ブログ記事4,200件
私が歌うとおもろいだいたい間違ってると思うな!!
こんばんは。約3か月ぶりのバンブラで皆様のお耳汚しに参りました今回の演目は、岡田有希子さん3rdアルバム「十月の人魚」収録曲『水色プリンセス-水の精-』です。この曲は小室哲哉さんの作曲で、十月の人魚には水色プリンセスを含め2曲提供しています。当時まだ無名に近かった小室さんが初めて曲を提供した歌手がユッコさんだったという、今になって思えば〝おお〜!〟な件である訳です。原曲-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だち
こんばんは☆彡岡田有希子/二人のブルー・トレイン本日は10月14日は鉄道記念日1872年10月14日日本で初めての鉄道開業新橋駅(旧汐留駅→廃止)~横浜駅(現桜木町駅)それ以来152年が経過。現在もなくてはならない交通インフラとして鉄道はその主役を担ってます。こーさんも中学2年生から鉄道を使った旅に目覚め高校生以降は春休みや夏休みになる度にバイトで貯めたお金を使って鉄道であちこち徘徊してました。社会人になってからは旅
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。「子は親の鏡と云いますが、そっくりなのでびっくりします」小学一年生の時の通信簿に、母の字でそう書かれていた。母は明朗快活な、物怖じしない性格で。お節介な、そしておせっかちな人だった。引っ込み思案なわたしは、ちっとも母に似てないのに…。子供の頃、ずっと不思議に思っていたのだけど。でもいまは、なんとなく分かる気がする。母は幼い
1985(昭和60)10月13日(日)、岡田有希子さんのラジオ番組タイトルは「岡田有希子の夜遊びしナイト」がスタート。全国10局ネットで、ニッポン放送では毎週日曜日25:00~25:30の放送。12月第2週からは、新たに二人が加わり、三人で放送。1985年10月13日から1985年12月29日までは、岡田有希子の単独パーソナリティで、タイトルは「岡田有希子の夜遊びしナイト」(おかだゆきこのよあそびしナイト)だった。有希子・章子・麻里の夜遊びしナイト(ゆきこ・あきこ・まり
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。道路上に描かれた、白い菱(ひし)形の記号。ふたつ縦に並んだそれは、たいてい少し消えかかっていて。気に留める人はまずいない、路傍の石のような「路上の菱」。菱形の路面標示が意味するのは「横断歩道あり」。信号がなかったり、カーブの先にあって見通せない横断歩道の手前に、間隔を空けて標示されることになっているようです。「歩行者が横断歩道を
私の大好きな昭和アイドルの一人である岡田有希子ちゃんユッコのイメージといったらデビュー当時の姿が思い浮かんできます。この聖子ちゃんカット風なヘアースタイルがすごく似合っていて好きです。岡田有希子ちゃんの本名は佐藤佳代ちゃん!芸名をつけてもらったあと、デビューしてからユッコという愛称が生まれました✨ユッコの世界はまるでリトルプリンセス物語みたいにキラキラしていて、女の子の憧れや夢が詰まったようなそんな存在でした。衣装の雰囲気や曲のイメージもすごく好きで、特に初期の頃の曲が大好きです。彼女
岡田有希子のイラストで紹介❢❢❢
【第17回新宿音楽祭】…1984年(昭和59年)10月12日は第17回新宿音楽祭が開催された日です。会場は日本武道館で行われました。主催は文化放送、新都心新宿PR委員会。大会の模様は文化放送で生中継され、放送時間は1974年-1987年までは16時-20時30分。大会は基本的に3部構成で、第1部は参加歌手による歌唱。第2部は前年度の金賞受賞者など、ゲストによる歌唱コーナー。第3部は審査結果発表と金賞受賞者の再歌唱となっていた。最高賞は「金賞」で、原則として2組が選ばれた。受賞
A019<岡田有希子さんからのメッセージ>0062024年6月2日追加更新※はじめになぜか?以前出した岡田有希子さんの情報を撹乱する内容のYouTubeが発信されていたので、これはおかしいなぁ?と。相手はきっと結構な有名人と感じて再度、霊視調査したところ・・・何と、なんと!であった。岡田さんに枕を強要し、お腹に子供まで作らせ自殺に追い込んだ相手が判明した。S学会幹部でワクチン会社社長である。H氏※このブログ書いてから非通知電話の数が増え、尾行シャがつき始めた。
十月ってことで岡田有希子さんの『十月の人魚』3rdアルバム(ベスト除く)にあたります。前2作が恋する女子高生⭐️な学園ものなのですが、このアルバムから内容がちょっと大人っぽいイメージになるんですよね。松任谷正隆さんが全曲アレンジされててpopでオシャレでホントに秋にぴったり❣️小室哲哉さんが他人に初めて楽曲提供した「水色プリンセス」と「SweetPlanet」という2曲が入ってます。私はかしぶち哲也さん詞曲の「Bien」って曲がお気に入りです。このチーム感で次のアルバムも制作して欲し
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。少年時代を過ごした北関東の街で、一年振りに母に会った。もうすぐ80歳の母はいつのまにか、前歯がみんな抜けてしまっていて。本人が嫌がるから、入れ歯も使っていないと妹が言う。いまは養護施設にいる母、外出の機会は通院と父の墓参りぐらい。この街にいまも住んで、母の様子を見てくれる妹夫婦と姪っ子と、墓参の帰りに母を囲んで食事するのが慣わしだっ
