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第33回代表曲と売れた曲は一致するのか岡田有希子同い年のアイドルとして、どんどん昇り詰めていくのを楽しみにしていた矢先、あの日…上京したてだった私が、大学のオリエンテーションから帰って、独り暮らしを始めたばかりのアパートに届いた夕刊を見た時の衝撃…忘れません。セールス推移も昇っている途中でしたので、もしもこれに続きがあったならということをついつい想像したくなります。【竹内まりや三部作】1984年「ファースト・デイト」「リトルプリンセス」「-DreamingGirl-恋
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
39年前の1986年5月14日。この日は岡田有希子さんの9枚目シングル『花のイマージュ』の発売予定日でした。ブログではもう何度も取り上げているし前に書いた事をまた書いたりして、我ながらしつこいな〜と思いながらもやっぱり書かずにはいられないこの性よ(-_-)当時、様々な状況や影響を鑑みて発売中止となったのはご存知の通りですが、ユッコさんが亡くなってあまり日が経っていない頃と思われますが、こんな文書が出されていた事を知りました。昨年の今頃、メルカリに出品されていたのを見かけてスクリーンショット
いよいよ、最終日に突入です。名古屋港に着くのは初めてですね。いつも名古屋港から出発していましたので・・・。似顔絵女用に仙台のローソンで買ったモンブランも冷蔵庫の中で腐りそうになっていました。と言うのか、忘れて下船したら恥ずかしいなと・・・。そんな訳で、もうすぐサンライズなので、浜松の人に実況中継をしようとスタンバイです。アンテナを交換した訳です。ちょっとテストですね。どの辺から飛ぶかな?そう
どうしても榊原芳恵ちゃん、と間違えてしまうんだよね。たまたまYahooニュースでデビュー45周年コンサートの話が載ってて、聴きたくなってYouTubeを。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be私は昭和アイドル大好き人間なのです♡おニャン子クラブから始まり、山口百恵さんにハマり、明菜ちゃん聖子ちゃん、河合奈保子さん、岡田有希子さん、もう全員大好きで比べよう
と言っても、オードリー春日氏のギャグの話ではありません。トゥースはトゥースでも、「tooth=歯」のことでございます。以前ユッコさんのお肌がキレイだって話をしましたが、歯並びもキレイですよね。笑顔で歯が見えている写真なんか見ても、乱れがなくピシッと並んでいる。虫歯の治療はしているようだけど、矯正なんかはしていないはず。本当にユッコさんの欠点を探すのが大変よー(探さなくてよろしい)本人は鼻が低いのを気にしていて、「メガネがずり落ちてくる」なんて軽く自虐ネタを披露してましたが、ファンの間で
衝撃スクープ神田沙也加は石原裕次郎と松田聖子の隠し子?がnoteでずっとよく読まれてるので、こちらにも再アップします顔は嘘をつきません神田沙也加は石原裕次郎に似てますね?松田聖子が裕次郎の子を妊娠したので同じ石原プロの神田正輝に松田聖子と結婚させて、神田沙也加を産ませたと言う事らしいですhttps://rapt-plusalpha.com/28721/【神田沙也加の死の謎に迫る】神田沙也加は石原裕次郎・慎太郎一族の大スキャンダルを闇に葬るために殺害された可能性大ここ最近、
岡田有希子さんの真相/霊視■岡田有希子さん(1967-1986)日本のアイドル歌手だった人物。当時、芸能事務所サンミュージックに所属していたがその最期は事務所ビルからの飛び降りだったということもあり、世間を騒がせた。ゆるふわサイキックちゃんねる/ユミーさんの霊視考察霊視結果【1】岡田さんの感情が入ってきた。同世代のアイドル
当時のサンミュージックも岡田有希子ちゃんが亡くなったことについて「知らぬ存ぜぬ」と記者会見で嘘を並べていたのだろうか…。許せない…。
有希子さんの修学旅行といえば、この写真が一番有名な写真ではないでしょうか。宮崎ますみさん、南野陽子さん、田中久美さんと一緒に正門の前で仲良くパチリここは網走市の天都山の中腹にある「博物館網走監獄」です。明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を移築し保存公開している歴史博物館です。1983年7月6日に開園したので、有希子さんが修学旅行で訪れたのは開園して2年弱の頃だったのですね。でも…この博物館は高校生が見るには、ちょっと渋すぎるような…
こんばんは。私の中で勝手に毎年夏の恒例行事?としている麗しのユッコ水着編を今回投稿いたします。長い話(笑)はあとがきとさせて頂くとして、さっそく岡田有希子さんの瑞々しい水着姿をご覧下さい。〜長ーいあとがき〜お付き合い頂きありがとうございます。もう、毎回同じ事ばかり言ってますけど、均整のとれた抜群の完璧ボディーですわ・・・グラビアアイドルを本業としている方たちと比べたって、全く引けを取らない美しい水着姿。昔は芸能人水泳大会というものがあり、アイドル雑誌も多数出ていて、昭和のアイドルっ
