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こんにちは。明後日は診察日では無いですが、主治医ともう一度、手術の件について話をしてみます。タミヤの旧キット1/350戦艦大和をサルベージで1944年時としてセミスクラッチ製作しています。船体上面の作り込みを終えてサフを吹きました。エンジンは2ミリプラ棒と伸ばしランナーを半円形にして取り付けました。船体が片方、大きめだったので船首を削り込んで調整しました。内部も2隻でズレがありますが、今回はこのまま行きます。船底の作り込みをしています。伸ばしランナーとプラ板から製作しています。次からは隙
こんにちは。本日は、これまで再現製作した鷲の目眼鏡を、各タイプご紹介いたします。①鷲の目眼鏡乙(アルマイト地)後期型冬飛行帽に装着すべて従来の鷲の目眼鏡より、やや小さめのサイズになります。素材は、アルミフレーム部分は樹脂加工と一部アルミ金属、レンズはアクリルレンズです。クッション部には、当時と同等のビロード布にクッション材を入れています。縫製は当時と同じやり方を再現しております。眼鏡バンドや収納箱も当時と同等の作り方です。②鷲の目眼
第二次世界大戦中、日本海軍には数多くの優れたパイロットが存在しましたが、その中でもひときわ異彩を放つ人物がいました。太平洋戦争最強の撃墜王【菅野直(かんのなおし)】破天荒な性格と卓越した操縦技術で知られ、敵味方問わず「デストロイヤー」の異名を持つ撃墜王でした。生涯・1921年10月13日、朝鮮半島の竜口(現在の北朝鮮平壌近郊)生まれ・その後、宮城県伊具郡枝野村(現・角田市)で育ちます。幼少期の彼は、兄や姉を敬愛し家庭内では従順な子供でしたが、外では明るく
映画『零戦燃ゆ』の主人公のモデルの一人であり、開戦時から零戦、紫電改乗りとして太平洋戦争を暴れて戦死した、エースの詳伝である。といっても没年が20歳だから何ともな思いをもって読了したのだけれども。海軍甲事件(所謂山本五十六戦死)で護衛戦闘機の役を担っていた事は有名だが、それ以外の知られざるエピソード盛りだくさんで、戦記や歴史好きの人にとって損のない一冊だ
こんにちは。春分過ぎて暖かくなってきました。家庭菜園の野菜たちの成長も早くなって、年越しした一部はとう立ちがはじまりました。そろそろ植え替えに時期かな。さて現在製作中の艦船模型、航空母艦加賀も全体の塗装が終わり組み立てが進んでいます。艦橋も手を付けました艦橋本体。大きく4つ、これに各艤装品がつきます。床のリノリウム貼り部分を塗装。リノリウム押さえは真鍮棒に変えています。各種エッチングを取り付けました。塗装後組み上げます。
横浜海軍航空隊(通称「はまくう」)の跡を訪ねてきました。ラバウルのリヒトホーフェン、笹井醇一中尉の義兄が飛行隊長をしていた横浜海軍航空隊。その義兄がソロモン諸島のツラギで、急襲したアメリカ軍により玉砕してしまったという話を、笹井中尉編で書きましたが。『ラバウルのリヒトホーフェン、笹井醇一(後編)』ソロモンでアメリカの反攻が始まるニューギニアのポートモレスビーを攻略(MO作戦)の一環として戦われた昭和17年(1942年)5月の珊瑚海海戦の前に、日本海軍…ameblo.jpその
いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、ありがとうございます。ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。1945年8月14日をもって無力化されたとはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれ
