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今年の初聴きユッコソングはどれにしようかと考えた結果、『花のイマージュ』を聴かせて頂きました。幻のシングルでありながら、私の中ではガチな名盤です。声に張りがあって伸びやかに歌われていて、聴いていると本当に日の目を見る事ができて良かったな〜とつくづく思います。そんな花のイマージュを聴きながら、お正月っぽく和楽器を使った花のイマージュをバンブラで演奏してみようかと、無謀とも言える事を考えるイケナイ私。が、さっそく作業にとりかかりましたイチから打ち込むわけではなく、以前に投稿したものをソフト
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。先日なくなった上岡龍太郎さんの訃報を受けて、三谷幸喜さんが一番印象深いという上岡さんのこんな言葉を紹介していました。「人間は19歳から25歳の間に得た知識で、残りの人生は決まるんだ」上岡さんといえば、故横山ノックさんへの弔辞が当時絶賛されていたのを思い出すのですが、よく考えたら「19歳から25歳の間」というのは、上岡さんが横山さんたちと
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。わたしの一周5kmのランニングコースの途中にある、コロナ禍で息の根を止められてしまった寿司屋には、いまも屋号が書かれた一枚板の大きな看板が掛かっている。すっかり黒ずんで店名も読めなくなりつつあり、朽ちていくのを待つばかり。その看板を見てわたしは、開店したばかりの白木に墨痕鮮やかな屋号を想像してみる。もちろんそれを実際に見たことはない。だけど
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。今年は5月中旬に早くも東京で真夏日を記録するなど、あきらかに夏の到来が早まっていますよね。ツツジの花が一斉に咲き乱れたのも、例年に比べ随分早かったですし。先日の記録的大雨が通り過ぎた後、昼前にいつものランニングコースを走りました。途中で命の危険を感じてしまいました…体が重い、まるでエンジンが止まったバイクを押してるみたいだ…日が高
坂本龍一さんの訃報が入ってから今日で2日になります。世界的に有名な坂本さんでありますが、岡田有希子さんにシングル・アルバム合わせて3曲提供して頂いた方でもあります。『くちびるNetwork』が発表された当時、アイドル歌手に曲を書くというイメージが全然なかったので、とても意外に思ったものです。アルバム「ヴィーナス誕生」では、『WONDERTRIPLOVER』と『眠れぬ夜のAQUARIUS』の作曲を手掛けています。坂本さんを偲ぶ意味も込めまして、『WONDERTRIPLOVER』をバ
日頃、下手っぴなバンブラ演奏やスライドショーを作ってはここで皆さんに見たり聴いたりして頂いているのですが、最近はそれらの動画投稿に失敗してしまうことが多々あります。理由は「著作権の侵害云々」。バンブラ動画を送信してもこんな画面が出てしまう事が増えました。↓先日、『WONDERTRIPLOVER』を投稿しようとした時も上の画面が出てダメでした。自分で演奏したものなら大丈夫という認識でいたのですが、厳しくなったのですかね?結果として、この曲はYouTubeにアップさせて頂いたわけです
岡田有希子16歳から18歳までの顔の変化あちこちから集めた画像の切り貼りで申し訳ないのだが、ユッコが16歳(高校2年生)でデビューした頃から亡くなる前、18歳(高校卒業後)までの顔の変化を追ってみた。16歳から18歳。花に例えるならば、固い蕾が膨らんで、咲き始める…ちょうどそんな時期だろう。恋に憧れ、異性への関心が高まる時期でもあり、肉体的にも精神的にも大人に近づく多感な年頃だ。たった2年の間に、ユッコの顔つきもだいぶ変わったように見える。デビュー当時は、まだあどけなさの残る表
