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続きです。『【神戸】12月親子旅①南京町&カフェタイム』息子と神戸・淡路島・鳴門へ行ってきました。2025年12月Day1名古屋~神戸🚗3時間くらい神戸(大ゴッホ展・南京町)淡路島(伊弉諾神宮)鳴門Day…ameblo.jp神戸を出発して、淡路島へ。淡路ハイウェイオアシスに行くのが通常だろうけど、淡路ハイウェイオアシス·〒656-2401兵庫県淡路市岩屋大林2674−3★★★★☆·ショッピングモールmaps.app.goo.gl無視して、高速を降ります。
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************大本では当時、修行中に次のような状況が頻繁に起きたようだ。『実際のところ、大本における鎮魂帰神は、もっぱら「他神を憑依」させる神憑りによって人気を博し、膨大な数の心霊マニアや霊術マニアを綾部に引き寄せた。大本の道場での帰神というと、天狗や狐狸霊などの副守護神が憑ってくるのが常のことであり、その派手な霊動や言動が、あたかも誘蛾灯のように人々を引き付けた。しかも大本では鎮
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************長沢翁は出口氏についても『然れども事の茲に至りたる者は、謹厳に確守す可き神懸の法則を破りたるにより、邪霊其の虚に乗じて憑依して精神を錯乱せしめて茲に至らしめたる者と推定す』(「惟神」)。つまり正神の帰神ではないだろうと推定されている。勿論それは審神者不在の場で往々にして起こりうることである。大本での鎮魂帰神の実施風景の写真を見ると、浅野氏とみられる人物が高座に坐り、そ
古事記・日本書紀に記される「八尺瓊勾玉」ってなに?正式には「五百津御統之玉(いほつのみすまるのたま)」と呼ばれ、#三種の神器のひとつです。これは単なる宝物ではありません。#イザナギが、娘・#天照大神へ託した「この世界をやさしく治めるための力」そのものです。「やさかのまがたま」という長い名には、日本人が大切にしてきたいのちの世界観がぎゅっと詰まっています。🌸八尺(やさか)大きさではなく、「弥栄(いやさか)」命が重なり、広がり、続いていくこと。🌸瓊(に)霊性を宿した美しい玉。
『60-④朝ごはんはバターコーヒーとフレンチトースト』『60-③内宮参拝。個人手なお願いはなぜ荒祭宮なのか?前編』『60-②外宮参拝。外宮の話』『60-①8年前の誕生日旅行の話まずは二見興玉神社』本日は…ameblo.jp神社参拝旅再開!次は猿田彦神社紅葉が綺麗でした。みちひらきの大神猿田彦神社www.sarutahikojinja.or.jpこの頃はまだ、その後猿田彦大神と家の事で大きなご縁を頂く事になるとはわかってなかったのですが猿田彦大神にとても興味が
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
【綿津見三神/安曇一族の祖神とされる航海守護神】綿津見三神(ワタツミサンシン)の『「ワタ」は海の古語で、「ツ」は「の」を表し、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になります。死者の国である黄泉の国から帰ってきたイザナギが穢れた身を清める禊をした時に以下の神々が生まれました。ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)この三神を総称して綿津見三神と呼んでいます。この三
知り合いの獣医さんが、幸せを呼ぶ「白いスズメ」のプリント写真(ご自身が撮影)をプレゼントしてくださいました♪嬉しい!ありがとうございます❣️パネルか額装して大切に飾ります💕🕊️白いスズメは、古くから縁起の良い鳥として知られていて、日本書紀にも瑞鳥(吉兆とされる鳥)として記載されているのだそう。つい最近も同じところで見かけたそうです。^^いつか私も出会いたいです。#白いスズメ#white#sparrow#幸運#鎌倉
