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祖母が亡くなった。93歳の長寿、と言えるような年齢だ。職場で一部の人に「おはよう今日どない?」と聞かれて基本的に「I'mgood」と答えなければならないが「あー…ちょっとアカン」と言うと「何事や…」とマジで返されたので「昨日のミーティング中に祖母が亡くなりまして」と伝えると、職場の人々はほとんど国外から来て私と同じような生活をしているので、「これが国を離れて生きると言うことの難しさよ」「心を強く持って」「悲しくなったらいつでも休憩に行き」「私もおばあちゃん
さて、、朝も無駄足を踏みながら旧原小学校の少し先、国道より一本左の集落に入り込みました。ここは見学や観光ルートには一才記載はありませんがお宝がたくさんありました。ネットでも軽く調べましたが仔細不明、建物の残留物が多く、広場?らしき物もあるので近くに坑道があったかも。舗装はされてますが、全部死に絶えた建物が続きます♪素晴らしい天然廃墟群なので散策します。猿の声がしないし、400Xは廃屋前でお留守番。こういう場所に恐怖心は無いです、むしろ都会や人が多い場所に停車する方が嫌。
埼玉県│茶平集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-茶平集落「熱い心を強い意志で包んだ人間たち(※1)」でお馴染みの我々「行ってみた」メンバー、菊池俊輔作曲のテーマ曲をパワープレイで気分は既に最高潮。※1:原田大二郎を降板させた事は絶対に許さないぞ今回の廃村群来訪ではその荒ぶる調査意欲を惜しみなく注いで来たわけですが一先ずこのレポートで最終回、まずは前回までのを是非読んで頂きたい。そして最後の秩父廃村群は「茶平集落」と成ります
引き続き…自己紹介です。カオリ。37歳。関西在住。51歳の夫と2ヶ月の娘と3人家族☆2018年3月に第一子女の子を出産。趣味は登山。仕事は現在お休み中ですが、添乗員やってました!家事大の苦手。特に料理嫌いです…。自我が強い。田舎大好き。山奥に住みたいと本気で思ってますw移住ダメでも別宅ほしいですあと、廃墟や廃村とか好きですw臨月直前に廃墟探索へ崩壊した林道歩いてこけて脚ケガして夫にドン引きされた⬇結婚は7年前…でしたが、2回繋留流産を経験したり趣味や仕事を優先したりし
【18】より続く。三連廃橋を見届けて、これより帰投作戦へと移行。時刻は10時8分。タキマタ谷出合出発から56分後、狂小屋出発から1時間17分後、廃道に入ってから2時間26分後、進軍開始からは3時間44分後。やってみて思えば、ホハレ峠を越えての門入~戸入アタックよりは全然ハードルが低い。やはりほぼ全行程が車道仕様、かつ山越えがないというのは大きい。案ずるよりナントカの好例だった。ただ、当然ながらこっから同じだけ歩いて戻らないとイカンわけで。気の緩みはご法度だ。
【13】より続く。時刻は9時12分。狂小屋を後にしてから21分、進軍開始からは2時間48分。タキマタ谷出合を後にし、いよいよ目的の三連廃橋への最終区間へ。…なんだけど、いきなりストップ(笑)。ここで、来ていたシャツを脱いだ。結局天気予報通りのド晴天となってくれたおかげで、もっと涼しい服装にチェンジしがてら3分ほど休憩。どうせこの道を戻ってくるので、シャツはこの木に引っかけて日干ししておくことにした。おっちゃんのウェーダーと同じ手法で(笑
【5】より続く。スピンオフの草ヒロが迎えてくれた、ちょうどその前には、右上に上るスロープがあった。ちなみに直進する狂小屋方面、どえらい激藪に見えるが、それはそう見えるだけ。上を窺ってみると、なんかある。これは見に行かないと。スロープ上からすでに、かつての生活の痕跡?が点在していた。「すでに」と書いたのは、この上の平場全域にいろんなものが落ちてたから。で、上がってみると、そこにあ
【12】より続く。狂小屋を後にして14分後の9時5分。ここも最初から気になっていた、扇谷・タキマタ谷出合の建物と橋へと到着した。狂小屋と作六ツシの中間地点となるここ、特に固有の名称はないようだ。記事ではなんと呼べばいいかな?やっぱ「タキマタ谷出合」が無難か。ここには、なかなか素晴らしいものが残っていたのだが、それはまた改めてもっと後に採り上げるので、今回はスルーしておく。なにか写ってても、まあもうちょい待っててくだされ(笑)。まず
突然男に襲われ、廃村に拉致されて置き去りにされた西園寺さんは、自力で大阪駅に戻ってこれるのかー。【GPS禁止】鉄オタを山奥の”廃村”に強制連行して放置!帰って来れるのか⁉︎ご視聴下さりありがとうございます。感想やリクエスト等ありましたらコメント頂ければ嬉しいです!【旅館やホテルの予約はこちらから!】●楽天トラベル→https://onl.sc/NHxY4se【Twitter】●https://twitter.com/saionji_com【Instagram】●https://ww...
