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本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『⑵宮城島金作氏は偉れた神主で有った事は既に述べてあるが、これは稲葉翁の物語りの一つである。三保の社務所に於いて帰神執行中の折、氏を神界に連れて行かれるとの憑霊の仰せで、忽ちに室内を飛び出して行かれた。後になって其の時の状態を氏に尋ねた処、どの様に行ったのか其の間の事は全々不明で、ともかく到着した処、御同行と覚ゆる御眷属が、大己貴命であるとの仰せで拝をなした。よく視ると命は臀
「天武天皇は男女交易(人身売買・子弟売買・百姓子女・妻子の売買)を一度も許可しなかった」という主張は、一次史料である『日本書紀』により明確に否定されます。主張の核心である「一度も」(一切・絶対に許可しなかった)は、史料的事実と矛盾します。最重要レベル(一次史料そのもので直接的反証・核心記述)『日本書紀』巻第二十九天武天皇紀下天武天皇13年(西暦684年)春正月丙寅条原文(抜粋):「比年不登、百姓困窮、或売子弟、或自鬻、或質妻子。乃下詔曰『比年不登、百姓困窮、或売子弟、或自鬻、或質妻子
【造化三神/天地が初めて別れた時に現れた神々】『古事記』の冒頭は天地開闢から神話の世界が描かれていますが、天地の始まりの一番最初に現れた神様がアメノミナカヌシ。続いてタカミムスビとカミムスビが現れ、すぐ身を隠しました。この造化三神の中でもアメノミナカヌシは、冒頭以降の記述は一切無い謎の多い神です。この三つ柱の神々を総称して「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼び、造化三神は男神、女神の区別がない独神(ひとりがみ)です。この造化三神を原子核を構成する「陽子(タカミムスビ)」「中性子
龍田大社奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1旧社格・官幣大社(式内社・名神大社)龍田大社公式サイト■参拝日2026年2月21日【御祭神】天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)【御祭神】国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)風の神を祀る神社で、二十二社に列せられた古社。御祭神の天御柱命、国御柱命はそれぞれ志那都比古神(しなつひこのかみ)、志那都比売神(しなつひめのかみ)とのこと。これらの神は、日本書紀では級長津彦命・級長戸辺命と表
古代日本の歴史を知るには、・古事記・日本書紀が一番ですが読むのが難しい・まんが古事記(全2巻)・わかる日本書紀(全4巻)※古事記の方が物語り的で楽しい※日本書紀は堅苦しいが細かい何回も読み返して古代日本に想いをはせるのも良いですし、そんな昔からあった神社などを見に行ったり、御祭神がどんな人だったかなどわかる事ができるので、今まで以上に楽しい知れば知るほど日本という国が凄い国であるかがわかる。
記紀「ヒルコ(人間)の666⇒1444」TheBeatles-TheBeatles-WeCanWorkItOut歌詞より抜粋引用(私訳)Lifeisveryshort,andthere'snotimeForfussingandfighting,myfriend.人生は短いのだから無意味な騒乱や争いをしている暇はないWecanworkitout僕たちは、きっとやり遂げられるさ【Yeswecan】オバ
「人生」春だ~~(874)★哲学する!デリダ読み手中心主義決して手に入る事のない幻のような真理をめぐって、互いに傷つけあう不毛な言い争い。デリダは、今まで西洋がずっとやって来た真理探究とは基本的にそういうものであると主張した。そこで、彼は「話し手の意図」よりも「読み手の解釈」の方を大事にしましょう、という「価値観の逆転」を提案する。◆日本紀講○康保二年(965年)以降、日本紀講は絶える。けれども明経道の清原氏や中原氏、さらに紀伝道の大江氏のように専門分野がある学問の家では「紀」の読
