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いや、私のブログのね、私のような弱小ブログの中のお話なんですが、いくつか投稿すると、たまにその中に長い期間、さまざまな方にアクセスしていただける記事があります。最近では私が引退撤回後にひさしぶりにテレビで見た橋幸夫の記事が長らくNo.1だったのですがここの所、9月の頭にテレビで沢田研二のライヴを見たという記事が追い上げて来ました。まさに、いま、並んでます。さあ、この1位、2位争いを制すのは橋幸夫か?それともジュリーか!?!あ、ちなみに3位は、ユッコさん(岡田有希子)のお墓参りに
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記念撮
今から39年前、昭和59年8月13日。この日は札幌そごうの屋上で岡田有希子さんの握手会が行われました。もちろん当時はそんなイベントがあったなんて知る由もなく、自宅から100km圏内の場所にユッコさんがいたという事実に今更ながら地団駄を踏んでしまう始末(笑)イベントの様子をアップして下さっている方がおられます。これを見るといつも感極まってしまうんですよ岡田有希子/MCドキドキラジオの奈美子さんと小緒里さんのことyoutu.beネットで調べてみると、札幌そごうは2000年に閉店しているの
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようそうだ、コスモスといえば思い出した…財布に忍ばせている岡田有希子さんのこのカード。♪おサイフにしのばせたユッコを見つめながら〜↑↑これ、何の歌のオマージュか、このブログを読んでいる方のうち3割ぐらいはわかってくれていると信じています(笑)このカード、裏を返すと…「好きな花/コスモス」って書いてあります。そう、公式プロフィールにはコスモスが好きな花となっているのです。ついでに言うとですね〜、実はコスモスは私が住む市の花
風街散歩愛を知る県⑥数年前から一度はお墓参り訪問したいと思っていました岡田有希子さん(1967年8月22日-1986年4月8日)生存していたらこの8月で49歳を迎えていました日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤佳代(さとうかよ)。愛称は「ユッコ」。身長155cm。愛知県名古屋市熱田区出身。名古屋市立高蔵小学校、名古屋市立沢上中学校、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひ
今回はユッコさんの雑誌記事をご紹介します。DUNK1985年9月号より表紙もユッコさんです。お祭りワッショイないでたちですね。ねじり鉢巻きがカワイイぞ☆この撮影は北海道の牧場で行われました。前日は札幌に滞在しており、当日の午前中に現地入りしました。ブログタイトルにもありますが、ユッコさん、この撮影中に泣き出してしまったのだそうです。そんな事を頭に入れながら写真をご覧ください。うーん、これは泣いたあとに撮った写真なのか?って思わせるような表情。なんともナイーブな表情に想像をかき立てら
「月刊明星」1986年6月号。ユッコさん明星最後の登場となった号です。以前から探していたところ最近になって古書店さん(ネット)で見つけ、購入する事ができました。3月31日に取材をしたという通常記事の前ページに、これまでに撮影された写真を載せた追悼ページが綴じ込まれています。この号は当時にも購入しました。ユッコさんのページを開いた時、誌面がエアメール風のふちどりだったりとか、記事を見て思い出した部分もところどころあり、35年前に時が戻ったようでした。(記事は横浜を訪問したり、スイスでの撮影の
名古屋といえば、我らが岡田有希子さんの故郷でありまして、ブログでもたびたび取り上げたりするのですが・・・本日、イオンで開催中でしたので行って来ました!普段は北海道ではなかなかお目にかかれないご当地商品がたくさんありました。ん〜、憧れの味噌煮込みうどんしかも山本屋監修。これはレンジでチンするだけで食べられるという優れもの。ということは、もう既に煮込まれているということでOK?便利になったんでないかいそんな中、私の目を引いたのは寿がきや商品。寿がきやがいっぱ〜いうん、いい眺めそれから
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。8月25日、都内で「デビュー40周年記念岡田有希子ファンミーティング」が行われました。本邦初にして唯一の岡田有希子トリビュート番組・東海ラジオ放送「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」主催のイベント。抽選による当選者72人のうち、残念なことに7人が当日来れなかったそうです…万難を排して参加できたわたしは、本当にラッキーでした。会場に
中学生当時から河合奈保子さんの大ファンだった佳代さん。中1の夏休みには奈保子さんの肖像画を描きました。※「愛をください」よりすごく上手に描いてますよね。奈保子さんの特徴をつかむため、部屋中にポスターを貼っていたそうです。奈保子さんが歌番組のリハーサル中、舞台のセリに落下して重傷を負った時は「私が代わってあげたい」と言って号泣したというエピソードもあります。そんな佳代さんも芸能界への憧れを徐々に強めていき、ついには”岡田有希子”として奈保子さんと同じ歌手となり、共に舞台に立つまでにな
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
一日たってしまいましたが、昨日5月23日はサンミュージックの相澤秀禎会長の祥月命日でした。2013年って事はもう8年ですね。そんなに経ったのかという思いです。ユッコさん亡き後、社長室(のちに会長室)に写真バネルを飾り続け、手帳にはずっとユッコさんの写真を貼っていた…ユッコさんを3年近く自宅に住まわせた相澤氏にとって、もはや娘のような存在であり、日本一のユッコファンであったかななんて思っています。今頃はもうあちらでお会いできているのかな?