【15】より続く。扇谷第2号橋を撮影した後で、謎の平場を辿ってみた。あっ、再確認しておくと、この分岐(赤線)の延長方向のことね。辿りながら右上を見上げると、カーブミラーの支柱(の残骸)が見えた。やはり作六ツシへの道、本線は上の平場のようだ。ならばこの平場は?と進み続けたが…ぐわああああ。イヤ~(笑)。経験者はお分かりかと思うが、豪雪地帯特有?のこの横向きに生えた木
【6】およびスピンオフ其の弐より続く。待ち伏せていた草ヒロと語り合いながら、ふと気づいた。崖の下に…建屋がある!これでもよく見えるところまでちょいと移動して撮ったもの。そうだ、そうだった。忘れかけてたが、ここは…。覚えておられるか、【序】で示したこの地図。下に見えた建屋は、これだ。ちゃんと地理院地図にも載っているやつ。気になっていたし、もちろん通りすがりに立ち寄ってチェックするつもりだったが…なんと
【4】より続く。【序】を含めると今回第6話になるが、こっからようやく本番って…(笑)。時刻は7時42分、進軍開始から1時間20分。ここからようやく本番、旧来の林道上を辿っての、狂小屋への道程となる。今や現世と切り離されたこの道、廃道となった際の名称は「町道扇谷奥山線」だった(かなり後に改めて触れる)。しかしそれ以前、かつての名称は「徳山村道狂小屋線」だったようだ。ここで確認しておく、現在位置はコチラ。ゼンリン地図だと橋が描かれている。おっちゃん
【8】より続く。渡渉して廃道に入ってから56分、進軍開始からは2時間14分。8時38分、ついに狂小屋(きちがいごや)へと到達。思い切って探索実行に踏み切ったが、ここまではまさに結果オーライ。大きな障害もなく、無事に最初の目的地に到達できた。ご先祖様と弁財天様とおっちゃんらに感謝(笑)。次いで…ここに来る人たちのほとんどは気にすることもないであろう、我が重要目的物が見えてきた。そうですよ~。橋!橋そのものはさほど面白いものではないだ
2021年5月4日、ここ最近めっちゃ気になっていた場所へのアタックを勢いで敢行した、その記録を記事にしておく。その場所とは…旧徳山村某所。今宵はまず、テンションを共有していただくため、つらつらと前説などを。全村まるごと徳山ダム湖に没した…はずの旧徳山村域ではあるが、ダムの湛水域よりも標高の高いエリアは当然水没せずに残った。そんな、旧徳山村八集落の中で唯一水没せずに残った門入とその先を探索したのが2019年9月に敢行した門入~戸入アタックだったわけだ。
【10】より続く。狂小屋散策の仕上げは、もちろん、橋。カラカン谷を再度渡渉し、橋に正対。航空写真でこの橋を見つけたことで、がぜんやる気が出た。そういう意味では、大きなモチベーションとなってくれたわけなので、とっても会うのを楽しみにしていた。前々回くらいに書いたとおり、たぶんそう面白くない橋なんだろうな、とは思っていたが、やはりその通り。ガードレール欄干のシンプルなコンクリート桁橋だった。こっからの四枚は実は帰り
【7】より続く。ここで寄り道、地理院地図で見て気になっていた建物表記の正体をチェック…って、めっちゃまともですやん。三棟が見えたが、うち二棟はちゃんと建っている…つうか、現役?それなりに手が入っていて手入れ、刈り払いもそれなりにちゃんとなされている。あ…また見つけちゃった(笑)。倒壊してしまっているひと棟は、たぶんこれとおなじような造りだったんだろうな。トタンの色も同じだし。で、見
まとめそのまま綺麗な状態で
