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古事記・日本書紀に記される「八尺瓊勾玉」ってなに?正式には「五百津御統之玉(いほつのみすまるのたま)」と呼ばれ、#三種の神器のひとつです。これは単なる宝物ではありません。#イザナギが、娘・#天照大神へ託した「この世界をやさしく治めるための力」そのものです。「やさかのまがたま」という長い名には、日本人が大切にしてきたいのちの世界観がぎゅっと詰まっています。🌸八尺(やさか)大きさではなく、「弥栄(いやさか)」命が重なり、広がり、続いていくこと。🌸瓊(に)霊性を宿した美しい玉。
耶馬台国群は中国の出先機関邪馬台国と対立していた八幡国郡こそ現日本人の祖先2023年6月に佐賀県の吉野ヶ里遺跡で見つかった弥生時代後期の有力者のものとみられる墓について、内部調査が行われた。蓋は大きく重く、沢山の記号が刻まれ、見晴らしの良い場所にあったことから、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期に作られた有力者の墓とみられ、「すわッ。卑弥呼の墓か?」「これで邪馬台国九州説は裏付けられた」とぬか喜びの顛末が在った。何処にあったか、卑弥呼は美人だったか、などと枝葉末節の論議はここ
広島県呉市は平成の大合併で島嶼部分を多く含むようになりました倉橋島(くらはしじま)もそのひとつで1978年の朝ドラ『わたしは海』は倉橋島が舞台です(ヒロイン相原友子さん)連続テレビ小説わたしは海〈第22作〉|番組|NHKアーカイブス瀬戸内で生まれた川村ミヨは、一家を支えるために京都のカフェで働くが、やがて身寄りのない子どもたちと共に帰郷。昭和初期から終戦の混乱期までの激動の時代、多くの子どwww2.nhk.or.jp倉橋島は広島県と愛媛県との県境に近く古く
【イソタケル/スサノオの御子である植林の神】『日本書紀』においてスサノオの御子神とされるイタケルは、イタテノカミ(射楯神)とも呼ばれる神です。オオヤツヒメ・ツマツヒメという妹がいるとされ、イザナギ・イザナミの御子神であるオオヤビコとは基本的には別神ですが、同一神とされることもあります。このオオヤビコは、ヤソガミに襲われて逃げ込んだオオクニヌシ(オオナムチ)を匿った神として知られています。オオクニヌシもまたスサノオの6世孫とされる神なのですが、ヤソガミもオオクニヌシの兄といわれ
浄見原神社:奈良県吉野郡吉野町南国栖1葛城一言主神社:奈良県御所市森脇432高天彦神社:奈良県御所市北窪158「まつろわぬ民」という言葉がある。古代日本において大和王権の支配や権力に服従せず、抵抗した人々のことだ。彼らは異族とされ、その殆どが征討の対象となった。日本書紀を紐解くと、神武紀や景行紀における日本武尊の征討譚などにおいて、国栖、土蜘蛛、隼人、熊襲、蝦夷などさまざまな異族が存在したことがわかる。彼らは討ち滅ぼされた後、国家体制の中に組み込まれていく。たとえば、服属後の隼人は都に移配
【玉置神社(たまきじんじゃ)】(奈良県吉野郡十津川村)玉置神社は大峰山脈の南端に位置する玉置山(標高1,076m)の山頂近くに鎮座し、初代神武天皇(じんむてんのう)は東征の途上に、玉置山に辿り着いたとされています。その後に仏教が入ってくると熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり、玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。江戸時代には別当寺高牟婁院(たかむろいん)が置かれ、その後、慶応4年(1868年)の神仏分離令により、
【ヨモツシコメ/黄泉の国に住まう恐ろしい追手】黄泉の国のヨモツシコメ(黄泉醜女)は『古事記』では「予母都志許売」と表記され、「黄泉の国の醜女(シコメ)」を意味する名で「醜い」という漢字が当てられることがありますが、外見が醜いという訳ではなく、強い女=醜女(シコメ)という説もあり、武力の高い女性、あるいは霊力の高い女性とも考えられます。オオクニヌシの別名もアシハラノシコオ(葦原色許男・葦原醜男)といい、シコメ(女)に対するシコオ(男)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)の強い男という意味で
