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ご訪問ありがとうございます。今回は天照大神は卑弥呼なのかという命題についての検証なのですが( ̄▽ ̄;)これについては古くは東京帝大の白鳥庫吉博士や哲学者の和辻哲郎氏が唱えられ、現在では安本美典さんが急先鋒というべき存在ですが、ちょうど理由をまとめておられるのでそれをあげてみましょう。(「BESTT!MES」より転載)天照大御神と卑弥呼「9つの共通点」①女性である②宗教的権威がある③夫がいない④弟がいる⑤『古事記』に記述のある高木神(たかぎのかみ)と『魏志倭人伝』の「女王の
【ワタツミ三神/禊で生まれた三つ子の海神】@art.mochida.daisukeワタツミ三神(綿津見三神)を描いてみました。「ワタ」は海の古語で、「ツ」は「の」を表し、「ミ」は神霊の意であすので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になります。黄泉から帰ってきたイザナギが禊をした時に以下の神々が生まれました。ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)この三神を総称してワタツ
マウスの中ボタン(コロコロするやつ)でクリックしても、画面が切り替わらずにポチれるそうです^^マウスに中ボタンある方はオススメです。自己啓発ブログランキングへアメブロのシステムが変わってこのブログからアマゾンへリンクを貼ることが出来なくなってしまいました。アマゾンでお買い求めをご希望でしたら、「破・常識あつしの歴史ドラマブログ」ブログからお買い求めいただければ幸いです。驚きのSF戦国ストーリー誕生!平和な縄文のような江戸時代を創った男たちの人間ド
昨日のご祈祷中、ふと気づくと…。白い光の中で微笑む、着物の女性が立っていました。「あなたは誰ですか?」びっくりして尋ねると、女性は「瀬織津姫」と名乗ります。こういう姿で描かれることが多い…かな?キタ━━━(゚∀゚)━━━!!ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが…瀬織津姫は、未だその実在がはっきりと分かっていない神様です日本の神様は、一部例外を除き(アラハバキ神など)記紀神話に登場します。しかし、瀬織津
ご訪問ありがとうございます。いよいよ645年の大化改新に至る経緯になります。今回の基本的な史料である「日本書紀」の「巻第二十四」は、皇極天皇の時代について書かれています。ところがこの巻、なんだか変なのです。気候の話も多いことから、何か日誌的なものが政府に存在していて、それを底本にしているのでしょうが、それ以外に童謡(わざうた)と呼ばれる風刺歌のようなものが多く書かれたり、天変地異があったり、また他の史料との食い違いもあるのですが、なによりも構成上自己矛盾が多く、時間軸もばらばらだっ
紀伊国一宮の伊太祁曾(いたきそ)神社です。紀伊国一宮は、ほかに日前宮(にちぜんぐう)丹生津比売(にうつひめ)神社もあるといいます。伊太祁曾神社はもともと日前宮のある秋月(あきづき)に祀られていたようです。第11代・垂仁(すいにん)天皇の世に日前宮が濱宮(はまのみや)から秋月に遷されたとき、伊太祁曾神社は和田川(わだがわ)上流の山東(さんとう)に遷されたといいます。ですから、山東宮(さんとうぐう)ともいうようです。はじめの遷座地は、500メートルほど
【カムオオイチヒメ/穀物と市の姫神】@art.mochida.daisukeカムオオイチヒメ(神大市比売)を描いてみました。この神様は『古事記』において、スサノオの二番目の妻として記載されています。スサノオの最初の妻は、ヤマタノオロチを退治した際に助けたクシナダヒメですが、どちらの女神様も稲作に関係の深い神様で、スサノオと稲作の関係性の深さを現していると言えます。カムオオイチヒメは、山の神オオヤマヅミの娘とされていて、スサノオとの間に2柱の御
