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府中市「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕」特別公開令和8年11月3日(祝日)10:00〜16:00荒天中止申込不要府中市白糸台2-17番地(アクセス西武多摩川線「白糸台駅」・京王線「武蔵野台駅」徒歩5分)解説10:00/11:00/14:00学芸員による解説最終更新日:2026年10月8日https://x.com/garaguda/status/2110113347157053573?s=46「市史跡旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕しらいとだいえんたいごう」は、太平洋戦争
[豊予要塞]高島砲台:高島第1砲台(未達)大分県大分市佐賀関豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)は海峡幅12.4km、瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、大正9年に豊予要塞の建設が決定された。出典:陸軍省築城部「現代本邦築城史」第2部第16巻、昭和18年豊後水道(海峡幅12.4km)のほぼ中央に位置するのが高島。陸軍はここに3つの砲台を設置している。出典:浄法寺朝美「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」p.272より抜粋昭和16年1
[豊予要塞]高島砲台⑥高島第3砲台観測所大分県大分市佐賀関*2026.10.3追記豊後水道(海峡幅12.4km)のほぼ中央に位置するのが高島。ここに3つの砲台が設置された。出典:浄法寺朝美「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」p.272より抜粋高島第3砲台起工:昭和8年9月12日竣工:昭和9年6月30日任務:佐田岬南方海面より速吸瀬戸(豊予海峡)に対する敵艦の動作を妨害し其の航通を杜絶す。備砲:防楯付斯加式12cm速射加農砲×4門(対馬要塞大平低砲台より移設)標高:1
[豊予要塞]高島砲台⑤高島第3砲台大分県大分市佐賀関豊後水道(海峡幅12.4km)は瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。大正年間に航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、豊後水道に豊予要塞の建設が決定された。豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)の中央の高島、愛媛県側の佐田岬、大分県側の鶴見崎と芹崎(昭和6年以降)に砲台を設置した。大正15年8月1日時点の豊予要塞配備出典:「独立混成第118旅団歴史」アジア歴史資料センター(C14060991400)、大正15.8.1~昭
[豊予要塞]高島砲台④地下発電所大分県大分市佐賀関豊後水道(海峡幅12.4km)は瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。大正年間に航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、豊後水道に豊予要塞の建設が決定された。豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)の中央の高島、愛媛県側の佐田岬、大分県側の鶴見崎と芹崎(昭和6年以降)に砲台を設置した。大正15年8月1日時点の豊予要塞配備出典:「独立混成第118旅団歴史」アジア歴史資料センター(C14060991400)、大正15.8.1〜昭和2
[豊予要塞]高島砲台③弾薬支庫大分県大分市佐賀関豊後水道(海峡幅12.4km)は瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。大正年間に航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、豊後水道に豊予要塞の建設が決定された。豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)の中央の高島、愛媛県側の佐田岬、大分県側の鶴見崎と芹崎(昭和6年以降)に砲台を設置した。大正15年8月1日時点の豊予要塞配備出典:「独立混成第118旅団歴史」アジア歴史資料センター(C14060991400)、大正15.8.1〜昭和20
