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数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ユッコこと岡田有希子さんがのこしたうたのなかで唯一、冬の情景を感じる「二人のブルー・トレイン」について。もうすこし続けます。この曲を作曲した杉真理(すぎ・まさみち)さん。ユッコさんの曲ではほかにも、慶大軽音サークルの後輩にあたる竹内まりやさんとのコンビで「ペナルティ」を手掛けています。杉さんの曲で多くの方が耳にしたであろうメロディーは、サ
今、土曜日に放送していた「ダウンタウンvsZ世代」の録画を観ています。「昭和の○○」ってテーマで昭和にあった色々な事柄を取り上げているのですが、その中で「昭和のアイドル」というのもあって、そこで挿し込まれたタイトル画面がこれ↓なんですけど、この白いドレスを着た女の子が私には岡田有希子さんにしか見えないのであります。皆さん、どう思いますか?ユッコさんに見えるでしょ?見えるでしょ〜?!(誘導)(≧∇≦)b⭐⭐⭐
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。節分を過ぎ、今日は立春。まだまだ寒いですが、暦の上ではもう春なのですね。ユッコこと岡田有希子さんについてのブログを始めた一因だったりする、わたしの五十肩。相変わらず、リハビリに通っています…と打とうとすると、いつのまにか変換候補に佳代ってと出るようになりました。相当に佳代っている、じゃなくて偏っているわたしのスマホなのであります。
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。試験休み中の、ほんの十年前は絶賛パパイヤ期だったわが子。大量に出た宿題のひとつ、太陽系の天体をレポートにまとめる課題にイヤイヤ取り組んでいる。その横から、自分が小学生の頃に見たアニメの主題歌で覚えた、惑星の順番「♪すいきんちかもく、どってんかいめい〜」を披露し、ついでに「ジュピターは木星のことなんだゾ〜!」と、自慢げに説明する素面のわた
【グリコカフェゼリー(グリコ協同乳業)CF撮影】…1986年(昭和61年)2月5日。岡田有希子さんはグリコカフェゼリー(グリコ協同乳業:現グリコ乳業)のCF撮影に入る。グリコカフェゼリーのCMは4パターンが用意され「小羊NOTE」編、「SummerBeach」編は岡田有希子さん自らのCMキャラクターとCMのBGMに起用された。もう一つはCMソングには起用されていないがカフェゼリーをつまみ食いしようと老婦人とのやりとりのシーンが描かれている。1986年(昭和61年)2月5日のCF
追い払いたいものある?まあいろいろありますわよ。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう昨日の節分は恵方巻を食べ、豆を食べました。一応、歳の数だけ豆を出してみました。何粒あるのかって?それはゴニョゴニョ…(笑)食べるの結構大変でした。食べても食べても減らないっていうか(;´∀`)節分絡みのユッコさんの画像ってこれ1枚しか持ってなくて、まさかの3年連続掲載でいきます!でもねでもね、この画像のユッコさんってすごくいい表情していると思うんです。大好きな1枚です。ん〜
昭和61年1月29日は、岡田有希子さん8枚目のシングル『くちびるNetwork』の発売日です。それから37年が経ちました。カネボウ化粧品のキャンペーンソングに選ばれた歌ですが、何と言っても作詞・松田聖子さん、作曲・坂本龍一さんという豪華作家陣。とにかく大きな話題を呼び、この当時の事は私も覚えています。特に聖子さんは当時芸能活動を休業中で、そんな中に湧いたニュースはユッコファンのみならず、聖子さんファンも注目したのではないでしょうか。一大プロジェクトとも言えるこの曲、オリコン1位も獲得しまし