【スセリビメ/愛情深いゆえに嫉妬した女神】オオクニヌシが凶暴で嫉妬深い兄八十神(やそがみ)達から逃れるために「根の国」に逃げ込むと、出迎えに現れたのがスサノオの娘スセリヒメです。オオクニヌシとお互いに心を通じ合ったスセリヒメは、父神スサノオに「大変立派な神が来ております」と告げました。一目でオオクニヌシを只者ではないと見抜いたスサノオでしたが簡単に愛娘を嫁に出しませんでした。只者ではないが、鍛えたら更に強者になると見たスサノオは、オオクニヌシに様々な試練を与えます。しかし、そ
【エウカシ/神武天皇と敵対した宇陀の豪族】『古事記』においてエウカシ(兄宇迦斯)は、神武天皇率いる東征軍と戦った宇陀(現在の奈良県宇陀市付近)の豪族として登場します。神武天皇とその兄弟一行は、国を統治するためにふさわしい土地を求めて東征を決意し、まず最初に日向の高千穂から豊国の宇沙(現大分県宇佐市付近)に行き、その後に筑紫の岡田(現北九州市付近)、阿岐国の多祁理宮(現広島県安芸郡府中町付近)、吉備の高嶋宮(現岡山市南区付近)と順調に九州から瀬戸内海を進んでいました。しかし、浪速の白肩津
関門海峡はいつ、どのように生まれたのか。地質学が語る海峡の成り立ちと、彦島八幡宮に伝わる「穴門開通伝説」をたどりながら、神功皇后の時代の海の姿を考察します。目次【第一章】関門海峡の誕生【第二章】穴と呼ばれた海峡【第三章】山が裂けた日【終章】穴門、開く【第一章】関門海峡の誕生地質学によれば、関門海峡の原型は約七万年前から一万年前にかけての最終氷期に形成されたと考えられています。寒冷化によって河川が発達し、周辺の岩盤を削り取って窪地を作りました。その後、気候が温暖
歴史史料の真贋嘘だらけの『太閤記』『信長公記』現在著名な史料の例としては、「太閤記」つまり『真書太閤記』や『絵本太閤記』の根本をなしている『川角太閤記』がある。これを歴史屋は「元和七年(一六ニー)から元和九年の著作である」と折紙つきで保証しているが、とんでもない錯覚でしかない。今日伝わっている物はどうみても、「遠州浜松十二万石だった堀尾茂助の孫の堀尾忠晴が寛永十年九月に死んで断絶したあと、その遺臣が、堀尾家再興の為に、文中片っ端から事実無根の堀尾茂助武勇伝をエピソードにして盛り沢山に入れ
大化改新後の政争において、大化五年(649)、左大臣蘇我倉山田石川麻呂そがのくらやまだいしかはまろは讒言によって殺された。石川麻呂の娘、造みやつ媛こひめは中大兄に嫁いでいて、父親の後を追って自殺している。彼女は名前がいろいろと変わっていて、遠を智ちの娘いらつめ、美濃津みのつ子この娘いらつめとも記されている(注1)。造媛が父親の石川麻呂が斬首にされたことを聞いて、刀を使って実行した人物の名が「塩」といったためにsaltのシホという言葉を聞くのも嫌がった。皇太子ひつぎのみこの妃みめ蘇そ我が
鳥居の元形は秀真(ホツマ)文字「ゐ.ヰ」の形状を模して作成された!…日本の国生み【オノコロ島】での伊弉諾(イザナギ)尊と、伊弉冉(イザナミ)尊とのミトノマグワイで、天照ON(オン)カミの幼名ウヒルキ(大日霊杵)が誕生したとする、ヤマト(日ノ本)のカミ代の物語。その、「イザナギ・イザナミ」の御名のルーツは…『旧約聖書』に記す聖書地名「ON=オン」(古代エジプトのイウヌ・ギリシア語ヘリオポリス=太陽の町)と記す、イザヤ書19・18~19…そのイザヤ書の「イザヤ」が語元であった~!…【山王鳥
連休にどこにも出かけない予定なら、ぜひ神社へお参りに行くことをおすすめします!忙しい日常から離れて、心も体もリセットできる場所って、意外と近くにあるんですよ。しかも、自分にぴったり合う“相性の良い神社”を見つけるのも楽しみの一つ⛩️私が今年よく訪れているのは、日本最古の神宮の一つで、「剣に宿る神霊」を祀る、ちょっと異色だけど素晴らしい古社、「石上神宮」(いそのかみじんぐう)です。古事記や日本書紀にも登場する由緒正しい神宮で、伊勢神宮と並ぶ歴史的な存在。ここは一般的な神社とはひと味違って
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************大本の公式サイトには次のように書かれている。『大本の草創期には「鎮魂帰神」と呼ばれる「鎮魂の法」が盛んに行われていましたが、正しい審神者(※注1)がいなければ、修行者の憑霊が発動し、かえってその人の霊魂を汚してしまうおそれがあったため、大正9年、出口王仁三郎聖師はこの方法を禁じ、以来、大本では「鎮魂帰神」は行なっておりません。ただし、出口王仁三郎聖師はすべての鎮魂法を禁