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岡田有希子さんの命日を去年に続き今年もファンの方達と一緒に四ッ谷に立たせて頂きました。有希子さんファンの間では命日は佳桜忌と呼ばれていて、いつも多くの方に見守られ愛され続けています。去年の可愛かずみさんの27回忌を家族の方にもお寺の方にも相談をさせて頂いて行うことが出来たことも去年、有希子さんの佳桜忌で見せて頂いたユッコフレンズさん達の変わらない愛を見せて頂き勇気を貰うことが出来ました。ほんとにあの時は背中を押してくれるようなそんな気持ちになっていました。当初、かずみ
【5枚目シングル曲『SummerBeach』…5枚目シングル『SummerBeach』(サマー・ビーチ)は1985年4月17日、キャ二オン・レコード(現ポニーキャニオン)から5枚目のシングルとして発売リリースされた。その他、1985年6月28日、第4回メガロポリス歌謡祭ポップス部門賞を受賞。『SummerBeach』の楽曲はグリコ協同乳業(現・グリコ乳業)「グリコ・カフェゼリー」CMソングとして起用された。(出典:wiki
この動画は貼ろうか貼るまいか結構悩んだのですが…やはり皆さんにもご覧になって頂きたくて貼ることにしました。(既にご覧になっている方もおられるかと思いますが)問題提起とまで言うのは大げさなんですけど、皆さんはこの動画を見て何か感じた事はありませんでしたか?っていうのを投げかけてみたかったのです。収録日は1986年3月22日とのこと。亡くなるわずか17日前です。「紅白そっくり大賞」という番組にゲスト出演したようです。にこやかに歌い始めたユッコさんですが、途中から耳に手を当てて歌い出しました。
今回はややネガティブな話になってしまうかも知れません。岡田有希子さんと峰岸徹さんに関する当時の私の記憶に基づいたうだうだ話ですので、読むのが大丈夫な方のみお願いしますm(__)m最近、テレビ番組でほんのチラッと峰岸さんの姿を見た事をきっかけに自分の中に溜めていた思いを吐き出したくなってしまいました今から15年近く前、2008年10月の事です。ある俳優の訃報をネットニュースで知りました。久しぶりに目にする名前「峰岸徹」さん。名前を見た瞬間、頭に浮かんだのは岡田有希子さんの事。無論、2
37年前の今ぐらいの時期、テレビで歌番組を観ていた私は思わず目を見張りました。「あれっ⁉岡田有希子髪切ったんだ!思い切ったな〜」髪をバッサリ切ってショートカットにしたユッコさんを初めて見た私は心の中でそうつぶやきました。でも、当時の私はたったそれだけの感想だったと思います。そして、その時は彼女の事を「ユッコさん」と呼んでいたわけではなく、フルネームで呼び捨てあ〜ユッコ様〜すまぬ37年前の1985年4月17日、5枚目のシングル『SummerBeach』がリリースされました。歌詞も曲調も
岡田有希子さんの命日であった4月8日、今年も大勢の方が四谷の大木戸ビル前に集いました。プログフォローをさせて頂いている円さんが昨年に引き続き今年も四谷へ出向いて下さり、現場の様子を撮影した写真をご提供頂きましたので、円さんからご報告下さった当時の状況、そして私自身の思いを合わせて綴りたいと思います。可愛かずみさんのファンである円さんは、この日の朝、かずみさんの墓前に伺いご挨拶をされてから四谷に向かいました。円さんはこの駅で降りてビルへ向かったそうです。駅から左前方に小さく見えるビル。もちろ
1960年代後半、数多のGS(グループサウンズ)がデビューしました。その中に「ザ・クーガーズ」というスカートを身にまとった一風変わったバンドが存在していました。ザ・クーガーズ-Wikipediaja.m.wikipedia.org1966年に結成され、1967年10月に日本クラウンより「テクテク天国」「あこがれ」の2枚同時発売でレコードデビュー。グループサウンズといえばブルー・コメッツのスーツ姿とかザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスなどの王子様チックな衣装が思い浮かびますが、こ
