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今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、中央本線および篠ノ井線が乗り入れる塩尻駅の旧駅跡について超簡単にUPいたしますw旧来の塩尻駅は現駅より南東寄りの現・中央東線上にあり、中央東線と中央西線・篠ノ井線の間でスルー運転可能な配線でしたが、実際には中央東線と中央西線を直通する旅客列車はごく少なかったものの中央西線と篠ノ井線を直通する列車は多く、特急『しなの』は当駅でスイッチバックを強いられていました。上記などの事情があり、国鉄時代末期の1980年代に配線変更した上で塩尻駅を現在地へ移動し
皆さま、こんにちは!前回のブログで、先週末に訪れたばかりの鶴見線・安善(あんぜん)駅の訪問記をUPしました。(前回のブログもぜひチェックくださいね)平成26年春に駅舎が改築された鶴見線・安善駅に行ってきた。安善駅と言ったらこの光景。ホームからグリーンツートンの貨物列車を見ることが出来るのです。この貨物列車、一見ごく普通の石油輸送列車のように見えますけど、実は鶴見区内の貯蔵施設から米軍横田基地まで燃料を輸送するための専用列車でして、車体に積荷がジェット燃料であることを示
上野桜木にあるセブンイレブン。見たところ、店前方の駐車場が都心部のコンビニとしては珍しいくらいで、別段何でもないコンビニに見えます。しかし。かつてこの場所には、京成の「寛永寺坂駅」がありました。お隣の「博物館動物園駅」と同様、トンネルの中にある駅でしたが、こちらは博物館動物園ほど有名ではありません。駅自体は昭和22(1947)年から休止、その6年後には正式に廃止となりましたが、その後も駅への入口などが近年まで残っていました。ところが、平成28(2016)年に入り、その跡地にセブンイレ
1989年4月30日限りで、名寄本線と共に廃線になってしまった日本最北にして最長距離の特定地方交通線・天北線。同線は私が乗車した数少ない特定地方交通線のうちの1つですが、往路は宗谷本線(幌延)経由だったため、復路の上り列車のみという行程でした.。残念ながら当時まともなカメラすら持っていなかったため写真は1枚もありません。その時乗車した「証」となるモノとして残っているのは、私のおぼろげな記憶以外では実際に乗車した時に使用した車内補充券(区変のため原券回収)と、途中3駅で購入した硬券入場券
この手のネタを増やしていこうと思ってるのだがいつも忘れてしまうので、思い出した時にやりましょうと。JR中央本線の岡谷~塩尻間は現在みどり湖駅経由のショートカットルートがメインだが、1983(昭和58)年7月にこのルートが開通するまでは、辰野駅経由のルートこそが中央本線であり、特急「あずさ」や急行「アルプス」といった優等列車が行き交っていた。現在ではおまけのようなローカル支線に転落してしまっているが…。この、「ある意味旧線区間」において、小野~塩尻間にはかつてスイッチバックの信
昨日寒くてエアコンをつけたら重要部品がエラー起こしてる表示で完全沈黙されました。梅雨前にわかってよかったー!ラッキー、ついてる〜🎵国鉄赤谷線(あかたに)(昭和59年廃止)かつて新発田から東赤谷を走っていました。主に赤谷にあった鉄鉱石を運ぶ路線です。全部で18、9キロしかない1970年代に朝夕3便づつしか走らない通勤通学用列車・・かわいいvそりゃ国鉄じゃなくなったら速攻切られますわ。地味な廃線巡りかな?と思いきや、最後は大物でした。スタートは鬼地味・・・「ハズレかよー」