LSD/JUSTLAST/幻「岡田有希子」飛び降り自殺ジ...-ヤフオク!LSD/JUSTLAST/幻「岡田有希子」飛び降り自殺ジャケット1984年【超貴重レア】【貴重hardcore放出第1弾】7EP/幻のジャパニーズHC幻バージョンのジャケット当時巷では大騒ぎだった「岡田有希子」の飛び降り自殺写真衝撃的ジャケット注意※脳みそ飛び散り写真当時本当に衝撃的でした■商品の状態■盤:目立ったキズはなしジャケット:…page.auctions.yahoo.co.jp
#池袋ホットアイズで開催された#みーちゃんのヒットパレードで歌わせて頂きました🎵セットリスト①#ホーリーナイトダンス#わたなべみほ②#Destiny~この空に抱かれてわたなべみほ③#くちびるネットワーク#岡田有希子④#ファーストデイト岡田有希子⑤#ガラスの哀愁~小さな命を忘れないわたなべみほ10代の頃に#キングレコードから発売された曲#バンダイミュージックから私自身が作詞をして発売された曲そして大好きな岡田有希子さんの曲は、#サンミュージッ
ユッコがデビューした頃に受けたインタビューでは、父親について以下のように語っている。・厳しいところもあるけど子供の自主性を尊重する人。・仕事が忙しく帰宅も毎日遅かったので、家では顔を合わせたことがほとんどない。・大きくなるまで(自分が夜更かしをするようになるまで)父親と話したことがほとんど無い。・芸能界に進むことについては、父親と直接話し合っていない。・いつも母親を通して、父親に自分の気持ちを伝えてもらっていた。ちなみに、ユッコの母親は専業主婦。一度働きに出たことがあるらしいが、
ユッコのお母さんは、娘の死後に出版された遺稿集「愛をください」に手記を寄せている。これを読むと、お母さんが娘の才能に早くから気付いており、娘の気質や性格もよく理解していたことが分かる。この本にも掲載されている一枚の写真。ネット上でも、''岡田有希子お母さん''で画像検索すると出てくるが、赤ん坊のユッコを抱いて、やや俯き加減のお母さんの表情にはどこか影がある。(余談だが、お母さんに抱かれた赤ちゃんユッコの可愛いこと。まるでお人形さん。大きなお耳と、クリクリの目が特徴的だ。)写真が
「爆報THEフライデー!」2016年12月2日放送の2時間スペシャルにユッコこと岡田有希子が、生前の映像で登場した話の内容と感想です。前編はコチラユッコの死後、ある外国人青年が岡田有希子の面影を求めて来日しました。彼の名はリチャード。オーストラリア人。来日後、上智大学で学んでいる時に同じ大学に通っていた早見優のツテで大好きだった岡田有希子が所属していた、サンミュージックへの入社を果たします。インターネットの無い時代、彼が岡田有希子を知ったきっかけはオーストラリアに留学していた
皆さま、こんにちは。ここをご覧になられている世代の皆さんは、岡田有希子さんってご存じでしょうか。ソラマメさんの青春時代←死語に大人気だった歌手です。その岡田有希子繋がりでユッコの大ファンを自称し、ユッコの番組を作りたいからと自ら出資してドットーレ山口のドキドキラジオ’84という地元名古屋の東海ラジオでDJをされているナグモクリニック名古屋院院
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ユッコこと岡田有希子さんがのこしたうたは、春から夏の季節を描いたものが多いと思います。そのなかで唯一、冬の情景を感じるのが「二人のブルー・トレイン」。このブルー・トレインは、作詞の竹内まりやさんの故郷・出雲市と東京をかつて山陰本線経由で結んでいた寝台特急「出雲」なのだそうです。ユッコさんがこのうたをうたっていた1985年冬に、わたしも一
【昭和の伝説アイドル★岡田有希子】1967年8月22日1986年4月8日出身地:一宮市死没18歳身長155cmO型:獅子座キャッチフレーズ:「いつまでも、一緒にいてね。」「ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」岡田有希子(本名佐藤佳代)は、日本のアイドル、歌手、タレント女優である。愛称はユッコ。愛知県一宮市で生まれ、名古屋市熱田区育ち。名古屋市立向陽高等高校を経て堀越高等学校卒業。サンミュージックに所属していた。1984年に音楽賞新人賞を総なめにし「ポスト松田聖子」と期待