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・前から欲しかった、ユッコちゃんの写真集「岡田有希子special」を買いました🥰今から40年前の写真集です(,,>᎑<,,)♡中古なので、表紙の端に線がありますが中の写真と記事は綺麗です手元に有るだけで満足♥️☺️デビューして3ヶ月の頃に発売したので、ユッコちゃんの魅力を多くの人に知ってもらいたくてかな?(*^^*)数々の写真、ご家族の事、故郷の事など見どころ満載です
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記
今年も4月8日を迎えました。岡田有希子ちゃんが亡くなって38年。私がこのブログを始めて丸3年となります。有希子ちゃんのあまりにも若すぎる死を決して忘れてはならないのは言うまでもありません。一方で有希子ちゃんのことについて、残念ながら誤解されていることや、あり得ない噂話などが未だに付いて回っているのも現実としてあります。まず何より、有希子ちゃんの直接的な死因が飛び降り自殺であるということが既成事実となっていることが非常に残念ですし納得がいきません。数時間前に自殺未遂をしたからといって、自
【南野陽子】…1967年6月23日は、日本のアイドル、女優、歌手。愛称はナンノ。兵庫県伊丹市出身。南野陽子さんの誕生日です。1999年から2022年末までケイダッシュ所属。現在の所属は個人事務所サザンフィールド。(出典:wikipedia引用転載)南野陽子さん(アイドル時代)歌手デビューまで松蔭高等学校在学中、雑誌のCMタレント募集の広告に応募したのがきっかけとなり、芸能事務所からスカウトされる。CBSソニーのオーディションを受けた後、高校2年生の夏に上京し、堀越高等学校に
この時期は入学・進学シーズンということで、この春に小・中・高、大学に入進学の新一年生たちは新しい環境に毎日DOKIDOKI、SOWASOWAのことかと思います。そこで今日のユッコレは、今の季節にちなんだ品をご紹介いたしたいと思います。旺文社発行の86年版「中学進学ガイド」です。新中一生に向けて作成され書店等で配布された非売品の小冊子です。超ざっくり言うと、中学生になると授業や生活などがこんな感じに変わりますよーといった内容です。(ざっくり過ぎ)岡田有希子さんが旺文社のイメージキャラクター
1986年4月5日・東京、1986年4月6日・名古屋において岡田有希子さんのコンサート『HeartJack』が開催されました。結果的に最後のコンサートとなってしまいましたが、当時参加された方はきっと心に深く刻み込まれていることと思います。HeartJackのコンサートパンフレットです。私が唯一所有しているユッコさんのコンサートパンフになります。ぐんと大人っぽくなったユッコさんの写真がふんだんに掲載されていて、まるで写真集でも見ているような気分になります。ほんの一部ですが載せておきます
1986(昭和61)年1月1日(水)~10日(金)まで、岡田有希子さんは、海外取材のため香港・マカオへ行きました。当初の予定では、香港だけ行く予定でしたが、急遽、マカオまで足を延ばしました。ホンコンってにぎやかねミンクのマフラー買っちゃった。雑誌取材:香港マカオ/岡田有希子雑誌取材:香港マカオ/岡田有希子ドキドキワイワイ海外リポートユキコの海外体験リポートだゾ、と。スイスではロマンティックに、ホンコン~マカオでは不思議チックに、ユキコ
【ユッコ「堀越高等学校卒業式」】…1986年(昭和60年)3月3日は岡田有希子さんの「堀越高等学校卒業式」が行われた日。中野サンプラザにある「堀越高等学校卒業式」では眼鏡に制服姿の岡田有希子さんが堀越のクラスメイトと一緒に最後の卒業式を迎えます。エピソードとしては先生に「もしかしたら卒業できないかも知れないぞ!」ってこう言われてあーやだな留年かなあなんてねちょっと心配してたことを語っておりギリギリ最後の二カ月位で頑張って学校に行って卒業させてもらったことをSpringツアー86
