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太平洋戦争末期、日本海軍の象徴ともいえる戦艦「大和」は沖縄特攻作戦で撃沈され、今も鹿児島県坊ノ岬沖の海底約350メートルに眠っています。しかしなぜ、技術の進歩した現代においても、その引き上げが実現していないのでしょうか?この記事では、戦艦大和が引き上げられない3つの大きな理由をわかりやすく解説します。\お得に旅行するチャンス/>楽天トラベルで割引クーポンを見てみる技術的・財政的な限界戦艦大和は全長263メートル、排水量約6万5千トンにもおよぶ超巨大
第二次世界大戦中、日本海軍には数多くの優れたパイロットが存在しましたが、その中でもひときわ異彩を放つ人物がいました。太平洋戦争最強の撃墜王・菅野直(かんのなおし)氏破天荒な性格と卓越した操縦技術で知られ、敵味方問わず「デストロイヤー」の異名を持つ撃墜王でした。・1921年10月13日、朝鮮半島の竜口(現在の北朝鮮平壌近郊)生まれ・その後、宮城県伊具郡枝野村(現・角田市)で育ちます。幼少期の彼は、兄や姉を敬愛し家庭内では従順な子供でしたが、外では明る
ラジコン・模型:プラモデル:日記・一般いらっしゃいませ『る~む335』ですマイクロエース1/48零戦52型丙、今日は結構進みました。後付けパーツ含めてほぼ塗装は終わりました。▲主翼前縁の識別帯を塗装しました。▲折角のスジボリとリベット、丁寧にスミ入れしてやると解像度が上がります(`・∀・´)▲ここ最近では一番綺麗にできたの(自画自賛)orz▲主脚収納部を青竹色で塗装。下面のスミ入れも再度おこないます▲着艦フック収納部今回追加工作した部位仲が良く見えん(´;ω;`)▲エン
軍事オタクゼロの軍事ネタ。82年前の今日、4月18日は、連合艦隊司令長官山本五十六が戦死した日です。私は山本好きじゃないので、他の人の話(笑)山本五十六搭乗機(一式陸攻)の護衛についた六機の零式艦上戦闘機二二型(A6M3)は、大任を果たしえず、その重責を負い、次々に南の空に消えていった。若き搭乗員たちの非情な運命。零式艦上戦闘機は三菱重工業と中島飛行機(現・SUBARU)で生産されましたが、二二型のみ三菱重工業で生産されています。零式艦上戦
『暗い波濤』に描かれた場所阿川弘之氏の名作『暗い波濤』。何度読み返したことか。もはや私のバイブルです。Kindleで電子書籍版を購入し、いつでも、どこでも、読める状態にしています。『暗い波濤』は、小説ではありますが、巻末に謝辞を捧げている大量の氏名からわかる通り、実際に太平洋戦争を経験した海軍関係者への綿密な取材に基づいて書かれています。1943年(昭和18年)、そろそろ戦況が日本にとって苦しくなっていた頃、大学生から海軍に志願して入隊した予備学生達が、それぞれ専門教育を受けて、
いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、ありがとうございます。ウィキペディアはじめ、様々な文献や記録に残っている、近代国家として歩み始めた「日の本(ひのもと)」が、地球上の人類社会でトップグループを維持するために必要とされた「投資」物件である、戦艦をはじめとする、海上艦艇の歴史を紐解くシリーズを始めさせて戴いています。1945年8月14日をもって無力化されたとはいえ、21世紀に入っても、「イージスアショア」計画が頓挫(とんざ)し、再び、イージス艦計画の延長線上に組み込まれ
2025.12.08一日一季語開戦日(かいせんび)【冬―行事―仲冬】ジョン・レノンと友の命日開戦日赤座典子1980年12月8日(月)22時50分ごろ、ビートルズのメンバーであったジョン・レノン(JohnLennon)がアメリカ・ニューヨーク市にある高級集合住宅ダコタ・ハウスの入口において、マーク・チャップマン(MarkDavidChapman)に銃撃され殺害された事件。レノンの殺害に関して、彼の反戦運動やその影響力を嫌った「CIA関与説」などの陰謀説も囁かれたが
