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【LINEオープンチャット「龍神」ライブトークのお知らせ】次回の龍神ライブトークは、5月10日(日)20時頃を予定していますテーマは「天照大神」『岩戸神楽ノ起顕』(一部分)言わずと知れた日本の神道の最高位とも言われる太陽神で、もっともよく知られた女神のひとりです。一般には天照大御神(アマテラスオオミカミ)の名で親しまれています。伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉の国の穢れを落とすため、日向の阿波岐原(ひむかのあわきがはら)で禊を行い左目を洗った時に誕生といわれています。天岩戸
古事記日本書紀では石長比売は醜い女神とされているが当ブログではすでに女神のある意味、暗黒面である事は解説済みでまたその闇こそ生命そのものでもある矛盾も指摘した。もっと平たくいうのなら・・・いや、やはりそこは自重しようか。壬生青玄はそこまで野暮ではないからな。
【アメノカク/逆流する天安河の河上に派遣された神】葦原中国(出雲)平定の為に高天原から神が派遣されましたが、アメノホヒ、アメノワカヒコと続けて失敗してしまいます。そのため高天原の神々は会議を開き、次の使者を誰にするか話し合いました。この会議の結果、推挙されたのが剣の神イツノオハバリ(アメノオハバリ)です。イツノオハバリは天安河の河上の天石屋にいましたが、逆さまに天安河の水をせきあげて道を塞いでいるため、誰もイツノオハバリのもとに出向くことができませんでした。この天安河の
考察日本の歴史が今年2026年で紀元前660年から数えて2686年とされる根拠は、明治維新によって世界に向けたメッセージとして明治政府が設定した神武天皇即位日を初年として【皇紀】という【紀年法】によって、明治から今日までそれを使用しているに過ぎません❗️✡️その年代を決めるには、【日本国】という統一国が定まった年代からでなくてはなりませんよね❓️統一国として定めたのは、【日本書紀】が発表された720年の事です❗️日本書紀として世に出したその時が、【日本国】と言う名前を付けたのです❗️
古都の空からごきげんよう愛犬家ゲイことMA⭐CHARUです。イイねやフォローありがとうございます。フォロー様優先にて前日のイイねより訪問&イイね返しさせて頂いております。先月に続いて皐月の月次祭も雨天香久山には雨を司る龍神の高靇神も祀られているのも関係してるのでしょう。21年ぶりとなる深刻な水不足で減圧給水も行われてるので恵みの雨とおもい参列しました。『宮司と天上界巡り』古都の空からごきげんよう愛犬家ゲイことMA⭐C
【宗像三女神/アマテラスとスサノオの誓約で生まれた三姉妹の航海守護神】宗像三女神(むなかたさんじょしん)は、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた三姉妹の女神です。高天原を乗っ取る意図があるのではないかと疑われたスサノオは、自らの清廉を証明するためにアマテラスと誓約(うけい)を交わしました。その際、スサノオの十拳剣をアマテラスが受け取り、真名井の清水で洗い、噛み砕いた後に吹き出した息から宗像三女神が誕生しました。福岡県宗像市にある宗像大社は、世界遺産に登録されており、宮島
ご訪問ありがとうございます敏達天皇が即位したのですが、前からの高句麗使がまだいるので、その問題から(^^;)欽明朝の高句麗使漂着地目次烏羽の表高句麗使の内紛高句麗使の再訪と送還三度目の高句麗使白猪屯倉目次を開く烏羽の表5月1日、敏達天皇は皇子と大臣に「高麗(高句麗)の使者は、今どこにいるのか?」と問われた。大臣は「相楽サガラカの館ムロツミにおります。」と答えた。天皇はお聞きになって、たいへんお心を痛められた。悲しみに心動かされて、「悲しいことだ。この使者たちの名は
「ウガヤ朝」「ウガヤフキアエズ朝」と聞くと、なつかしい記憶がよみがえる若干高齢(私も含めて)の方が多いのではないでしょうか?記憶はすこし曖昧になってきましたが、雑誌『ムー』など、UFOや心霊現象をはじめとするオカルトや世界の謎・不思議を扱った本で、よく取り上げられていました。竹内文書などと関連付けられて、日本の超古代には「ウガヤフキアエズ朝」という王朝が花開いており、世界中から人々がやってきていたというような話だったと思います。ワクワクしながら読んだものです。その「ウガヤフキア
