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兵主(ひょうず)神社は、JR東海道本線:野洲駅から北へ5.5mの所に鎮座されます。鎮座地:滋賀県野洲市五条566御神域全景。鳥居をくぐった右に境内社が鎮座されます。御社名不明。楼門。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー兵主大社楼門県指定有形文化財兵主大社楼門一間二戸楼門、人母屋造、桧皮葺附翼廊二棟昭和41年7月4日指定昭和45年解体修理時に地垂木から天文19年(15
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」725池生神社・鎮座地長野県上田市小島屋敷122・池生を何と読むか・・・いけお、いけのう、いけおい、いけぶ検索した記事の中に「いけなり神社」と書かれているものが有ります。・鳥居・明神系の鳥居です。・鳥居の横の石柱には、「国史現在池生神社」と彫られています。・国史現在=国史現在社式内社以外に日本書
今日は、お風呂大好きな友人と日帰り温泉に行って来ました。その前に日帰り温泉施設のある隣の神社へお参りです。馬路石邊神社663年に創祀され、平安時代の神社リストにも載る式内社の古い神社です。境内は、掃除がいき届き、なんだか清々しい気持ちさせてもらえます。お参りを済ませて、こんまりした神社の森を抜けて、隣の日帰り温泉へ施設の食堂でお昼を食べ、半日お風呂で過ごし、ほっこりできた私たちでした。
御祖(みおや)神社に続けて、久しぶりに玉祖(たまのおや)神社(八尾市神立)へも参拝三種の神器ダイヤモンド結界の要所となります。長鳴鶏(ながなきどり)たちが迎えてくれます。摂社、末社を改めて確認しましたが、明治時代に合祀されたとされている御祖神社(八尾市大窪)と賀茂神社(八尾市上尾)の社は、残念ながら確認できませんでした。しかし、摂社の一つに高安山口神社があり、猿田彦大神が祀られていることと、菅原神社・天神社も確認ができました
御祖(みおや)神社(八尾市大窪)へと参拝御祖神社跡(大阪府八尾市大窪)社号御祖神社読みみおや通称旧呼称鎮座地大阪府八尾市大窪旧国郡河内国高安郡大窪村御祭神不詳社格式内社、旧村社例祭当地での祭祀は廃絶式内社河内國高安郡御祖神社&jun-yu-roku.com跡地が公園になっており、集会所前に小社殿がまだあるものの、祭神は玉祖(たまのおや)神社(八尾市神立)へと合祀されてあると伝わっています。賀茂御祖神社(下鴨神社
下新川(しもにうかわ)神社は、JR東海道本線:守山駅から北へ7㎞、朝一番に参拝しましたので、タクシーで近くまで行ったところ、4000円もかかってしあみました。鎮座地:滋賀県守山市幸津川町1356神社前の交差点には、飛び出しソメイティ。と飛び出しくまモン。たぶん、両方とも無断使用。奉納年月不明の狛犬。右に手水舎。左に祓戸大神が鎮座されます。参道をはさんだ対面に、牛神社(大己貴命)が
忍坂山口坐神社(おしさかやまぐちにますじんじゃ)大和国城上郡奈良県桜井市赤尾42(P有)■延喜式神名帳忍坂山口坐神社大月次新嘗の比定社■旧社格村社■祭神大山祇神大和国六所山口神社の一社。霊峰「鳥見山」東側麓、「粟原川」(忍阪川)西岸畔の「忍阪郷赤尾村」に鎮座する社。◎「忍阪」は現在では「おっさか」と訓まれるも、かつては「おしさか」。或いは「おほさか」と訓まれていた可能性もあるかと。「外鎌山(とがまやま)」を中心とした地。表記は「押坂」とも。また紀伊国伊都郡の隅田八幡
2025年11月愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。その25.大山祇神社です。しまなみ海道を大三島ICで下りて、島の反対側の大山祇神社にやってきました。すぐ左にある駐車場は狭くて順番待ちをしていたので、左へ少し行った所にある広い駐車場に車を止めました。鳥居をくぐるとすぐ右に小さな斎田がありました。再び鳥居に戻り、石橋を渡って奥へ行きます。すぐに翼舎のついた大きな楼門があります。楼門の手前で右へ行くと、斎田の先に見えた御桟敷殿があります。御桟敷