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。いまは何を話しても、曖昧な笑みを浮かべるだけになった母。いよいよ独り暮らしが難しくなり、実家じまいを考えなければならなくなりました。そんな中で数十年ぶりに出てきた、古い写真に思い出したことを。半世紀くらい前の、名古屋からすこし西の超デカい湖がどーんとある県の駅前、妹を背負った母と幼いわたし。この駅は当時からモダンな橋上駅舎でした。
ザ・トップテン1986年3月3日放送(YouTubeより)岡田有希子さんくちびるNetwork第7位で登場です。この日は堀越高校の卒業式が行われた日でもあります。卒業式の様子、トーク、歌唱まで見られる貴重な動画です。こんなのが見られるなんて本当にありがたいです。私個人の感想ですが、ユッコさんの表情がいまひとつ冴えません。無事卒業できて嬉しい&安心しているはずなんだけど…。トークにしても覇気がないし、話し方もどこか歯切れが悪い感じ。卒業したといっても満足いく高校生活じゃなかっただろうし
★1983年8月25日は、岡田有希子(当時:佐藤佳代)さんが東京へ上京した記念日。幼い頃から芸能界に憧れた岡田有希子さん。夢が叶い期待と緊張の中、友人達に見守られながら名古屋から新幹線に乗車して東京へと旅立つ。◉名古屋から上京。東京駅銀の鈴広場で溝口チーフマネージャーと初めて出会う。相澤社長宅で下宿生活を始める事となり、先輩の桑田靖子さんに初めて出会う。岡田有希子(当時:佐藤佳代)さん名古屋から東京へ上京の日★期待と不安を抱えながらも憧れだった芸能界に喜び
今日4月8日は岡田有希子さんの祥月命日です。あれから37年が経ちました。もう何回も書いていますが、当日は高校3年の始業式でした。学校であった事はほとんどと言っていいほど覚えていないのですが、帰宅してからの事は今でも結構しっかりと記憶に残っています。家に入るなり母から「岡田有希子、死んじゃったんだよ」と告げられたのですが、私は何の事か訳がわからず、着替えもせずに制服のまま居間のソファーに座り込んで「えーっ、なんで?」と心の中でただつぶやくしかありませんでした。この日は学校帰りに友人と寄り道を
岡田有希子の葬儀があって数時間後の生放送。司会の小西博之、黒柳徹子は黒服、仲の良かった南野陽子、中森明菜は黒基調の衣装で喪に服している。南野陽子はザ・ベストテン初ランクインなのに、このタイミングでの出演はつらかったと思う。曲名が悲しみモニュメントというのも皮肉すぎる。一番つらそうなのは中森明菜かもしれない。最後に黒柳徹子からの説明があるが、中森明菜が涙ぐんでいるのが印象的。あれから数十年たつがやはり悲しい😢https://youtu.be/Bahv7cj0CTEあの事件の
念願叶って芸能界デビューしたユッコさんは、夢と希望でいっぱいだった一方、心の奥底では既にちょっとした不安も抱えていた…そんな気がしています。考えすぎだと思う方もいるかも知れませんが、これはあくまでも私の考察なのでどうぞサラッと読んで下さいね。(またまた長いですが)いろいろな資料に目を通していく中で感じたのは「嫌われる」、もしくは「嫌われているのではないか」という事に対して恐れを抱いているのでは、といったところでした。いくつかユッコさんが口にしていた言葉として、“(イベント等で)お客さんが
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展
岡田有希子さんのホロスコープを勝手に読みます先日竹内まりやさんがテレビに出ていて岡田有希子さんが亡くなってから33年も経過と感慨深いものがありました。彼女は18歳で突然亡くなりましたが当時の写真を見るとカワイイ当時はそのままで写ってますからねアプリとかないから岡田有希子-Wikipedia岡田有希子、竹内まりやが提供した全作品を1枚にコンプリートした...アングルを見ると彼女はけっこう頑固だった
Dクラス(組)は女子の方が多く可愛い子が多かったが、一番好きだったのは右から2列目の上から4番目の子。
今回はややネガティブな話になってしまうかも知れません。岡田有希子さんと峰岸徹さんに関する当時の私の記憶に基づいたうだうだ話ですので、読むのが大丈夫な方のみお願いしますm(__)m最近、テレビ番組でほんのチラッと峰岸さんの姿を見た事をきっかけに自分の中に溜めていた思いを吐き出したくなってしまいました今から15年近く前、2008年10月の事です。ある俳優の訃報をネットニュースで知りました。久しぶりに目にする名前「峰岸徹」さん。名前を見た瞬間、頭に浮かんだのは岡田有希子さんの事。無論、2
