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「唐古・鍵遺跡史跡公園」(その2)~知ってるようで知らない唐古・鍵遺跡~|高坂正澄唐古・鍵遺跡⇓ムラの大きさは直径400~500mあったという(①「遺跡史跡公園」の現地説明板)前記事⇓唐古・鍵遺跡史跡公園⇓史跡公園のゾーニング(①「遺跡史跡公園」の現地説明板)※章立て(目次)は公園園路を右回りに行くと遭遇するゾーニング順。(その2)6多重環濠エリア弥生ムラを囲んだ環濠群このエ…note.com1936~37年、国道24号を造る際にこの池底の土が使われました。
〜長崎2026GW旅⑲〜鹿児島空港へ〜値段に驚いたガソリンスタンド〜はとやかるかんあんぱんの魅力〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑲知覧茶屋にてランチわ食べたら知覧を離れて、鹿児島空港へ向かいます。真っ直ぐ続く長い道を抜けて、高速道路へ。鹿児島空港まで48kmとなったところで見えてきたのは桜島。やっぱり大きいなあ。いよいよ、溝辺鹿児島空港インターに到着。インターからは、数分で鹿児島空港が見えてきます。外から見ると、真っ白で存在感ある建物です。ガソリン価格には、びっくりし
かつて歩兵第二連隊が駐屯していた佐倉に、このようなものが残されている。新人兵が高所から飛び降りる訓練を行なう為の12階段。高さは3mあるか、無いかぐらい。当時のスタンダードは木製の飛び下り台だったが、これはコンクリート製だから、壊すのが大変なので残ったそうだ。国内の戦争遺跡を訪れて、矛盾を感じることがある。急拵えのわりに、設計者のこだわりというか、そういう御時世ほど省略されそうなデザイン性が逆に活かされているから。よく見ると、あれ~?って。単なる練習用の台なのに凝ってるわ~。戦争
今日8月15日、日本人が忘れてはならない日、終戦記念日です。本日付けの東京新聞に、同紙の記者と一緒に回った鎌倉、江ノ島の本土決戦陣地遺構の記事が掲載されました。無料登録すると読むことができます。〈つなぐ戦後81年〉観光地にも刻まれた戦跡北鎌倉・江の島・稲村ケ崎などを訪ねて研究家・佐藤さん「終戦間際の出来事考える機会に」:東京新聞デジタル神奈川県内有数の観光地の鎌倉市や藤沢・江の島にも、太平洋戦争末期の軍事施設の痕跡がある。15日は終戦の日。省みられることが少なくなった...ww
〜長崎2026GW旅⑲〜特攻の母〜鳥濱トメの店『知覧茶屋』でランチ〜〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑲知覧特攻平和会館から出た後は、駐車場へ戻り知覧平和公園内を少し歩きます。そろそろお腹が減る時間、お店は数件ありますが混んでいて、なかなか入るのに時間がかかりますがこの日は奇跡的に待ち時間がそんなにかからずに入ることができた、知覧茶屋。特攻の母と呼ばれた鳥濱トメが営んでいた富屋食堂の味を引き継いだお店です。資料館として完全復元された富屋食堂は知覧特攻平和会館から少し離
[東清鉄道東線]牡丹江②トーチカ黒龍江省牡丹江市海林市(満州に於ける関東軍が、対ソで大規模な防御戦を行ったのは、虎頭要塞(第15国境守備隊)と牡丹江防衛戦のみ)出典:MilitaryHistorySectionoftheHeadquarters,ArmyForcesEast.“RecordofOperationsagainstSovietRussia,EasternFront”牡丹江市内には駅が3つあった東清鉄道時代1901年(19
もう8月も半ばできょうは迎え盆です。最近私のブログは息も絶え絶えですが、本人はまだ大丈夫です。夏休みに入り、相変わらず目まぐるしい日々ではあります。終戦の日も間近ということもあり、戦争について話題にされるこの頃です。毎年この8月とパールハーバーの12月になると、定番のように太平洋戦争が語られます。当たり前ですが、それを単なるマスコミの定番報道のように捉えたくはないものです。戦争を知らない世代として涼しい顔をしているわけにはいかないのです。まだ戦争体験者の方はいらっしゃいます