✨🎼.•*¨*🌟¸¸🎶✨🎼.•*¨¸¸🎶✨🎼.•*¨*🌟今日、4月17日はユッコちゃんの5枚目のEPレコード「SummerBeach」の発売記念日㊗️(1985年4月17日発売)尾崎亜美さん、作詞・作曲松任谷正隆さん編曲のこの曲は暑い夏ではなく、ビルの立ち並ぶ都会にそよぐ爽やかな夏の風のようなサウンドに、ビーチサイドの恋物語がオシャレなサマーソングだと思います😊🎶ユッコちゃんの歌声も心地良い❤️ここ近年、シティポップが注目を集めてますがこのSumm
今年で38回忌を迎える「岡田有希子さんの命日」。★誰からも愛された岡田有希子さん。本日4月8日は歌手・女優の岡田有希子さん38回のご命日。いつも明るい笑顔で誰にでも分け隔てなく気遣いの出来る素敵な女性でした。いつまでも色褪せないユッコの歌声はいつまでも私たちの心を魅了します。今回はお墓参りはできないので静かに偲びたいと思います。いつの日かユッコと出逢える日まで。『BelieveInYou』『佳桜忌』とは…1986年4月8日は岡田有
ユッコのお母さんは、娘の死後に出版された遺稿集「愛をください」に手記を寄せている。これを読むと、お母さんが娘の才能に早くから気付いており、娘の気質や性格もよく理解していたことが分かる。この本にも掲載されている一枚の写真。ネット上でも、''岡田有希子お母さん''で画像検索すると出てくるが、赤ん坊のユッコを抱いて、やや俯き加減のお母さんの表情にはどこか影がある。(余談だが、お母さんに抱かれた赤ちゃんユッコの可愛いこと。まるでお人形さん。大きなお耳と、クリクリの目が特徴的だ。)写真が
本日は岡田有希子さんの祥月命日です。1986年4月8日、有希子さんが突然遠い星へ旅立ってから38年になります。38年も経つと記憶なんてものはどんどん薄れて曖昧になってしまっていますが、やはりこの日の出来事だけは脳裏に焼き付いて離れません。岡田有希子さんというアイドル歌手の存在は当然知っていたし、テレビでもよく見ていました。そんな方の突然過ぎる訃報を聞いた時は驚きましたし、悲しくなりました。その時はただ「なんで?」だけが頭の中でぐるぐる回り、思考が止まっていたような感じになっていたと思います
再び「愛をください」より。佳代さん誕生時のお母さんの話。昭和42年に佳代が生まれました。辺縁性胎盤という異常出産で、あとで聞くと、ふつうは帝王切開をするのだそうですが、陣痛の起こる注射を打って、切開せずに生みました。未熟児で体重は2700グラム、身長47センチしかありませんでした。三歳児検診のときに、「よくまぁ無事に生まれましたね。ふつうなら死産か障害児として生まれるケースです」と先生に驚かれ、かえって私のほうがびっくりしたくらいです。お母さん、よくぞ無事に産んでくださいました。娘さんはみ
こんばんは。今回は麗しのユッコ「水着編」です。昨年にも水着姿のユッコさんをお送りしたのですが、今年もやっちゃいます👍毎度同じ事を言って恐縮ですが、ユッコさんは本当に抜群のプロポーションを誇っていると思います特にデビュー間もない頃などは、あどけなさを残しているお顔とボディのアンバランスさ(もちろんいい意味で)に思わずハッとさせられます。スタイルの良さがユッコさんの持つ大きな魅力のひとつであるという事は間違いないですね。毎日暑い日が続いています。ユッコさんの水着姿をご覧になり清涼感を得られ
岡田有希子16歳から18歳までの顔の変化あちこちから集めた画像の切り貼りで申し訳ないのだが、ユッコが16歳(高校2年生)でデビューした頃から亡くなる前、18歳(高校卒業後)までの顔の変化を追ってみた。16歳から18歳。花に例えるならば、固い蕾が膨らんで、咲き始める…ちょうどそんな時期だろう。恋に憧れ、異性への関心が高まる時期でもあり、肉体的にも精神的にも大人に近づく多感な年頃だ。たった2年の間に、ユッコの顔つきもだいぶ変わったように見える。デビュー当時は、まだあどけなさの残る表
岡田有希子さんが亡くなって2年後の1988年に出版された「愛をください」。ユッコ好きの方達の間では有名な書籍であろうかと思います。幼少期から中学時代にかけて残した絵や習字といった作品や、芸能界デビュー前後に書き綴った日記や詩、そして有希子さんのお母さんが寄せた手記が掲載されています。娘・佐藤佳代としてこの世に生を受けた喜びから、18歳という若さで突然先立たれた悲しみまでが細かく綴られています。そしてこの本を読んだ事により、性格や気質を窺い知ることができ、ユッコさんを好きになる加速度が急激