鎮座地:滋賀県栗東市高野726参道の右に手水舎。奉納年月不明の狛犬。跳ね狛犬。御神門に向かって右に境内社が鎮座されます。御社名不明。拝殿に向かって右に神武天皇遥拝所。湯立神事に使われる竈。式内社高野神社近江国栗太郡鎮座現社名高野神社御祭神大名草彦命旧社格郷社ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー高野神社
宿奈川田神社(白坂神社)(すくなかわたじんじゃ)河内国大県郡大阪府柏原市高井田661(P無し、すぐ横の近鉄高井田駅ロータリーには常時待ち合わせ等の車が駐停車しています)■延喜式神名帳宿奈川田神社の比定社■旧社格村社■祭神宿奈彦根命高皇産霊命科戸辺命「大和川」北側の川縁にひっそりと佇む小さな社。通称「白坂大明神」(白坂神社)。◎当社は「式内社宿奈川田神社」に比定され、かつて「白坂大明神」と称されていたのを明治五年に現社名に改めています。これは当社を式内社の後継社とみ
奈良県葛城市當麻地区にある、當麻山口神社に、12月初の参拝です。ボクは神社は留守番。當麻山口神社、今空快晴。(実時間9時すぎ)今気温。車内温度と湿度でしゅ。當麻山口神社は、パパの母方のご先祖様が暮らしていた、染野集落の産土神社であり、延喜式記載の式内社です。パバだけ鳥居で一礼。参道を進みます。急な階段を、ハァハァ言いながら登ります。如何にも村の鎮守様という雰囲気の、拝殿前に出ます。手水舎は機能停止中。拝殿です。セルフお祓いします。オカンの当病平癒、早期無事帰
備前一之宮石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社岡山県赤磐市石上1448前回参拝は2019年3月延喜式神名帳に記載された「式内社」であり、全国3,132座の一つとのこと。備前国128社の中で正2位と記されています。神社の元々の御神体は大松山山頂の巨石で磐座(いわくら:神を祭る石)でした。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した剣(十握剣などいくつかの名前あり)が奉納され、この剣がご神体となりましたが、この剣が崇神天皇の時代に大和国の石上神宮へ移されたことから、現在はスサノオ
御上(みかみ)神社は、JR東海道本線:野洲駅から南へ2㎞、御神域の前は三上山(近江富士)登山の拠点になっており、駐車場や公衆トイレが整備されています。広い駐車場のあるコンビニもありますので、御上神社参拝や三上山登山には便利な場所です。鎮座地:滋賀県野洲市三上838広い御神域。御神域から道をはさんだところに、昭和三年の大嘗祭で悠紀(ゆうき)斎田となった田圃があり、記念碑が建立されています。毎年5月第4日曜日にお田植え祭がおこなわれるそう
横見神社(比企郡吉見町御所1)(主祭神)建速須佐之男命、櫛稲田比賣命(社格等)旧式内社(武蔵国横見郡の邸内社3社のうちの1)旧郷社(上細谷・下細谷・黒岩・御所・谷口・中新井・久保田)(沿革等)和銅年間(708-715)創建。中世は当地を支配した吉見氏(源範頼の子孫)の氏神、その後は近郷7ヶ村の鎮守社(飯玉氷川明神社)として祀られていたという。建長年間(1249-55)又は/及び慶長17年(1612年)に洪水に遭う。流れた先に久保田横見神社が祀られ
2025年11月愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。その16.伊曽乃神社です。石鎚神社口之宮本社から東へ3km程の所に伊曾乃神社があります。西条の街の方から行くと一ノ鳥居があります。一ノ鳥居からまっすぐ伸びる参道を横切って、社号標の左の緩い坂道を上っていきます。駐車場は参道の終点付近にありました。少し参道を戻ってみます。鼻の穴を上に向けて、笑っているような狛犬がいました。石柱に竹を渡した鳥居には大正2年と刻まれていました。下の方にはニノ鳥居や一ノ鳥