アナログのデジタル化作業でこんなVTRがありました。当時は小泉今日子ちゃんと石川秀美ちゃんが好きでよくビデオに録画してましたでもこれには小泉今日子ちゃんは出てこないいんですが火曜ワイドスペシャル『第12回オールスター寒中水泳大会』石川秀美/堀ちえみ/大沢逸美/早見優/松本伊代/松居直美/荻野目洋子/渡辺桂子/岡田有希子/加藤香子/浜田朱里/セイントフォー他大磯プリンスホテル室内温水プールより中継録画だそうです司会はおりも正夫さんと片岡鶴太郎さんアイドル達の水着での競技そのカ
風街散歩愛を知る県⑥数年前から一度はお墓参り訪問したいと思っていました岡田有希子さん(1967年8月22日-1986年4月8日)生存していたらこの8月で49歳を迎えていました日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤佳代(さとうかよ)。愛称は「ユッコ」。身長155cm。愛知県名古屋市熱田区出身。名古屋市立高蔵小学校、名古屋市立沢上中学校、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひ
荻野目洋子さんは、ユッコの1学年下で1968年生まれ。小中学生の頃から断続的に芸能活動はしていたが、ソロ歌手としてのデビューはユッコと同じ1984年4月(荻野目さんは3日、岡田有希子は21日)。「荻野目ちゃん」の最大のヒット曲といえば「ダンシング・ヒーロー」。EatYouUpというディスコナンバーのカバー曲で、キレキレの振り付けと共に幅広い世代に受けた。当時小学生だった私もこの曲はよく覚えているし、振り付けも真似して遊んだ記憶がある。(ユッコ研究のブログを書いてるくせに、ユッコ
【河合奈保子さんと岡田有希子】河合奈保子さんといえば西城秀樹さんが主宰する新人発掘コンテストの「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に合格し「西城秀樹の妹」というフレーズでその後アイドル歌手としてデビューします。1980年代に入るとデビューが同期の松田聖子、柏原芳恵とともに「三大アイドル」と呼ばれた。その後テレビやラジオ、ドラマと活躍。デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重
今日、イ某ン(←別に伏せる必要は無いのに、ただ言いたかっただけ)へ買い物に行くと、バレンタインデーのチョコがたくさん展開されていました。買うつもりはなかったけど、ぐるっと見て回っていると「モロゾフ」のチョコレートがありました。モロゾフという洋菓子店は私も名前だけは知っていますがお菓子を食べた事はないですし、お店も札幌まで行かなくてはならないので私のような田舎者にはなかなか縁がありません。そしてモロゾフといえば、こちらを思い出すのです。遺稿集「愛をください」より、岡田有希子と名乗るずっと前
峰岸徹。本名峰岸知夫。1943年7月、東京の銀座で生まれ、日本橋で育つ。私の世代だと、印象に残っている役は、TBSドラマ「高校教師」(1993年放送)で主人公である女子高生の父親…なのだが、娘と肉体関係を持つ歪んだ役だ。あとは、フジテレビのドラマ「古畑任三郎」で、古畑の上司役だったような。バラエティ番組にも、ちょいちょい出ていたような気がする。岡田有希子との仕事上の接点は、1985年11月から1986年1月まで放送されたドラマ「禁じられたマリコ」での共演ぐらいだろうか。ユッ
私にとってはちょっとした事件よさきほど(19時〜)放送していた「ニンチド調査ショー」という番組。あとでゆっくり観ようと録画をし、オンタイムでは他の事をしながらと「ながら見」状態でした。その時はちょうど爪を切っている最中だったのですが、ちょっと手を止めてテレビ画面を見ていると、目を疑うような場面が!昭和や平成のテレビ番組についての話題を取り上げていたのですが、映し出された新聞のテレビ欄には我らが岡田有希子さんの名が!!拡大します。はい、ドーン!これ見た瞬間、意味もなく狼狽しましたよ。も