稲荷山古墳鉄剣銘文の「471年説」「雄略天皇説」を否定してみようというのが今回の試みです。引き続き、記された文面からどのようなことが読み取れるかを考えていきたいと思います。訳文を再掲しておきます。<銘文の一般的な現代語訳の例>辛亥の年の七月に書き記します。(私の名前は)ヲワケの臣。先祖の名前はオホヒコ。その子(の名前は)タカリのスクネ。その子の名前はテヨカリワケ。その子の名前はタカヒ(ハ)シワケ。その子の名前はタサキワケ。その子の名前はハテヒ。その子の名前はカサヒ(ハ)ヨ。その子の名前
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
『大宝律令と万葉集に残る古代近江国の内緒話』『万葉集に正しく記された天香久山と踊る13の女神の内緒話』『『阿波院』と呼ばれた天皇と五角形の内緒話』『禁書にされた阿波風土記と徳川幕府と『十三』の秘密…ameblo.jp『『古代の大地震と遷都の謎』の内緒話』『大宝律令と万葉集に残る古代近江国の内緒話』『万葉集に正しく記された天香久山と踊る13の女神の内緒話』『『阿波院』と呼ばれた天皇と五角形の内緒話』『禁…ameblo.jp↑のつづき。さて、遷都の歴史シリーズです。平城京以
今回は「闇淤加美神」についてお話します。毎回どの神を取り上げるか悩みます。この神様『京都・貴船神社』で祀られている祭神です。神名は違いますが同じ神様です。『闇』なんて文字が使われているのでイメージが悪いですが誤解です。そのようなことは有りません。京都・貴船神社~闇淤加美神とは~高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)が同一神という説も貴船神社社記にあります。今回は同一神かは不問として《高龗神》は扱いません。【高龗神(たかおかみのかみ)とは?】※京都・貴船神社HP
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その44神代文字で記された「竹内文書」を書いたのは、正確には誰かは分からない。武内・建内・竹内の3つの名でその正体を隠した武内宿禰(たけのうちのすくね)自身が書いたものとはどこにも書かれていないからだ。その宿禰の末裔たちが代々保管してきたその内容について、歴代の竹内家の宮司たちは「時いたれば秘史を皇室に奉還せよ」と子々孫々に伝え、それが『竹内文書』となって世に出たのだが、その内容に注目したのは、酒井勝軍や山根キクといった人たちだけでなく、後の首相の東
『大宝律令と万葉集に残る古代近江国の内緒話』『万葉集に正しく記された天香久山と踊る13の女神の内緒話』『『阿波院』と呼ばれた天皇と五角形の内緒話』『禁書にされた阿波風土記と徳川幕府と『十三』の秘密…ameblo.jp↑のつづき。さて、前回は古代の近江は淡海⇒阿波海のことだった…だから、近江大津宮も阿波にあった…と、いうお話。それならば、「それ以前の皇都は全部阿波にあったってこと⁉️」「そんなワケあるかい!」と、いう声が聞こえてきそうである。ここで、遷都の歴史を確認して
足羽神社(福井市足羽1-8-25)福井県最古の歴史を有する神社で、御祭神の継体天皇は、歴代初の地方出身の人間が天皇に即位するという異例の経歴の持ち主です。継体天皇について日本書紀より第25代天皇の武烈天皇が崩御され、武烈天皇に子供がいなかったため、天皇の後継者が無くなり大和政権の王統が途絶えそうになります。慌てた大連らが、越前の国に第15代応神天皇の五世孫である男大迹王(ヲホトノ王)がいることを見つけだします。大伴金村の率いる大連らはヲホトノ王を越前まで迎えに行き、固
今回は「豊玉姫命~一途に一人の人に愛されたい女性にお勧め~」と題してお話をしていきます。前回登場した神々ですが説明をしていない神々がいらっしゃったので説明をしていきます。豊玉姫神社~豊玉姫命とは?~豊玉姫命と言えば、綿津見大神(海神)の娘で、竜宮に住んでいます。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)で、神武天皇の父・鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の母で、天皇の母・玉依姫の姉にあたります。【日本書紀より超簡易版♪】豊玉姫命は、綿津見大神(海神)の宮(海にある家