あなたは永遠に18歳のままで30年経った今も、私たちに色々なことを考えさせてくれる。高校を卒業したばかり、一人暮らしを始めたばかりの春。ユッコと呼ばれていたそのアイドルは突然この世を去った。岡田有希子。本名佐藤佳代。彼女はなぜ、そうまでして生き急いだのか。飛び降りそのものは、発作的、衝動的なものだったかもしれないがその前に決行した自室での自殺未遂は、彼女が最後に発した究極のSOSだったのだろう。18歳の少女が、明るい笑顔の下で抱えていた孤独。心が闇に包まれて、すっぽり覆わ
オーディション番組''スター誕生''で歌う中学3年生のユッコ。この時はまだ本名の佐藤佳代を名乗っている。貴重な動画です。アップしてくださった方ありがとうございます!昭和57年、1982年のこの日(テレビの字幕は58年となっているが、一年間違えていると思う)中学3年生の佐藤佳代は夢を叶えるため、その第一歩を踏み出した。スター誕生といえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵、中森明菜などのスターを発掘した昭和の公開オーディション番組。佳代が出場した頃は既にブームは下火で、番組の晩年期だった。
Nikonフレッシュギャルコンテストで準グランプリに輝いた佳代が、初めてプロカメラマンに撮ってもらったポトレ。当時14歳。まだ岡田有希子というアイドルになる前の「佐藤佳代」の時代に彼女は一度、自殺未遂とまではいかないがそれに近いことをしたらしい。母親の手記に、短い記述であるが、こんなエピソードが書かれている。中学2年の佳代は、学校の成績も良く先生に可愛がられる生徒だったようでそのことで同級生と上手くいかない(つまり、妬まれた)ことがあった。その頃、佳代は芸能界デビューへの足がか
日勤。19時30分過ぎてもこんなに明るいとは。帰る時暗くないって素敵。これから日勤増えるからお弁当のバリエーションも増やしたいな。腰もだいぶ良くなってきた。やっぱり無理しないで休むのが1番の薬だわ。たけまさ@onotkm3甲府晴れてるゴ☀️☀️☀️明日の12時に名ゴ屋の告知すごおん❣️https://t.co/G0g6XjZbaj2023年06月03日15:07うおーーードキドキ首藤義勝≠千也茶丸@yoshikatsushuto間違いなく今までで一番いいライブだった。同
岡田有希子さんのホロスコープを勝手に読みます先日竹内まりやさんがテレビに出ていて岡田有希子さんが亡くなってから33年も経過と感慨深いものがありました。彼女は18歳で突然亡くなりましたが当時の写真を見るとカワイイ当時はそのままで写ってますからねアプリとかないから岡田有希子-Wikipedia岡田有希子、竹内まりやが提供した全作品を1枚にコンプリートした...アングルを見ると彼女はけっこう頑固だった
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。わたしだけでしょうか。ユッコこと岡田有希子さんのアルバム「十月の人魚」の収録曲「Sweetplanet」(作詞・三浦徳子さん、作曲・小室哲哉さん)を聴いて思うこと。ひざの上に広げたピンクのwatercolourスケッチは下手ですがあなたへのloveletterこの「スケッチ」のところ、何度聴いても「ステージ」に聞こえて
※画像は全てYouTubeにアップされている動画のスクリーンショットです。「プロポーズ大作戦」1973年4月から1985年3月まで放送されていた視聴者参加型の恋愛バラエティ番組。フィーリングカップル5vs5は、同番組が45分枠に拡大された際に番組後半の目玉として設けられた公開お見合いコーナーである。男女5名ずつが向かい合う形で座り、互いに自己紹介や質問などをした後、5人の中から良いと思う相手を選び、番号を押す。相手も自分を選んでいれば、互いの番号が線でつながってカップル成立となる
岡田有希子さん9枚目のニューシングルとして1986年5月14日発売予定だった『花のイマージュ』。この日からもう少しで37年になります。予定通りリリースされる事はありませんでしたので、「幻のシングル」などとも言われています。花のイマージュについては、これまでにも何度かブログに書かせて頂いていますので、今回は(私が勝手につけた)共通のキーワードを用い、少し趣旨を変えた話題でいってみようと思います。そのキーワードとは…「お蔵入り」。花のイマージュに関しては、1999年に発売された「メモリアル
