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こんにちは!いさお企画(同)の守屋です。古河市の不動産なら"いさお企画"古河市の不動産なら"いさお企画"におまかせください。あなたの住まい探しを精一杯お手伝いいたします!www.isaokikaku.co.jp過去に視聴した(読んだ)松本零士原作音速雷撃隊OVA(1977・1993)を紹介します。あらすじ・・・・太平洋戦争末期、沖縄に展開する米機動部隊に抗するために編成された桜花特別攻撃隊であったが、重厚な米軍の邀撃態勢と桜花そのものの
こんにちは。本日は、兵庫県加西市鶉野飛行場跡に建つミュージアムsoraかさいで先任搭乗員をされている坂本氏より、着装写真をいただきましたのでご紹介したいと思います。今回は、搭乗の際に身につけている装備品について見ていきたいと思います。~2024.12.7soraかさいにて~A~Oまでそれぞれ見ていきましょう。A鷲の目型遮光(偏光)航空眼鏡乙眩しさをカットし、それ以外の光を出来るだけ多く通すように作られた、特殊カラーレンズです。当時もこのよ
ハセガワ1/450戦艦大和製作日記その⑩製作開始より通算10~12日目こんばんは(^^)前回の製作日記その⑨以来「防弾用土のう」の自作の件で色々材料を選定しては試作の繰り返しを続けていました。ようやくそれらしい材料が見つかったので各機銃座に設置してみました。名付けて「自作土のうVer.2」でございます。材料は「ねり消し」を使用してみました。材料の選定当初はパテを使用する事も考えましたが、「ねり消し」はゴム質故に接着剤との相性もよく、整形後も硬貨しない為、いつでも手
Howareyouall?Today,wewouldliketointroduceourreproductionoftheIJNAviationLifevests.~AviationLifevests~LifeVestswereanecessityforImperialJapaneseNavalpersonnelflyingovervastexpansesofwater.In1923apneumati
ハセガワ1/450戦艦大和制作日記その⑬制作開始より実質16~27日目艦橋の制作を行いました。信号旗掲揚索の動滑車や手すり等、細かな追加加工がまだ残っていますが、一通り形になりました。大和型をはじめ大戦型艦艇のディティール知識がほとんどなく上手いモデラーさんの作品や大和ミュージアムの1/10戦艦大和のディティールを参考に作ってみました。艦橋頭頂部にある防空指揮所。リノニウム床上に"すのこ"のような格子状の板が敷かれていたという作例を
[佐伯海軍防備隊]芹崎海面砲台(仙崎砲台)大分県佐伯市蒲江大字西野浦2110(仙崎つつじ公園)★後日、加筆します着工:昭和14年(1939年)備砲:40口径安式15糎センチ砲×3門出典:アジア歴史センター「引渡目録/佐伯防備隊」昭和20年8月31日広島県江田島の海上自衛隊第1術科学校に、サイパン島から移設された40口径安式15糎センチ砲の実物がある。出典:私案内版佐伯市指定史跡仙崎砲台跡指定年月日昭和52年6月1日所在地佐伯市蒲江大字西野浦仙
こんばんは。いつもご来訪頂き有難うございます。タイトル名少し修正しています。新しい資料が見つかり現在製作中のキットは1941年の姿に修正するのが難しいと判断。改装後の1937年9月作戦時の姿にすることにしました。当然艦載機の変更もあります。艦載機は96式艦上戦闘機および96式艦上攻撃機。キットはアオシマ96式日本航空母艦艦載機セットx2を使用します。加賀の艦載機でも使用していた資料があったので以前購入していたものです。今回は以前製