[豊予要塞]高島砲台②高島第2砲台大分県大分市佐賀関豊後水道(海峡幅12.4km)は瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。大正年間に航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、豊後水道に豊予要塞の建設が決定された。豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)の中央の高島、愛媛県側の佐田岬、大分県側の鶴見崎と芹崎(昭和6年以降)に砲台を設置した。大正15年8月1日時点の豊予要塞配備出典:「独立混成第118旅団歴史」アジア歴史資料センター(C14060991400)、大正15.8.1~昭
[豊予要塞]高島砲台:高島第1砲台(未達)大分県大分市佐賀関豊後水道(豊予海峡/速吹瀬戸)は海峡幅12.4km、瀬戸内海の西南に於ける重要な出入口。航空機、潜水艦の出現により海洋砲台構築要項が定まり、大正9年に豊予要塞の建設が決定された。第1期工事(大正10年〜昭和5年)高島第1、高島第2、愛媛県側の佐田岬第1・佐田岬第2・佐田岬第3・佐田岬第4、大分県側の鶴見崎に丹賀(砲塔砲台)。第2期工事(昭和6年以降)高島第3、大分県側の佐賀関に芹崎、沖ノ島に野戦砲台、由良岬など大正
[広島湾要塞]大空山堡塁/[呉海軍警備隊]砲台山(大空山)応急高角砲台広島県呉市阿賀町(大空山公園)砲台山(大空山)応急高角砲台竣工:昭和20年1月(工事は昭和19年秋〜)場所:大空山堡塁敷地内、観測所の南東側の尾根上備砲:(陸軍)88式7cm野戦高射砲×6門任務:広工廠などの防空警務その他:90式航速測定器×1組、97式2m高角測距儀付属品補用品共×1組、96式管制器×1組(仮設)、仮称4号3型改一電波探信儀(L2)×1(未装)大東亜戦争末期の昭和19年秋(11月より前
昨日は二度目の鶉野飛行場跡に建つミュージアム「soraかさい」へ行って来ました。「soraかさい」は、兵庫県加西市にある戦争の歴史や平和について学ぶことが出来る地域活性化拠点(ミュージアム)で、実物大模型「紫電改」が展示されてます。紫電改は太平洋戦争末期に大日本帝国海軍が開発・運用した最後の傑作戦闘機。今回2度目の再訪で、前回は7月に訪れてました。今回訪れた理由は、通常「紫電改」は屋内展示されてますが、月一程度の頻度で屋外展示日があります。昨日は屋外
[西宮海軍航空隊神風神社]キ27プロペラ・特設掃海艇の錨兵庫県西宮市上ケ原山田町4ー93西宮海軍航空隊開隊:昭和19年3月15日、三重航空隊西宮分遣隊の練習航空隊(甲種予科練生)→同年8月15日に滋賀空の分遣隊に所属替え→昭和20年3月に西宮海軍航空隊として独立、(第24練習連合航空隊に編入)→同年6月に大阪警備隊西宮分遣隊に改編→同年6月30日に解隊本部:関西学院西宮上ケ原キャンパスの校舎、グラウンドを借用神社:隊内神社として関西学院の敷地内にあったが、敗戦後、焼却寸前に住民の
2026年8月22日・・・WESTERポイントで広島に降り立ち、広島から観光列車etSETOraに乗って尾道まで電車旅を楽しんだ後尾道から大久野島へ行くため同じ呉線を在来線で戻る~~~パシャリ♪観光列車etSETOraでこの写真が撮りたかったけど海側席じゃなかったので在来線で海側席に座って復習写真しました~~巨大鉄塔が目印の大久野島♪あっという間に忠海駅♪駅の看板にもウサギが!無人駅デス。アオハタジャムも気になるけど黒滝山の山頂を拝んで
八重瀬町の具志頭城跡の真下にある「クラシンウジョウ壕です。自然洞窟を利用して作られた沖縄戦時の壕です。遥か昔は、地域の風葬の場所とも伝えられています。ぽっかりと地中へ入る穴が開いています。岩山の間を進むと二つ目の同じような穴があります。5年ほど前に、地元NPO法人の戦史教育で中に入ったことがあります。中は、天井が高くて奥も深い鍾乳洞に、人の手を加えてありました。二つの穴がある岩山の反対側には、港川方向を望
毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。まずは先日の出来事の報告先日、岩手方面を回ったのですが、そこでレアな野生動物に遭遇しました。このブログでは国指定文化財を紹介しているので、特別天然記念物のその動物を紹介します。ニホンカモシカです。特別天然記念物ニホンカモシカ前回、岩手県に来た際も遭遇しているので、今回は2度目の遭遇です。こんな里山でレアな野生動物を見ることができるのは自然豊かな場所として羨ましくもあるので
鳥取県米子市の粟嶋神社に訪れる。由緒書き。境内に砲身を立てた忠魂碑がある。砲弾が台石に4個、砲身の上に1個乗っている。銘板には彦名地区戦没者の芳名と忠魂碑の沿革が刻まれている。昭和九年五月忠魂碑建立昭和四十三年八月合祀平成十二年九月平成の大修理彦名地区戦没者九十六柱銘板は修理後に掲示されたようだ。彦名地区とあるが、昭和9年当時この一帯は彦名村だった。明治22年の町村制施行により彦名村が発足して西伯郡に属したが、昭和29年に米子市に
そしてローバーの今回イチバンの目的地だった。松代地下壕を訪れました。長野市広報より象山地下壕の引用松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大
先月(8月)14日付け毎日新聞の神奈川版はご覧になりましたか。海上自衛隊が取得した田浦の関東自動工業跡地に残る地下壕が報道陣に公開されたという記事ですが、私も参加させていただきました。有難い事に、水雷神社の跡を含めかなり広範囲に見学できました。海自が土地取得、横須賀の防空壕公開総距離1700メートル|毎日新聞海上自衛隊横須賀地方総監部は、神奈川県横須賀市田浦港町の旧関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)本社裏の防空壕(ごう)を報道陣に公開した。隣接する海自が2月27日、土地を取
[満ソ国境]東寧要塞勲山陣地⑤観測所と山頂付近黒竜江省牡丹江市東寧市三岔口鎮東寧要塞勲山陣地備砲:45式24cm榴弾砲×2門(砲座は3門分)部隊:関東軍第3軍直属東寧重砲兵連隊第1中隊(満州第390部隊/岩26709)放棄:昭和20年春以降・・勝鬨陣地に集結昭和20年(1945年)8月9日のソ連侵攻時、陣地周辺には1コ小隊しかおらず、放棄・占領の様子はわかっていない。出典:林万直編「阿城重砲兵聯隊史」1992.12大型の重砲だが分解→陣地変換は一応可能。ただし、将兵4
[満ソ国境]東寧要塞勲山陣地④中枢部②黒竜江省牡丹江市東寧市三岔口鎮東寧要塞勲山陣地備砲:45式24cm榴弾砲×2門(砲座は3門分)部隊:関東軍第3軍直属東寧重砲兵連隊第1中隊(満州第390部隊/岩26709)放棄:昭和20年春以降・・勝鬨陣地に集結昭和20年(1945年)8月9日のソ連侵攻時、陣地周辺には1コ小隊しかおらず、放棄・占領の様子はわかっていない。出典:林万直編「阿城重砲兵聯隊史」1992.12大型の重砲だが分解→陣地変換は一応可能。ただし、将兵45名で設
8月29日付け神奈川新聞一面は横浜市の問題かながわの戦争遺跡のページ令和も続く米軍接収6年間、神武寺の駅から米軍の弾薬庫をみつめ通学してずっと戦争の風景のままだったけれど長い長い返還運動の末に2014年に日米共同使用が認められ半分は米軍住宅半分は池子の森自然公園池子の森自然公園も毎日開放されないようで神武寺の駅から8分半分返還されて神武寺駅に新しい出口ができても米軍関係者しか利用できない「米海軍口」半分は解放されても米軍接収はつ
[満ソ国境]東寧要塞勲山陣地③中枢部①黒竜江省牡丹江市東寧市三岔口鎮東寧要塞勲山陣地備砲:45式24cm榴弾砲×2門(砲座は3門分)部隊:関東軍第3軍直属東寧重砲兵連隊第1中隊(満州第390部隊/岩26709)放棄:昭和20年春以降・・勝鬨陣地に集結昭和20年(1945年)8月9日のソ連侵攻時、陣地周辺には1コ小隊しかおらず、放棄・占領の様子はわかっていない。出典:林万直編「阿城重砲兵聯隊史」1992.12大型の重砲だが分解→陣地変換は一応可能。ただし、将兵45名で設
お盆休みは長崎へ帰省。あまり写真を撮っていられるような日程でもなく、市街に出たのは一日だけでした。せっかくの夏の長崎だったので、街に刻まれた戦争の記憶と平和について、あらためて見学してきました。原爆の爆心地がある平和公園から、西に向かってトコトコ歩く。朝から暑い。。。爆心地から距離500m弱、この坂を上がったところに半円窓のある建物「城山小学校平和祈念館」があります。祈念館は小学校の敷地内にあります。今は城山小学校ですが、1923年の創