【序】より続く。5時50分、探索のベースとなるこちらに到着。場所はココ。ゼンリン地図にはまったく描かれていないが、【序】で示した通り扇谷姫街道橋西詰から扇谷右岸へと上る道があり、それを道なりに進むとここに着く。ここは、櫨原望郷広場。水没した旧徳山村の八集落には、それぞれ付近の高台に望郷広場と名付けられたスペースがあり、このような望郷の碑が設置され、住民による碑文とありし日の集落の家並みを示す地図などが書かれている。左下に「現在地」
【11】より続く。時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。狂小屋を後に、更なる進軍を開始。目指すは…三連廃橋。こんなん貼っても、見えないか(笑)。拡大して見られる方はご覧いただきたいが、道路の表記はここ狂小屋までとなっている。が、これから辿る作六ツシまでの道も、かつては車道であった。ここで、新たなるスクショを。再び扇谷右岸へと渡り、さらに遡上してゆく。その先には
【14】より続く。そろそろ…との予想通り、目前に橋が現れた。ついに、目指す三連廃橋、そのひとつ目がお出ましだ。時刻は9時34分。タキマタ谷出合を出て22分、廃道に入ってから1時間52分、進軍開始からは3時間10分が経過していた。ここで最後のスクショを貼っておく。三連廃橋とはまあ言いたいだけで(笑)、実際は「1+2」って感じで少し離れているんだけどね。さて、高欄はガードレールだが…おおっ!ありがたや、銘板がある!
おはようございます😃今日、6月6日は、日本初の女子アパート登場の日。1930年のこの日、東京・大塚に本邦初の女子アパートがお目見えした。1階は店舗、2階から上が住居の鉄筋コンクリート5階建て。部屋の広さは4畳半から6畳、和室の家賃が9円50銭から11円、洋室は10円から16円だった。1932年当時、東京・板橋区の一軒家の家賃が12円だったから多少割高だが、共有スペースの娯楽室や30人が入浴できる風呂場もあり施設は充実。女子専用だけに、面会は応接室でのみ、もちろん男子禁制
【17】より続く。扇谷第4号橋の作六ツシ側より、扇谷へ降りた。これが、第4号橋下流側からのサイドアングル。そして、視線を左へ移せば、第3号橋、上流側のサイドアングル。デジカメよりも横長で撮れるスマホによる撮影だと、こんな感じだ。こんなとこまで、わざわざこのつまらん橋を撮りにくるバカもまずおらんだろう。ふと考えて、思わず会心のニヤニヤ(笑)。大いに自己満足に浸った。つまらん橋だった
以前から一度は行ってみたいと思った場所『夏焼集落』へ行ってきました。まずはみてくださいこの写真山の斜面に面したこの廃村いかがでしょうか?綺麗な景色に加え、寂しさのある、いい雰囲気じゃないですか?実際に行くと、自分が世界でひとりぼっちになったような非日常感が感じられ、心が落ち着き、癒されました^^夏焼集落は、浜松市の一部です。自分は飯田線の大嵐駅で降り、レンタルサイクルを借りて行ってきました。そこに行くまでにはとても長くて暗いトンネルを通らないといけな
【16】より続く。三連廃橋の後半ふたつ、「真の二連廃橋」のお出ましだ。これまたガードレール欄干のシンプルな橋。廃っぷりがイイね~。右側のガードレールが見えないが、それはちょっと置いといて、銘板チェック。お名前は、「扇谷第3号橋」。先ほどのが第2号橋、そしてこちら第3号橋。ならば、第1号橋がどれかというと。タキマタ谷出合の橋は、扇谷じゃなくタキマタ谷に架かってるので違うと思う。おそらくは、狂小屋にあっ
