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ハイバイママ⭐️を休日に導かれるように観ました。本当に良かった…様々な立場の気持ちが痛いほどわかり、様々な立場の方が勇気を貰えるドラマに仕上がっていました。涙が1リットル近く出たんじゃないかと思うほど泣きました…泣いて欲しかったかな?泣いていいよって。我が子を置いてはあの世へ行けない母。我が子にもう一度だけ会いたい母。残した息子を心配し続けるの家族。亡くなった事に気づかないお迎えを待ち続ける5歳の男の子,....人はなぜ、死後の世界がある事を知っていても、改めて誰かに断言されな
私がこのブログを始めるきっかけですが、、治療のとき、命の危機のとき、家族との会話、先生との話し、一語一句、先生の表情までも鮮明に記憶しています。忘れないうちに、何かに残したい。と思いました。日記に書こうと思っていたのですが、私は、入院中、色々な方のブログを拝見させてもらっていました。そして、同じ急性脳症でも、薬の副作用にしても人それぞれ色々な症状があるという事。「知る」って、大事なんじゃないかな?と。知ってるのと知らないとは全然違うなぁと。。思いました。見てもなんとも思わないよう
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生から特別支援学校に転入しました病後5年、8歳笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★今日は終業式一年って本当にあっという間だなぁ…さて今週は息子の大学病院の通院がありました。(前回は1月、2ヶ月半ぶりの受診です)学校に迎えに行くとちょうど帰りの支度が終わったところだった
こんにちは今日は身体に障害のある子供、肢体不自由児が車に乗ることについてお話しさせてください一言で"肢体不自由児"といってしまうと、どこがどうなのかわかりませんよね。体の一部分だけうまく動かせない子もいれば、いろんな部分がうまく動かせない子もいます。ウチの子はというと…・右手にちょっと麻痺がある・首がすわりきっていない・腰がすわっていないという状態です。生後7ヶ月で肢体不自由児となり、まもなく2歳11ヶ月。あとちょっとで首がすわりそうなところにきていますが、てんかん発作を
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりましたある日突然息子が重症心身障害児に!息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしていますある日突然、急性脳症という病気になり…息子の場合は何万人かに1人の割合でしかみられない、かなり重篤な症例でした。急性脳症だけでなく、急性心筋炎に腎不全。他の臓器もギリギリ機能している状態。つまり、多臓器不全寸前…。手足には血が通わず、自力で呼吸もできない
1歳1ヶ月風邪から急性脳症になりました急性期の経過はこちらからどうぞ1週間ほど前から、音で誘発されるてんかん発作が出てきました前から些細な音で驚くことは沢山ありましたが、驚いたあとに1/10くらいの確率で明らかに変な動きをするように以前からてんかん波はしっかり脳波で確認できてました。脳症直後からエクセグランというてんかん薬を使っていたので発作は一度も確認できなかったのですが、1週間ほど前から音でビクって驚いた後に頭がガクンと下がる発作が出ます現在受診して、エクセ
痙攣で脳が萎縮してしまった息子理解することができなくなってしまったのです鼻のチューブからもカニューレからも解放されたとはいえ自由にトイレにも行けないストレスやこの狭い病室での息子の介護本当にストレスしかなかったのですそして介護の中で一番厳しかったのが便のオムツ交換部屋中をウロウロする息子をベッドに寝ころばせておしりを拭いて新しいオムツを履かせるという赤ちゃんの時にやっていたことでも赤ちゃんの時の