〜長崎2026GW旅⑰〜知覧特攻平和会館〜特攻隊員たちの遺品や遺書〜〜平和の尊さを語り継ぐ町〜知覧〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑰早朝6時、宿泊先の鹿児島市内を出発してから向かった先は南九州市知覧町。1時間弱で到着した後は、知覧特攻平和会館から少し離れた場所にある、戦争遺跡を見て回りました。その後は、武家屋敷庭園群まで足を延ばし9時の開館に間に合うよう、知覧特攻平和会館へ戻りました。途中、すごく大きな学校が見えたので、近くに行ってみると、高校でした。『薩南工業高等学
西原町の給食センター側に残る西原村役場壕です。昭和19年6月ごろに作られたようで、県内の壕作成としては初期の時期だと思います。壕には、戸籍簿などのほか役場としての書類や重さ1トン程の金庫も同時に入れてあったそうです。壕は、役場書類などの保管場所としての役割がほとんどで、役場事務は、「毎朝出勤すると役場壕から書類を持ち出して事務を行い、夕方再び書類を壕内に運んで保管するという日課だった。」と説明書きがありますので、米軍の本島上陸の昭和20(1945)年
■私が実家に住んでいた若い頃、"戦争"が家庭内で話題に上ることはほとんど無かった。親父は教員だったからか招集されていない。だから戦争で亡くなった家族もいなかった。たまに戦争の話が出ても、ひと回り年上の長兄や次兄が、空襲があった時の“少年の冒険話”を面白おかしく語る程度だった。ふたりの兄たちは終戦当時10歳前後だった。また、空襲といっても都市部と違い田舎だったから、焼夷弾により集落が焼き尽くされる・・・といった被害も無かった。その兄たちもここ数年で相次いで亡くな
[東清鉄道東線]牡丹江①満鉄社宅黒龍江省牡丹江市(興平路と東が天安路、西祥倫街と南が西新繁)*後日、加筆します満洲鉄道駅名一覧(1940年~1945年)出典:満洲鉄道駅名一覧1940年~1945年、一部抜粋1901年(1903年説もあり)に東清鉄道の開通に伴い開業した牡丹江駅は、現在の牡丹江駅の少し南(牡丹江工人文化宮の付近)につくられた五等駅。昭和8年(1933年)、牡丹江と図們とを結ぶ満州国鉄図寧線(現在の図佳線)が着工。北満鉄路(旧東清鉄道)牡丹江駅の約1キロ北側に寧
〜長崎2026GW旅⑯〜薩摩の小京都「知覧」を代表する美しき町並み〜〜知覧武家屋敷庭園群を訪ねて〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑯早朝、知覧の戦争遺跡を回った後は知覧武家屋敷庭園群へ。薩摩の小京都、知覧を代表する麓地区。南九州市役所の近くで数十分で行ける距離にあります。駐車場に車を停めてあること数分。紅葉の時は、特に綺麗だろうな、と思います。いちょうの木の前を通ったらメインの入口へ。早朝だからか、誰もいなかったです。『旧西郷庭園』から始まり、のんびりゆっくり回る
〜長崎2026GW旅⑮〜戦争遺跡⑤出撃する特攻隊員たちを見送った場所〜なでしこ隊見送りの地を訪ねて〜長崎2026年のGWは九州を旅しました⑮知覧特攻平和会館周辺の戦争遺跡を訪ねて①特攻隊発進の地、②戦闘指揮所、③三角兵舎跡④掩体壕を見て向かったのは通信隊跡地です。爆破されたため、痕跡はなく石碑が建てられています。特攻機との無線の受信や各飛行場との連絡を行っていたそうです。⑥なでしこ隊見送りの地です。パンフレットを見ながら、どこなのだろうと数回行ったり来たりを繰り返しまし
おはようございます、たけちです。2026年・令和8年8月9日日曜日みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは、昨日から広島でお盆休暇を満喫中福岡県も暑いけど、広島もなかなかの暑さ熱中症に気をつけつつ、今日は久しぶりの大和ミュージアムに行ってきます。さて、今日は沖縄県の名城浦添城について紹介します。『沖縄残城回収記後編』おはようございます、たけちです。2026年・令和8年8月2日日曜日みなさん、いかがお過ごしになりますか?筑後市近郊は今日も明日も暑さは絶
〜長崎2026GW旅⑭〜戦争遺跡④爆弾等の爆風から飛行機守る〜掩体壕長崎2026年GWは九州を旅しました⑭知覧特攻平和会館周辺の戦争遺跡を訪ねて。①特攻機発進の地②戦闘指揮所跡③三角兵舎跡の後に見に行ったのは④掩体壕です。空襲の標的だった飛行場では、機体はすぐに掩体壕の中に格納され、近くに爆弾が落ちた時でもその爆風から機体を守ることができたそうです。駐車場に車を停めて、周りを歩きます。下からはよく分かりませんでしたが上から眺めることも出来るようになっていて上がってみる