埼玉県│白岩集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-白岩集落久しくご無沙汰していた廃村物件、余りに有名過ぎて今では来訪者が少ないと聞く秩父の廃村群にお邪魔して来ました。幾分廃墟に対する写欲が薄れつつありますが素晴らしい廃美に触れると沸々としてくるじゃないですか、まあ面倒臭いから適当に撃つ(撮る)んですけどねぇ。まずはこの秩父の廃村群一帯の歴史と簡単な現状をご説明しましょうか。近代では石灰採掘による鉱石産業が有名な武甲山、古く江戸時代では「御
引き続き岳集落を見ていく比較的保存状態の良い廃墟が1軒。ここに限らず多くの建物は天井が高めの2階建てで大きかった。これは岳が開けた平地を持つことに由来する気がするだろう。この後訪問した山掴、栗山集落は平地が限られているので小さな、天井の低い家が多かった。その点岳は家づくりに恵まれていたといえるだろう。あとは現代の基準から考えても豪邸一歩手間くらい大きいので、他と比べて財力があったのかもしれない。襖が立ってる?手前にあるのは古い電子ジャーである。中には炊飯器や木の風呂釜があった。
そろそろこんばんは!!漢字間違いを後輩に指摘され、穴があったら入りたかった田中です。グダグダ人生の薬は美しい廃墟だ!ということで今回は原点回帰、秩父の廃村・山掴集落です。岳集落をやってからだいぶ経ちましたが、みなさん覚えてますか?ペシャンコの屋敷に、自殺未遂の燃え跡、古の手紙とか色々ありましたね。(雑)同じときに訪れた廃集落が二つ残っていたのですが、しっかり写真が残っており書くのがめんどくさかったので先送りにしていました。しかし気を引き締める意味も込めて山掴集落、本編へれっつごー!
さて、田戸を後にして3kmほど北上すると次の集落、鷲見です。昭和54年頃の集落の様子。この2年後「56豪雪」の際には6mの積雪を記録し多大な被害をこうむったとか。また「八つ墓村」のロケ地としても知られております。流れる川は高時川の支流、鷲見川。県道の鷲見橋上から高時川を背にして撮影された写真のようです。ほぼ同じアングルの現在。橋の鉄骨だけが残っておりますが、もはやこの両側に家屋があったことなど想像もできません。洗濯をしたり野菜を洗ったりしたであろう、川に下りる階段も崩れて草に埋もれ
本州最北端の地大間崎↑からの続きです。むつ市内のホテルで一泊し翌朝向かった先は・・・心霊スポット巡り第84話、「杉沢村」です。杉沢村はある事件をきっかけに地図から消された村として1990年代に大きな噂となり、TV番組や後に映画にもなった都市伝説の怪村です。↓↓↓杉沢村伝説-Wikipediaja.wikipedia.org【都市伝説】あの伝説の杉沢村は実在した!!衝撃の内容とは・・・噂話でしょう。#3あの都市伝説で有名な杉沢村は実在した!その衝撃の内容
ほんのさっき暗い森の中をドライブしていたら、嫁さんが房総半島の思い出話をしましてね。実はカッパはんも房総半島にはいろんな思い出があるんです。たくさんフラッシュバックした中から、今回は「呪いの大カエデ」をお送りしましょう。ここは房総半島のとある山奥。人はもちろん鳥も通わぬ廃村を訪ねた時のお話です。当時のカッパはんの愛車はスズキのジムニー。リフトアップにワイドタイヤの素敵な相棒でした。ここ房総半島には秘境、とか魔境などとネット上で取り沙汰される場所がたくさんあります。普通の乗用車では無理な場所