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【ハヤサスラヒメ/祓いの女神】@art.mochida.daisuke『大祓詞(おおはらいのりと/おおはらえのことば)』に出てくる祓いの女神ハヤサスラヒメを描いてみました。ハヤサスラヒメは『古事記』や『日本書紀』には記載のない神名ですが、全国の神社で奏上される『大祓詞』において、様々な罪穢れを清めてくれる神様である「祓戸四神(はらえどよんしん)」の内の一柱です。6月末に「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」12月末に「年越しの大祓(おおはらえ)」として、
ことのままはちまんぐう遠江國一ノ宮★事任八幡宮おはようございますm(__)mご訪問ありがとうございます。【鎮座地】静岡県掛川市八坂642【御祭神】己等乃麻知媛命【配祀神】息長帯姫命.誉田別命.玉依比売命【社格等】式内社(小).遠江国一宮.旧県社【創建年】成務天皇年間ゼロ磁場というパワースポットのようです。ゼロ磁場って何?ちょいと調べたら、目に見えないエネルギーが充満してる所って書いてあったけど、、、。そうなの???あっ、ゼロ
2023年4月4日&5日。1泊2日で茨城県の神社を5社ほど巡ってきました。巡拝のメイン・テーマは《国津神VS天津神》。すなわち、「(政権に)まつろわない」星神=カガセオ。そして、それを討ったタケハヅチ。この両者を祀る神社にお参りすることが目的でした。今回は、タケハヅチを祀る神社です。式内社静神社(しず神社)『延喜式』神名帳に記された社号久慈郡7座(大1座・小6座)→名神大社「静神社」しつのかみのやしろ当社は、常陸國の二之宮でもあります。◇鎮座
【コノハナチルヒメ/山神の御子神】@art.mochida.daisukeコノハナチルヒメ(木花知流比売)は『古事記』に登場する国津神オオヤマヅミ(大山津見神)の娘で、名称や系譜は記されていますが、特に事績に関する記述は全くない女神です。ちなみに『日本書紀』に、コノハナチルヒメの神名は記述されていません。系譜によると、スサノオとクシナダヒメとの間に生まれたヤシマジヌミノカミとコノハナチルヒメが結ばれたとされ、この二柱の御子神がフハノモヂ
高角神社(高見山山頂)(たかすみじんじゃ)大和国吉野郡奈良県吉野郡東吉野村平野241(登拝、アクセス記事は→こちら)■延喜式神名帳(宇陀郡)高角神社二座鍬靫の論社■祭神高見明神標高1248.4mの「高見山」山頂に鎮座する社。大和国吉野郡(現在の東吉野村)と伊勢国飯高郡(現在の三重県松阪市飯高町舟戸)の境に山頂があります。◎創建由緒等については諸説あり、それは社名の訓み方やご祭神、式内社比定に関しても及びます。◎「神社覈録」は当社を式内社高角神社二座に宛てていま
日向神社(多賀大社境内摂社)(ひむかじんじゃ)近江国犬上郡滋賀県犬上郡多賀町多賀604(多賀大社境内)(P有)■延喜式神名帳日向神社の比定社■祭神瓊々杵尊多賀大社境内の西端、西参道入口すぐに鎮座する境内摂社。式内社日向神社に宛てられています。摂社になったのは昭和九年のこと。◎「多賀神社誌」によると、天平鎮護二年(766年)に神封二戸を寄せられたとあり、その頃には既に鎮座していたものとみられます。◎ただしその時にどこに鎮座していたのかは不明。その後の記録も無く遷座があ
2022年9月15日参拝。前回に引き続き、茨城県の神社です大洗磯前(いそさき)神社この日は海が穏やかで、この、波ザッバーンの瞬間を撮るために、20枚くらい撮影しましたJR常磐線・水戸駅からバス【茨城交通バス】路線番号50・那珂湊駅行「大洗神社前」下車すぐ。大洗海岸通りの「大洗鳥居下」交差点🚥にある、一の鳥居。高さ約16mの巨大な鳥居通天閣や東京タワーの設計者である建築家・内藤多仲氏も携わったとのこと。神磯の鳥居御祭神が降臨された岩礁を「神磯」と称し、神聖な場所として禁足地とし
