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【16】より続く。三連廃橋の後半ふたつ、「真の二連廃橋」のお出ましだ。これまたガードレール欄干のシンプルな橋。廃っぷりがイイね~。右側のガードレールが見えないが、それはちょっと置いといて、銘板チェック。お名前は、「扇谷第3号橋」。先ほどのが第2号橋、そしてこちら第3号橋。ならば、第1号橋がどれかというと。タキマタ谷出合の橋は、扇谷じゃなくタキマタ谷に架かってるので違うと思う。おそらくは、狂小屋にあっ
【12】より続く。狂小屋を後にして14分後の9時5分。ここも最初から気になっていた、扇谷・タキマタ谷出合の建物と橋へと到着した。狂小屋と作六ツシの中間地点となるここ、特に固有の名称はないようだ。記事ではなんと呼べばいいかな?やっぱ「タキマタ谷出合」が無難か。ここには、なかなか素晴らしいものが残っていたのだが、それはまた改めてもっと後に採り上げるので、今回はスルーしておく。なにか写ってても、まあもうちょい待っててくだされ(笑)。まず
妻と息子と久しぶりにドライブ😄たまには父親らしく、GWらしく。張り切って7時に自宅を出発!🚗🚗🚗目的地は新潟県糸魚川市。北陸新幹線の駅があり、個人的には魅力あふれる街ではあるが観光客は少ない🤔本日は、さらに人混みを避けるマニアックな観光コースを巡る😄第一目的地天下の険親不知天険は龍の如く🐉第2世代の道を歩く。我々のみ😅ホントに誰もいないし(笑)未だに訪れていないレンガトンネルの入口。↓かなりの勾配😅すごっ!!うーむ🤔明治天皇御巡幸の後に道が作られたのはわか
【11】より続く。時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。狂小屋を後に、更なる進軍を開始。目指すは…三連廃橋。こんなん貼っても、見えないか(笑)。拡大して見られる方はご覧いただきたいが、道路の表記はここ狂小屋までとなっている。が、これから辿る作六ツシまでの道も、かつては車道であった。ここで、新たなるスクショを。再び扇谷右岸へと渡り、さらに遡上してゆく。その先には
【19】およびスピンオフより続く。10時42分、タキマタ谷出合を後に出発。狂小屋への道中で、ワラビやゼンマイがぎっしり詰まった袋が木に掛かってるのを発見。さっきのミスターたちのものだろうなきっと。そういえばウェーダーを借りたおっちゃんたちにも、ワラビでも採って帰れ的なことを言ってもらったっけ。忘れてた。10時55分、狂小屋へ復帰。改めて、例の溜池?跡を観察。うーーむ…。【追記
【22】より続く。12時4分、現世へと帰還。ここからのフラットダートは、歩きやすいスニーカーで。いや、お見苦しくて申し訳なし(笑)。改めて、対岸の道を。わたくし、今や「町道扇谷奥山線」というお名前を知っている。石積み護岸が素晴らしい雰囲気…って、あれ?アレはもしかして?誰のか知らんが(微笑)。ああ、わたくしもグイッといきたいわ(笑)。さて、お世話になったウェーダーを、お返しする時
【15】より続く。扇谷第2号橋を撮影した後で、謎の平場を辿ってみた。あっ、再確認しておくと、この分岐(赤線)の延長方向のことね。辿りながら右上を見上げると、カーブミラーの支柱(の残骸)が見えた。やはり作六ツシへの道、本線は上の平場のようだ。ならばこの平場は?と進み続けたが…ぐわああああ。イヤ~(笑)。経験者はお分かりかと思うが、豪雪地帯特有?のこの横向きに生えた木
2021年5月4日、ここ最近めっちゃ気になっていた場所へのアタックを勢いで敢行した、その記録を記事にしておく。その場所とは…旧徳山村某所。今宵はまず、テンションを共有していただくため、つらつらと前説などを。全村まるごと徳山ダム湖に没した…はずの旧徳山村域ではあるが、ダムの湛水域よりも標高の高いエリアは当然水没せずに残った。そんな、旧徳山村八集落の中で唯一水没せずに残った門入とその先を探索したのが2019年9月に敢行した門入~戸入アタックだったわけだ。