再び「愛をください」より。佳代さん誕生時のお母さんの話。昭和42年に佳代が生まれました。辺縁性胎盤という異常出産で、あとで聞くと、ふつうは帝王切開をするのだそうですが、陣痛の起こる注射を打って、切開せずに生みました。未熟児で体重は2700グラム、身長47センチしかありませんでした。三歳児検診のときに、「よくまぁ無事に生まれましたね。ふつうなら死産か障害児として生まれるケースです」と先生に驚かれ、かえって私のほうがびっくりしたくらいです。お母さん、よくぞ無事に産んでくださいました。娘さんはみ
カフェラテとブラックコーヒー、よく飲むのはどっち?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう牛乳の日なのにコーヒーの話?ミルク(牛乳)を入れるか否かって事かしら?私はお子ちゃまなおばちゃまなので、ブラックはちょっと苦手です。コーヒーを飲むときはシュガー&ミルク(コーヒーフレッシュ)は必須ですね。ていうか、そもそもカフェラテとカフェオレ、何が違うのかよくわからないっす。似たようなものですよね?もうみんなひっくるめて「ミルクコーヒー」でいいよね?(笑)ちなみに牛乳も大好きで
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ランニングコースの途中、大通りで長年やっている蕎麦屋のシャッターにある朝貼られていた、閉店の告知。わたしがそれに驚いたのは、今年になってからその店が内外装をきれいに直したばかりだったから。高齢ながら元気はつらつなご夫婦で切り盛りしてきたお店は、コロナ禍だって乗り越え、まだまだやっていくものと思っていたのに。小さな店構えから想像するよ
【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記
竹内まりやさんが中山美穂さんにプロデュースした曲「色・ホワイトブレンド」ですが、やっぱりこの曲は岡田有希子ちゃんに歌って欲しかった。もちろん、美穂さんの代表曲の一つであることには変わりませんが、まりやさんプロデュースであることを考えると、本当は有希子ちゃんが歌うはずだったと思います。https://youtu.be/olzsYnh0FM8中山美穂色・ホワイトブレンドyoutu.be【色・ホワイトブレンド】Whitespring春の陽ざしにWhitelips輝き出せばW
7/31投稿記事の続きです。先日、といってももう4月の事ですが、フジテレビ系で木曜夜9時に放送された『私のバカせまい史』という番組で「ものまね芸人vs辛口審査員・淡谷のり子低得点史」というテーマで考察を繰り広げていました。(詳細な内容は割愛します)淡谷先生、懐かしい。1980年代当時の『ものまね王座決定戦』の映像がいくつか流されたのですが、その映像に峰岸徹さんの姿もあったのです。当時番組を観ていてご記憶の方もおられるかも知れませんが、一時期(88年前後)峰岸さんも審査員として出演され
月刊明星1986年2月号より。“告白”のタイトルでユッコさんのインタビューが掲載されています。この記事を読みながら当時のユッコさんに思いを巡らせてみました。まずは記事から。部分的に抜粋しようかと思いましたが、話が繋がらなくなりそうなので全文引用します。非常に長くて読むのが大変ですが、お付き合い頂けたら幸いです。ーー体の具合はどう?(有希子は、過労のため11月29日から12月2日まで入院した)ご心配おかけしましたけど、もう大丈夫です。もともと貧血気味だったので、気をつけてはいたんです
あなたにとって天使のような存在はだれ?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういやん(*´ェ`*)ポッそれ、2年連続で言わす気?(実は言いたくて仕方ない)そりゃ、もう岡田有希子さんでございますよ。それなりに長く生きていますが、これほどまでに純真無垢な方に出逢った事はありませんでした。あっという間に彼女の魅力に惹き込まれて、今や忘れられない存在となりました。ここに書くのはたぶん初めてだと思うのですが…私のブログネーム「angelyuki18」はユッコさんに由来し