日尾池姫神社丹後国加佐郡京都府舞鶴市与保呂(詳細住所不明、府道487号線沿い「与保呂」集落の最奥)(社前に駐車可)■延喜式神名帳笶原神社の論社■旧社格村社■祭神天日尾神国日尾神天月尾神国月尾神「与保呂川」沿い、「与保呂」集落の最奥に鎮座する社。「蛇切岩」伝説(「前編」・「後編」)にまつわる社でも。さらに上流には「蛇切岩」が座しておいます。「東舞鶴」市街地からわずか4~5km隔てただけではあるものの、巨樹が林立した境内周辺は隔絶した霊地と呼ぶに相応しい雰囲気を醸しています
高屋神社(羽曳野市古市)河内国古市郡大阪府羽曳野市古市6-12(P無し、社前道路は狭小の一方通行で停め置き不可、近隣コインPもなし)■延喜式神名帳高屋神社の論社■旧社格村社■祭神饒速日命広国押武金日命(第27代安閑天皇)羽曳野市古市の狭小住宅密集地内に鎮座する社。窮屈に狭小境内に、かつての式内社とは程遠い姿で収まっています。◎社伝によると第28代宣化天皇(536~539年)の勅命により創建されたとしています。創建由緒は不明。◎当社はこの辺り一帯に居住した高屋連が祖神を
【豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)】(佐賀県嬉野市)@art.mochida.daisuke豊玉姫神社は、日本三大美肌の湯として知られる嬉野温泉街の中心部に鎮座し、室町時代以前の創建といわれ、1500年代後半に一度焼失し、1600年代前半に再建されたと伝わっています。初代佐賀藩主・鍋島勝茂の息子で、「肥前吉田焼」などの礎を築いた初代蓮池藩主・鍋島直澄(1616~69年)の祈願所でした。トヨタマヒメ(豊玉姫)は『古事記』においてホオリノミコト(山幸彦
6月18日(木)、東京都多摩地域の神社へ行って来ました1日だけフライングして、県をまたいでの移動をしてしまいました。ごめんなさい今回ご紹介するのは、阿伎留神社(あきるじんじゃ)ですJR五日市線・武蔵五日市駅より徒歩12分。元は五日市町でしたが、平成7年に秋川市と合併してあきる野市になっています。毎月5と10の日に市が立ったことから、「五日市」です。山村から運ばれる薪炭と、日用品とを交換することが目的の市でした駅を出て33号線檜原街道をまっすぐ進み、「五日市出張所入口」の信号🚥を
世間はGWに突入しましたね。仕事帰り、繁華街には沢山の人が溢れかえっていました数日前までは円安の影響からか外国人観光客しか居ない様な感じで、ここは外国かっって感じでしたが、今日はサラリーマンさんや若い人達も沢山街に繰り出しておりましたです。まぁ、私には余り関係のない話ですがねっGWもしっかり仕事なこんにちは味醂です{人も多いしズラして休みます。。さて、バタバタしていて更新が遅くなりましたが前回の続き大好きなアフロ仏さんに会えてウキウキ気分な味醂は少しだけご近所散策
2023年5月10日&11日、館山市と南房総市に行ってきました。前回記事から《安房国の式内社&忌部の神々》を巡る旅を始めましたが、実質的には今回が第1回となります。式内社(大社)論社洲崎神社(すのさき)『延喜式』に記された社名后神天比理刀咩命神社きさきがみあめのひりとめのみこと※『延喜式』の「神名帳」では、社号の下に小さな文字で「元名洲神」という注記があります。「元の名はスサキノカミ」という意味です。さて、安房国は房総半島のおおよそ南半分にあたります
2023年4月4日&5日。1泊2日で茨城県の神社を5社ほど巡りました。今回は、2日目に訪れた「森と泉」の地に女神を祀った標記神社です。式内社(論社)泉神社いずみ当社は、『延喜式』神名帳に記載される論社です。常陸国久慈郡7座(大1座・小6座)天速玉姫命神社あめのはやたまひめのかみのやしろ※論社は2社。もう1社は常陸太田市の鹿島神社です。◇鎮座地:茨城県日立市水木町2-22-1◇最寄駅:JR常磐線・大甕駅東口~1.0km◇御祭神:天速玉姫
前回、新年最初の記事は兎年にちなんで豊川市の菟足神社を取り上げました。しかし、うさぎには跳ぶための足も大事ですがトレードマークは何といっても長い耳。耳をつけるには頭がなくちゃ始まらないということで、隣の豊橋市の菟頭神社(うがしらじんじゃ)もご紹介。戌年の2018年にやった糟目犬頭神社、犬尾神社と同じパターンですね。詳しい地図で見る菟頭神社の正面入口は集落内の細い道の奥にあってちょっとわかりにくいです。車の場合は先に境内裏手の空き地に駐めてから参拝するのがいいでしょう。