【ニギハヤヒ/神武天皇と戦った大和の神】@art.mochida.daisukeニギハヤヒ(邇藝速日命)は、有力古代豪族の物部氏(もののべし)の祖神とされ、神武天皇に最後まで抵抗した大和の支配者ナガスネヒコ(トミヒコ)が奉じていた神様です。そのナガスネヒコの妹トミヤスヒメを娶り、ウマシマジを設けました。このウマシマジが穂積氏(ほづみし)、熊野国造和田氏(くまののくにのみやつこわだし)の祖神ともいわれています。神武天皇率いる皇軍を襲撃し撃退したナガスネ
【イワナガヒメ/山の神の娘で長寿の女神】@art.mochida.daisukeイワナガヒメと言えば、絶世の美女コノハナサクヤヒメの姉で、天孫ニニギに姉妹一緒に嫁いだ女神。しかし、美しい妹コノハナサクヤヒメと違い、容姿が岩のようで醜かったといわれるイワナガヒメは、ニニギから恐れられ、ひとり実家に帰されてしまいます。コノハナサクヤヒメは桜の様に華やで美しいですが、桜のように咲き、桜のように散る。その命は短命で儚く限りあるものでした。
『記紀』。古事記と日本書紀の総称である。日本の歴史書として認められているのだ。そんな由緒正しき歴史書『記紀』だが、不思議なことがいっぱいある。日本最大の山『富士山』が出てきていない…とか、全国に伝承が残る、秦の始皇帝の使い『徐福』が出てきていない…とか。名前を変えられたか、あるいは「隠された」か。そんな不思議なことのひとつに、初代天皇『神武天皇』がいる。初代天皇の正式名は『カムヤマトイワレヒコノミコト』。系図を素直に見れば、「あ、アマテラスの血筋なのね」となってしまいそうだが、
今回は八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)のお話をしていきます。前回、知流比売命のお話をしたので夫の方もって事です。幸いにも夫の方は、祀られている神社は多々有ります。ものすごく有名って訳では無いですが、何となく聞いたことがあるなぁと思われる神様ではないでしょうか?~八島士奴美神とは~須佐之男命と櫛名田比売との間に生まれた神様。木花知流比売(妻)との間に布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)を生みます。古事記・日本書紀にも記載のある神様です。有名な神社では八坂神社(京都)に祀られて
『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから17
今回は「男神の名称について」と題してお話していきます。毎回男神の解説を書き続けるのが『文章量多くなりすぎてしまう』という理由も有りしっかり解説することにしました。この意味を知っておくだけで真の男神の意味が理解出来ます。~男神の名称の違い~男神は、大抵神名の後に男神であることを表す尊称が付いています。○○彦・○○男・○○毘古・○○比古という種類が有ります。一般的に男神という認識ですが、詳細な意味が隠されています。男神・女神共に性別が特に付いていなく男神・女神と言われている神々もいら
【トトリノカミ/鳥取の語源となった女神】@art.mochida.daisukeトトリノカミ(鳥取神)を描いてみました。『古事記』においてトトリノカミは、ヤシマムヂノカミ(八島牟遅能神)の娘とあり、オオクニヌシの六番目の妻とされています。オオクニヌシの妻は以下の女神達となります。・ヤガミヒメ(因幡の女神)・スセリビメ(スサノオの娘)・カムヤタテヒメ(コトシロヌシの母)・ヌナカワヒメ(タケミナカタの母)・タキリヒメ(スサノオの娘)・トトリノカミ(トリナルミ
アマツミカボシ(天津甕星)!!それは日本神話で唯一の悪神、そして、星の神である!!とにかく、この神(人物)は謎が多い。しかし、なぜ日本神話でもメジャーな神として上がってこないかが不思議なほど、その正体は燦然たる輝きを放っている。星に例えるなら、金星だろうか。明けの明星、宵の明星という異名があるように夜明け、あるいは日暮れにしか姿を現さないがゆえに、その輝きは強烈な印象を残す。神としての性質でいえば、西洋のルシファーにとてもよく似ている。どちらも、神=支配者に反逆したことによって「