気に入らないから塗装したのを剝がしてました。リベットに塗料が残ったままだしどのように塗装するかなただのベタ塗りにリベットに塗料流して完成は面白くないからなかと言って零戦で退色表現してリベットに白系流しこんで一度完成度60点くらいの時もあったからなベタ塗りでいったほうがいいか昔の完成品みたいにリベットに黒系ならいいが、それも面白くない二度目も失敗したりして笑これで剝がしました。予想外の事だったので雷電の完成がいつになる事やらーまだまだ先は長いようだ
こんばんは。白内障手術が難航してる事と、精神科の主治医に手術自体が困難かもと言われ、トラウマで頭から離れません。今後どうしていくかで考えたり心配が尽きません。手術不可の場合は点眼治療で誤魔化すしかありませんが、緑内障発作などで失明は避けられないのか?って思うと気が重いです。まぁ、出来ないなら車は仕方ないとして仕事や趣味、日常生活にも影響が出てきますが、どれも最善を尽くしてくしかないかなです。タミヤの旧キット1/350戦艦大和をサルベージで1944年時としてセミスクラッチ製作しています。板張
今日は第10回東京シェリー散歩スタートは日比谷築地駅今日は天気も良くコブシが咲いてます。築地川向こうがかつての外国人居留地。以前日光で見つけた教会を設計した*ガーディナーがここで[立教大学](聖公会)を創立し最初の学長を務め*京都の長楽舘(煙草王:村井)の設計者その場所が震災(1923)があって崩壊しつつも空襲(1945)は受けなかった空き地を【聖路加(聖公会**)】が購入。**ミサに使われるワインは赤ワインとシェリーを混ぜたもの。横浜は商人が多かったが築地は聖公会
筑摩の前側の張り線を修正しました。頼りなく歪んでいたのでまっすぐに。特徴的な前部主砲塔群。ヤマシタホビーの5インチ砲を使っています。艦後部は艦載機スペースです。利根型のこのアングルは好みです。筑摩と利根は信号灯の左右位しか差が無いみたいですね。レイテ沖海戦仕様が最終仕様です。
太平洋海戦1進攻篇Amazon(アマゾン)三部作の大まかなあらすじ。【真珠湾攻撃】19411207山本五十六の大博打が成功した。大戦果は、みなさんご存知であるが、ここで、油槽を叩かなかったこと、空母を取り逃したことが後の大きな災いのもとになる。しかし、作戦参謀は「あのときもし、そんなことにこだわっていたら、反撃を受けていた」と反論している。【マレー沖海戦】19411210山下将軍の進撃でマレー半島は占領されるが、それに英艦隊が出撃。しかし、日本海軍航空隊
韓国空軍、民家誤爆操縦士2人を空中勤務資格停止1年処分中央日報日本語版25/3/22(土)10:06配信訓練の途中、民家を誤爆する事故を起こしたKF16操縦士2人が空中勤務資格停止1年処分を受けた。韓国空軍は21日、空軍本部でKF16操縦士2人に対する空中勤務資格審査委員会を開き、この日付けで該当操縦士に対する空中勤務資格を1年間停止することを議決した。空中勤務資格審査は操縦士資格を維持して引き続き任務を遂行できるかどうかを審査する手続きで、資格停止から解任までを決定することができる
ポントス大和を制作しています。リールなどの小物を制作します。カタパルトです。なんと内部構造も再現してあります!このままでは内側が塗れないので半開き状態で組み上げます。クレーンなども制作します。主錨ですがファインーモールドのナノドレッドの方がカタチがいいのでそっちを使います。小物類は塗装して船体に組み込みます。密度が増していい感じです!楼塔付近をプラスチックパーツのみ組み立てて設置しました。かなり大和シルエットになってきました。明日から1週間家を離れることになります。早く
こんばんは。いつもご来訪頂き有難うございます。タイトル名少し修正しています。新しい資料が見つかり現在製作中のキットは1941年の姿に修正するのが難しいと判断。改装後の1937年9月作戦時の姿にすることにしました。当然艦載機の変更もあります。艦載機は96式艦上戦闘機および96式艦上攻撃機。キットはアオシマ96式日本航空母艦艦載機セットx2を使用します。加賀の艦載機でも使用していた資料があったので以前購入していたものです。今回は以前製