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生から特別支援学校に転入しました病後5年、7歳笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★痙攣重積型(二相性)急性脳症の発症から5年。もうすぐ8歳の息子『ブログを書く理由』2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子特別支援学級で一年間過ごし、2年生
お腹の中にある臓器(小腸,大腸,大網という膜,女児であれば卵巣,卵管)が飛び出してきて、鼠径部が腫れてくる病気を鼠径ヘルニア(脱腸)といいます。少し、日本小児医療センターの記事をお借りしながら、記事にさせてください。こどもの外科手術では一番多い病気です。発生率はこどもの1~5%とされています。原因は「腹膜鞘状突起」という腹膜の出っ張りが鼠径部に残っていることにあります。「腹膜鞘状突起」は,胎生期後半に精巣が腎臓の下あたりから、鼠径部に下降して来る時に、腹膜が鼠径部に伸びてできたもので
発症から1ヶ月で付き添い入院を開始しましたまだまだ抗けいれん薬の量は多いが、少しずつ減らしていく方針【発症から1ヶ月】頭部MRI全体的に萎縮ありでした。特に自発運動のコントロールする部分が強めに萎縮しており、歩行や食事などが厳しいかもしれないと言われ予想はしていたが号泣後に診断書では、重度萎縮で重い障害が残る予想と書かれてました特に前頭葉〜頭頂葉(前脳)萎縮が激しく、後ろの脳も萎縮はしているがほとんど分からない程度と担当医が仰ってました娘の状態(主観)・喜怒哀楽→泣きはするが
いつも朝ごはんをあまり食べたがらないちい。この日もお皿に置いたものは全て拒否。お菓子のある棚に行って要求するので、仕方なくポテチの袋を出す。ところがお皿に1枚出してあげたら激昂してお皿をひっくり返してしまった。そのあとはギャンギャン大騒ぎ。一体何が気に食わなかったのか。袋ごとよこせってこと…?私も怒ってしまったし夫もものすごくウンザリしていた。着替える時はいつものように全力で抵抗。登校時は必ず何か持っていこうとする。この日はとある音の鳴るおもちゃ。さあ行くぞというところで、
この6.7年。輝空が倒れてから半年後。輝空の姉が、小学校に入学し私はただただ必死でした。輝空くんを我が子を失った母親と気を遣われる事への回避、長女への配慮。言葉に表せない程…様々な事を想い必死にかけてきました。笑顔は少しずつ少しずつ周りの方々のお陰で本当に溢れてこれた。母親である私が少しずつ美味しいものを口にする事も、許せるようになった頃。長女の塾通いが始まりました。受験を見据え始めるとまた心が揺れ始め現実と、心深くに眠る不安との葛藤の毎日。輝空を感じながら長
発症から1ヶ月との比較です発症から2ヶ月(退院時)・喜怒哀楽→あやすと声を出して笑うようになった目が合うとニコ相変わらずすごい泣く笑ったのは発症して1ヶ月2日目頃声を出して笑ったのは発症から1ヶ月7日目恐らくですが、強い抗痙攣薬を大量に使っていてその血中濃度が0になったタイミングで感情が豊かになった気がします・嚥下→鼻管抜けたミルクは時折咽せる離乳食よく食べる(7〜8ヶ月くらい)先生が予想以上の嚥下回復スピードに吃驚してました何が何でも飯を食いたいという意志を感じる・
2017年の今日も土曜日でした。夜がほんの少し長くなりだした…そんな朝でした。通夜で泣き過ぎて枯れ果てた私は、セレモニーホールの最上階で輝空を挟んで泊まったのです。眠れるはずもない私が、その日は全身の力が抜けていました。身内も少ないしと思っていたのに400人もの方が足を運んでくださり、本当に当日はほとんど記憶がなくなっていて。あれだけ錯乱状態でいられたのも周りの方々の、支えがあったからでした。朝の光が差し掛かるその瞬間。耳元で大音量の音楽が流れ出しました…目を開くと子供達、主人は
あれからずっと私は今まで感じた事の無い『痛み』の中にいます。泣いては笑って笑っては泣いての繰り返し。そんな心の置き所に嫌気もさしてきた頃…長女のお友達ママからのメッセージ…7年ほど前からまさかの読者さんでした…そして涙がまた止まらなかった…「自分をいじめないようにともう少し…と」あぁ輝空はママの『今』を見て案じてくれてるんだな…と。泣いても泣いても何一つ変わらない。でも労りながら前進しなくてはそのお友達ママのお手紙が余りにも琴線を震わせて私の鳩尾がとてつも