今年の夏の季節も長~く厳しくなりそうですね大雨による被害なども心配ですし、みなさ-ん用心しましょうね-ウォーターマムのヒロですfacebook【Facebookname】小田桐光数(Watermam-hiro)政治家と宗教団体との蜜月な関係性や、華やかに彩られた芸能界の悪しき習慣などについて、なにかの原動力からしだいに闇が明かされてゆき、まるで近代の情報社会がその穢れを浄化しているようウチも歳になるまで音楽活動をしてきた中で自分のモノを、おっさんに咥え込まれ
恋愛経験が皆無に等しく、男性とのお付き合いもした事がないという話をしていた18歳間近のユッコさん。さらにはもっと際どい発言もあって良くも悪くも昭和のおおらかさを感じずにはいられません(苦笑)好きな人ができて、追いかけても相手がいざ振り向いてくれると冷めてしまうのだそうで…つかみどころのない子だな(笑)ユッコファンなら知らない方はたぶんいないであろうユッコさんの「年上好み」。常々最低でも10歳以上年が離れていて、優しくて包容力がある人が好きだと話しています。今だったら「おじ専」とか「老け専
岡田有希子さんが亡くなって2年後の1988年に出版された「愛をください」。ユッコ好きの方達の間では有名な書籍であろうかと思います。幼少期から中学時代にかけて残した絵や習字といった作品や、芸能界デビュー前後に書き綴った日記や詩、そして有希子さんのお母さんが寄せた手記が掲載されています。娘・佐藤佳代としてこの世に生を受けた喜びから、18歳という若さで突然先立たれた悲しみまでが細かく綴られています。そしてこの本を読んだ事により、性格や気質を窺い知ることができ、ユッコさんを好きになる加速度が急激
ユッコさんが石川秀美さんと早見優さんと一緒におニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」を歌っています。他の二人はノリ良く歌っているのですが、ユッコさんは両手でマイクを握りしめたまま脚で少しリズムを取る程度で淡々と(私にはそう見える)歌っています。表情もほとんど変えていない感じです。早見優さんも時々チラチラとユッコさんの方を見てるような…。1985年に夕やけニャンニャンという番組が始まり、そこから誕生したおニャン子クラブ。女子高生を中心とした放課後のクラブ活動のような素人っぽいノリが男子た
7月18日に亡くなった三浦春馬さん。享年30歳俳優の三浦春馬さん死去のニュースにはえ?!ウソ!と、驚いてしまいました。居室から遺書のようなものが見つかっており、自殺とみられています。とても残念です。1990年4月、茨城県土浦市出身。子役から芸能界でキャリアを積み重ねて、CM、ドラマ、映画等で活躍してきました。前日までドラマの撮影に来ていましたが7/18、予定していた撮影現場に姿を見せず、担当マネージャーが三浦さんの自宅マンションを訪ねて所在を確認したところ、クローゼット
昨日、4月8日は岡田有希子さんの命日でした。あれから36年も経つんですね。あの日、そのニュースが飛び込んで来た時には本当に驚きましたが、一方で、「やっぱり…」という気持ちもありました。少し前から、テレビ画面に写る彼女に異変を感じていたからです。まだ18歳。若過ぎる死を多くの人が悼みました。岡田有希子さんは明菜と同じ『スター誕生!』出身。決戦大会では「スローモーション」を歌い合格、夢だった歌手デビューを果たします。小説や漫画に出てくる''可憐な少女''のイメージその
4月4日になりました。35年前の今日はユッコさんが生前最後のテレビ出演をされた日でもあります。改めて動画を見てみました。どうしても先入観ありで見てしまうからなんだけど、元気がなさげ。と言うか表情が寂しそうなんだよね。かと言って何かに深く悩んでいるっていう感じにはそれほど見えない。いや、あえて見せないようにしていたのかも知れないけど。いずれにしても、このわずか4日後に突然この世を去るなんてどう見ても考えられないです。もしかしたら当のユッコさんもそんな事は考えていなかったのでは?それほどあの