海軍めし第1回目は「戦艦大和最後の昼食」です。今から76年前の昭和20年4月7日、日本屈指の超弩級戦艦「大和」が米軍艦載機の攻撃によって沈みました。大和の最後4月6日戦艦大和が出撃。作戦は最初から沖縄特攻でしたから、生きて帰ることのない片道切符でした。一番砲塔横の黒板には、こう書かれていたそうです。「総員死ニ方用意」これを見た乗組員の心中を察すると、なんとも心が痛みます。午前11時頃には戦闘配置となり、昼までに戦闘配食が配られたそうです。
プラモデル制作1/700アオシマ日本海軍給糧艦「間宮」スーパーディテールアップ●制作エッジングパーツが付属したスーパーディテールアップ版キットです。ラッタルジャッキステー手すり煙突カバーのパーツの他に手持ちから手摺パーツを使用旗竿は0.3mmの金属線その他フジミピットロードのプラパーツを使用救命浮き輪を自作クレーン(ブーム?)は可動中としてクレーンワイヤー張り線空中線メタルギリングを。●塗装塗装は下加工してドリルで空けておいた排水口や込み入った箇所にシャド
前回の続きです十二指腸カメラ、CT撮影も終わり、一週間後に大腸内視鏡検査を行いました。大腸内視鏡検査は大腸を空っぽにする必要があり、検査前からいろいろ制約があり大変です。この辺の流れは病院によっても異なるところがあるでしょうから書きません。検査着に着替え、今回も主治医の先生が担当します。私も見える位置にモニターが設置してあるので、大腸内の様子がわかります。カメラが進むにつれ結腸のあたりに大きな腫瘍があることが自分で見てもわかり、腸壁に沿ってぐるりとふさぐような状態で、
気が付けば、この製作記事も「百話」となってしまいました。製作開始から既に2年以上・・・。少し感慨深いものがありますね。今後も宜しくお願い致します!m(__)m外板の装着も終わり、いよいよ機体の塗装に手を入れ始めました。このアシェット零戦五二型は、最初から着色済みモデルなので塗装は必要ありません。しかし、当工廠では「鹵獲前の機体」というコンセプトの下、激しい戦闘地域での勇姿を表現する計画で製作を進めている為にすべての部品を塗り直しています。そして、いよいよ外板塗装の汚し作業
こんにちは。今回は日本海軍の初期型お椀付き水筒をご紹介いたします。埼玉県S.A様よりオーダーいただきました。完成品初期型でもいろいろあったようですが、今回は布張りで布の肩掛け紐のタイプになります。実物オーダー品実物オーダー品コルクの栓です。バックルを開けてみましょう。拡大赤ラインのまわりにワイヤーが入っています。お椀がみえました。このようにパカッと開きます。
こんばんは。ピットロード1/700Scale日本海軍艦隊防空駆逐艦「秋月」1944年(最終時)製作記その①でございます。製作自体は随分前に開始しておりましたが、何分リアル事情も相まっていつも以上に牛歩工作の為ブログの更新頻度も非常に遅くなるか、もしくは小出し投稿になるかと思いますが完成までお付き合い頂けると嬉しいです。今回、自分の中でマンネリ化しつつある海作りに風穴を開けるべく新しい素材とフルハル船体を使ったジオラマに挑戦していました。その新素材とは巷でよく
[大湊警備府]大湊要港部①水交支社(北洋館)青森県むつ市大湊町4-1明治35年7月:大湊海軍修理工場開設明治35年8月:横須賀鎮守府管下「大湊水雷団」開庁明治36年6月:第4水雷艇隊配属明治38年12月:大湊水雷団、大湊要港部に昇格大正2年4月:大湊水雷敷設隊は大湊防備隊と改称昭和16年11月:大湊要港部、大湊警備府に昇格(・∀・)むつ市「北の防人大湊information」に説明あり。大湊警備府関連の遺構は、大湊水交支社(北洋館)、大湊要港部乙第10号・11号官
[大湊警備府/厚岸防備隊]本部防空電信室壕北海道厚岸郡厚岸町筑紫恋*2024.11.6修正大正〜昭和初旬、海軍は厚岸港に貯炭油場を設置。昭和19年6月10日、厚岸町筑紫恋地区に大湊警備府厚岸防備隊本部をおいた。出典:アジア歴史資料センター(C08030455500)海軍省厚岸防備隊「昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日厚岸防備隊戦時日誌(1)」-大湊警備府厚岸防備隊は厚岸地区に防空砲台や水上機基地も構築している。出典:アジア歴史資料センター(C08030455500)