ご訪問ありがとうございます。前回まで「日本書紀」の雄略天皇のところを読んでいましたが、外交関係の記事ではおよそ20年のズレがあり、允恭天皇の頃の出来事が「雄略天皇紀」に入っているということがわかりました。つまり「日本書紀」の編者たちは、外交についての史料、ほぼ「応神天皇紀」と「雄略天皇紀」に集約して、あまり綿密な考証は行わなかったと言うことが言えます。そういうことですから、「神功皇后紀」~「雄略天皇紀」について、倭の五王を大和王権の人物とすることは妥当とする一方で、「日本書紀」に基づ
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
前に書きましたが、製鉄の起源は約4000年前のトルコです。かつてヒッタイト帝国が存在した場所。タタラ製鉄と折り返し鍛錬の発生地。鋼鉄製の刀剣の発生地。場所はトルコですが民族的には現在のトルコ人の祖先ではありません。トルコ人はかつてユーラシア北部の草原地帯に住んでいました。現在も中央アジアからシベリアにかけてトルコ系の民族がたくさん住んでいます。トルコ=Türk国名の時は日本ではトルコと読みます。しかし最近の日本語では民族名を指す時にはテュルクと書いて使い分けています。トルコ系民族日
今回は、竹取物語の話です🎋竹取物語は、日本最古の物語と言われてますから、私、花実物語としては語ってみたいと思っていたのです😊かぐや姫🌸竹取物語は、記紀神話を意識して書かれたのかなと感じています。記紀神話に出てこない富士山🗻を最後にどーんと出してアピールしていることもありますし、記紀神話のヒロインとも言える天照大神に対して、竹取物語ではかぐや姫がヒロインです👸天照大神は「照らす太陽の女神☀️」一方、かぐや姫は「輝く月の天女🌙」意味がありそうではありませんか?登場する求婚者5人は、
【ヤガミヒメ/稲羽の白兎の予言どおりオオクニヌシと結ばれた美しき女神】稲羽(因幡)の白兎伝承で有名なヤガミヒメはオオクニヌシの最初の妻となった美しい女神です。オオクニヌシの兄である八十神(やそがみ)たちが、巷で美しいと評判の稲羽のヤガミヒメに求婚しようと、自分たちの荷物を末弟オオクニヌシに背負わせて稲羽の国に出立します。その道中で一行は皮を剥がれ痛みに苦しむ白兎に出くわし、八十神は兎に「痛んだ体を治したければ、海水を浴び、風の強く当たる高い山に行き伏せておけ」と言いまが、兎がその通
ご訪問ありがとうございます。さて今回から武烈天皇ですが、まずは「武烈天皇紀」の冒頭、この前飛ばした総評の部分を見ることにしましょう。小泊瀬稚鷦鷯オハツセノワカササギ天皇は、仁賢天皇の皇太子である。母を春日大娘カスガノオオイラツメ皇后という。仁賢天皇7年、立ちて皇太子となる。長じては刑の判断や執行を好み、法令に詳しかった。日が暮れるまで政治を行い、無実を見抜き、訴えは退けるにしても情はおありになった。と、ここまで見るといい人に見えますが、これは「法治主義」です。法がすべてで、儒教のよ
「ウガヤ朝」「ウガヤフキアエズ朝」と聞くと、なつかしい記憶がよみがえる若干高齢(私も含めて)の方が多いのではないでしょうか?記憶はすこし曖昧になってきましたが、雑誌『ムー』など、UFOや心霊現象をはじめとするオカルトや世界の謎・不思議を扱った本で、よく取り上げられていました。竹内文書などと関連付けられて、日本の超古代には「ウガヤフキアエズ朝」という王朝が花開いており、世界中から人々がやってきていたというような話だったと思います。ワクワクしながら読んだものです。その「ウガヤフキア
本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。************************『第二章日本書紀に見ゆる実例一日本書紀巻第一(神代上)(巻末G参照)又猿女君の遠祖天鈿女命は即ち手に芽纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に俳優す。亦天香山の真坂樹を以て鬘と為し、蘿を以て手すきに為して、火処燒き、覆槽置せ、顕神明之憑談す。』(「顕神本田霊学法典」)『また猨女君の遠祖天鈿女命は手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに俳優をした。