本日放送される「マツコの知らない世界」の番組CMです。冒頭から約8秒間、奇跡の歌声を聴くことができます動画貼れた!!コーヒーゼリー➡カフェゼリーって事で岡田有希子さんのファースト・デイトをBGMに使われたのかと思われますが、これは凄い事だと思うのは私だけ?本放送でも流れるのかな?録画予約しとこ
サンミュージックの相澤秀禎会長がお亡くなりになって今年で10年になります。(2013年5月)個人的にはもう10年経つのかーって感じですね。相澤会長はご自身の手帳に岡田有希子さんの写真を貼り付けて、朝会社に来たら必ず写真に挨拶をしてから業務を始めていたそうです。毎日ユッコさんの写真を見る事によって、自社のタレントに対し「もっと親身になって彼らの気持ちに寄り添わねば」との思いを強くしていたのではないかと思います。現在は昔よりもメンタルヘルスについての理解が深まり、芸能界でも心身に変調をきたし
B019<岡田有希子さんからのメッセージ>2019年歓談あきらめないでいただきたいのです夢は1回限りではなく何度も何度も新しい扉を開けるように諦めずに何度も挑戦することこそが本当の夢を作ると言うことになります。私はまだ愚かで浅はかでした私の中には全てが終わったと思ったので・・・ただあの苦い思い出は今生かされてあの時はどうすることもできなかった私の中でできた最善の方法がそれだったからただ今思えばそれが美しい行為だったとは思えない生き
ユッコがデビューした頃に受けたインタビューでは、父親について以下のように語っている。・厳しいところもあるけど子供の自主性を尊重する人。・仕事が忙しく帰宅も毎日遅かったので、家では顔を合わせたことがほとんどない。・大きくなるまで(自分が夜更かしをするようになるまで)父親と話したことがほとんど無い。・芸能界に進むことについては、父親と直接話し合っていない。・いつも母親を通して、父親に自分の気持ちを伝えてもらっていた。ちなみに、ユッコの母親は専業主婦。一度働きに出たことがあるらしいが、
今年もこの日を迎えました。岡田有希子ちゃんが亡くなって37年です。私だけでなく、多くの有希子ちゃんファンの皆さんが想いを綴ってくださる日でもあります。また、先月28日には坂本龍一さんが亡くなりました。ご存知のように龍一さんは、くちびるネットワークの作曲を手掛けています。くちびるネットワークについては、前回の記事に書いた、色・ホワイトブレンドとの関係から、有希子ちゃん的には(私的にも)本意な曲ではなかったかもしれませんか、龍一さんの貴重なプロデュース曲になりました。違った形での龍一さん
うん、相変わらずややこしいね(笑)という訳で、岡村さんについてもちょっと調べてみましたよ一字違いの芸名、デビュー年も一緒(1984年)、堀越高校の同級生、誕生日もユッコさんは1967年8月22日、岡村さんは8月17日と5日しか変わらないという岡村さんの本名は岡村佳枝(かえ)さんと言って、ユッコさんの本名の佳代の「佳」の字まで一緒ちなみに、デビュー日は岡村さんが1月25日ということなので、ユッコさんよりも3か月ほど先輩ですね。岡田と岡村の違いはともかく、「有希子」という名前は二人とも芸名な
今でも覚えてる一番幼いころの思い出は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう4歳の時、兄が投げた硬い雪が顔に当たってケガしました。昭和48年3月3日、土曜日の夜8時過ぎの事でした。何でこんなに細かく覚えているかっていうと、家の中では両親と祖母がテレビでプロレス中継を見ていたから📺当時兄は8歳で、剣先スコップで硬い雪を突っついては投げて雪山を作っていたと思います。そして近くでは私が走り回っておりました。今考えると、夜の暗い時間に子供二人が外に出て何をやってるかって話
毎日私のスマホに入るYahooニュースからのプッシュ通知。今日はこんなのが来てました。2日ぐらい前にも来てたっけ。いつも岡田有希子関連の記事探して見てるからな〜(笑)この記事は既に知っててチェック済みでございますよ、と思いながらまた開いてみたりして岡田有希子「デビュー1年目や勝負作は竹内まりやさん作品で、と決めていた」元ディレクターが明かす制作の裏側(fumufumunews)-Yahoo!ニュースWhat's「未来へつなぐ昭和ポップス」?今、若い世代からも、また海外からも熱い注目