[満ソ国境]東寧要塞勲山陣地②探照灯座と居住区など黒竜江省牡丹江市東寧市三岔口鎮東寧要塞勲山陣地備砲:45式24cm榴弾砲×2門(砲座は3門分)部隊:関東軍第3軍直属東寧重砲兵連隊第1中隊(満州第390部隊/岩26709)放棄:昭和20年春以降・・勝鬨陣地に集結昭和20年(1945年)8月9日のソ連侵攻時、陣地周辺には1コ小隊しかおらず、放棄・占領の様子はわかっていない。出典:林万直編「阿城重砲兵聯隊史」1992.12大型の重砲だが分解→陣地変換は一応可能。ただし、将
[満ソ国境]東寧要塞勲山陣地①4つの開口部黒竜江省牡丹江市東寧市三岔口鎮(満州に於ける関東軍が、対ソで大規模な防御戦を行ったのは、虎頭要塞(第15国境守備隊)と牡丹江防衛戦のみ)1932年(昭和7年)3月1日、満洲事変により日本軍が占領した満洲(中国東北3省、内蒙古と熱河省)を領土として、日本の傀儡国家「満州国」が成立した。日満協同防衛の基本確立を行い、9月に日満議定書が取り交わされた。翌年、この満州国とソ連の満ソ国境沿いの山岳地帯に軍事要塞群「国境築城」を設置を決定し、翌1934
Yahoo!ニュースより転載。被爆者が守った広島の「声なき証言者」、「旧陸軍被服支廠」は国の重要文化財に…「第二の平和資料館にしたい」8/14(金)11:21配信旧広島陸軍被服支廠の保存活動に取り組んできた内藤達郎さん。建物は耐震工事が進む(7月9日、広島市南区で)=渡辺恭晃撮影被爆者らの活動で解体を免れ、保存が決まった戦争遺跡が広島県にある。軍服などの製造工場だった旧広島陸軍被服支廠(ししょう)(広島市南区)。1945年8月6日の原爆投下後、大勢のけが人を受け入れる臨時救護所に
石岡市東府中掩蔽壕群(ひがしふちゅうえんぺいごうぐん)を視察してきました。今日、足を延ばして石岡市八軒台で発掘調査が行われている、太平洋戦争の末期に整備された東府中掩蔽壕群(ひがしふちゅうえんぺいごうぐん)3号掩蔽壕を視察してきました。先日(8月8日)、現地説明会があったのですが、所用で行けず、今日出向きました。丁度、昼頃に到着しましたが、現地で発掘調査を指揮する茨城県教育財団の調査員に説明案内をしていただき恐縮しています。現地は、現在国道6号線沿いにある石岡警
〜長崎2026GW旅㉑〜旅の終わりにむらさきいもソフトクリーム🍦〜〜これ買わなきゃ帰れない手土産〜長崎2026年GWは九州を旅しました㉑長崎県から鹿児島県に向かった旅は、南さつま市で万世特攻平和祈念館や吹上浜などを訪ねた後次の日には、南九州市知覧町に行き、戦争遺跡や知覧特攻平和会館をまわりました。最後は、時間が余るくらい余裕をもって空港に到着。展望デッキをプラプラお散歩したらお土産探しへ。絶対買う、物は決めています。まずは、かすたどん。ふんわりスポンジに包まれたカスタードク
[東清鉄道東線]綏芬河②ロシア街黒龍江省牡丹江市綏芬河市*後日、加筆します満洲鉄道駅名一覧(1940年~1945年)出典:満洲鉄道駅名一覧1940年~1945年、一部抜粋東清鉄道本線(東線)の最東にある国境の駅がポグラニチナヤナ(Пограничная)駅で、帝政ロシアは1897年開通のウスリー鉄道(ウラジオストク〜ハバロフスク)と、東清鉄道を接続させた。ウラジオストク駅から数えて5番目の駅になる。1897年(明治30年)8月16日:東清鉄道、起工式出典:陸軍省調査班
〜長崎2026GW旅⑳〜高さ10.5m、30㌧〜日本最大級の人物像西郷隆盛〜鹿児島空港の目の前〜西郷公園〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑳知覧から、約1時間かけて鹿児島空港に向かうとインターを降りてからまもなく、左手にそれは大きな西郷どんが見えてきます。鹿児島空港の目の前にある、その場所は『西郷公園』です。なんと、日本一の人物像、と書いてありました。それもそのはず、遠くから見ても、大分存在感あったので、納得出来ます。真下から見ても、迫力あります。外は西郷隆盛像のみ
[東清鉄道東線]綏芬河①鉄道関連黒龍江省綏芬河市*後日、加筆します満洲鉄道駅名一覧(1940年~1945年)出典:満洲鉄道駅名一覧1940年~1945年、一部抜粋東清鉄道本線(東線)の最東にある国境の駅がポグラニチナヤナ(Пограничная)駅で、帝政ロシアは1897年開通のウスリー鉄道(ウラジオストク〜ハバロフスク)と、東清鉄道を接続させた。ウラジオストク駅から数えて5番目の駅になる。・1897年(明治30年)8月16日:東清鉄道、起工式(清国との合弁会社「東清鉄