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自然豊かな隠岐諸島も巻き込まれた「戦争」の姿~その②前回は、『海士町史』と『西郷町誌』に記録されたアジア・太平洋戦争の隠岐の島の様子についてお伝えしました。隠岐と本土との連絡手段は、当時は汽船航路だけでした。『隠岐航路史』と『100年の航跡~創立100周年記念誌』には、戦争末期の隠岐と本土との輸送を担った隠岐汽船の様子が記録されています。・石油や石炭の配給制度が施行され、燃料入手が困難になる。・機帆船(一二丸43t)を購入して石炭運搬船とし、燃料確保に利用する。・昭和16年1
【日本伝統の和紙と戦争~爆弾に使われた和紙その①】アジア太平洋戦争中には、政府が戦争遂行のためあらゆる物品や価格の統制を行いました。それによって、企業や生産者は自由な生産や販売、価格設定も厳しく制限されました。日本古来からの伝統品のひとつである「和紙」も統制の対象となりました。2月2日のブログ記事「この世は「金太郎飴」のような…?」の中で紹介した中脇初枝著『伝言』に登場する「風船爆弾」の大量生産のため、気球用の生紙を生産する命令がいくつかの和紙生産地に出されました。〔2月2
💬ひとりで抱えてきたあなたへ“ずっと心に残っていること”を、少しだけラクにするヒントが見つかる、月1回のセルフコーチング対話会です。🌿Zoomで開催🌿話したくないことは、話さなくてOK。参加者の声:「ラクになるきっかけをもらえた気がしました」合いそうかも…と感じたら、こちらをクリック今日は「長崎原爆を知る」の35です。🌿このシリーズでは毎回お伝えしていること人が生活している場所めがけて原爆を落とされた国は、私たちの住む日本だけです。1945(昭和20)年、ア
≪本シリーズで毎回お伝えしていること≫2019年5月、長野県長野市松代町にある松代大本営地下壕へ行ってきました。太平洋戦争末期、日本本土各地がアメリカの無差別爆撃を受ける中に、戦争の最高司令部である大本営を東京から松代へ移す計画がありました。そこでは実際に、大本営を移動・設置するべく地下壕が作られ、それが今も残っているのです。「一億総玉砕」をスローガンに徹底抗戦するという狂気の中、本部の人たちはその「一億総玉砕」には参加せず、自ら戦場へ行って戦うこともなく「安全な場所へ避難す