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第八編余録本編は鎮魂・帰神に関して、長沢翁稲葉翁を始め諸先輩の残された、体験並びに挿話等に就いて見開した事柄を縷々綴ることにする。時代的の前後、或は霊学上に於いても本文と重複する処も有ると思はれるが、順序を遂はず記録に残したもの、又記憶をたどりながら記述して行く事にする。なお記憶に残したものは、既に三十年も経た今日では、その人物場所などの名称等は失念して居り、誤りがあ
【宮崎神宮(みやざきじんぐう)】(宮崎県宮崎市)宮崎神宮は九州日向生まれの初代神武天皇(じんむてんのう)をお祀りする神社で、地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれているお宮です。宮崎神宮の鎮座地は、神武天皇が東征する以前から御所を建立していたと伝わる霊地で、後に九州に下向してきた孫のタケイワタツ(阿蘇神社のご祭神)が、神武天皇の奠都(てんと)した跡に神霊を創祀したとされます。10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代に初めて社殿が創建され、12代景行天皇(けいこうてんのう)の九州熊襲(く
消された古代日本!?謎多き欠史八代とは?『日本建国の謎に迫る』続編①今回は、『日本建国の謎に迫る』の続編です。日本の古代史は、全く分かっていません。分かっていることは、神武天皇といわれる、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)という人物が、東征して日本を統一したことです。このように言われています。年代は、約2800年前です。キリストが生まれたのが、今から2000年前です。キリストの生まれた日を西暦元年としているのです。それからさらに800年もさかのぼり、日本の建
昨日は病院とオープンしたヤマダデンキだけで帰ってきて今日は会いたかった神様に会いにそれも見つけたのはYouTuberさんで一昨日見たYouTubeで早速こんばんは久々の神社で興奮してしまいましたパワースポットでもあるのですが瀬織津姫にも関係ある神社ですご訪問頂きありがとうございますみっちゃんです岩手県丹内山神社アラハバキ神を祀ってる神社なのですがこのアラハバキ神は日本書紀や古事記にも登場しない実態の分からない土着神という道祖神ですが、
ヤマトタケルの墓はどこにあるのか。三重県の能褒野王塚古墳、白鳥塚古墳、奈良県の琴弾原白鳥陵、大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳。白鳥伝説が残る地を実際に巡りました。目次ヤマトタケルとは―白鳥伝説の英雄1.能褒野―英雄、最期の地能褒野王塚古墳(三重県亀山市)能褒野神社|ヤマトタケルノミコトを祀る神社白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市)加佐登神社|ヤマトタケルノミコトを祀る神社2.琴弾原―書紀に残り、記に残らず琴弾原白鳥陵(奈良県御所市)3.軽里―白鳥
先日お知らせしました拙著『倭の五王たちの真実』のインタビューに関連して、その内容をまとめていただいた記事が、著名なインターネットメディアである《JBpress》に掲載されました。すごくわかりやすくまとめていただいております。ご一読いただけますとうれしいです。日本史最大のミステリー「倭の五王」とは一体誰のことなのか?『日本書紀』が仕掛けた壮大なミステリーを読み解く《関瑶子,伊藤雅文》【著者に聞く】『倭の五王たちの真実』の伊藤雅文が語る、天武天皇はなぜ歴史を書き換えたのか?|JBp
14益須の醴泉1己亥。遣沙門法員。善往。眞義等。試飲近江國益須郡醴泉。戊申。以直大肆授直廣肆引田朝臣少磨。仍賜食封五十戸。【己亥つちのとゐ〔十四日〕、沙門ほふし法員ほふゐん善往ぜんわう眞義しんぎ等らを遣つかはし、試こころみに近江國あふみのくにの益須郡やすのこほりの醴こさけの泉いづみを飲のます。戊申つちのえさる〔二十三日〕、直大肆ぢきだいしを以もちて、直廣肆ぢきくわうし引田ひけたの朝臣あそみ少磨呂すくなまろに授さづけたまふ。仍なほ、食封へひと五十戸いそへ賜たまふ。】〔十四日、沙門ほうしの法員