【サシクニワカヒメ/オオクニヌシの母神】@art.mochida.daisuke『古事記』によると、サシクニワカヒメ(刺国若比売)はオオクニヌシの母神で、サシクニオオカミの娘とされています。夫はアメノフユキヌ(天之冬衣神)で、この神様はスサノオから数えて5代目にあたる神様です。サシクニワカヒメは、八十神(やそがみ)たちに殺された息子オオクニヌシを見て嘆き悲しみ、高天原のカミムスビに懇願し、遣わされたキサガイヒメ、ウムガイヒメと共に彼を蘇生させた大変な息子想いの母神です。しかし
ご訪問ありがとうございます。前回、出雲振根フルネが弟の飯入根イイイリネを騙し討ちにした話を載せましたが、今回は「古事記」のヤマトタケルによる出雲建征伐の部分を載せておきます。それから(倭建命は)出雲国に入られて、そこの出雲建を殺すことにと思い到られて、すぐに(出雲建と)友だちとなられました。そして、ひそかにイチイの木で偽の刀を作り、ご自分の佩刀として腰につけ、肥の河で水浴されました。そこで倭建命は河から先に岸に上がり、出雲建が解いて置いていた刀を腰につけ、「刀を取り換えっこしないか。」
今日、2月11日は建国記念日である。本当の日本建国史を語りたいと思う。日本最古の〝正史〟とされている『日本書紀』(奈良時代に完成)には、紀元前660年の旧暦1月1日に、神武《じんむ》天皇が即位したとある。これを西暦にすれば2月11日になり、この日を日本国の建国記念日にすることが、明治時代に国定されて今に至るわけである。しかし、神武天皇が即位したのが紀元前660年というのは、どう考えても昔すぎる。このことから、戦後の考古学や歴史学者たちは神武天皇はいなかったんだ!と主張するようになったが
こんにちは😃当ブログにようこそいらっしゃいました⭐️先日、茨城県日立市にあります大甕神社へ参拝に参りました。⛩国道6号沿いの風神山の麓にひっそりとありました。今回ここを訪れたわけは、映画「君の名は。」のスピンオフ小説で、宮水神社の御祭神の倭文神武葉槌命(シトリノカミタケハヅチノミコト)と同じ神様が祀られていると知ったためです。小説では、宮水神社と同じ御祭神を祀っている神社として、大甕神社の名前がチラッと出てきました。県内なので、行ってみようぜ!と言うわけです🚗御祭神:武葉槌命(たけ
こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。今回の記事は、天地の一番初めに出現した神は誰かについてなのですが、そんなのアメノミナカヌシに決まっているって思いますが確かに、「古事記」の冒頭には、神の住む国である高天原に、天地が出来て最初に現れたのは、アメノミナカヌシノカミ次にタカミムスヒノカミ
今回は「大山祇神~女性の幸せを願う神~」をお題にお話していきます。と言っても大山祇神の記載ってあんまりないですよね。瓊瓊杵尊が木花之佐久夜毘売を見初めてその時に父である大山祇神に申し出た。その時に石長比売も同時に娶るように差し出されたが容姿がブスだった女はいらんって石長比売だけ突き返した。って話で出てくるぐらい。三嶋大社~大山祇神とは~伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって、風の神・木の神・野の神と共に生まれた山の神。伊予国風土記逸文には和多志大神と大山祇神を結合させたとの記載がある
日本は古来より天皇を君主とする中央集権政治をおこなってきた。初代天皇、神武天皇より代々、天皇は世襲によって受け継がれ一族によって国が統治されてきました。その中央集権政治に大きく貢献したのが聖徳太子です。彼は冠位十二階を定め、十七条憲法を制定し、仏教を信仰するように国民に説き大衆をまとめ、天皇を中心とした中央集権制度を確立ています。十七条憲法ができたころの時代背景その頃の中国では、とても権力を持った随が立ち上がっていました。実際国をまとめていた聖徳太子は、倭国(日本)が随の支配におかれな