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今回はJOTこと日本石油輸送です。最大の所有者であり、石油元売の再編後はこちらに大半が移籍して来ました。まずはオリジナルから紹介して、移籍してきたのは次回にと思います。とわいえ数多いんだよな・・・。29932関西線四日市駅扇町駅常備四日市駅臨時常備39957データーは上と同じ49931これも同じ49940撮影場所は同じ臨時常備駅も同じ沼垂駅常備読みは「ぬったり」で、新潟県にあった貨物駅でした。現在は製油所の鉄道輸送の中止等で廃駅となり、ここと新潟貨物ター
上野桜木にあるセブンイレブン。見たところ、店前方の駐車場が都心部のコンビニとしては珍しいくらいで、別段何でもないコンビニに見えます。しかし。かつてこの場所には、京成の「寛永寺坂駅」がありました。お隣の「博物館動物園駅」と同様、トンネルの中にある駅でしたが、こちらは博物館動物園ほど有名ではありません。駅自体は昭和22(1947)年から休止、その6年後には正式に廃止となりましたが、その後も駅への入口などが近年まで残っていました。ところが、平成28(2016)年に入り、その跡地にセブンイレ
根室本線富良野駅~新得駅の区間が、長い歴史に終止符を打ちました。あの日、台風の被害を受けなければ、こんなことにはならないで……。富良野の隣駅は布部駅。ドラマ「北の国から」。長年放送がありました。スペシャル版も含めるとどれだけ続いたんでしょう。ドラマのスタートはこの駅から始まりました。このドラマ、石勝線開通で富良野が衰退するという危機感で、西武の堤氏と脚本家倉本聰氏が協力して富良野を舞台にドラマを作った経緯があります。こんな長年続くとは思いもしなかったでしょうけど
廃線・大隅線の遺構32大隅福山駅ー敷根駅間↓峠隧道(とうげずいどう)[仮称]峠隧道大隅福山駅側福山こめ酢の敷地内に残っているので、柵越しに撮影です。峠隧道峠隧道峠隧道かすかに反対側の坑口が見えています。峠隧道ここから国道に戻り峠を超えて、反対側に向かいます。峠隧道敷根駅側峠から山道を降りて来たら、とても狭い山道でした。帰りは新しく出来た脇元から国道に出ましたので、この道からがおススメ!峠隧道かなり薮っている
2004年撮影。今回の『駅【アーカイブ】』シリーズは、茨城県北東部を走っていて2005年に廃止された日立電鉄線の終着駅で、常陸太田市の中心市街地南寄りにあった駅でJR水郡線支線の常陸太田駅の至近距離にあった駅、そして日立電鉄線廃線に伴い廃駅となった、常北太田駅(じょうほくおおたえき。JOHOKUOTAStation)です。現役当時の写真のみを掲載します。写真が少なくて下手な写真しかありません。ご了承下さい。駅名常北太田駅(駅番号なし)廃止日
今夜ご紹介する本は、有栖川有栖「赤い月、廃駅の上に」です。三途の川にかかる橋の上を列車が走り抜けてゆく。死者の増加に伴う輸送量を上げる為。鉄道マニアの作者が贈る短編集。10編全てが鉄道ネタ。かつて列車が走っていた場所には、人がいた痕跡と誰かの記憶が残っていた。SF的であり後から来る怖さもあり、幻想小説のような趣きもある。廃線は創作意欲を刺激した。まず装丁がいい。探せば見つかりそうな景色なのに、実在していない景色にも見える。夢と現実を行き来しているような作品
1996年、南部縦貫鉄道の行く末が怪しくなった頃、野辺地駅前でレンタカーを借りてレールバスを追いかけました。さすがにレンタカーは撮影効率が良く撮影コマ数を稼げ、旧.国鉄千曳駅の駅舎をじっくり観察できました。レールバスには似合わない長大ホームはかつての東北本線千曳駅で、南部縦貫の開業当初はこの駅が起点でした。1968年、東北本線の線路移転に伴い、野辺地駅までの旧区間を国鉄から借用したため、借用区間の良好な線路状態を記憶しています。それにしても「更生会社」の南部縦貫鉄道に、どれだけの借用料が