こんにちは。少しずつ体調の方も復活してきてモケの方も捗る様になってきました。タミヤの旧キット1/350戦艦大和をサルベージで1944年時としてセミスクラッチ製作しています。船体の加工をしています。前回、削り過ぎた所にパテを盛ってペーパーヤスリで均しました。ラインは大体出ました。欠けの部分に溶きパテを盛って乾燥中。更に均します。これが終わったらサフを一度、吹こうかと思ってるのですが、段取り的にどうやるか思案中です。まぁ、ミニテーブルの所でやるしかないのですが、やはり場所が狭いため船体の向き変
ラバウルの貴公子とも呼ばれた笹井中尉宮野善治郎大尉とともに、私を海軍航空隊沼落ちさせたもう一人のニクイ人。それは、笹井醇一(ささいじゅんいち)中尉です。ラバウルで零戦に乗り、勇名を馳せた海軍士官パイロット。別名、ラバウルのリヒトホーフェン。またはラバウルの貴公子。または軍鶏(シャモ)。とにかくですね、すごいハンサムさんです。Wikiの写真見て、私はクラクラしましたね。ミーハーですみません・・・。(↑Wikiよりお借りしてます)笹井中尉のことを書いた本には「紅顔の
雑紙「歴史街道」の今月号。特集は「戦艦大和と沖縄特攻」です。とても、興味深い内容。歴史街道2025年4月号(特集1「戦艦大和と沖縄特攻」)Amazon(アマゾン)特集記事の最初は、「総論」ということで「戦後八十年の今、世界最大の戦艦を、どう評価すべきか」というもの。個人的な素人考えを交えながら。まずは「巨大戦艦は、必要だったのか」。大和型戦艦は、当時、世界で最大、最強の戦艦でした。しかし、太平洋戦争は、海戦の主力が、戦艦ではなく、航空母艦になってしまった。
ポントス大和を制作しています。木甲板を貼っていきます強めの接着剤が付いているので分割します。薄い木板にレーザーカットですがちゃんと切れてません。カッターで切ります。全てに貼りました。経年劣化して剥がれるから接着剤をつけてから貼る人もいるそうですが、自分は何もしてません。主砲と副砲を作成します。プラのパーツはコレだけエッチングを取り付けました。だんだん慣れて来て、悩んだり調べたりする事も少なくなったので作業が進みます。プライマーを吹いてクロサフを塗ります。呉海軍工廠グレーを塗
卓越した戦闘機隊指揮官私が日本海軍航空隊の沼にはまったのは、宮野善治郎大尉がきっかけでした。宮野善治郎という海軍航空隊大尉の名前を初めて目にしたのは、柳田邦男氏の名著ノンフィクション『零戦燃ゆ』第3巻だったと思います。その後、海軍航空隊関連のノンフィクションを読んでいくうちに、あちこちで宮野大尉の名を目にするようになりました。ラバウル航空隊について書かれた本には、必ずといってよいほど宮野大尉の名前が出てきます。零戦隊の搭乗員、艦上爆撃機の搭乗員、航空隊の指揮官、整備員・・・様々な人達が
ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(126)ブラジル日報WEB版より2025年3月18日するとルーズヴェルト、そして交渉を担当していた国務長官ハルは、より強硬な条件を出して来るようになった。日本側は、その豹変ぶりに驚いたが、何故そうなのかは判らなかった。が、交渉を諦めなかった。しかし、ルーズヴェルトとハルの反応は、冷淡そのものであった。彼らは、この段階では、日本に開戦させるため、依然その腹を隠しつつ、挑発の度を強めていたのである。日本側は、
西郷山公園Amazon(アマゾン)250円東郷平八郎は、目黒区青葉台(現在の西郷山公園)に館を所有していました。https://www.city.meguro.tokyo.jp/douro/shisetsu/sports/saigo.html西郷山公園所在地目黒区青葉台二丁目10番28号最寄り駅東急東横線代官山駅下車徒歩15分冬のよく晴れた日には遠くの富士山も望めます。滝や展望台からの眺めを楽しみ、憩いのひとときを過ごされてみてはいかがですか。www.city.me
