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2025年6月長野県下伊那エリアのパワースポットを巡ってきました。その16.阿智神社前宮その17.阿智神社奥宮です。平谷村からR153を北上し、昼神温泉に入るとR256沿いに阿智神社前宮の鳥居や社号標が建っています。天八意思兼命が孝元天皇5(BC210)年に天下って、阿智の祝部の祖となったと伝わる式内社(論社)ですが、神社の創建は不明です。鳥居とホテルの間を恐る恐る抜けて、更に細い坂を車で上っていきます。途中に庇が出ている所があるので車高の高い車だと当たりそうでした。
多田神社(与謝野町石川)丹後国與謝郡京都府與謝郡与謝野町石川堂谷1-1(ファミリーマート与謝天橋立インター店より国道176号線を北へ50m余り、右折し東へ50m余り)(P無し)■延喜式神名帳多由神社の論社■旧社格村社■祭神素盞嗚命阿蘇海に注ぐ「野田川」河口部右岸、与謝野町「石川」に鎮座する社。◎当地「石川」には矢田部神社や物部神社といった物部氏ゆかりの社が鎮座。また続紀には「丹後国与謝郡の人、采女部宅刀自女が宝亀七年(776年)三つ子の男の子を産んだので自身と乳母の粮を
瀧蔵神社大和国城上郡奈良県桜井市瀧蔵600(通行困難な箇所は無いものの、狭小道路が多く対向は非常に困難)(P有)■旧社格村社■祭神[右殿]伊弉册尊[中殿]伊弉諾尊[左殿]速玉命[合祀]毘沙門天疱瘡神「與喜山」から連なる「瀧蔵山」山中に鎮座する社。標高は430mほど。一帯が長谷寺に奪われてからはその影響が強く、式内社となっていないのはそのせいでしょうか。◎創建年代は不詳。延喜二十年(921年)の神階授与があることから、それ以前からの鎮座であることが窺えます。◎
津秦天満宮(つはたてんまんぐう)紀伊国名草郡和歌山市津秦83(P有)■延喜式神名帳[合祀神]麻爲比賣神社の論社■祭神菅原道真公[配祀]天照皇大神知波夜比賣神木花咲耶比賣神中言神稲荷神草野比賣神(うしがみ)日前神宮・國懸神宮の南500mほど、和歌山市「津秦」に鎮座する天満宮。かつてはその境外摂社でした。◎「津秦」は古くは「津和田」と称されていました村は東西に二分され、入海であったとのこと。浜辺で「津渡」するところから転じた地名であると「紀伊国続風土記」は説いてい
八劔宮(熱田神宮別宮)(はっけんぐう・やつるぎのみや)尾張国愛智郡名古屋市熱田区神宮1-1-1(熱田神宮境内)(P有)■延喜式神名帳八劔神社の比定社■祭神熱田大神[相殿]天照大神素盞嗚尊日本武尊宮簀媛命建稻種命熱田神宮境内に鎮座する別宮。古来より摂社の筆頭として別格に祀られてきました。別宮とされたのは明治に入ってからのこと。熱田七社(熱田神宮・別宮八劔宮・高座結御子神社・氷上姉子神社・日割御子神社・上知我麻神社・下知我麻神社)の一社。◎「張州府誌」という書によ
生野先生は、「記紀」に「ハツクニシラス」と書かれていながら崇神天皇を祀る神社が一社もないことは、崇神が「神武のダミー」であることの傍証だとされています。今回は、『延喜式』神名帳が崇神だけではなくほかの「天皇」たちを主祭する神社もほとんど記載していない点に関する考察です。<延喜式神名帳>『延喜式』は、後醍醐天皇の延長5年(927年)に藤原忠平が撰進したもので、その中に「神名帳」(第九[上]・第十[下])がある。『延喜式』には、北海道と沖縄を除く全国68国(対馬嶋・壱岐嶋含む)の神