セブンイレブンに入り、本のコーナーを通りかかった時に〝岡田〟という文字が目に入ったので「えっ!?」と思い、そのままバック。改めて見てみると、阪神タイガース岡田監督の本だったとさ!なあ〜んだ…岡田有希子じゃなかった昨年の阪神タイガース日本一から遡ること38年前、同じく日本一に輝いた1985年。ちょうどその頃は、ユッコさん7枚目シングル『LoveFair』で頑張っておりました。今回に限らず、何かとユッコアンテナが働き過敏かつ過剰に反応してしまうのは、ユッコさんが放つ不思議な電波を何年
この愕然とした気持ち…どうしたら良いですか?10年前から再び通い始めたボイストレーニングリバウンドを繰り返しながらも15kg痩せたダイエット昨年2月に15年、続けた訪問介護バイトを右膝靭帯断裂と半月板損傷で身体障がい者になり、辞めてからは、歌手としての活動をいちばんに頑張ってきましたこの怒りは、どこへ向けたら良いのでしょうか?岡田有希子さんへは、、、サンミュージックさんと竹内まりやさんには、なんて言えば良いのですか?この為にかけてきた時間、お金は、戻ってく
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。二年間、それは過ぎてしまえばあっという間の日々。かつて岡田有希子というアイドルが、キラキラと輝いていた日々。彼女の人生は未完成のままだったけれど、完璧な仕事を遺した二年間。その日々は、切ないほどに短くて。夢に彼女が現れたり、五十肩が辛かったり。遅れてきたユッコファンの備忘録として、駄文を重ねたブログを始めて二年が経ちます。変わ
何か今朝はアレクサがダメでした。アラームが鳴ったので、アレクサ止めてと言ったのですが、ネットワークの調子が悪いと言って、止められなくて苦労しました。単体では、アレクサって単語のみ認識して、後はインターネット任せって訳です。止めてくらいの基本動作は単体でも認識して欲しいものです。で、危なかったのはMasacoクロックです。寝ている間に電池切れになって死んでいました。何か最近身の回りで電池切れ製品が多いです。お~、購入当時の電池です。なら、長持ちしたのかも?過去の記事を調べたら、3
【岡田有希子のちょっとおあずけ】…岡田有希子のちょっとおあずけは、1984年10月8日~1985年10月7日にニッポン放送で放送されたラジオ番組である。多くの投稿を紹介し、岡田さんが希望により、コーナーは設けられていない。アイドルがラジオ番組のパーソナリティを務める番組は珍しく、楽曲選定も岡田さん自身が全て行っていた。岡田有希子ーちょっとおあずけ岡田有希子ーラジオ番組ー月刊Dank'85(昭和60年)3月号ニッポン放送「岡田有希子ちょっとおあずけ」の収録ス
【第14回銀座音楽祭グランプリ】…1984年(昭和59年)10月8日は、第14回銀座音楽祭グランプリが開催された日です。在京AMラジオ局のニッポン放送(JDLF)の実行委員会が主催する歌謡音楽祭。新人歌手が中心の音楽祭で「新宿音楽祭(文化放送)」や「銀座音楽祭(ラジオ日本)」とともに新人賞レースの中盤戦に向けた重要な音楽祭でした。この音楽祭はラジオで生放送され、映像はフジテレビで録画放送され、この年15人の新人歌手がエントリーし1組の「グランプリ」を競い合いました。この年岡田有
部屋で探し物をしていたら、物入れの中からこんなのが出てきました。ハワイ応援キャラ〝ホヌッピー〟の日本手ぬぐいです。6年ぐらい前にゆるキャラのイベントに行き、物販で購入しました。サインも書いてもらいました。この手ぬぐいは2つ折りで、ひっくり返すと北海道応援キャラ〝アックマ〟のサインが!実はアックマさんのサイン目当てでホヌッピーの手ぬぐいを買ったのです。今買ってくれたらアックマさんがサイン書いてくれますよーとアナウンスしていたので…(笑)ゆるキャラをあまりご存知のない方はよくわからないと思
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。池袋駅東口を出て少し歩くと、五差路の大きな交差点がある。周囲に立ち並ぶビルの谷間に、再開発から取り残されたちいさな建物があって。「キリン堂薬局」。戦前からあるような古びた店構えだけど、15〜6年ほど前までは営業していたらしい。いまはすっかり、鳩たちが仲良く憩う集会場になっている。大繁華街の交差点は人種のるつぼだ。横断歩道を行き交
【第15回銀座音楽祭】…1985年(昭和60年)10月7日は、第15回銀座音楽祭が開催された日です。主催はフジテレビ。会場は赤坂プリンスホテルで行われ、製作はニッポン放送。ノミネート数は定数15組で、新人グランプリを獲得するため15人が競い合う。各賞は、大衆賞(中村繁之さん)、審査員特別賞2名(岡本舞子さん、石野陽子さん)、銀賞3名(中村繁之さん、井森美幸さん、橋本美加子さん)、金賞2名(芳本美代子さん、本田美奈子さん)。新人グランプリ受賞は松本典子さんでした。岡田有希子さんは前
北の大地の人も喜んでくれるかな?ちょっとズレて気に入らんですね。さて、風呂の中で岡田有希子のラジオ番組を聴くか?
