな役者さんがいっぱい出てるし、円盤化されていないような貴重な作品もありそうだから、未見のものは追いかけてみようかなと…そんなわけで宍戸錠と共演した「大氷原」をエアチェックしておいたので鑑賞。樺太から流氷に乗って日本へやって来た宍戸錠が、銃の腕を見込まれ、アザラシ狩りの職に就くも…その一方で、両親を殺した復讐相手も探していたというお話。監督は「ギターを持った渡
舟木一夫コンサートの中で、重要な位置を占める曲の殆どが、映画の主題歌となっている曲です。ただこれは、映画ありきで作られた主題歌ではなく、楽曲が先行して映画が作られたケースの方が多いですね。「歌謡映画」と言われるジャンルがあって、西郷輝彦さんの「涙をありがとう」三田明さんの「美しい十代」などがあり、舟木さんの「高校三年生」から、各映画会社は、こうした「歌謡映画」が沢山作られて行きます。映画の斜陽、衰退と共に、こうしたヒット曲とのコラボレーションが、日本映画界を支えていた時代でもありました。舟
吉永小百合さんと舟木さんは、映画での主役コンビでの作品はありませんでしたが、舟木さんがデビュー登場からは、人気者同士での雑誌での表紙や対談は、少なくはありませんでした。1963年に初めて舟木さんが小百合さんの家に訪問。対談と言う形で記事になっています。『舟木一夫・吉永小百合初対談(1963年)』1963年11月1日舟木一夫日記より10時からNHK「歌謡寄席」の音どり。金原亭馬之助さん、林家珍平さんらとの愉しい仕事だった。夜7時から、読売のインタビ…ameblo.jp今回は
舟木一夫日活映画と言うと、共演者は松原智恵子さん、和泉雅子さんと決まったように思われていますが、新人が起用される事もありました。「花咲く乙女たち」の西尾三枝子さん、そして「東京は恋する」の伊藤るり子さんです。そしてこの二人は、この共演前にも舟木映画に顔出ししています。西尾さんは「学園広場」で、伊藤さんは「花咲く乙女たち」です。そして松原智恵子さん主演のテレビドラマ、舟木さんが主題歌も歌われた「山のかなたに」「雨の中に消えて」「あいつと私」にも出演していました。