【宗像三女神/剣から生まれた航海守護神】@art.mochida.daisuke『古事記』によると宗像三女神は、誓約(うけい)の際、アマテラスがスサノオの剣をかじり息を吹き出した時に生まれた神様で、スサノオの娘ともされます。世界遺産に登録されている福岡の宗像大社(福岡県宗像市)の祭神として祀られ、宮島の巌島神社(広島県廿日市市)にもご祭神として祀られています。宗像三女の生まれた順は『古事記』によると、長女・沖津宮-タキリビメ(オキツシマヒメ)、次女
【ハヤアキツヒメ/水の神々を産んだ女神】@art.mochida.daisukeハヤアキツヒメ(速秋津比売神)は『古事記』によると、イザナギとイザナミの夫婦神が「神産み」によって生んだ水の神で、ハヤアキツヒコと男女一対の関係性があります。神名の「速(ハヤ)」は勢いを現す美称で、「秋(アキ)」は「開(アキ)」の借字、「津(ツ)」は「港」や「河口」とされ、ハヤアキツヒメの名義は「勢いの速く盛んな、河口の女神」と考えられます。『日本書紀』では水門の神達をハヤアキツヒ
2021年3月1日参拝。大麻止乃豆乃天神社~占いの神・櫛真智命を祀る式内社~読みは「おおまとのつのてんじんじゃ」または「おおまとのつのあまつかみのやしろ」。JR南武線・南多摩駅南口より徒歩5分。川崎街道を横断して住宅街を進むと、赤い常夜灯が目に入りました。参道入口。社号碑。「延喜式内」は控えめに細い文字です。石段は何段階にも分けて続きます。最初は5段。2対めの常夜灯があり、次は20段ほど。そして、鳥居です。創建年代は不詳。所在地は、稲城市大丸。大丸村の鎮守で、江戸時
率川坐大神御子神社(率川神社)(いさがわにますおおみわみこじんじゃ)大和国添上郡奈良市本子守町18(境内奥にP有り)■延喜式神名帳率川坐大神御子神社三座の比定社[境内社率川阿波神社]率川阿波神社の比定社■旧社格村社■祭神[中本殿]媛蹈鞴五十鈴媛命[右本殿]狭井大神[左本殿]玉櫛姫命[率川阿波神社]事代主神奈良きっての商業地「やすらぎの道」に面して鎮座する社。「ならまち」内では最大、最古の社とされます。大神神社の境外摂社で通称「率川神社」。また「子守
【ミヅハノメ/イザナミが産んだ水の神】@art.mochida.daisukeミヅハノメ(弥都波能売神)を描いてみました。この神様は『古事記』のイザナギ、イザナミが多くの神々を産んだ逸話「神産み」で生まれたとされる水の女神様です。高天ヶ原の神々より授かった天の沼矛(あめのぬぼこ)を用いて、国土を産み固めた「国生み」を成し遂げた夫婦神がイザナギとイザナミ。「国生み」が終わると、イザナギとイザナミの夫婦神は多くの神々を産み成しました。これを「神産み」と言います。
板列神社(板列稲荷神社)(いたなみじんじゃ)丹後国與謝郡京都府與謝郡与謝野町字岩滝580(一の鳥居内、東側に空きスペースがいくつも有り)■延喜式神名帳板列神社の論社■旧社格村社■祭神稻廼賣神「阿蘇海」の西側、「岩滝」集落内の山手に鎮座する社。◎「式内社板列神社」の比定を巡り、東隣「男山」の板列八幡神社と論争が繰り広げられたものの、決着が付いていないようです。「丹哥府志」には、岩滝村の附録の部分に「稲荷大明神」とあり、これが当社のこと。江戸時代までは稲荷社とされていた
世間は阪神VSオリックスで盛り上がりまくっている正直、野球はあまり詳しくないのですが視聴率もかなりなのでは皆さん、家に引きこもってTVにかじりついてると見て、お外を歩いているのは海外からの観光客ばかりけれど・・野球が終わる時間からわしゃ~って人が出てくるから面白いみんな夜遊び好きだねぇ~試合結果をおかずに今日は道頓堀辺りが凄い事になりそうですこんにちわ味醂です{接戦なので大騒ぎwwwさてさて、前回の続きを書きましょうかね青い空〜まだ汗ばむ10月の寺社巡り前回に引
【オオカムヅミ/黄泉の軍勢を退けた桃神】@art.mochida.daisukeオオカムヅミ(意富加牟豆美命)は『古事記』によると、黄泉の国でイザナギを黄泉の軍勢から助け出した「桃の木の神霊」として登場しています。「大いなる神のミ(霊)」という意味の神名で、他にも大いなる神の実と解釈し「大神実命」と表記する場合もあり、桃太郎神社(愛知県犬山市)ではオオカムヅミが生まれ変わり桃太郎として鬼を退治したとされます。『日本書紀』にも登場しますが、神名は明