孫娘、2年前の急性脳症後は移動以外であまり外に出すことはありませんが、今年度は4月から週に4日か5日、(祖)母子通園で療育園の肢体不自由児のクラスに車で通っています。規定通りに設置している普通のチャイルドシートですが、孫娘はすぐに抜け出してしまいます。肩ベルトを外して、股のベルトに片足を引っ掛けて、てこの原理で体を回転しながら持ち上げ、ビックリする程簡単に抜け出します。そういう悪知恵はものすごく働きます。いくら工夫しても、一度抜け出すのに成功したら、次は秒で抜け出します。ベルトに
2歳11ヶ月で痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子病後5年・8歳、特別支援学校小学部3年生です笑顔で元気をモットーに頑張りますまとめ記事急性期治療編★回復期リハビリ入院編★就学相談編★支援級→支援学校転入編★子どもたちは昨日から給食ありの通常運行給食ありがたい娘は新小学5年生になりました委員会活動が始まり、いよいよ高学年!って感じがしてきました。宿泊学習もあるし、友達とやりたいことがたくさんあるみたい。楽しみだねぇ娘は着々
2022.12月に娘が急性脳症を発症しました。当時はどんな文献よりも、病気を抱えながらも色んなものを乗り越えて生きていくブログを見て救われました。個人差も大きく、症例報告も少ない病気ですので少しでも情報を残して誰かのお役に立てれば幸いです。後は、自分用に娘との楽しい日常も残したいと思ってます娘は1歳1ヶ月でつかまり立ちまで出来ました病前まで健診等での指摘はありませんでした5日目で病気がわかりました。診断:二相性急性脳症(AESD)併発:敗血症、腸炎原因:風邪ウイルス(退院時に色
孫娘の元に戻って10日が経ちました戻って来た日に久しぶりに顔を見ると、手を伸ばしてこちらに寄ってくる孫娘「かわいい」と思って膝を付いて両手を孫娘の方に伸ばすと、服の袖を思いっきり掴まれ、後ろの棚の上で充電中の「タブレットを取ってくれ」でした…そして手慣れた様子でロック解除し、いつものようにソファーに座るようにと腕を掴まれ、タブレットで、シナぷしゅの以前と同じ孫娘のツボのシーンが再生↔早戻し(器用にタップできるんです)で何度もループされるのを一緒に見せられるばぁばこの2カ月間の
こんばんはハロウィンはこども病院の診察で終わってしまいました(笑)そんな今日は皆様に報告があります。3年前の10月23日私達の大切な息子が意識不明になり生死を彷徨いました。こども病院へ緊急搬送され、起きていると脳へのダメージがあるということで1週間も薬で眠らせ沢山の検査と治療を集中治療室で24時間体制で管理し私も高速道路を使って毎日1時間半ほどの道のりを通っていました。思い出すだけでいまだに涙が出そうになるあの日々から3年。ずっと結果待ちだったミトコン
ちいが2度目の急性脳症にかかったときのことについて、少し過去に遡って書いています。前回はこちら今回の病院も少し遠かったのですが、幸い規模が大きな病院で、医師や設備も充実したところでした。でも、救急車でもずっと左半身が痙攣しているので、やはり着くまでは気が気ではなかったです。30分ほどで到着し、抗痙攣薬でなんとか痙攣は収まりました。いろいろな検査をされ、気管挿管もされて集中治療室(ICU)に行くことになりました。熱は一時42度まで上がりました。インフルエンザは陰性でした。既往歴を伝
年末年始から2カ月間ばぁば休業した後、孫娘の自宅に戻ると家がまあまあ大変なことになっていて…まあ、それはとりあえず置いといて…孫娘、ばぁばが休業中の1月下旬に今まで全くなかった意識のある短い新しい発作が出現し、2月にも数回、孫娘の元に戻った3月の初旬には学校や自宅で毎日のように起こる『いきなり怯えた顔で強ばったままこちらにしがみついて来る』その発作に初めて遭遇した時には、ばぁばも本当に驚きました大体は意識もあり短いのでそのまま何事もなかったかのように直前の動作に戻りますが、