大化改新後の政争において、大化五年(649)、左大臣蘇我倉山田石川麻呂そがのくらやまだいしかはまろは讒言によって殺された。石川麻呂の娘、造みやつ媛こひめは中大兄に嫁いでいて、父親の後を追って自殺している。彼女は名前がいろいろと変わっていて、遠を智ちの娘いらつめ、美濃津みのつ子この娘いらつめとも記されている(注1)。造媛が父親の石川麻呂が斬首にされたことを聞いて、刀を使って実行した人物の名が「塩」といったためにsaltのシホという言葉を聞くのも嫌がった。皇太子ひつぎのみこの妃みめ蘇そ我が
【衝撃】秘められた日本古代史―『ホツマツタヱ』の謎に迫る【天御祖神】【超古代文明】HSメディア_HSMedia2026/04/03#ホツマツタヱ#超古代文明#天御祖神【コラム①:時を超えて受け継がれた『ホツマツタヱ』編纂の系譜】『ホツマツタヱ』は全40アヤ(章)から成る壮大な叙事詩で、前編と後編で編纂時期と編纂者が異なります。前編(第1~28アヤ)編纂者は、初代・神武天皇の時代に“右大臣”にあたる人物であったクシミカタマです。後編(第29~40アヤ)それから数代後
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************浅野氏は、恩人とも云える出口氏について、その著書で痛烈に批判している。『私は今王仁氏を捕へて、その器にあらずと申しましたが、その意味は、同氏が宗敎家たるに甚だ不適當であるといふつもりなのです。あれ位の藝當をする人ですから、同氏にも、他人の到底眞似のできない長所があります。萬事に如才なく、人意を察してこれに迎合することの巧妙なことは、殆んど一の天才といふべく、又、しやれ地口
【鹿児島神宮(かごしまじんぐう)】(鹿児島県霧島市)鹿児島県霧島市の日向山の麓に鎮座する鹿児島神宮は大隅国一宮です。社殿の建立は和銅元年(708年)とされ、平安時代に編纂された『延喜式』には鹿児嶋神社の名で薩摩、大隅、日向の中で唯一の大社として記載があり、古代から朝廷に篤く崇敬を受けてきました。創祀年代は、社伝によると「初代神武天皇の時に、ヒコホホデミ(天津日高彦穗穗出見尊/あまつひこひこほほでみのみこと/山幸彦)の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされますが、詳細は不明。
図書館で予約していた本を読んでいました。すごい!という言葉しか浮かばない。古代奈良期の風土記は古き先人達がいかに緻密で実直な執務を行っていたかを肌感覚で感じさせてくれる。内容は漢文で書かれているので、正直な話僕が理解できてるかと言えば???である。ただ、丁寧な解説が付してあるので、僕でも内容は判る。実に素晴らしいことであった。余りの素晴らしさに心打たれたので、本の表紙を写真に収めたくなった。そしてスマホで撮ったのだが、随分長くUPしてなかったこと。生来の不
廣田神社兵庫県西宮市大社町7-7中世に大きく信仰を集め、大坂湾の海上支配権を持っていたといわれる神社『日本書紀』や平安時代の法令集『延喜式』にも詳しい記述があり、風雨や地震に霊験ありと信じられただけでなく、朝廷・公卿・貴族には官位昇進の神として崇敬された。御祭神:天照大御神之荒御魂御脇殿:住吉大神・八幡大神・諏訪建御名方大神・高皇産霊大神一の鳥居二の鳥居:平成25年建立社号標:平成25年建立注連柱:大正三年建立明治十三年建立拝殿拝殿内
「人生」ロシアは?★哲学する!アリストテレス政治体制には最良というものは無く、どれも堕落する可能性を秘めていると彼は考えた。さらに彼は政治体制が堕落し国家がボロボロになった後に何が起こるかについてもさらに思考を勧めている。政治が腐敗し、国家が荒廃すると何が起こるのか・・・。それは「革命」と言う名の政治体制の交代劇である。読んだ古代史関係の書籍no,6◆持統天皇蘇我氏の滅亡乙巳の変後、中大兄皇子達は飛鳥寺(法興寺)に陣を布(し)き、入鹿の父蝦夷の反撃に備える一方、入鹿の屍を蝦夷に引き