こんにちわ読んでくださりありがとうございますなんだか迷宮に入ってしまったみたいです・・・現在絶賛楽曲製作中でありますが再び歴史について調べています・・・藤原鎌足に生き埋めにされた巫女の記憶にアクセスしてしまったことからそれをテーマに楽曲製作をしていますがここへきて藤原鎌足と金庾信の共通点を指摘する説がありまたもや動揺しています・・・アクセスした記憶では藤原鎌足さんは宇宙の意図を理解してそれに従ったのですが日本の歴史的
日本の鬼神(おにがみ、またはきじん)は、日本神話や民間信仰、仏教の影響を受けた複雑な存在です。単なる「悪の妖怪」ではなく、神聖で畏怖すべき力を持つ霊的な存在として描かれることが多く、以下にその神話的背景をまとめます。起源と概念の変遷中国由来の影響:「鬼」という概念は、6世紀後半に中国から伝わった仏教とともに日本に入りました。中国では「鬼(guǐ)」は死者の霊魂を意味し、善悪両面を持つ「鬼神(guǐshén)」として、禍福をもたらす超自然的な力の象徴でした。死後、魂(陽気)が天に昇って「神
葛城一言主神社久しぶりに葛城一言主神社に行きました。奈良県御所市にある神社です。葛城一言主神社・公式サイト御祭神は一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)。古事記・日本書紀(以下「記紀」)に書かれている神さまなのですが、「神話」に登場する神さまではありません。記紀ともに雄略天皇の御代の逸話に出てくる神さまです。悪事も一言善事も一言言離の神葛城の一言主大神(マガゴトモヒトコトヨゴトモヒトコトコ
【カムナオビ/禊で誕生した罪禍事を祓い清める神】始めて夫婦の契りを交わしたイザナギとイザナミでしたが、イザナミが火の神ヒノカグツチを産んだ際に大やけどを負い死んでしまいます。妻を忘れられないイザナギは、死者の世界である黄泉の国に取り戻しに行きますが、思い実らず失敗してしまいました。この時にイザナギが黄泉国の穢れを洗い流す禊(みそぎ)をすると、黄泉の国で受けた穢れが剥がれ落ち、穢れからも沢山の神々が生まれました。この禊でヤソマガツヒ(八十禍津日神)、オオマガツヒ(大禍津日神)の
考察壬申の乱(672年)が「男系と女系の争い」であった、という解釈は、古代の皇位継承における「母方の血筋(女系)」の影響を重視する歴史的視点から見るとあり得る話とも言えると思います❗️具体的には、天智天皇の息子の大友皇子と、天智天皇の弟の大海人皇子(後の天武天皇)の争いの事を壬申の乱と言うものですが、彼らの後ろ盾となった母親の身分や支持勢力に大きな違いがあったことは見逃すわけには行きませんよね❓️●壬申の乱の構図(男系VS女系・豪族の支持あり)の大海人皇子(天武天皇)は、男系の正
。.ꕤ🍀…………………………………………………..🍀ꕤ.。🍀🌈本日の一転語🌈🍀。.ꕤ🍀…………………………………………………..🍀ꕤ.。今回ご紹介するのは、【神話解説】日本で一番偉い神様に迫る動画です。動画解説は、高等宗教研究機関であるHSUの人間幸福学部黒川ディーンです。こちらの動画で以下の事を学べます。🍀古事記・日本書紀の原書「ホツマツタヱ」とは🍀日本で一番偉い神様とは🍀なぜホツマツタヱが原書と言えるのか🍀日本神道最大の歴史ミステリーとは!
「人間観」テーマ、青人草の恩頼(あおひとぐさのみたまのふゆ)4回目それでも、人間は神に誕生を祝福され、幸せな生活を恵まれた存在であると言う論拠は『日本書紀』に穀物神である保食神(うけもちのかみ)が六穀などを与え、医薬祖神の大己貴(おおなむち)・少彦名(すくなひこな)の神は療病の方(みち)などを定められている。生は辛苦を伴うが、本質的には神々の恩頼によって保護され、祝福されている。人間の責任人間理解に関して重大な問題の一つに「罪」があるが、これも神道では本性
人間に生まれてきて初めて、古事記と日本書紀という記紀に触れてみた。とはいっても、そこに書かれいることは、ほぼほぼダークサイドヒーロー物語なので自分なりの直感で感じてみた。人間の根源って、ドラコニアンなのかい!ってかんじ。何か、悍ましいというか、高次元といえども繰り広げられていることって3次元より低くないか。そもそも、ダークサイドの為に作られた地球なのか?と思ってしまうほど、何をしとるんだ!と叱責したくなる。そもそも宇宙って大丈夫かと心配になった。やっぱり今でも宇宙戦争って繰