2025年7月9日の検証魏志倭人伝には、多くの疑問箇所があります。1つ目は、投馬国が、列記した国名の中に無いことです。それ以外の国はそれ以外の辺傍の国は遠く隔たり、詳しく知ることができない。と書いてあります。投馬国は、女王国より北で近いと云うことです。この記事には別の引用史記が、あるとすれば、斯馬国=対馬、己百支国=壱岐、伊邪国=伊都国とも考えられます。でも少し違うような気がします。二つ目は、帯方郡から女王国までは一万二千里と書いていて、里で表した不弥国までの距離が、11,400里で残
第2章古事記・日本書紀に見る馬の神話日本最古の歴史書である『古事記』と『日本書紀』には、数々の神話が収められています。その中で、馬は神の使いとして、また時に災厄を招く存在として登場し、人々の信仰や畏れを映し出しています。ここでは、特に代表的なエピソードを取り上げながら、馬がどのように神々の物語に関わってきたのかをたどってみます。スサノオと「逆剥ぎの馬」最も有名なのは「天の岩戸隠れ」にまつわるエピソードです。荒ぶる神スサノオは、姉である天照大神に対して度重なる乱暴を働きました。その
こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリーズでは、古代日本語を解明する新しい試みをしていきます。出典:Wikipediaより小林永濯『鮮斎永濯画譜』初篇「須佐之男命天ニ昇リ天照大御神ト問答シ盟ツテ御子産玉フノ図」今回は「うけひ」です。この言葉の初出は古事記で、スサノヲとアマテラスのやり取りが最初になります。(以下、本文は常体で続きます)「ぬなとももゆらに」の回『【日本語上代2】「ぬなとももゆらに」考』こんにちは。ぴる来るです。当ブログの【日本語上代】シリー
ヤマトタケルは、日本神話に登場する伝説的な英雄で、古代日本の歴史書『古事記』や『日本書紀』にその活躍が記されています。彼の物語は、勇猛さと悲劇性を兼ね備えたものとして、多くの人々に語り継がれています。↑作:弟【基本情報】・名前『日本書紀』小碓尊(おうすのみこと)、小碓王(おうすのみこ)亦の名:日本童男(やまとおぐな)のちの名:日本武尊(やまとたけるのみこと)、日本武皇子(やまとたけるのみこ)『古事記』小碓命(おうすのみこと)倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、倭男具
生まれも育ちも奈良県で、万葉集が好きなみくるです今回は、日本最古の道の一つ「山の辺の道」の北コースから、特にロマンあふれるスポットをご紹介します。『万葉集』や『日本書紀』にも登場する、歴史と悲恋の物語が息づく場所です悲劇のヒロイン・影姫が駆け抜けた橋今回ご紹介するのは、天理市の石上神宮のすぐ近くにある「布留の高橋(ふるのたかはし)」。古来より、この橋は万葉集に詠まれ、また、恋人の亡骸を探し求めてこの道を走ったという、影姫(かげひめ)の悲しい伝説の舞台となりました。なぜ「高橋」という名
ご訪問ありがとうございます。ひさしぶりに「日本書紀」本文に戻ってまいりましたが、この頃から記事量も内容もしっかりしてきます。「内乱」説のせいで、事績としてはあまり注目されませんが、次の飛鳥時代にはちゃんと国家になっていますから、この間に着々といろんな組織とか経済基盤ができていることになります。そうでないと飛鳥寺やら法隆寺のような国家事業はできませんもんね❗それでは、「安閑天皇紀」❗まいりましょう❗(*´・∀・)つ目次安閑天皇の即位安閑天皇の后妃伊甚屯倉安閑天皇の即位ここでもう
浄見原神社:奈良県吉野郡吉野町南国栖1葛城一言主神社:奈良県御所市森脇432高天彦神社:奈良県御所市北窪158「まつろわぬ民」という言葉がある。古代日本において大和王権の支配や権力に服従せず、抵抗した人々のことだ。彼らは異族とされ、その殆どが征討の対象となった。日本書紀を紐解くと、神武紀や景行紀における日本武尊の征討譚などにおいて、国栖、土蜘蛛、隼人、熊襲、蝦夷などさまざまな異族が存在したことがわかる。彼らは討ち滅ぼされた後、国家体制の中に組み込まれていく。たとえば、服属後の隼人は都に移配