【10】より続く。狂小屋散策の仕上げは、もちろん、橋。カラカン谷を再度渡渉し、橋に正対。航空写真でこの橋を見つけたことで、がぜんやる気が出た。そういう意味では、大きなモチベーションとなってくれたわけなので、とっても会うのを楽しみにしていた。前々回くらいに書いたとおり、たぶんそう面白くない橋なんだろうな、とは思っていたが、やはりその通り。ガードレール欄干のシンプルなコンクリート桁橋だった。こっからの四枚は実は帰り
【13】より続く。時刻は9時12分。狂小屋を後にしてから21分、進軍開始からは2時間48分。タキマタ谷出合を後にし、いよいよ目的の三連廃橋への最終区間へ。…なんだけど、いきなりストップ(笑)。ここで、来ていたシャツを脱いだ。結局天気予報通りのド晴天となってくれたおかげで、もっと涼しい服装にチェンジしがてら3分ほど休憩。どうせこの道を戻ってくるので、シャツはこの木に引っかけて日干ししておくことにした。おっちゃんのウェーダーと同じ手法で(笑
【14】より続く。そろそろ…との予想通り、目前に橋が現れた。ついに、目指す三連廃橋、そのひとつ目がお出ましだ。時刻は9時34分。タキマタ谷出合を出て22分、廃道に入ってから1時間52分、進軍開始からは3時間10分が経過していた。ここで最後のスクショを貼っておく。三連廃橋とはまあ言いたいだけで(笑)、実際は「1+2」って感じで少し離れているんだけどね。さて、高欄はガードレールだが…おおっ!ありがたや、銘板がある!
【4】より続く。【序】を含めると今回第6話になるが、こっからようやく本番って…(笑)。時刻は7時42分、進軍開始から1時間20分。ここからようやく本番、旧来の林道上を辿っての、狂小屋への道程となる。今や現世と切り離されたこの道、廃道となった際の名称は「町道扇谷奥山線」だった(かなり後に改めて触れる)。しかしそれ以前、かつての名称は「徳山村道狂小屋線」だったようだ。ここで確認しておく、現在位置はコチラ。ゼンリン地図だと橋が描かれている。おっちゃん
【5】より続く。スピンオフの草ヒロが迎えてくれた、ちょうどその前には、右上に上るスロープがあった。ちなみに直進する狂小屋方面、どえらい激藪に見えるが、それはそう見えるだけ。上を窺ってみると、なんかある。これは見に行かないと。スロープ上からすでに、かつての生活の痕跡?が点在していた。「すでに」と書いたのは、この上の平場全域にいろんなものが落ちてたから。で、上がってみると、そこにあ
【7】より続く。ここで寄り道、地理院地図で見て気になっていた建物表記の正体をチェック…って、めっちゃまともですやん。三棟が見えたが、うち二棟はちゃんと建っている…つうか、現役?それなりに手が入っていて手入れ、刈り払いもそれなりにちゃんとなされている。あ…また見つけちゃった(笑)。倒壊してしまっているひと棟は、たぶんこれとおなじような造りだったんだろうな。トタンの色も同じだし。で、見
【序】より続く。5時50分、探索のベースとなるこちらに到着。場所はココ。ゼンリン地図にはまったく描かれていないが、【序】で示した通り扇谷姫街道橋西詰から扇谷右岸へと上る道があり、それを道なりに進むとここに着く。ここは、櫨原望郷広場。水没した旧徳山村の八集落には、それぞれ付近の高台に望郷広場と名付けられたスペースがあり、このような望郷の碑が設置され、住民による碑文とありし日の集落の家並みを示す地図などが書かれている。左下に「現在地」
【8】より続く。渡渉して廃道に入ってから56分、進軍開始からは2時間14分。8時38分、ついに狂小屋(きちがいごや)へと到達。思い切って探索実行に踏み切ったが、ここまではまさに結果オーライ。大きな障害もなく、無事に最初の目的地に到達できた。ご先祖様と弁財天様とおっちゃんらに感謝(笑)。次いで…ここに来る人たちのほとんどは気にすることもないであろう、我が重要目的物が見えてきた。そうですよ~。橋!橋そのものはさほど面白いものではないだ