伊波比神社(埼玉県比企郡吉見町黒岩347)・「いわい」(武蔵風土記稿は「岩井神社」と表記)(主祭神)天穗日尊・誉田別尊・諸説あるが、武蔵国造との関係から出雲系の神とする説が有力・アメノホヒノミコトは記紀神話の神。天照大御神の第二子だが大国主に仕えた神であり、農耕神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神。・誉田別尊は八幡神であり、支配者の吉見氏の関係であろう。(社格等)旧式内社(武蔵国横見郡式内社3社のうちの1社)旧村社(旧黒岩村の鎮守社)(沿革等)
己爾乃(こじの)神社(下社)は、JR東海道本線:守山駅から北へ5㎞のところに鎮座されます。ここから500mほど東には、己爾乃(こじの)神社(上社)が鎮座されています。赤マーク己爾乃(こじの)神社(下社)青マーク己爾乃(こじの)神社(上社)鎮座地滋賀県守山市洲本町2322奉納時期不明の狛犬。右に手水舎。拝殿越しに眺めた本殿。平成十九年三月に奉納された狛犬。
(吉見三社)・埼玉県比企郡吉見町に鎮座する「延喜式」神名帳に記載される横見郡三座の横見神社・高負比古神社・伊波比神社を総称して吉見三社と呼称する場合がある。・かなり狭い範囲に延喜式内社3社が集中しており、かなり珍しい。高負彦根神社(埼玉県比企郡吉見町田甲1945)・「ポンポン山」と称される場所にある。正面に鳥居、左手はかつては緑地だったようだが今は太陽光発電所鳥居(主祭神)味鉏高彦根尊(眛鉅高彦命)・大己貴尊(江戸時代は素戔嗚尊)・いずれも出雲系の神
己爾乃(こじの)神社(上社)は、JR東海道本線:守山駅から北へ5㎞のところに鎮座されます。ここから500mほど西には、己爾乃(こじの)神社(下社)が鎮座されています。赤マーク己爾乃(こじの)神社(上社)青マーク己爾乃(こじの)神社(下社)鎮座地:滋賀県守山市洲本町1607明治期に奉納された狛犬、年月は不明です。左に手水舎。本殿。本殿の前には狛犬が置かれていま
その3で載せられなかった写真があったので追加です↓。小中尾へ上がる道。東向きで明るい山道です。ここを上がると小中尾(こなこ)。川を渡りさらに上がったところが田上です。さて、田上に来ました。ここから早稲田までは、阿南町で最も賑やかな地区です。。田上にはナピカというスーパーがあり、コンビニ、電気屋、セレモニーホールなどがあります。国道が改修され、大きな工場が建てられて(誘致され?)人が集まるようになった地区です。少し手前の門原には、温泉施設かじかの湯や、陶芸体験施設、キャンプ場(おしゃれなログ
守山市ではよく見かける、飛び出しもりぴー。守山市社会福祉協議会のマスコットキャラクターです。標準的な飛び出しぼうや。ただし、顔が少し雑です。武道天神社は、JR東海道本線:守山駅から北西へ5㎞、住宅街に鎮座されます。鎮座地::滋賀県守山市矢島町1222大正年間に奉納された狛犬、年月は読めませんでした。右に手水舎。手水舎からの眺め。境内には由緒が書かれ石碑がありましたが、江戸期以降に流行った、日本
佐紀神社(亀畑)大和国添下郡奈良市佐紀町1716(P無し、いつも境内西側に停めていますが「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩10分足らず)■延喜式神名帳佐紀神社の論社■旧社格村社■祭神天児屋根命経津主命六御県命平城京の北側、かつての添下郡「佐紀郷」に鎮座する社。「御前池(おまえいけ)」を挟んで東西の「西畑村」と「二條村(亀畑)」に同名の2社が鎮座。いずれとも御祭神は同じ、またいずれとも式内論社とされています。◎創建は当社案内によると、白鳳三年(私年号、674年か)