全身全霊オススメしたい「嶽啓道まじなゐ作法(駒草出版様)」先日偶然にして幸運にも著書の本田先生とお話しできまして多岐にわたる知識と思考とご助言を頂きました。本田不二雄先生ありがとうございます。「嶽啓道まじなゐ作法」は大人のための教育的な面もあると感じた贅沢すぎる1冊です。感謝です。嶽啓道まじなゐ作法[まじない屋きりん堂]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}私はスピリチュアルって好きではないのです。(真のスピリチュアルは尊敬しており
ご訪問ありがとうございます。この前はずいぶんややこしかったですね💦自分でもこんがらがるところなので申し訳ないです(;^_^Aとりあえず復元された史実をまとめておきますので、こちらで把握していただけるかと思いますが…(^^;)目次半島最南部の国々の動き毛野臣の召還毛野臣の葬送半島最南部の国々の動き朝鮮半島には弥生時代から馬韓・辰韓・弁韓の地域があり、4世紀いこう、馬韓は百済が、辰韓は新羅がそれぞれを統一するのですが、弁韓だけは小国が分立したまま、6世紀に至り、その地域を指して
【老松神社(おいまつじんじゃ)】(福岡県糸島市)福岡県糸島市に鎮座する老松神社。ここは前原村風土記等に依れば永禄年間(1558年~1568年)に創建されたと伝えられ、およそ450年程の歴史を有しています。神社は民家と共に南の笹山の麓に鎮祭されていましたが、慶長年間(1596年~1615年)までに村民は今の前原町筋に移住し、神社のみ旧社殿地に残っていたので、弘化元年(1845年)に社殿を改築し町の中央(現在の南本町)に遷宮。その後、明治43年(1910年)に北筑軌道が敷設されたので現
【イザナミ/国土と神々を生み出した創造の女神】イザナミは「誘う(いざなう)女」という意味であり、最初の夫婦となった男神イザナキと女神イザナミは「誘い合う男と女」を表しています。その名が示すようにイザナミはイザナキとの夫婦の契りの際、愛する夫を前にして溢れる想いを止められず「何て素敵な男神でしょう。」と、女神イザナミから先に告げてしまいます。この結果、最初に産まれた子は不完全な神のヒルコとアワシマだったため、葦船に乗せて海に流しました。その後、高天ヶ原の神々の忠告通り、男神であるイザ
ご訪問ありがとうございます。この前は名前からうかがえる仁賢天皇の実像を探ってみたわけですが、今回は仁賢天皇の宮と系譜を見てみようと思います。仁賢天皇元年春1月5日、皇太子は石上広高宮イソノカミヒロタカノミヤ(奈良県天理市)において即位した。或本(別伝)に云わく、仁賢天皇の宮は二箇所あった。一つ目の宮は川村(兵庫県三木市?)に、二つ目の宮は縮見の高野(兵庫県三木市)にあった。その宮殿の柱は今に至るまで、朽ちていないという。顕宗天皇の宮も、別伝で或本に云わく、(別伝)弘計天皇=顕宗天皇
諏訪の土着神・ミシャグジ様や東北蝦夷の神・アラハバキは祟りをなす祟り神とされます。しかし、何故縄文時代から信仰されたこの神々が揃って祟り神とされるのか疑問に思いました。ググってみたら以下の通りです。↓ミシャグジ様が「祟り神」として扱われたり、そのイメージが貶められたりした背景には、歴史的な宗教観の変遷や大和政権の進出、あるいは後世の物語的な解釈が関係していると考えられています。主な理由は以下の通りです。1.土着信仰から記紀神話(中央神話)への組み込みミシャグジは、大和政権が
ご訪問ありがとうございます。『古史古伝と古社から読み解くニギハヤヒの履歴その1』ご訪問ありがとうございます。前回は、先代旧事本紀に記されているニギハヤヒの事績の一部についてご紹介しました『ニギハヤヒの実績をめぐる日本最古の歴史書「先代…ameblo.jp『古社から読み解くニギハヤヒの履歴(大神神社)その2』ご訪問ありがとうございます。どうも地震以降、体調を壊される人がすごく多くて、今は再びコロナ感染が拡大しており、私も仕事が大忙しです。雨季だということもあり…ameb