こんにちは。本日は、兵庫県加西市鶉野飛行場跡に建つミュージアム『soraかさい』で先任搭乗員をされている坂本氏の装着写真と、操縦席内の雰囲気をご紹介したいと思います。Hello.Today,IwouldliketoshowyouaphotoofMr.Sakamoto,whoisaseniorcrewmemberatMuseumsoraKasai,builtonthesiteofUzuranoAirfieldinKasaiC
宇和島海軍航空基地の火薬庫愛媛県宇和島市坂下津(坂下津産業団地)宇和島海軍航空基地には滑走路はない。(練兵場は海岸沿いにあった)現在確認できる航空隊の遺構はほとんど、無い。唯一(?)残る火薬庫は、山麓に張り付くようにつくられている。全長12〜15mくらい。理解して行っていないとわからない遺構だ。2連式だったようだ。向かって右側の火薬庫は崩壊している。向かって左側の火薬庫をのぞいてみる崩壊が激しく、ゴミだらけ(T_T)
福知山海軍航空基地(石原飛行場)飛行隊指揮所京都府福知山市土内陸部につくられた航空基地。京都府天田郡西中筋村(福知山市)は舞鶴鎭守府から40キロ前後にある盆地。鉄道の便がある要衝で横長の平坦な土地があった。設営目的は、本土決戦に備える/川西航空機の試験飛行用飛行場/訓練用飛行場、と諸説あるが、どれも該当しているのかもしれない。詳細は後述。現在、戦跡(遺構)は飛行場指揮所壕、格納庫と言われている工場の建物が残る程度。飛行場指揮所壕は平地と丘の際にある竹藪の中に現存している。
横須賀海軍鎮守府第一特攻隊美保基地(第136震洋隊)の格納庫静岡県静岡市清水区三保清水海軍航空隊の甲種飛行予科練習生が、コンクリート製の格納庫や待避壕などの建造に従事した。第136震洋隊基地は三保半島の内側(三保内浜海水浴場)江ノ浦にある。出典:国土地理院1947/10/01(昭22)(USAR236-No.192)震洋はいわゆる特攻兵器で、トヨタ特KC型ガソリンエンジン×2を積んだ小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、搭乗員が操縦して目標艦艇に
こんにちは。本日は、戦地に赴く兵士に送られて(贈られて)いた「お守り人形」について書いてみたいと思います。軍装品ではありませんが、再現するにあたってなくてはならない、忘れてはいけないものだと思っております。慰問人形に笑顔を見せる兵士たち三角兵舎で、全国の女学生から届いた慰問人形を手にする特攻隊員私は普段さまざな軍装品について研究しておりますが、こういった人形について気に留める事なく過ごしておりました。ですが、兵隊さんたちを見ていると、当時の写真に人形を身につけておら
[沖縄戦]沖縄方面根拠地隊司令部壕(海軍司令部壕)①沖縄県豊見城市字豊見城236※後日、加筆・修正いたします旧海軍司令部壕事務所の説明昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月
こんにちは。今回は前回に引き続き、記録盤の③と④をご紹介いたします。全てアルミ金属で製作しております。長野県H.M様の依頼品③戦闘機の外板の色合いになっています。この記録盤はゴムバンドではなく紐締めです。紐を解かずに長さが調節できるように、とめ結びにしています。紐を滑らせるだけで足に括れます。結び方にも知恵がありますね。実物留め具の動き。表から見たところ。こちらも角を上手く使っていて、指を滑らせるだけで開閉
