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京急田浦駅最寄りの東芝ライテックの工場は、旧横須賀海軍工廠造兵部の跡地の払下げを受けたものです。なので、当時の建物をそのまま使っていたのですが、老朽化のため解体されるようです。今回の解体は、本部庁舎、製図工場、機銃工場、材料倉庫、烹炊所でいずれも築90年前後の建物です。特に本部庁舎は大正2年建設という関東大震災を潜り抜けてきた建物なので大変残念です。現時点で、本部庁舎、製図工場、烹炊所は消え去り、材料倉庫と機銃工場が解体中でした。また横須賀の海軍時代の建物が消えていきます。この次に予定
[沖縄戦]大里城陣地②(重砲兵第7連隊本部)沖縄県南城市大里大里574起工/竣工:不明形態:自然洞穴(一部人工壕)+構築物守備隊:独立混成第44旅団重砲兵第7連隊(球4152)、第3中隊?兵装:不明射線:那覇方向大里城陣地(重砲兵第7連隊本部)を再度、探索=発見したので、新たに記す(・∀・)出典:全国Q地図沖縄県南城市の標高約150m、舌状に伸びる琉球石灰岩丘陵の東端。尚氏の琉球統一の拠点となった島添大里城があった。島添大里城(しましーうふざとぐすく)沖縄県南城
今日は地下貯油タンクのあった周南緑地公園東緑地と中央緑地を訪れますが、2025年8月のKRY山口放送の朝の情報番組で「憩いの場は地下タンク跡」と題して特集が組まれました。その中で「タンクの外壁跡と言われている場所がある」と紹介されていましたので、後日見に行ってきました。概要は前回の記事にて。『山口県の戦争遺跡202~大迫田の地下貯油タンク群-概要-(周南市)』徳山駅東南約3㎞の大迫田(おおさこた)地区には周南緑地公園の東緑地と中央緑地がありますが、この場所には大東亜戦争の終戦まで海軍の
こんにちは(*>ω<*)ゞ前回の「還って来た紫電改7月24日豊後水道上空」から続きます『還って来た紫電改7月24日豊後水道上空』こんにちは(*ωameblo.jp2025-10-24゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚…ameblo.jp゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・フィリピン、台湾、沖縄からほぼ等距離の西太
戦時中、岩国市には海軍航空隊や陸軍燃料廠の軍事施設、民間においては航空機部品を製造する帝人航空機工業、航空揮発油を製造する興亜石油麻里布製油所などの軍需工場がありました。内地の空襲が本格化した昭和20年、岩国は大小9回の空襲を受けることになりましたが、その内大きな被害を蒙ったのは以下の4回でした。(被害の数字は「岩国市史」による)***************************************◎5月10日:陸軍燃料廠、興亜石油麻里布製油所に対する空襲被害は全壊家
こんにちは長崎旅行記の続きです。『夏休み長崎旅行①/出発〜ハウステンボス』こんにちは今年の夏休みは、九州長崎へ5泊6日の旅夫も入れて飛行機の旅行って、実は初めてで(飛行機の距離は、いつも母と娘)荷物持ってもらったり、レンタカーの運転…ameblo.jp『夏休み長崎旅行⑦/島丸ごとリゾートi+Landnagasaki』こんばんは長崎旅行記の続きです。『夏休み長崎旅行①/出発〜ハウステンボス』こんにちは今年の夏休みは、九州長崎へ5泊6日の旅夫も入れて飛行機の旅行って、実は初め…ameblo.
南岩国駅からほど近い愛宕山地域には、終戦間際に設けられた海軍の地下工場がありました。簡単に説明をしていきます。大正10年(1921)、海軍は広島県広村(現呉市)に「呉海軍工廠広支廠」を開設、2年後には「広海軍工廠」として独立し、航空機の生産・開発に主軸を置いた工場となりました。大東亜戦争開戦直前の昭和16年(1941)10月には、航空機部を改編する形で「第十一海軍航空廠」が設置され、戦時下において航空機・発動機等部品の生産、整備、修理、補給を担いましたが、昭和20年5月5日の空襲で
[民間防空壕]屋敷余り特殊地下壕(赤猫洞)大分県臼杵市大字福良字屋敷余り標高18mの福良天満宮の真下、収容人数は300人以上の巨大な民間防空壕。しかも2層構造の素掘り、出入口は6ヶ所で爆風避け構造。内部に上下を行き来するためのS状スロープがある。現在に至るまで崩落は出入口の一箇所のみ、壕内の落盤は無い。下層:各部屋10畳程度の部屋が7室、厠・烹炊所等臼杵川の対岸の平坦地(市浜地区・平清水地区)居住者向け、隣保班単位(規模は10戸内外)で利用したと伝える。上層:大部屋の周囲に相
そろそろ涼しめになってきてますが、この秋っぽい期間ってほんの僅かですぐまたライダーに厳しい激寒時期になっちゃうんですよねえ四季なんて無くなってるじゃん、と文句を言いつつ今回は廃墟系ではなく遺跡系を巡るツーリングと相成った。まずはいつも通りの準備冒頭では涼しいなんて言ってましたがこの日は33℃くらいまでになったはず。まだまだ暑かった。ここから北に向かう途中でダムで小休止。ここは十王ダム。バイカーは割と訪れる場所みたいです。さすがに猛暑小雨の影響で水かさが減って
[沖縄戦]タキノウノ壕(佐敷村役場壕)沖縄県南城市佐敷佐敷戦時中、佐敷村役場関連書類などの緊急避難場所として使用された民間壕。地下壕は3ヶ所あるらしいが、タキノウノ壕はそのひとつ。この避難壕には奉安殿(室)らしきものは無い、と思う。タキノウノ壕へは、佐敷グスク内「月代宮」の右脇の二叉路(交差点道路脇に「タキノー御嶽」への遥拝所)を右、すぐに左のコンクリート階段の道(貯水タンクより手前)から入っていく。この道はタキノー御嶽に通じているためか、有志によって整備されていた。出典:奈良文
今日は防府市上右田の熊野神社を訪れます。二の鳥居から参道を歩きます。しばし歩くとキリシタン灯籠が置かれています。説明書きさらに進むと縁結びの御神木があります。拝殿が見えてきました。まずは参拝由緒とご祭神今回紹介する「外征紀念碑」は、拝殿右手の出雲社の手前に建てられています。題字の揮毫は、従五位男爵毛利祥久(よしひさ)です。江戸初期に毛利氏の庶流として右田一帯を領地としたのが右田毛利家です。毛利祥久は当家の13代当主で、明治中期に
下関要塞火ノ山砲台跡地に設けられた「火の山公園」は、2024年10月から再編整備工事が行われています。工事開始以降山頂一帯は立入禁止でしたが、2025年11月21日にアスレチックエリアが完成して供用が開始されました。今後は、今年4月23日に展望デッキの「ヒノヤマリング」、7月ごろに山麓エリアにキャンプ場がオープン予定ですが、ロープウェイに代わるパルスゴンドラは来年以降にずれ込むようです。=============火ノ山砲台の記事:[概略][第一(発掘)][第一][第二][第三][第四