前回に引き続き、園部町のことになります今回は園部駅の近くの神社です園部駅の西口出たとこすぐに鳥居が見えます春日神社住所・京都府南丹市園部町小山東町谷ノ下38御祭神建甕槌命経津主命天児屋根命比売神駐車場なし由緒などを調べてたら、全国春日連合会というHPがありました!そちらから抜粋園部町小山東町、西町の氏神として崇敬される天喜2(1054)年、丹波介藤原兼重の創建と伝わる延喜式内社の嶋物部神社であろうかとも言われるこの嶋物部神社の比定社としては、以前八木町の荒井神社
伊弉諾神社(生駒市上町)大和国添下郡奈良県生駒市上町4447(長弓寺駐車場利用)■延喜式神名帳伊邪奈岐神社の比定社■旧社格村社■祭神伊弉諾尊素盞嗚尊大國主命長弓寺という仏教施設の境内、最奥に鎮座。◎この施設の鎮守社とされますが、本来は神が鎮まる地を占領、寺が建てられたものと思われます。境内を総括する鳥居が最前に。中世の頃より僧侶が神官を務め、明治の神仏分離令においても、施設の排除は行われず悲しい歴史を歩んで来ています。◎当社を式内社登彌神社とする説があります。比定
《五十音順》【ア行】愛宕社(桜井市三輪)愛宕神社(桜井市初瀬)穴師坐兵主神社・相撲神社天落神六社権現活日神社(大神神社摂社)伊射奈岐神社市杵島神社(大神神社雑社)市杵島神社(桜井市大西)稲荷社(大神神社所管社)稲荷社(桜井市芝)稲荷社(桜井市初瀬)磐座神社(大神神社末社)殖栗神社大直禰子神社(若宮社)小夫天神社忍坂坐生根神社忍坂山口坐神社大神神社・大神神社摂社末社雑社☆神武天皇聖蹟狭井河ノ上顕彰碑☆三輪「奥垣内祭祀遺跡」☆山ノ神遺跡大神神社
【イチキシマヒメ/宗像大社辺津宮に鎮座する女神】@art.mochida.daisukeこの女神はタギツヒメとタキリビメ(タゴリヒメ)と三姉妹で、宗像大社にお祀りされ「宗像三女神」と呼ばれています。『古事記』によると、天眞名井(あめのまない)でアマテラスとスサノオが交わした「誓約(うけい)」という儀式の中で生まれた女神達です。「誓約」の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の次女がイチキシマヒメ。この誓約によって五男三女神が生まれ、「ひな人
宇太水分神社から東へ進みます。まっすぐ行くと惣社水分神社、左に折れると丹生神社、右に折れると桜葉神社、という四つ角です。宇太水分神社https://ameblo.jp/fudasyosanpai/entry-12690307503.html惣社水分神社https://ameblo.jp/fudasyosanpai/entry-12692007296.html丹生神社https://ameblo.jp/fudasyosanpai/entry-12692039188.html
【アメノミナカヌシ/天地創造の神】@art.mochida.daisuke『古事記』において天地開闢の時に一番最初に現れた神様がアメノミナカヌシ。続いてタカミムスビ、カミムスビが現れ、すぐに身をお隠しになりました。この三つ柱の神々を総称して「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼び、造化三神は男性女性の区別がない独神(ひとりがみ)であり、最初に生まれたアメノミナカヌシはこの三柱の創造神の中でも中心的存在。なので中心に引き寄せる力を現して描いています。
愛媛県の続きです今治市はかつて伊予国国府のあったところで神宮町(かんのまち)にはこのあたりを治めた怒麻(後の野間)国造の若彌尾命ゆかりの式内社野間神社があります神門の中には櫛磐間戸神・大直日神神直日神・豊磐間戸神の神像御門にて外敵侵入を防いだり穢れを祓う神々です石段をあがって本殿へ立派な神殿です狛犬が大きくてあまり見かけないお姿ですご祭神は飽速玉命・若彌尾命・須佐之男命・野間姫命飽速玉命は安藝の國造ですがその孫が若彌尾命若彌尾命は神功皇后の三韓征伐で戦功をあげ