【17】より続く。扇谷第4号橋の作六ツシ側より、扇谷へ降りた。これが、第4号橋下流側からのサイドアングル。そして、視線を左へ移せば、第3号橋、上流側のサイドアングル。デジカメよりも横長で撮れるスマホによる撮影だと、こんな感じだ。こんなとこまで、わざわざこのつまらん橋を撮りにくるバカもまずおらんだろう。ふと考えて、思わず会心のニヤニヤ(笑)。大いに自己満足に浸った。つまらん橋だった
【18】より続く。三連廃橋を見届けて、これより帰投作戦へと移行。時刻は10時8分。タキマタ谷出合出発から56分後、狂小屋出発から1時間17分後、廃道に入ってから2時間26分後、進軍開始からは3時間44分後。やってみて思えば、ホハレ峠を越えての門入~戸入アタックよりは全然ハードルが低い。やはりほぼ全行程が車道仕様、かつ山越えがないというのは大きい。案ずるよりナントカの好例だった。ただ、当然ながらこっから同じだけ歩いて戻らないとイカンわけで。気の緩みはご法度だ。
埼玉県│白岩集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-白岩集落久しくご無沙汰していた廃村物件、余りに有名過ぎて今では来訪者が少ないと聞く秩父の廃村群にお邪魔して来ました。幾分廃墟に対する写欲が薄れつつありますが素晴らしい廃美に触れると沸々としてくるじゃないですか、まあ面倒臭いから適当に撃つ(撮る)んですけどねぇ。まずはこの秩父の廃村群一帯の歴史と簡単な現状をご説明しましょうか。近代では石灰採掘による鉱石産業が有名な武甲山、古く江戸時代では「御
【20】より続く。常世と現世の境を、探りにいかないと。そう、この「孤絶した廃道」、渡渉地点よりも下流側もチェックしないとイカンのだ。間もなく、こんな謎の遺構が現れた。これ…なんだ?扇谷川に、道とは別な…突堤みたいなものが築かれているんだが。なにこれ。謎。決して、路盤が抜けて石垣の裏側が見えてるんじゃないのだ。そういうのはここじゃなく、この先で拝めそうだ
【6】およびスピンオフ其の弐より続く。待ち伏せていた草ヒロと語り合いながら、ふと気づいた。崖の下に…建屋がある!これでもよく見えるところまでちょいと移動して撮ったもの。そうだ、そうだった。忘れかけてたが、ここは…。覚えておられるか、【序】で示したこの地図。下に見えた建屋は、これだ。ちゃんと地理院地図にも載っているやつ。気になっていたし、もちろん通りすがりに立ち寄ってチェックするつもりだったが…なんと
埼玉県│冠岩集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-冠岩集落虫の居所をどうにか掴みたい、そんな愉快な仲間が集まる残虐ファイター集団「行ってみた」が今回お邪魔するのは数ある伝説を擁する「冠岩集落」さんです。今更ながらの秩父廃村群、前回は有名物件の白岩集落についてレポートしましたが今回は双子集落としてしられるこの「冠岩集落」を皆さんにご紹介しようと思います。冠岩集落、白岩集落とは鳥首峠を挟んで西東の関係にありまして。立地や隣接集落としてもその関
突然男に襲われ、廃村に拉致されて置き去りにされた西園寺さんは、自力で大阪駅に戻ってこれるのかー。【GPS禁止】鉄オタを山奥の”廃村”に強制連行して放置!帰って来れるのか⁉︎ご視聴下さりありがとうございます。感想やリクエスト等ありましたらコメント頂ければ嬉しいです!【旅館やホテルの予約はこちらから!】●楽天トラベル→https://onl.sc/NHxY4se【Twitter】●https://twitter.com/saionji_com【Instagram】●https://ww...