[東清鉄道東線]横道河子駅③ヨキンスク教会黒龍江省牡丹江市海林市横道河子鎮昭和20年(1945年)年8月8日、ソ連対日参戦(ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告)により、満洲国もソ連軍の侵攻を受けて関東軍等の守備陣地を突破され、戦況を立て直すことができず次々と降伏した。武装解除した関東軍将兵・在満洲日本人居留民の青少年義勇兵などが捕虜となりシベリアに抑留された。北満地域において横道河子駅は、シベリアに送られる日本人捕虜の「集積地」となり、ウラジオストク方面に列車輸送された。
横川から広島バスセンターで下車し、8月6日午前8時15分原爆ドーム前にて黙祷。荷物検査後、リストバンドを付けていただき、平和記念公園内へ。平和の鐘を鳴らし、平和記念式典に参加しました。昨年のこの時期、原爆ドーム周辺の元小学校を博物館にした2館を回った事を思い返しながら式典の中での、広島の小学生のスピーチに涙が止まらなくなった朝。当時の子供達が、子供に限らず大人も、激しい苦しみのうちに亡くなった方々も、生き延びてもなお身体と心に大き過ぎる傷を抱え続けた方々も、どん
[東清鉄道東線]横道河子駅②機関車庫黒龍江省牡丹江市海林市横道河子鎮東清鉄道本線は、満州里〜細鱗河工事は1898年(明治31年)6月より、中間点のハルビンから東(綏芬河)と西(満州里)の両方向に向けて始まった。ハルビン〜綏芬河(現在の浜綏線)1901年(明治34年)工事完了、同年11月14日より臨時営業ハルビン〜満州里(現在の浜洲線)1902年(明治35年)工事完了し、同年1月14日より臨時営業開始東清鉄道本線の全線開通は1903年(明治36年)7月14日東支鉄道(昭和3
〜長崎2026GW旅⑬〜知覧飛行場〜戦争遺跡を訪ねて〜③三角兵舎跡〜〜特攻隊員たちが寝起きした場所〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑬知覧特攻平和会館の建物の脇には復元された三角兵舎が建てられています。特攻隊員たちが寝泊まりをした場所で会館時間内であれば、中を見ることも出来て当時の様子を感じ取ることが出来るのですが約1km離れた場所で、実際に三角兵舎があったという跡地を見ることが出来、行って来ました。駐車場に、車を停めて長く続く階段を上がって行きます。早朝、朝日に照ら
[東清鉄道東線]横道河子駅①東清鉄道専門家宿舎など黒龍江省牡丹江市海林市横道河子鎮昭和20年(1945年)年8月8日、ソ連対日参戦(ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告)により、満洲国もソ連軍の侵攻を受けて関東軍等の守備陣地を突破され、戦況を立て直すことができず次々と降伏した。武装解除した関東軍将兵・在満洲日本人居留民の義勇兵などが捕虜となりシベリアに抑留された。北満地域において横道河子駅は、シベリアに送られる日本人捕虜の「集積地」となり、ウラジオストク方面に列車輸送された
[東清鉄道東線]一面坡駅②東清鉄道宿舎など黒龍江省哈爾浜市尚志市東清鉄道本線は、満州里〜細鱗河工事は1898年(明治31年)6月より、中間点のハルビンから東(綏芬河)と西(満州里)の両方向に向けて始まった。ハルビン〜綏芬河(現在の浜綏線)1901年(明治34年)工事完了、同年11月14日より臨時営業ハルビン〜満州里(現在の浜洲線)1902年(明治35年)工事完了し、同年1月14日より臨時営業開始東清鉄道本線の全線開通は1903年(明治36年)7月14日東支鉄道(昭和3年当
[東清鉄道東線]一面坡駅①鉄道警備隊司令部庁舎など黒龍江省哈爾浜市尚志市東清鉄道本線は、満州里〜細鱗河工事は1898年(明治31年)6月より、中間点のハルビンから東(綏芬河)と西(満州里)の両方向に向けて始まった。ハルビン〜綏芬河(現在の浜綏線)1901年(明治34年)工事完了、同年11月14日より臨時営業ハルビン〜満州里(現在の浜洲線)1902年(明治35年)工事完了し、同年1月14日より臨時営業開始東清鉄道本線の全線開通は1903年(明治36年)7月14日東支鉄道(昭