ラバウルの貴公子とも呼ばれた笹井中尉宮野善治郎大尉とともに、私を海軍航空隊沼落ちさせたもう一人のニクイ人。それは、笹井醇一(ささいじゅんいち)中尉です。ラバウルで零戦に乗り、勇名を馳せた海軍士官パイロット。別名、ラバウルのリヒトホーフェン。またはラバウルの貴公子。または軍鶏(シャモ)。とにかくですね、すごいハンサムさんです。Wikiの写真見て、私はクラクラしましたね。ミーハーですみません・・・。(↑Wikiよりお借りしてます)笹井中尉のことを書いた本には「紅顔の美青年」
今回はこういうお題でいきます。UMA談義ですね。さて、一冊の本があります。『ツチノコ幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録』という題名で、本のデータは、発売日:2004年6月。著者・編集:木乃倉茂。出版社:碧天舎。ページ数:127p。じつは自分はこの本、読んだことがないんですね。理由は、この本は絶版で古本屋でしか手に入らず、しかも発行部数が少なかったため、今では価格が30万を越えてるんです。とても手が出ない。内容は、日本が大東亜戦争の最中、化学分野の研究員であった著者の祖父、
いよいよKATEさん旅立ちの時。ヨドバシカメラ新都心店で見たハセガワの1/72戦闘機の「完成品サンプル展示」が気に入った事。さらに別の店で見た「白っぽいゼロ戦」。これが始まりでした。無性に戦闘機のプラモ作りたくなったのです。しかしながら、何も勝手を知らんおじさまは、恥ずかしい思いをしたくないので、動画を片っ端から視ました。そんな中で見付けたのが97式艦上攻撃機。白っぽいグレーなゼロ戦も良いですが、このシルバーとレッドの組み合わせがメチ
おはようございます。先日は佐世保のプラモデル展示会に参加してきました。参加モデラーさんの作品はまた改めてご紹介したいと思います。まだ写真は編集全くしていないので。現在製作中の軽巡洋艦五十鈴の続きです。艦橋(露天艦橋部位も)の処理の続きでリノリウム塗装も終了、その後マスキングを施しました。煙突の製作にも入ります。5500t級軽巡の艤装はそこまで多くないので比較的大きなパーツの作業は煙突の後はマストでだけになります。分かりにくいですが整流板エッチングを
中央区月島地区に、旧海軍の戦艦「比叡」の内火艇が係留されていると聞いて、ジョギングのついでに見に行ってきました。場所は地図のとおりで、勝どき駅A2b出口を出て、月島方面に向かい、ラーメン屋、もんじゃ焼き屋などを横目で見ながら、月島川にかかる橋を渡りかけたところから「比叡」の内火艇らしき船舶が見えてきます。グーグルマップにも「比叡内火艇」と書かれているので、すでに有名なポイントなのかもしれません。ところで、「内火艇」は「うちびてい」と読むとされ、ネットで検索すると以下のよう
常に第一線で戦ってきた零戦隊長岡嶋清熊(おかじまきよくま)海軍少佐。海軍兵学校卒63期。歴戦の零戦搭乗員。(↑写真はWikiからお借りしています)真珠湾攻撃から、ウェーク島の戦い、珊瑚海海戦、ソロモン、トラックの激戦を経て、厚木航空隊、美幌基地、台湾沖航空戦、レイテ決戦、九州沖海戦、沖縄防衛戦・・・。数々の激戦を常に第一線で零戦隊を率いて戦ってきた勇士です。岡嶋さんといったら戦闘三〇三飛行隊の隊長として一番知られているのではないかと思います。『海軍予備学生零戦空戦記』を書い
イタレリのOEM製品がメインだったウォーバードコレクションで、大戦機はいくつもタミヤオリジナルのキットが発売されているが、その一環で発売された新生零戦キットだ。凄い出来がいいキットではあるのだが、やりすぎの感がないわけでもないのが惜しいやね。何事も程々が一番という皮肉な結果を作ってしまった一例だわ。きちんと整形すればパチピタになるキットなのだが、親切心で採用したアンダーゲートが余計なのよ。結局ね、接着面を綺麗に整形しないといけないのが無駄な手間。スケールモデルは
こんにちは。本日は、兵庫県加西市鶉野飛行場跡に建つミュージアムsoraかさいで先任搭乗員をされている坂本氏より、着装写真をいただきましたのでご紹介したいと思います。今回は、搭乗の際に身につけている装備品について見ていきたいと思います。~2024.12.7soraかさいにて~A~Oまでそれぞれ見ていきましょう。A鷲の目型遮光(偏光)航空眼鏡乙眩しさをカットし、それ以外の光を出来るだけ多く通すように作られた、特殊カラーレンズです。当時もこ