石野真子恋のハッピーデート1980石野真子恋のハッピーデート1980youtu.be『ジュリーがライバル』~『わたしの首領』('14.08)_石野真子『ジュリーがライバル』~『わたしの首領』('14.08)_石野真子説明『ジュリーがライバル』,『太陽は夜も燃える』,『わたしの首領』と3曲つなげた蔵出しです。youtu.be松田聖子夏の扉松田聖子夏の扉【聖子の夏ひよこの夏】youtu.be石川ひとみまちぶせ石川ひとみまちぶせyo
昨日、4月8日は岡田有希子さんの命日でした。あれから36年も経つんですね。あの日、そのニュースが飛び込んで来た時には本当に驚きましたが、一方で、「やっぱり…」という気持ちもありました。少し前から、テレビ画面に写る彼女に異変を感じていたからです。まだ18歳。若過ぎる死を多くの人が悼みました。岡田有希子さんは明菜と同じ『スター誕生!』出身。決戦大会では「スローモーション」を歌い合格、夢だった歌手デビューを果たします。小説や漫画に出てくる''可憐な少女''のイメージその
〝♪眠れない…眠らない…〟わたしが多感な田舎の高校生だったころ。深夜にノイズ混じりのAMラジオから流れた、こんなフレーズから始まる曲が偶然耳に飛び込んできました。その曲は途中でフェードアウトしてしまい、曲名も誰がうたっているのかもわかりませんでしたが、なんとなしに、ずっと印象に残っていました。いまになってこの曲には〝恋の不眠症〟なるキャッチコピーがついていたのを知りましたが、悩み多き当時のわたしの琴線に触れるものがあったのでしょう。あれから四十年近くも歳月が流れてから、この曲が
岡田有希子こと佐藤佳代さんは、1985年4月8日に7階建てビル屋上から飛び降り自殺しました。即死でした。その日の午前中には、移り住んだばかりのマンションにて手首を切ってガス栓をひねっての、1回目の自殺…しかし、これは住人がガス臭に気付いて警察に通報したため、あえなく発見。病院に救急搬送され、命に別状はなかった。しかし、彼女は泣きじゃくるばかりだったため、マンションの管理人が彼女の緊急連絡先である所属事務所に連絡。事務所の専務が迎えに出た。「どこに行きたい?」との問いに、彼女が「事務所。」と
起きぬけに見た「よみがえる新日本紀行」。可愛い服がいっぱい見られて、幸せだった。以下は、番組サイトのデータ。「ファッション通り〜東京・原宿〜」初回放送日:2021年10月10日昭和48年、東京・原宿を訪ねた新日本紀行を再び。長い歴史を持つアパートの暮らし、華やかなファションに夢を託す人たちなど新旧が交錯する街の表情が描かれている。新日本紀行から48年、東京を代表するおしゃれな街としてにぎわいを見せる原宿を再訪した。番組に登場したスタイリストに薫陶を受けた女性は多くの俳優やミ
2月になりましたね〜。日が経つのが本当に早く感じます。今月もよろしくお願いします。今日はここ数日続いた寒波がやや緩み、家の屋根の雪が落ちまくっていますでも、明日(今日の夕方?)からまた天気が荒れる予報でちょい憂鬱ですさあ、岡田有希子さんの笑顔を見て癒やしと元気をもらって今月も頑張るか〜ユッコスマイル・本家“君ほほえめば”ザ・ピーナッツver.@シャボン玉ホリデーWhenyou'resmilin'(あなたがほほえめば)Thewholeworldsmileswit
【ドラマ『禁じられたマリコ』総集編第9話-第12話(最終回)】✦ドラマ「禁じられたマリコ」第12話(最終回)までの記事を読んで頂きありがとうございます。今回は前週掲載終了となったドラマ『禁じられたマリコ』第12話(最終回)までの記事第9話から第12話(最終回)までのあらすじをまとめて総集編にしてみました。ドラマ「禁じられたマリコ」ドラマ編】…ドラマ「禁じられたマリコ」第12話(最終回)までの記事をリンクupしました。(2023/1.9~1.28-第9話から第12話(最
正月休みの時に我が家の物置部屋に潜入し、暖房もない寒い所で物色すること1時間弱。懐かしいものや珍品・奇品?をいくつか引っ張り出してきました。・光GENJI全集諸星和己根性光GENJIのメンバーが当時、一人ひとり個別に出していたエッセイ本で、こちらはかーくんこと諸星和己さん版です。1990年発行と印刷されていたのでもう33年も前です。私も若かったねえ私、本当はあっくん(佐藤敦啓さん)のが欲しかったんですけど、近所の田舎の本屋にはかーくんのしかありませんでした。グラビアページもいくつ