昨日から小学生の甥っ子と姪っ子が家に泊まりに来ていました(*^^*)長男は二人が大好きすぎて毎回別れ際は大号泣です車で10分の距離に住んでいるのにまるで遠距離恋愛の恋人のようなハグをしているので可愛いなあと毎回そっと見守ります(笑)大きくなっても仲良くしていて欲しいものです前回の入院生活のブログから間が空いてしまいましたが今日からまた少しづつ続きを書いていきたいと思います🌸いつもいいねを押して下さる皆様本当にありがとうございます(>_<)皆様のいいねがすご
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●2/1(金)もともと予約していた時間に病院へ行く。診察の前に採尿があったので、いつものようにコップをもらいトイレへ行く。これまではトイレに行き、「オシッコして」と言えば上手にできた息子。この日は「できない」と言った。お水を飲ませ、しばらく待ってもう一度トイレへ。3,4回繰り返したが採尿はできなかった。ただオシッコが出ないのではない。出せないんだ。そう思った。結局採尿は後回しにし、診察へ行くことになった。「さぁ
痙攣重積型(ニ相性)急性脳症により高次脳機能障害を負った息子。現在5歳、年長さんです。現在就活中(就学相談活動中)息子の就学準備①教育支援説明会息子の就学準備②特別支援学校の説明会息子の就学準備③特別支援学級の見学息子の就学準備④就学相談(1回目)息子の就学準備⑤就学相談(2回目)息子の就学準備⑥放課後デイサービス見学[2]息子の就学準備⑦娘と同じ学童はどうなのか息子の就学準備⑧就学前検診息子の就学準備⑨就学相談の判定結果息子の就学準備⑩もしも支援学校
8年前⭐️からずーっとありがとうございます。シールの先生。(チャイルドアイズ)毎年ずーっと変わらずありがとうございます。先生、あれからまた輝空は遊びに行けましたか?輝空が倒れてから、水曜日のお約束の時間にエレベーターが5階に。誰も居ないのだけど開いたのは輝空⭐️くんですね。と輝空はエレベーターの5階を押すのが好きでした。今思えば、輝空にはとても勇気の必要だった習い事。でもシールの先生⭐️だけは違いました。長女にとっても輝空にとっても、輝空の妹にとっても生まれて初めての先生です
長女が桜を撮って🌸送ってくれました。いつ見ても桜は心を潤してくれます。輝空の時『あと何回桜が見れるかな…』そんな事露ほども思わなかった。けれど今は毎年訪れるこの時期に上を向かせてくれる、心を潤してくれる、優しくも儚い桜を眺められることがとても感慨深いです。生きていると色々な事がある。我が子が倒れ、必死に立ち上がって無我夢中で子供達を育て…また一息ついた頃に無情にも胸切り裂かれそうな出来事がやって来て。なかなか苦しくて、苦しくてでも必死に耐え、今と未来を大事に紡いで
はじめましてあずさです過去にいろいろと模索し、迷走した時期もありましたが…恥ずかしいけど、それも私なので、そのままこのアカウントで書き綴っていこうと思いますついに、今スグできることから行動していこう!と、ヤル気スイッチが入りました以前からやりたいことが明確にはなっていたものの…動いていなかったヤル気スイッチがカチッと入るまで、約2年かかってしまいました(笑)私がやりたいこと。それは…息子から学び、息子と経験したことを、多くの方に伝えること!私の息子はある日突然、本当になんの前触
息子の回復を少しまとめてみました。よろしかったらご覧下さいpicuにいる時です。点滴がない時間にリハビリを入れてくださるようになりこのときは首が座っておらず自分で体を動かすことも出来ませんでした。人工呼吸器も付けています。リハビリ用の椅子です。少しづつ小さなリハビリを重ね首はまだ座ってないですが椅子に座るリハビリもはじめました。椅子に座るだけで全身に力が入り熱が上がってしまい常に冷やしながら一時間ほど頑張りました。このときは大好きなペットのDVDを観なが
発症から約7ヶ月の状態です現在、1歳8ヶ月(脳症は1歳1ヶ月発症)身体面→娘は急性脳症後に「痙性四肢麻痺」の診断あり病後すぐに申請した身体障害者手帳は1級右足は今回の入院前の軽い検査で麻痺なしですが、左足は麻痺ありと言われました2週間4回目のリハビリ入院をして、先日再度左足をチェックして貰ったら「左足も麻痺の反応なし」との事でした麻痺ってなくなるの…?とびっくりしましたが、なくなってました…不随意運動はほぼ消失しているように感じます(主観)病後半年までが回復目安と言われてい