【7thシングル曲『LoveFair』】…『LoveFair』(ラブ・フェアー)は、1985年(昭和60年)10月5日、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)からリリースされた岡田有希子の7枚目シングル曲である。A面『LoveFair』の構成は、作詞/作曲ともにかしぶち哲郎さん。B面は『二人のブルー・トレイン』。B面の『二人のブルー・トレイン』に関しては、作詞のみ竹内まりやさん、作曲は杉真理さん、編曲はA面『LoveFair』/B面『二人のブルー・トレイン』ともに松任谷正隆さん
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。10月5日は、NHK教育テレビで放送されている幼児向け教育番組「おかあさんといっしょ」の〝65歳のお誕生日〟なのだそうです。おおむね2歳から4歳までが対象というこの番組、わたしもツレさんも、そしてわが子も、その頃お世話になりました。現在高校生のわが子が放送を視ていたのは、この番組が50歳を迎えようとする頃。当時は全然そんなこと気にしてい
えーっと、まずはワタクシの推しをご紹介します。(もうみんな知ってるっちゅーの🤣)その人の名は・・・岡田有希子さんでございます!学生時代(中高生あたり)はアイドル好きではあったものの、特定のアイドルに強い興味を持つという事はなかった自分。それから長い時を経て中年の域に入った私の前に突如現れた天使!そうそう、昨日10月4日は天使の日でもありました。へへっ、かわいい4年前にユッコさんを好きになってから、たくさんの様々な魅力に触れてきました。彼女が載っている雑誌や切り抜きも集め、自分
★今日は天使(10月4日)の日とされています。あなたにとって天使のような存在はだれ?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう写真集「岡田有希子Special」3/軽井沢・高原の白い妖精より◉10月はカトリック教会においてとても重要な月である。10月4日は天使の日ともいわれ、特別な記念日。エンジェルナンバーでもあります。1は思考、考え方を示し、0は宇宙の源や起源、4は天使そのものを示す数字とも言われています。このことから語呂合わせの数字
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。わたしが貧しい学生だった頃、もう30年以上前の話。秋晴れの陽も暮れた頃、友人の下宿先に集まって飲んだ。そして、ある重大任務を負う者を決する、腹ペコ同士数人のジャンケン勝負にわたしは敗れた。「宅配ピザを注文する」。いまなら手元のスマホで造作もないことだけど、当時は電話がない友人の部屋から、はるばる公衆電話まで赴くしかなかった。
こんにちは、談話喫茶“ホーボー軒”へようこそ。店主のKlavi-Seliにて御座候、どうぞごユルリと☕。本日まずは、とある歌謡曲の歌い出しをご紹介。♪六十七頁で終わった二人燃える愛の途中でAhすべて♪中森明菜の「ジプシークイーン」である。「違うだろ全然。何が67ページだよ。125ページだろ」左様。本当は、♪百二十五頁で終わった二人である。では何故これを67頁と、ザーとらしく変えたか。ファンの間では、この125頁が一体何を意味するのかは
悲しい声はもう誰にも届かない……
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。10月1日。東海道新幹線が開業して60年、還暦になるという。1964年のこの日に誕生した〝超特急「ひかり」〟は、それまでの特急「こだま」が7時間近く要した東京〜大阪を、わずか4時間で結んだ。「こだま」の列車名は、東京と大阪が日帰り可能になったことに由来する。音速を超える名前となれば、もはや光速しかない。「ひかり」の愛称は、当時九州を走っ