2025年11月愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。その13.国津比古命神社です。松山市北部の北条の街から東へ行くと田園地帯になり、街の外れに近づくと道路をまたぐ鳥居があります。鳥居の先には大きな石灯籠があります。更にまっすぐ行った突き当たりに国津比古命神社があります。古い歴史を持つ延喜式内社です。境内に入ると、狛犬が笑顔で出迎えてくれます。左側のはちょっとウルトラマンレオみたいな感じです。手前の手水舎の屋根には獅子がいました。右に隣接したお
塩田平龍光院から無言館入口バス停に戻って来ましたバスで塩田町駅へ〜そこから上田電鉄別所線で下之郷駅で下車します帰りの新幹線まで、2時間ほどあったので時間が有れば生島足島神社に寄り道する予定だったので、行程表通りのスケジュールとなりました下之郷駅から行くと北鳥居⛩️から入ります北鳥居側の社号標北鳥居は両部鳥居⛩️鳥居神額本殿を火災🔥から護った火除の御神木🌳境内案内図メインの鳥居から入り直します神門神池池の大きさが半端ないです😱本殿内殿の案内板神橋磐座磐境生島
佐紀神社(西畑)大和国添下郡奈良市佐紀町1716(P無し、いつも同名社の亀畑の境内西側に停めていますが、「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩10分足らず)■延喜式神名帳佐紀神社の論社■旧社格村社■祭神天児屋根命経津主命六御県命平城京の北側、かつての添下郡「佐紀郷」に鎮座する社。「御前池(おまえいけ)」を挟んで東西の「西畑村」と「二條村(亀畑)」に同名の2社が鎮座。いずれとも御祭神は同じ、またいずれとも式内論社とされています。◎創建年代、由緒ともに不詳。伝承によると
滋賀県守山守山市ではよくみかける「飛び出しもりびー」。守山市社会福祉協議会のマスコットキャラクターです。馬路石邊(うまじいそべ)神社は、JR東海道本線:守山駅から北へ1㎞の処に鎮座されます。鎮座地:滋賀県守山市吉身4丁目4-1参道に沿って川が流れています。三面護岸されており、蛍が棲むには厳しい感じがするけど...茅葺の御神門。御神門をくぐった左に手水舎。『日本書記』持統天皇七年十一月の記述に
「北条の里」・地方豪族に過ぎなかった北条氏の本拠地であり、北条政子・義時の生誕地。北条氏ゆかりの故地や寺社仏閣をつないだ散歩道などが整備されている。・伊豆の国市は、下田街道(国道136号線)に沿って発展した町であり、2005年に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して成立・「守山東駐車場」(無料)が便利伊豆の国市は、伊豆半島北部に立地守山を中心に散歩・事前調べ無しで訪問したので、北条氏邸跡など素通りしてしまった。守山・海底火山の噴出物が隆起した標高100mの
御嶋石部神社新潟県柏崎市本条192−2地図上では信越本線北条駅から近いとはいえ・・・着いたはよいが、さて?神社がどこだかわからない車でグルグルしてから歩いて探って杜があるのだからと思えど入り口がわからず、付近には諏訪神社や普廣寺という坐禅とサウナが体験できるというお寺があるのですがwむく犬の目的は坐禅でもサウナでもないブロック塀の横のすき間に入っていくとやっとこさ、式内論社にたどり着けました。しっとり苔むしたさきに、出雲蹲踞さんこの
2025年11月愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。その10.伊豫豆比古命神社です。松山市内からR379を南下していくと椿神社の看板があります。椿神社は伊豫豆比古命神社の別名です。看板の丁字路を矢印の方へ曲がると300m程の所に大きな鳥居があります。道路をまっすぐ行くと正面に朱塗りの鳥居がありました。右に駐車場があります。この日は七五三で訪れる人で賑わっていました。楼門には大きな扁額が掛かっています。門の左右にいる恰幅のいい随神は太刀を帯びていますが、弓