北勢線の廃駅、移動駅の跡地を追ってみます。①桑名町駅(桑名京橋駅)は以前に書いた記事をご覧ください。『北勢線の廃駅桑名町駅(桑名京橋駅)』昭和初期の桑名町駅北勢線が開通したのは大正3年(1914)4月18日で、その区間は大山田駅(昭和6年西桑名駅に改称)-楚原駅であり、大山田駅-桑名町…ameblo.jp②西桑名駅大正3年(1914)北勢鉄道大山田駅として開業、昭和6年(1931)に西桑名駅に改称されました。昭和36年(1961)桑名京橋駅が廃止となり、北勢
去る7月の休日、私は妻とともに大分県豊後高田市・別府市に足を運んでおりました。この時は、JR九州が発売しております「みんなの九州きっぷ(北部九州版)」を使いまして博多→宇佐間、宇佐→別府間、別府→博多間を特急列車で利用、そして宇佐~豊後高田間、別府~温泉最寄りバス停間(後日ご紹介します)はバスを利用しておりまして、JRの料金は5000円で2日間乗り放題(ただ、私自身休みの都合で1日しか使用しておりません)でもありましたので、安価で出向く事ができていた分、大変重宝する切符ではなかった
銚子口駅と鹿部町を結んでいた鉄道路線が1952(昭和27)年に廃止となった大沼電鉄(戦後路線)昨年夏北海道を旅した時に廃線跡散策してきました【恵山岬からの帰りに】終点の鹿部駅に大きな構内は函館バスの車庫と鹿部商工会の建物等に駅跡に商工会とは…【国道278号沿いを】鹿部川にある送水管下の橋台が【鉄道の遺構になります】ちなみに函館本線鹿部駅とは5キロも離れていまーす次回は函館本線の駅散策で~
探索日2016/12/30後藤寺線の貨物駅廃止は1982年11月15日写真中央付近で起行駅構内線が右へ分岐写真中央、看板立ってるあたりが起行駅跡法面下が構内線跡右奥が駅跡起行駅跡ここが構内線跡石炭積まれていたとこ黒いのはその名残か駅末端は住宅地になっている
大井川鐵道井川線の路線図を見ていると、今はない廃駅があります。(*^^*)川根唐沢駅(かわねからさわえき)は、かつて静岡県榛原郡本川根町(現・川根本町)犬間にあった大井川鉄道(現・大井川鐵道)井川線の駅(廃駅)である。1990年、長島ダム建設に伴う井川線の路線変更により廃駅となった。(^o^)犬間駅(いぬまえき)は、かつて静岡県榛原郡本川根町(現・川根本町)犬間にあった大井川鉄道(現・大井川鐵道)井川線の駅(廃駅)である。同じく1990年、長島ダム建設に伴う井川線の路線変更により廃駅とな
根室本線富良野駅~新得駅の区間が、長い歴史に終止符を打ちました。あの日、台風の被害を受けなければ、こんなことにはならないで……。富良野の隣駅は布部駅。ドラマ「北の国から」。長年放送がありました。スペシャル版も含めるとどれだけ続いたんでしょう。ドラマのスタートはこの駅から始まりました。このドラマ、石勝線開通で富良野が衰退するという危機感で、西武の堤氏と脚本家倉本聰氏が協力して富良野を舞台にドラマを作った経緯があります。こんな長年続くとは思いもしなかったでしょうけど
上の画像は、昭和53年時刻表内に記されておりました、筑豊地区南部の路線図であります。現在この周辺では「福北ゆたか線」とも称されております「筑豊線」、城野駅~添田駅~夜明駅間を結びます「日田彦山線」、そして新飯塚駅~田川後藤寺駅間を結びます「後藤寺線」がJR九州としての既存路線ではありますが、かつては、現在は第3セクター平成筑豊鉄道となっております「伊田線」・「田川線」・「糸田線」、そして現在は廃止されております「宮田線」・「添田線」、それから今回ご紹介します「上山田線」、そして「漆
今夜ご紹介する本は、有栖川有栖「赤い月、廃駅の上に」です。三途の川にかかる橋の上を列車が走り抜けてゆく。死者の増加に伴う輸送量を上げる為。鉄道マニアの作者が贈る短編集。10編全てが鉄道ネタ。かつて列車が走っていた場所には、人がいた痕跡と誰かの記憶が残っていた。SF的であり後から来る怖さもあり、幻想小説のような趣きもある。廃線は創作意欲を刺激した。まず装丁がいい。探せば見つかりそうな景色なのに、実在していない景色にも見える。夢と現実を行き来しているような作品