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************ところで、そう語る浅野氏も、指導の折に何度も殺されかけたことがあったと述懐している。『霊から暴行を加へられて、九死1生の散々な目に逢ふに至りては、さらに一層つらいものであります。ところが、最初両三年間、私は「今度という今度は、いよいよお陀仏かな」と覚悟したことが、幾度あったか知れません。審神者という者は、ある意味に於て、全く命懸けでなければ勤まらない職業です。』『彼等は
【アメノオシホミミ/アマテラスの勾玉から生まれた五皇子の長男】アメノオシホミミ(天之忍穂耳命)は、スサノオとアマテラスの誓約(うけい)と呼ばれる儀式によって勾玉から生まれた神です。イザナギから海原の統治を託されたにもかかわらず、黄泉の国にいる母イザナミに会いたいと泣き喚いていたスサノオ。海は荒れ狂ってしまい、あきれ果てた父イザナギがスサノオを叱責し、ついには隠居してしまいます。スサノオは黄泉の国に行ける許しを得たと勘違いし、最後に姉であるアマテラスに挨拶にいくことにしました。
「人生」逆転在り(928)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制「腐敗するとどうなるのか」民主制は、みんなで国家を支配するため、うまくすれば一番公平な政治決断がなされるというメリットがあるが、支配者である皆が堕落した場合には、皆が政治に無関心になって大衆感情やノリだけで政治決断(投票)をしてしまい、無責任な扇動政治家の言いなりになってしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになっていく。◆持統天皇この時代の国家的儀式への参加資格は天皇やその関係者、豪族に限られ、宣読はそれらの人
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************「七年八年となると、イヤ實驗材料が集まる集まる、一日平均二三百人にも上るのですから、私に取りては、誠に以て有難い仕合せで、腕によりをかけて、片ツ端から神懸りの實驗を試みました」大本での鎮魂帰神法は彼の人体実験の場だったのだ。これでは出口氏が中止させたのも当然だと思う。霊的な浄化や向上を求めて集まった多くの信徒達を、単なる実験材料として扱っていたわけなのだから。「實はある
今回はこういうお題でいきます。けっこう日本史の専門的な内容なので、なるべくわかりやすく書いていくつもりですが、あまり興味のない方はスルー推奨かもしれません。表題の小野妹子は、第2回の遣隋使として中国に赴いた人物ですが、生没年もよくわからない謎の人なんですね。もちろん男性です。さて、西暦600年(推古8年)、『隋書』倭国伝に、隋の初代皇帝、高祖文帝のもとに、倭国からの使者が訪れたとあります。この使者が妹子かどうかははっきりしていません。このとき、倭国はまだ国際外交にうとかったよ
【ツクヨミ/イザナギの右目から生まれた暦と月を司る神】夜と月を司る神ツクヨミはイザナギが清流で体を濯いだ禊(みそぎ)によって生まれ、太陽神アマテラスとスサノオと姉弟であり、この三柱の神々は「三貴子(さんきし)」と言われています。『古事記』の神生みの段で夫婦のイザナキとイザナミが多くの神々を生み出しますが、火の神を産んだ際にやけどを負ったイザナミは亡くなり、黄泉の国に旅立ちます。妻を諦められないので黄泉の国にイザナギも向かいますが、願いが叶わず一人で帰還した後に、清流につかり黄泉の穢
第13話|鯛、酔う海【あらすじ】濘田門に至った皇后一行は、船上で和やかな宴を開く。皇后が海へ酒を注ぐと、群れ集まった鯛が酔って浮かび、漁師たちは「聖王の賜物」と歓喜する。豊かな海と土地に祝されるなか、皇后は人々の笑顔を見つめながら、新たな縁と繁栄の兆しを胸に刻む。――――――【本文】難波津から穴門へ向かうこの内つ海は、東西に長く伸びています。東と西に潮の出入り口があり、およそ六時間ごとに潮の向きが変わるのです。息長帯姫《おきながたらしひめ》たちは潮の
考察鶴と亀の岩、日本各地にありますよね❗️●栃木県字都宮市の大谷の奇岩群越路岩❗️●岡山県玉野市の亀石❗️●京都府京都市の金寺院庭園や梵智院❗️●滋賀県近江八幡市の教林坊❗️●徳島県の三好市の剣山頂上付近❗️●徳島県徳島市の八倉比賣神社裏側❗️重要視されている徳島県の鶴亀石の言い伝えによると、この岩は、三種神器が入っていたアークを守る岩🔯として阿波国では定着しています❗️✡️カゴメ=囲め!失われたアークと言うハリウッド映画があります❗️私も若い時に観に行きました❗️【エ