鳴海八幡宮(なるみはちまんぐう)尾張国愛智郡愛知県名古屋市緑区鳴海町字前之輪23(社前に駐車場有り)■延喜式神名帳川原神社の論社伊副神社の論社■旧社格村社■祭神應神天皇神功皇后尊玉依毘賣命邇々藝命月讀命かつて「成海潟」「成海浦」(鳴海潟・鳴海浦)と称された、海岸沿いに鎮座していた社(下部写真参照)。成海神社の別宮とされています。◎創建年代は不詳。貞永元年(1232年)に久野家初代が社職になったという記録があるとのこと。また境内の楠の木が樹齢1100~1200年と
弥刀神社(彌刀神社、与謝野町上山田)(みとじんじゃ)丹後国與謝郡京都府与謝郡与謝野町上山田1304(P有)■延喜式神名帳弥刀神社の比定社■旧社格村社■祭神速秋津彦命阿蘇海に注ぐ「野田川」河口部左岸畔、与謝野町「上山田」に鎮座する社。社殿は丘陵上に設けられています。◎創建年代は不明。「与謝郡誌」は「日本地理志料」に、「祀典所秩彌刀神社在上山田村称水戸明神」との記載を上げています。また同村内に「水戸谷口」という地名も。「弥刀」(彌刀)は「水戸」、つまり「湊」を由来とする社名と
玉若酢命神社:島根県隠岐郡隠岐の島町下西701水若酢神社:島根県隠岐郡隠岐の島町郡723和気能酢神社:島根県隠岐郡隠岐の島町下西1607九月下旬に隠岐の島に渡った。隠岐は古くから後鳥羽上皇や後醍醐天皇らが流された遠流の島として知られるが、摩天崖をはじめ景勝地が多く、現在ではジオパークとしての顔の方が有名になった。隠岐国には神社が多い。延喜式神名帳には16座が名を連ねており、もっとも格の高い名神大社は島前島後で計4座ある。名神大社は霊験あらたかとされた古社で、国家の大事に際して祈願の対象と
尾津神社(草薙神社・御衣野尾津神社)(日本武尊尾津前御遺跡、桑名市多度町御衣野)伊勢国桑名郡三重県桑名市多度町御衣野2268(P無し、当日は下部写真のように停め置きました)■延喜式神名帳尾津神社二座の論社■祭神倭建命「長良川」支流の「肱江川」南岸、桑名市「御衣野(みぞの)」の丘陵頂に鎮座する社。◎当社は記紀に見える、日本武尊の東征譚に登場する「尾津」の伝承地の一。◎紀の景行天皇段に以下が記されます。━━昔日本武尊向東之歲停尾津濱而進食是時解一劒置於松下遂忘而去
2025年5月安房のパワースポットを巡ってきました。その13.安房神社です。館山の2日目の最初は安房国一ノ宮の安房神社です。道路沿いに一ノ鳥居がありますが、駐車場は奥にあるので、社号標の向こうから車で入っていきます。参道の右側にある御手洗池の手前を右に下の宮の方へ行ってみることにします。すぐに右側に斎館があります。この裏に遺跡があるようなので行ってみます。斎館の建っているところにかつて洞窟があったようですが、昔社殿を建てる時に崩してしまったのか、今はもうありませ
意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)千葉県民は、船橋大神宮という名前で親しみのある古社です私は今までに何回か参拝していたのに、正式名称が意富比(おおひ)神社ということを初めて知りました意富比神は太陽神を表し、こちらの神社は、地域最大の太陽神であったようです(諸説あり)一之鳥居大神宮下という京成線の駅から徒歩3分で到着します社号標社号票には意富比(おおひ)神社と書かれています社殿へ真っ直ぐ伸びる参道かつてすぐ目の前まで海だったせいか、参道両側は爽やかな松の木です狛犬阿吽ともに
2023年春に上げていた四国旅の前置きがまだ完成していなかった事に、今更ながら気付きました。笑ブログ移転(Gooブログから、アメブロへ)のための記事整理がなければ、そのまま埋もれていたところです。記事の見直しって大事ね・・。という訳で、四国旅ラストを掲載します。道後温泉を出て、JR松山駅から特急しおかぜに乗車。今治駅で下車して、駅の正面にあるバスターミナルへ移動します。前回ここに来たのは、2014年9月。あれから8年半も経ったんだ