かつてある雑誌のインタビューで岡田有希子さんが「アイドルという存在」について語っていました。大好きな河合奈保子さんの名前を出しながら繰り広げる話はユッコさん流の“アイドル論”とも言えるのではないでしょうか。その部分を抜粋しました。「写真を見て“ニタッ“とするんですけどね」のくだりに現在の自分はものすごく共感できます。アイドルに関心があった中高生の頃は「広く、浅く」興味を持ち続けていました。そのうちアイドルへの関心もかなり薄れ、30年以上眠っていたオバさんが突然ひとりのア
春色の画用紙山口百恵/想い出のストロベリー・フィールド桜田淳子/あなたのすべて松田聖子/頬に潮風中森明菜/最後のカルメン岡田有希子/ファースト・デイト荻野目洋子/未来航海―Sailing―
昨日、4月8日は岡田有希子さんの命日でした。あれから36年も経つんですね。そのニュースが飛び込んで来た時には本当に驚きましたが、一方で、「やっぱり…」という気持ちもありました。少し前から、テレビ画面に写る彼女に異変を感じていたからです。まだ18歳。若過ぎる死を多くの人が悼みました。岡田有希子さんは明菜と同じ『スター誕生!』出身。決戦大会では「スローモーション」を歌い合格、夢だった歌手デビューを果たします。小説や漫画に出てくる''可憐な少女''のイメージそのままのル
ブログへの訪問ありがとうございます!もう何日か過ぎましたが、4月8日は、岡田有希子さんの命日なんですよね。人気アイドルであった岡田有希子さん(当時、18歳)が所属事務所のあるビルから飛び降りて亡くなるという衝撃的な出来事があったのは、今から35年前。私は12歳でした。中学の入学式が午後からで、フジテレビのお昼の番組「笑っていいとも」を観ながら制服に着替えていたら、テロップが流れてきました。「えっ⁉️」その衝撃的な内容に戸惑っていたら、次のCM(グリコ?)は岡田有希子さん出演のものでし
日曜日は研修医成り立ての娘の初給料で、コーヒーをご馳走になりました⤴︎ヒデキカンゲキです😉(笑)さて、4月も後半😳様々な事務手続きをしながら、手術をして、趣味をして、、、相変わらずです今、習字は年内に三段を目指してます⤴︎ウチの団体は、一段が、天、地、人と三分割されてるので、なかなか次の段に行けませんバンドは、J-POPコピーバンドに加入して一年、ライブは昨秋から5回やりました⤴︎流石に上達を実感できてます😉今日は、ミポリンこと中山美穂さんのお別れ会、東京まで行きたかったのですが
ちょっと古い話で申し訳ないですが・・・11月3日(日)に放送された「日曜日の初耳学」に竹内まりやさんが登場しました。めったにテレビに出る事のないまりやさんがバラエティー系番組にトークで出演するなんてなかなかのレアケースだと思います。興味津々で視聴させて頂きました。林修さんとのトークが繰り広げられる中で一番嬉しかったのは、まりやさんが岡田有希子さんについて言及された事ですね。まりやさん自身デビューしてから3年で体調を崩して活動休止に入り、しばらく芸能界から離れていました。休止明けからの楽
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
少し前に、僕の中で約30年封印していた「くちびるネットワーク」を聞いたら涙が出そうになった。確か沢口靖子さんが出ている、カネボウのCMソングでしたね。これはお墓参りに行くしかない・・・と、鈴鹿の帰りに寄ってきました。場所等はネットで公表してる通りです。東名阪自動車道の弥富インターを下りて、約5分の成満寺にあります。(お墓等の写真を載せるので、気分を害される方はココでストップを・・・)この日は、僕の前に少し年上の男性が一人、僕が帰るころには少し年上のご夫婦が有希子さんの墓参
中学生当時から河合奈保子さんの大ファンだった佳代さん。中1の夏休みには奈保子さんの肖像画を描きました。※「愛をください」よりすごく上手に描いてますよね。奈保子さんの特徴をつかむため、部屋中にポスターを貼っていたそうです。奈保子さんが歌番組のリハーサル中、舞台のセリに落下して重傷を負った時は「私が代わってあげたい」と言って号泣したというエピソードもあります。そんな佳代さんも芸能界への憧れを徐々に強めていき、ついには”岡田有希子”として奈保子さんと同じ歌手となり、共に舞台に立つまでにな
改めて思います。岡田有希子さんは本当にたくさん仕事をしていたなあと。テレビやラジオはもちろん、雑誌の取材ももう数え切れないほどではないかと。数か月前にユッコさんのインタビューが載った雑誌を新たに発掘しました。17歳のユッコさんが当時何を考え、何を語っていたのか・・・よろしかったら読んで頂けたら幸いです。月刊DoLiVe1985年7月号より−ドリブ生インタビュー岡田有希子−小説を読んでいると、自分が主人公になったような気がしてきちゃうんですよわたし、性格がおかしいってよく人に