ここは李平俯瞰、もしくは赤岩大俯瞰と呼ばれる場所。旧:米沢街道の林道を車で延々と走ってたどり着く場所です。李平(すももだいら)、とは旧米沢街道の宿場町があった地名で米沢へのメインルートが今の国道13号に沿った万世大路に代わってから、廃村になり今ではその遺構さえほんのわずからしく私には確認することはできませんでした。(神社が残っているという話、見落としたか。)ちなみに、今年廃駅になった赤岩駅はこの李平への連絡
そろそろこんばんは!!田中の住んでいる場所田中地方では雪が降りましたが、積もっていても「危険じゃね!?」としか感じづ子供の心をすっかり無くしたことに気づいた悲しい田中です。久しぶりの直レポかつ王道の廃墟になります。これは素直に期待していんじゃない?じゃあレッツゴー!一年ぶり帰ってきたぜ、浦山!!!!!あんまり奇抜じゃない方の寄国土トンネルの出入り口をパシャリ(反対側はでかい獅子舞の口)本当はここにはバス停がないのだが、茶平に行くことがバレバレだったのでバスの運転手さんが気を利かせて
こんにちは(*^^*)年が明け、1月9日の日曜に柑橘園の防除作業も終わったので16日の日曜は今シーズン初スキー四国中央市からだと徳島県の井川スキー場と県内の西条市にある石鎚スキー場がほぼ同距離井川スキー場は三好町が運営していましたが2014年から5年契約で指定管理者になったマックアースが僅か2年で撤退三好町が新たな指定管理者を募集して愛媛県の石鎚登山ロープウェイ(株)が現在も運営していますどちらのスキー場も運営者は同一ですが石鎚スキー場で
千葉県│梨沢釜ノ台集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-釜ノ台集落千葉県における近年史上の廃村は存在しない、そう数多くの関連書籍で記されてきた房総半島。そうは言っても過去に、など廃村とまで言えなくとも極少数規模の廃集落をレポートして来た。中には当ブログのレポートが切っ掛けで数十年振りの再会を果たした元住民や研究機関への現状視察同行など、嬉しい繋がりも。そして今回は山の新人教育の場として活用している梨沢(相川)地区の南方に
山口県の秘境にある廃村。廃校の校門だけが残っている。釜跡当時の家屋も残ってる。YouTubeにアップ⤴️予定
埼玉県│栗山集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-栗山集落古賀竜一郎博士によって組織された我々「行ってみた」一同、怒りと感情が最高潮に達する素晴らしき廃村を求めて遠路遥々「栗山集落」へやって来たぞ。雄闘バーロック(※1)が幼少期を過ごしたと噂されるこの集落は一体どんな闇を抱えていたのだろうか、期待と不安を胸に秘めいざ推し参る。※1:第8話にして傑作回、主人公クラスです。さて、秩父廃村群三回目のエントリーは「栗山集落」です。前回の「
【23】より続く…わけでもないんだけど。いろいろと調べる中で、今回辿った「町道扇谷奥山線」とその先の林道(作業道?)が現役だった時代の貴重な記録文を見つけた。日付は、平成10(1998)年4月5日。正確には山屋さんが山に登られる前のアプローチ部分の描写なのだが、これはぜひご紹介しておきたいと、こうして最後に番外篇仕立てとした。ただ、転載させていただくにあたって許可をいただこうとしたものの、サイトは更新が停まって久しいようで、管理人様の連絡先なども不明だったために、申し訳ない