今日は宇部市東岐波の「丸尾三神社」を訪れます。「丸尾三神社」はその名の通り3神を祀る神社で、三方を海に囲まれた場所に建っています。今は陸続きですが、おそらく昔は島だったのではないかと思われます。由緒書き。三神社は海の神様ですが、日清、日露、大東亜戦争終結まで弾除けの神として、出征兵士の武運長久と命の安全を祈る家族の人々が県内外から参拝に来られていたようです。参道...ではなく遊歩道がぐるり一周する形で設けられています。海に向けて鳥居があります。正面には丸尾
いらっしゃいませ。スナック・ルミです。本日は、いつものように笑って毒を吐いて終わり――とは、ちょっといきません。熊本を中心とした九州で大きな地震があり、オルトさんの旧友も、八代のライブハウスで間一髪の被災をされたそうです。水も電気もない中での酷暑。被災された皆さまに、一日も早く日常が戻ることを願っています。そして今回、公式ブログでは、昨年の熊本旅行記を再掲載することになりました。熊本城。サウナーの聖地「湯らっくす」。水害から復興してきた人吉。そして八代。好きだか
室積岩屋にある室積照聴所は、光海軍工廠の防空を目的として設営された、太平洋戦争時代の軍事施設です。来襲する米軍の爆撃機のエンジン音を聴音機で聞き取り、探照燈で照射・追尾、更に情報を砲台へ伝達し高角砲の砲撃をサポートするのが主な役割でした。戦争末期、光市には工廠内の光砲台(現日本製鉄敷地内)の他に虹ヶ浜砲台(現虹ヶ丘公園)と新宮砲台(通称砲台山・見学可)が稼働していました。▲昭和22年照聴所付近の航空写真(国土地理院USA・M114・42・1947/03/12より)▲光市コ
[東清鉄道東線]二道河子駅(平山駅)黒龍江省哈爾浜市阿城区平山鎮日清戦争後の明治29年(1896年)、清国は帝政ロシアと露清密約(李=ロバノフ条約)を結ぶ。仮想敵国の日本を念頭においた相互防御同盟ではあったが、帝政ロシアの満洲における権益を大幅に認めさせている。東清鉄道本線Китайско-Восточнаяжелезнаядорога、КВЖДそのひとつが、清国が帝政ロシアに認めたシベリア鉄道から分岐した支線(北満州を横断してウラジオストクに連結する鉄道)=東清鉄道本線の
アニメの「これ描いて死ね」、すごい好き〜美術館でみつけたチラシ水木しげるファンなので苦手な東京でも行かねばなりません。。無料、撮影禁止。内容もジオラマも最高級!麻酔なしで手術されてる人形があったり、、生々しい戦場病棟の姿、後方の看護婦たち、様々な事がわかりました、さすが東京おすすめしますお土産に絆創膏をくれました撮影禁止ゾーンだけで東京に来るのはありえないので、靖国神社にきました。想像よりすごかった!!びっくりした(お上りさん)真ん中の参道の右側にも通路があり、木陰
[東清鉄道東線]阿城地区(阿什河駅)黒龍江省哈爾浜市阿城区阿城(Āchéng)現在の黒竜江省ハルビン市(哈爾濱市)、浜綏鉄路の沿線に位置する。元明代を通してここは女真族の居住地であり、阿勒楚喀城とよばれる城郭都市があった(今の旧市街)。1909年に「阿城県」に昇格、中華民国時代、満州国時代を経て、1987年にハルビン市に編入され、2006年にハルビン市阿城区となった。清国時代(1777年)に建てられたイスラームの阿城清真寺、満州国時代に建てられた神社、帝政ロシア時代の製糖工場な
[東清鉄道西線]松花江鉄橋とトーチカ黒龍江省哈爾浜市日清戦争後の明治29年(1896年)、清国は帝政ロシアと露清密約(李=ロバノフ条約)を結ぶ。仮想敵国の日本を念頭においた相互防御同盟ではあったが、帝政ロシアの満洲における権益を大幅に認めさせている。東清鉄道本線Китайско-Восточнаяжелезнаядорога、КВЖДそのひとつが、清国が帝政ロシアに認めたシベリア鉄道から分岐した支線(北満州を横断してウラジオストクに連結する鉄道)=東清鉄道本線の敷設権。・
[満ソ国境]黒河要塞(北門鎮陣地)黒竜江省黒河市世界第8番目の大河・黒龍江(アムール河/中国とロシアの国境線は358キロ)。黒河と対岸のロシアのブラゴベシチェンスク市(アムール州の州都)の川幅は750メートルだが、橋は架かっていない。**河川を介しての対応都市は黒河だけで、対岸のブラゴベシチェンスクの北辺にはシベリア鉄道が通っている。関東軍の北辺鎮護計画昭和6年9月18日の柳条湖事件〜満州事変(918事変)を契機とし、政府・陸軍中央の国策が関東軍の強硬策に引きずられた結