さて、月曜日ハードな手術をやり切りました外科医として28年目の春です38年前の1986年の今日、大好きだったアイドル、岡田有希子さんが自殺しました私の高校の入学式その日でしたようやく受験を突破し、これから充実の高校生活を頑張るぞ!コンサートにも行くぞ!と意気揚々だった4月8日の昼過ぎ、、、親友の同じく彼女の大ファンが泣きながら話しかけてきました彼女が亡くなったと、、、テレビの中の流れ出た血の映像、、、目の前が真っ暗になり、、、あまりに強烈な映像にショックを受けたことは今でも鮮明
麗しのユッコ第8弾です。今回はユッコさんのオール水着姿で攻めていきたいと思います。ただ可愛いだけじゃなく抜群のプロポーション。ユッコさんを語る時、やはりこの事は外せないんじゃないでしょうか。ちょっと俗っぽい表現で申し訳ないのですが、「出るとこ出て、引っ込むとこは引っ込んでいる」(*ノェノ)キャーなんですね。均整のとれたスタイルで何とも羨ましい(-_-;)写真集のフォトが中心となります。では、清涼感いっぱいの水着ユッコ、いきまーす!こちらは、雑誌「DUNK」のグラビアより。この写
峰岸徹。本名峰岸知夫。1943年7月、東京の銀座で生まれ、日本橋で育つ。私の世代だと、印象に残っている役は、TBSドラマ「高校教師」(1993年放送)で主人公である女子高生の父親…なのだが、娘と肉体関係を持つ歪んだ役だ。あとは、フジテレビのドラマ「古畑任三郎」で、古畑の上司役だったような。バラエティ番組にも、ちょいちょい出ていたような気がする。岡田有希子との仕事上の接点は、1985年11月から1986年1月まで放送されたドラマ「禁じられたマリコ」での共演ぐらいだろうか。ユッ
行った事が無くて・・・。オバサンがボタンを押してくれて良かった!気が小さいので、押せません!怒られそうで・・・。駐車場が無いのが珍しい!サラリーマンが昼休みか?ベンチは無いかと?何かトイレの警報が鳴ってビックリ!CQを20回くらい出したけど、ダメ!近所にはいっぱいいるのに・・・。昨日覚えた関東の方言で片しました。これで用法はOKかな?で、花を観察する事に!名前は分からないです。チューリップなら分かるかな!ポートレートモードで撮影!暑くも寒くもない日でした。うんう
東京都新宿区四谷4丁目にある大木戸ビルにはかつて、ユッコこと岡田有希子が所属していた事務所があった。先日、所用でたまたま近くを通りかかったので初めて、このビルをスマホのカメラに収めた。(現在、事務所は隣町の左門町に移転している)1986年4月8日、午前中に一人暮らしの自室で手首を浅く切り、ガス栓をひねって自殺未遂を図ったユッコは、病院に駆けつけた事務所の専務とスタッフに付き添われ、人目を避けつつこのビルの6階にあった社長室に入った。(社長は外出中、担当マネージャーは休みで、
1日前倒しでありますが・・・7月17日は岡田有希子さん6枚目のシングル『哀しい予感』が発売された日です。1985年。もう37年が経ちます。さんじゅうしちねん・・・当時ピチピチJKだったアタシもいまや…ピーーーーーー(電波障害)どんな怪談よりも身の毛がよだちます。ヒエー((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル哀しい予感については、これまで事あるごとに様々なお話をさせていただきました。これまた何となく語り尽くした感があるのですが、やはり記念の日なので今年もブログにしかと足跡を
昭和の水着美人(#^.^#)山口百恵さん風吹ジュンさん松田聖子さん岡田有希子さん寺尾友美さん新垣結衣さん中山美穂さん斉藤由貴さん森尾由美さん河合奈保子さん松本伊代さん青木優子さん木之内みどりさん大場久美子さんアグネスチャンさん田村英里子さん伊藤美紀さんいとうまい子さん森尾由美さん三原じゅん子さん山口百恵/いい日旅立ちYouTube从*´ヮ`)ノ