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長岡市の法華クラブホテルのフロントに中越地震の復興祈願花火写真が展示されている。全長2キロに及ぶ大迫力だ。実際これだけの規模の花火をキッチリとタイミングを合わせて打ち上げるには相当な花火職人の技術が必要だと思います。実は私たちの伊那市の高遠藩の徳川秀忠の血を引く保科正之が会津若松藩の藩祖であります。奥羽列列藩同盟により長岡藩より会津若松藩へガトリング砲を用いて救援に向かった河井継之助の物語は映画『峠最後のサムライ』で有名ですが、今も不思議な縁と言うか時を超えたフレンドリーシップを感じてしまい
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
天下人の名字に込めた大名統制策ということで、前著『羽柴を名乗った人々』に続いて有力大名に松平名字を与えた(島津家久の例から「任じる」という形だったことが判明しています)江戸幕府は、どのような基準で行っていたのか。本書では20家を超える外様大名の事例からそれを類例化していきます。『『羽柴を名乗った人々』黒田基樹著』羽柴という名字は、元々木下藤吉郎秀吉が織田信長配下の国持大名となった辺りから使用するようになったものです。信長が自身の立場の上昇に伴い一門であっても織田の名…ameblo