こんにちは。本日は、米国ニュージャージー州D.B様からご注文いただきました、日本海軍伝声管(受話口と送話口)をご紹介したいと思います。海軍伝声管(受話口と送話口)実物の伝声管(受話口)兎毛が付いています。こちらも実物の伝声管(受話口)です。このように筒状を円にしたクッションがあり、周りは兎毛で覆われていました。上画像にあるような兎毛がほとんど無くなっている状態です。再現送話口は首に掛ける紐に革あてがあり、そこで長さが調節ができるようになっています。
こんばんは。いつもご来訪頂き有難うございます。残暑厳しい毎日です。今朝は妙に暑くて目が覚めました。雨降ってほすい。今日から新しい艦船模型製作に入ります。日本海軍潜水母艦大鯨1941。初の潜水母艦製作です。続に特務艦と言われる艦種になりますが、個人的に好きな艦種です。水上機母艦とか主力艦では無い艦種にすごく惹かれますね。ランナー数、三隈が多すぎたせいか妙に少なく感じます。純正専用エッチングも同時に購入していました。
こんにちは。今年最後の投稿になります。本日は、兵庫県K.T様よりご注文をいただきました、日本海軍昭和15年5月制定飛行帽をご紹介いたします。こちらです。●表・・・焦げ茶色の山羊革●裏・・・焦げ茶色のヌートリア毛(沼狸)●サイズ・・・57cm航空帽(飛行帽)、航空眼鏡、航空被服(飛行服)、航空手袋、航空靴、救命胴衣などにもそれぞれ仕様書がありました。軍の衣料廠だけではなく多くのメーカーにその生産が委託されていました。【飛行帽(航空帽冬用)の仕様
こんにちはしばらく模型製作記の投稿を休止し完成写真の投稿のみとさせていただいておりましたがアクセス解析を見てみると完成写真記事より製作記記事の方を皆様にご覧いただけてるようでして(;^_^A普段はあまりアクセス解析とか気にしない性分なのですが驚きと感謝の気持ちでいっぱいでございます。更新頻度は週に一回程度となりそうですがまた製作記記事も復活しようと思います。つまらない内容かと思いますがよろしくお願いいたしますm(__)m帝国海軍重巡洋艦
回天油津基地宮崎県日南市油津昭和20年(1945年)5月、日南市の油津に九州初の回天基地として開設された。現在は埋め立てられているが、当時は崖下まで海が迫っていた第5特攻戦隊第33突撃隊第3回天特殊潜航艇隊が配備、同年7月に搭乗員が着任している。基地には回天搭乗員のほか、基地隊員が百数十人いた。GlampinginCalmLanaiHarborという施設前、道路沿いに「人間魚雷回天内海基地跡」と書かれた看板あり、ここから山を登った先に回天の基地(格納壕)
[太東航空基地]戦闘指揮所壕(和泉地下壕)千葉県いずみ市岬町太東航空基地(海軍/飛行場)昭和20年の終戦時、滑走路1,000x200mは工事中。掩体を含む地下施設は工事中。指揮所壕も未完だったようだ。戦闘指揮所壕太東埼灯台がある山の山腹の和泉地区にある。*とある民家(廃墟)の庭を横断、土塁を越えると太東航空基地の格納庫壕?、その先の土塁を挟んで戦闘指揮所壕がある。これら壕を掘った残土を、半ば湿地帯であった滑走路の埋め立て工事に使ったようだ。戦闘指揮所壕の坑口は
ハセガワ1/450戦艦大和制作日記その⑮でございます。こんにちは(^^)いつもありがとうございます。現在制作中の戦艦大和、艦橋部分のディティールアップと煙突の制作を行いました。まずは艦橋部分のディティールからまいります。前回の投稿以降に手を加えた部分はスーパーディティールアップ用エッチングパーツに付属されていない細かな手すりの追加と15m測距儀上に設置された「二号一型電探(21号電探)」アンテナの後部補強用丸鋼の増設です。その補強具の取り付けも
こんばんは(^^♪ご訪問ありがとうございます。ピットロード1/700Scale日本海軍駆逐艦秋月1944と撮影用海面ベースを製作中です。【海面ベースの工作】3日続いた雨天も本日は回復してくれたので海面ベースの屋外テスト撮影をしてみました。海表面の雰囲気はいい感じですが、ひとつだけ。。。艦と海面の接点の隙間が非常に気になる(;^_^A海完成直後は気にならなかったんですが。。。おそらく完成から日にちが経った事でさらにメディウムの乾燥が進み、そ