「人生」2月よさらば(872)★哲学する!デリダ(現代哲学最強の真理批判者)アルジェリアジャック・デリダ(1930~2004)はアルジェリア出身のフランスの哲学者であり、ポスト構造主義と呼ばれる現代哲学の旗出である。デリダの哲学とは何かと言えば、要するに、西洋批判と真理批判であると言っていいだろう。彼は、西洋文明を音声中心主義であるとして批判した。この音声中心主義とは、簡単に言えば、「話し手を大事にする文化」のことと思えば良い。そもそも会話は「話し手」と「聞き手」の二人がいて初めて成立
<無料フリースクール雑学講座-736>【ものの始まり-1】1.メガネ:イタリア発祥説、中国発祥説など・13世紀末にはイタリアのベネチアで作られていた初めは凸レンズの老眼用だけだったが、16世紀には近視用が作成された・日本では室町時代12代将軍・足利義晴が所持したのが最古・サングラスは1929年にアメリカで製作・コンタクトレンズは1930年代イギリスが初め2.雨具:日本書紀・神代巻にスサノオノミコトが笠蓑を使用したことが記されている・万葉集でも「王の御笠」が詠まれている・
天武天皇に関連する「凶作」(飢饉・不作)と「男女交易」(人身売買・子弟売買・百姓の子女売買許可)についての記述は、現存する一次史料および学術的検証可能な範囲で、『日本書紀』巻第二十九天武天皇紀下の天武天皇13年(西暦684年)春正月丙寅条が唯一の直接的・核心的記述です。他の年次(例:天武5年676年)では人身売買の申請を却下した記録があり、許可したのはこの684年条のみです。『日本書紀』以外の正史(『続日本紀』など)や出土文書・金石文に同内容の独立記述は存在せず、周辺の凶作記録(尾張・美濃など
昨日登った可也山途中に可也神社があります日本の初代天皇である神武天皇を祀った神社ですこれを読むと神武天皇が日向の国から東征に向かう際に国見をするためにこの山頂に立ち寄られたという事ですようするに、九州南部から奈良盆地へ向かったという話です日向では統治が不便な事から奈良を目指したそうでも、神武天皇はあくまで神話の中の人物実在する最初の天皇は第10代の崇神天皇その神話って古事記とか日本書紀の事それを書いた人が、書いた人の頭の中の空想を書いたって事なのかな🤔という事は、神武天皇
【神武天皇/九州生まれの九州男児である初代天皇】神武天皇(じんむてんのう)は本名をカムヤマトイワレヒコノミコトといい、日本を建国した初代天皇として知られています。『古事記』によると神武天皇は、九州日向(宮崎県)でウガヤフキアエズノミコトと海の女神タマヨリヒメとの間に産まれた末っ子(四男)で幼名ワカミケヌと呼ばれ、幼いころから明達で若干15歳で皇太子となり、その後、阿多小橋君の妹アヒラツヒメと結婚しました。天孫ニニギが高千穂に降臨し永い時を経ていましたが、未だ日本全体を平定できていな
七夕つながりで大阪府交野市からの連続投稿です市町村の名前由来名前の由来に興味をもち調べてみると小郡市福岡県小郡市日本書紀に登場する筑紫小郡からお忘れの方に日本書紀とは天皇の命によって編さんされた歴史書で720年に完成したもの日本書最古の歴史書七夕の里、小郡市内を流れる宝満川を挟んで七夕神社と牽牛社が配される地理的な位相からも小郡が七夕と深い関係を持っていることがわかります七夕神社とは七夕神社は通称でほんとうの名前は媛社(ひめこそ)神社祭神は織女
あれ?結局、「建国記念日」はこの国造りスタート宣言の日ではなく、天皇即位の日にしたんだ。こっちの方が建国記念日ぽくないか?(前回ここまで)そう思って調べたところ、この件に関する情報はいくつもあった。私なりにまとめてみます。まず、法律によると「建国記念の日は日本が建国された日」ではなかった。(てか、祝日って法律で決まってるんや・・・)建国記念の日とは「建国をしのび、国を愛する心を養う」日だそうです!つまり、別に建国した日じゃなくてよかったのね。そして、そもそも、私は「
神道における人間観のテーマ、青人草の恩頼(あおひとぐさのみたまのふゆ)についての続き。前回は『古事記』で綿津見神三柱を阿曇連などの祖神と述べている点からも、神と人との間に本質的な断絶を見ない。という話でしたが、他にも神と氏族の繋がりを書いた記事が過去にありましたので、ご紹介します。【関連記事】『神別(天孫)の氏族』日本の八百万の神は古代日本の政権・豪族(氏族)とも繋がっているので、『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』という平安時代初期に編纂された記録から神別(天孫)の…a