(その6からの続き)-入広瀬(15:10発)-柿ノ木駅跡-雨のような霧雨が降り続く中、入広瀬駅にたどり着きました。というわけで、次の駅へ。まずは市街地を通って国道へ向かいました。再び破間川を渡りました。駅近くの商店は閉まっていましたが、対岸の農協スーパーは営業中でした。ちょっと寄ってみましたが、虫除けスプレーは売ってたけど、熊よけ鈴は売ってなかった…。小出駅から国道を併走してきた路線バスはここまで。数年前までは大白川(集落
かつて豊田市東広瀬町神田にあった名古屋鉄道三河線の駅で、平成16年に猿投から先が廃止されて廃駅となったが、今でも駅舎やホーム、線路などが残されている。
北勢線の廃駅、移動駅の跡地を追ってみます。①桑名町駅(桑名京橋駅)は以前に書いた記事をご覧ください。『北勢線の廃駅桑名町駅(桑名京橋駅)』昭和初期の桑名町駅北勢線が開通したのは大正3年(1914)4月18日で、その区間は大山田駅(昭和6年西桑名駅に改称)-楚原駅であり、大山田駅-桑名町…ameblo.jp②西桑名駅大正3年(1914)北勢鉄道大山田駅として開業、昭和6年(1931)に西桑名駅に改称されました。昭和36年(1961)桑名京橋駅が廃止となり、北勢
皆さま、こんにちは!今朝のブログで奥羽本線・さくらんぼ東根駅のことを書きました。(こちらのブログもぜひチェックくださいね)【まったり駅探訪】奥羽本線(山形線)さくらんぼ東根駅に行ってきました。さくらんぼ東根駅は平成11年の山形新幹線新庄駅延伸に合わせて開設されましたが、名目上は、昭和29年に開業した蟹沢(かにさわ)駅を移転・改称した駅だったのです。蟹沢駅は単式ホームが1本あるだけの無人駅だったらしく。昭和51年に撮影された航空写真にもしっかりと姿が写ってました。「
初めまして!さて、愛知県は知多郡美浜町から東海市を結ぶ河和線。名古屋鉄道が運行する路線で、主に名古屋市まで通勤や通学に利用されている。元は、知多線という名で走行していた。その知多線という名で走行していた時代にあった駅とその付近を紹介したい。↓写真は現河和駅・時志駅(愛知県知多郡美浜町)1969年廃業アクセス方法:時志娯楽橋バス停より徒歩ですぐ時志娯楽橋は、河和駅から町内のコミュニティバス(いってきバス)を利用することで来れる。誰でも無料で利用できる。写真で見る通り、ホー
探索日2013/04/07赤穂線西浜駅(貨物駅)を所管駅としていた専用線廃止は1995年3月30日西浜駅から続く貨物側線の東端左は赤穂線途切れている赤穂線を213系電車が走る左が側線西浜駅左端は赤穂線レールの多くは撤去されている天和駅の南にある三菱電機赤穂工場への専用線も西浜駅所管そっちは現役なので、廃駅ではないはず煙突のあるとこが住友大阪セメント西浜駅の奥に専用線がのびていく廃線跡へのアクセスは不可能
廃線・大隅線の遺構34銅田駅ー国分駅間↓銅田駅(どうたえき)銅田駅(どうたえき)は、鹿児島県国分市上井(現在の霧島市国分上井)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅でした。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となりました。1面1線の交換不能駅で、駅舎はなく築堤の上のホームと待合所のみの無人駅でした。跡地は現在、鉄道記念公園になっていて線路跡は道路に転用されています。●1972年(昭和47年)9月9日-海潟温泉-国分間の延伸開業と
豊田市中金町前田にあった名古屋鉄道三河線の終着駅で、平成16年に猿投から先が廃止されて廃駅となったが、今でも駅舎やホーム、線路などが残されている。
探索日2017/05/041967年9月28日、新清水トンネル開通/湯檜曽~土樽間複線化時に移転旧駅は北湯檜曽信号場となる1984年11月8日、同信号場廃止奥へ登っていく道が旧駅への入り口入り口脇に上越南線殉死者供養塔旧駅前広場かつては駅前に医院と小料理屋があったらしいここがそうか?ホームへ出るにはさらに階段を上る閉鎖されている施錠はされてなかったかもしれん中をのぞいてみる駅前広場を見下ろすここからホームに行け