「ミディアム・スローの春っぽい感じの曲で、歌詞にストーリー性がないの。イメージっぽい『LoveFair』みたいな感じの歌詞なんです。」1986年5月14日発売予定の新曲『花のイマージュ』について岡田有希子さんはこのように語っていました。しかし、花のイマージュは発売中止となり、封印状態が長らく続きました。13年後の1999年に発売された「メモリアルBOX」の収録曲としてようやくCD音源として世に出ることができました。それから更に25年を経た今年8月22日、ユッコさんのお誕生日
1980年代アイドル全盛時代、数多くの歌番組がありました。生放送の番組も多く、生ならではのハプニングもいろいろありました。その中で印象に残っているハプニングのひとつが、ザ・トップテンで堀ちえみさんが『稲妻パラダイス』歌唱中に靴をふっ飛ばしてしまった事ですね。これはリアルタイムで観ていて、よく覚えています。正確な日にちはわからないけど、1984年の5~6月頃でしょうか?ちなみにレコード発売日は1984年4月21日。ユッコさんのデビュー曲『ファースト・デイト』の発売日と同じ日だったのですね。
皆さんこんにちは。私の住む北海道にも、ユッコゆかりの地はあちこちにあるんですが、そのなかでもやっぱり一番は、ユッコの修学旅行ではないでしょうか。当時、堀越高校の3年生だったユッコは、1985年の6月5日から修学旅行で北海道を訪れていました。修学旅行は1週間の予定でしたが、ユッコはスイスでのビデオ撮影のお仕事があるため、最後まで参加出来なかったそうです。でも、修学旅行の写真を見ると、ユッコはどの写真も本当にいい笑顔で写っています。学校に行く暇もないくらい忙しかっ
こちらもネットで見かけた1986年4月の週刊誌記事の一部より。右上の写真は岡田有希子ちゃんが大木戸ビルの屋上から飛び降りる際、階段の踊り場にスリッパを脱ぎ捨てたというものだが・・・。この不自然な写真に、これは誰かが意図的にスリッパを並べたものではないかと私は思います。まず、サンミュージックが主張するのは、スタッフが目を離した隙に有希子ちゃんが一気に屋上まで駆け上がったということだが、物凄く切羽詰まった、無我夢中だった、その割にスリッパの脱ぎ方が丁寧である。これはおかしいです。人の目を盗む
こんばんは。5月に入り早くも6日になりました。今月初めての投稿です。仕事が忙しかったり何だりラジバンダリと色々ありまして更新をサボって空けてしまいました。きっと誰も気づいていないと思うけどね!(*゚∀゚)アハハー!先月は岡田有希子さんのメモリアル月ということで、喜びと悲しみの入り交じった4月でありました。そしてこの5月は!そう、「花のイマージュ月間」でございます。ユッコさんがご存命であれば1986年5月14日に発売される予定でした。発売予定から13年後にようやく世に出る事ができた訳で
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
先日、スケバン刑事のブログを書きましたので、これに関し、どうしても書かずにいられないことがあります。スケバン刑事の悪役キャラで海槌亜悠巳という人物が登場します。スケバン刑事より海槌麗巳、亜悠巳、久巳の悪魔の三姉妹で次女が亜悠巳です。麻宮サキを再三にわたって苦しめる憎き人物ですが、この亜悠巳を見事に演じたのが遠藤康子さんという女優さんです。その康子さんですが、残念なことに翌年の昭和61年3月30日に飛び降り自殺してしまいます。そう、岡田有希子ちゃんが亡くなる9日前に康子さんが亡くなった
岡田有希子さんの命日であった4月8日、今年も大勢の方が四谷の大木戸ビル前に集いました。プログフォローをさせて頂いている円さんが昨年に引き続き今年も四谷へ出向いて下さり、現場の様子を撮影した写真をご提供頂きましたので、円さんからご報告下さった当時の状況、そして私自身の思いを合わせて綴りたいと思います。可愛かずみさんのファンである円さんは、この日の朝、かずみさんの墓前に伺いご挨拶をされてから四谷に向かいました。円さんはこの駅で降りてビルへ向かったそうです。駅から左前方に小さく見えるビル。もちろ
1984年4月21日に『ファースト・デイト』でデビューした岡田有希子さん。今年でデビュー41周年となります。ユッコさんおめでとう!🎉41年前の4月…私は高校に入学したてのJK(笑)でした。人見知りな自分は今ひとつクラスに馴染めていなくて、勉強についていけるかよりも仲の良い友達ができるかという心配が頭の中を占めていましたしかし、私がそんなちっぽけな心配をしている頃、岡田有希子さんは喜びと不安を胸に抱きながら芸能界という大きな海で航海を始めていたのです。では、恒例?のカラーレコードをご紹介。