ご訪問ありがとうございます今回から「日本書紀」も「敏達天皇紀」に入りますが、この辺りから、異母姉妹や叔母、姪との近親婚が増えてきます。なぜかというと、「嫡子」欽明天皇以来、天皇の血統がとかく重視され、「嫡子」つまり、雄略・仁賢・継体天皇の血を引く欽明天皇の血統が重視されていき、皇后も皇族から選ばれて、その子がまた血統を受け継ぐ、「嫡流」が形成されるからです。金色が嫡流だと思ってくださいそういう意味では、敏達天皇は継体天皇の嫡孫でもあり、母石姫皇后(宣化皇女)を通じて、継体天皇の最
動物園でずっと見ちゃう動物は?▼本日限定!ブログスタンプARELUXかわいい象のぬいぐるみ動物枕柔らかいゾウのぬいぐるみおもちゃ太った抱きしめ人形ベッドタイムかわいいぬいぐるみホームデコレーションギフト女の子男の子子供友達誕生日クリスマス10インチAmazon(アマゾン)象の日(4月28日)1729年(享保14年)のこの日、交趾国(現在のベトナム)からの献上品として清の商人が象を連れてきて、京都で中御門天皇の御前で披露された。象は最初、長崎
懐中温泉です、有馬湯治第十八日後半午前の銀泉に向かう前、二人は少しだけ別府の話もしました。「別府は近世の史料だとまだ控えめですけど、近代以降、一気に『国民的温泉』みたいになっていきますよね」と佐和が言うと、結は、「近世の別府や浜脇の様子を記した『豊国紀行』の一節が、温泉史の論文に引用されていました」と応じました。「“薬師堂の傍らに熱湯あり、湯治宿の民家が十軒余り並ぶ”といった感じの記述で、当時の湯治場の雰囲気がよく伝わってくる。有馬の石
「人生」す~~(927)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制「腐敗するとどうなるのか」*貴族制・・・支配者が複数であるため権力が分散され、独裁者が生まれるリスクが少ないというメリットがあるが、支配者である貴族達が堕落した場合には、派閥争いや権力闘争に夢中になって肝心の政治をおろそかにしてしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになってしまう。読んだ古代史関係の書籍no,4◆大化の改新乙巳の変その席に列席し、その一部始終を見ていた人物がいた。古人大兄皇子である。舒明天皇の長
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************浅野氏はその著書で自ら指導したという鎮魂帰神法について、その実態を吐露している。『が、過去現在の大本敎が何であらうとも、靈的體驗を、ふんだんに供給してくれたことにかけては、私はどんなに感謝しても、感謝し切れなく、考へて居るのであります。信仰を求めて、大本に集つた人達から云へば、あそこが立派な修行場でありませうが、私から云へば、あそこは一の實驗場で、信者は悉く私の研究材料で
【豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)】(佐賀県嬉野市)豊玉姫神社は「日本三大美肌の湯」として知られる嬉野温泉街の中心部に鎮座し、創建は室町時代以前といわれ、1500年代後半に一度焼失し1600年代前半に再建されたと伝わっています。初代佐賀藩主・鍋島勝茂(なべしまかつしげ)の息子で、「肥前吉田焼」などの礎を築いた初代蓮池藩主・鍋島直澄(なべしまなおすみ)(1616〜69年)の祈願所でした。トヨタマヒメ(豊玉姫)はホオリノミコト(山幸彦)の妻となった海の女神様で、海神のオオワダツミの娘です。
それでは仮説の内乱とはどのようなものなのでしょうか。まず『日本書紀』の記述に矛盾があり、継体天皇(欽明天皇の父)の没年が「辛亥」年(531年)と記載されている一方、その次の第27代安閑天皇(欽明天皇の兄)の即位元年を甲寅年、3年後の534年としていること。つまり、継体と安閑天皇の治世の間に「空白の3年」が生じているわけです。そして決定的な矛盾は、平安時代に書かれた『上宮聖徳法王帝説』にあります。この史料によると、欽明天皇の治世は41年の長きにわたり、その没年から