前回の続きです十二指腸カメラ、CT撮影も終わり、一週間後に大腸内視鏡検査を行いました。大腸内視鏡検査は大腸を空っぽにする必要があり、検査前からいろいろ制約があり大変です。この辺の流れは病院によっても異なるところがあるでしょうから書きません。検査着に着替え、今回も主治医の先生が担当します。私も見える位置にモニターが設置してあるので、大腸内の様子がわかります。カメラが進むにつれ結腸のあたりに大きな腫瘍があることが自分で見てもわかり、腸壁に沿ってぐるりとふさぐような状態で、
【G3X撮影速報】バーデンヴュルテンベルクF222日本寄港(2)ドイツ海軍を再び七つの海へ(2024-08-22)北大路機関2025-03-0920:19:02|陸海空自衛隊関連行事詳報■建造8年-しらね型より大型フリゲイトバーデンヴュルテンベルクは。バーデンヴュルテンベルク級フリゲイト、ドイツ海軍というのは戦艦ビスマルクなど第三帝国時代に在っても大きな艦艇を建造したものの、ジュットランド海戦のような大規模な戦闘を展開する能力を逸したまま、第二次大戦とその後の冷戦時代を迎えま
※諸説あります私なりに調べての解釈です。ロマンと捉えてご覧いただけますと幸いです。横須賀には、スカじゃん🧥、カレー🍛、ビール🍺など様々なお土産があるのですが戦艦やら、戦争モチーフ(?)にしたお土産をよく見かけます。私は戦争経験でもなければ、戦争マニアでもないのですが、海上自衛隊、米軍基地があり、戦艦を間近に見える軍港ツアーも好評です。右が米軍基地、左が海上自衛隊私は、子供の頃から米軍基地のある街で育ったのですが、外からくると、特殊な街ですよね。そして、東京
『成功していた日本の原爆実験』――隠蔽された核開発史ロバート・ウィルコックス(著)、矢野義昭(翻訳)勉誠出版2019/8/1<CIA機密調査が、日本の核開発はとん挫したという定説を覆す>・1945年8月12日早朝、北朝鮮興南沖にて海上爆発に成功していた・海上核爆発特有の雲の発生を日本人仕官が証言、傍証多々・資源は主に北朝鮮で採掘精錬、興南(コウナン)はアジア最大の軍需工場・爆発数時間後、ソ連軍侵攻占領、科学技術者たちを拉致拷問・戦後、ソ連、中国、北
こんばんは。手術が無事終わったと報告したい所ですが、心因性発熱のため手術出来ずじまいでした。ネットやる余裕も出来たし、夜も断続的ではあったものの眠れたので大丈夫だろうと思ったのですが、直前の検温で37度から37度5分の間を上がったり下がったり。もう緊張緩和のための手は尽くしたので中止の意向で話をしました。過緊張の根本は、失敗の引きずりや不安を不安がる所もありますが、病気に対して知識と理解が無い人じゃないと安心出来ない所かなと思います。ドクターが上の方と話をして対応策を練るとの事で明後日、
一番の問題点は敗戦責任ここに全てがつまっているのに右翼も左翼も誰も触れないミッドウェー海戦において、10倍の兵力で戦いに臨み、逆に10倍の死傷者を出して負けた日本海軍。しかしこれだけの損害を受けても、それでも戦争の中盤ぐらいまでは、日本海軍はアメリカ海軍を物量で圧倒していました。「山本五十六がアホ」という事以外全ての面で負けていないミッドウェー海戦から4ヶ月半後の昭和17年(1942年)10月の南太平洋海戦において角田覚治少将以下の将兵の奮闘により、ここから半年以上、太平洋方面
300万人の死者の原因のほとんどが海軍上層部私は帝国海軍を愛するからこそ、あの世界最強だった帝国海軍を自殺点の連打で滅ぼした、山本五十六以下の海軍上層部を糾弾する。その(敗戦)責任を明確にする事が、戦没者への「鎮魂」。大西瀧治郎中将が自決の時に遺した言葉があります。「海軍は主力をもっで陸軍と戦い、余力をもってアメリカと戦った」と。これはどういう事か。日本海軍が、日本陸軍の後ろから弾を撃つ事はさすがにないんですが…。友軍を敵主力に差し出して大量殺戮させる残虐非道要は、百何