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今回は5ヶ月ぶりの麗しのユッコをお送りしたいと思います。これまで24回もやってきて、長いこと間を置いてしまうと何だか出てきちゃうんですよ。何が出てくるのかというと、禁断症状が(笑)ここしばらくユッコさんのグラビアと戯れていなかったから、見たいという欲望がどうにもとまらなくなった訳です。そんなこんなでまたペタペタと貼り付けましたので、よろしかったらお付き合い頂けたら幸いです。ユッコさん、どこにいるか探してみてね。1986年度、かぁ…当然ながら事務所は新しい子を次々取るよね。「事務所を背
私、ふと思った事が有るそれは私はお酒も飲まないし煙草も吸わないだから気が紛れることが出来ないと思いましたお酒を飲める人だったら少しは違ってたのかもしれないと思った。この連休初めて出掛けてみたえっちゃんのお花を買いにこのお花はホームセンターで買いましたこのホームセンターの近くに川崎大師があるんです生前えっちゃんが「私(えっちゃん)が元気なったら川崎大師に行きたい」と言っていたのを思い出したので行ってみることにしました。この川崎大師には初詣でよく
【アニメ「タッチ」】…『タッチ』は、あだち充による日本の漫画作品。『週刊少年サンデー』(小学館)にて、1981年36号から1986年50号まで連載された。高校野球を題材に、双子の兄弟である上杉達也・和也と幼馴染の浅倉南の3人を軸にした恋愛を絡めて描いている。連載時の単行本の初版は200万部に達し、その後のロングセラーによって単行本に文庫本などを合計したコミックスの総売上は2004年12月時点で1億部を突破している。全作品の単行本発行部数が2億部(2008年時点)を突破したあだち充にとっても最
『SummerBeach』(ザ・ベストテン)初登場の日1985年5月9日は先月頃4月17日にリリースとなる5枚目のシングル曲『SummerBeach』ザ・ベストテン(TBS系)で第7位初登場となる日。これまでは最初のシングル曲『ファースト・デイト』から3枚目となるシングル曲『リトルプリンセス』までデビュー曲候補である、「学園恋愛三部作」および「ティ-ンエイジ・ラブ」をテーマとした竹内まりやさんの楽曲提供3部作(作詞/作曲)といわれた楽曲で構成された。4枚目のシングル曲からはが
ユッコこと岡田有希子さんが名古屋出身と知ったのは、わたしがユッコさんの魅力にずっぽりハマった2年前です。それからというもの、彼女を育んだ街・愛知県名古屋市を訪れてみたくてたまらなくなりました。名古屋出身の芸能人は、例えば青森や埼玉、福岡などの人と比べると進んで自分から出身地を明かしたがらないとの説があります。でも彼女はきっと名古屋が大好きで、名古屋出身をことあるごとに話題にしていたようですね。ユッコさんいわく「ふるさと名古屋は、思い出のなかの街?ちがう。名古屋はいまでも、わたしの現在に生きて
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。いまは何を話しても、曖昧な笑みを浮かべるだけになった母。いよいよ独り暮らしが難しくなり、実家じまいを考えなければならなくなりました。そんな中で数十年ぶりに出てきた、古い写真に思い出したことを。半世紀くらい前の、名古屋からすこし西の超デカい湖がどーんとある県の駅前、妹を背負った母と幼いわたし。この駅は当時からモダンな橋上駅舎でした。
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ツレさんに誘われ、映画「青春18×2君へと続く道」を観た。2006年の台湾、そして2024年の日本を舞台に展開するラブストーリー。18年前の台湾。高校卒業間近な18歳の彼は、日本から来たバックパッカーと出会う。天真爛漫で、大好きな絵を描くことにひたむきな4つ歳上の彼女に、恋心を抱く彼。二人の距離が縮まった頃、彼女は突然帰国してしま
昨日、4月8日は岡田有希子さんの命日でした。あれから36年も経つんですね。あの日、そのニュースが飛び込んで来た時には本当に驚きましたが、一方で、「やっぱり…」という気持ちもありました。少し前から、テレビ画面に写る彼女に異変を感じていたからです。まだ18歳。若過ぎる死を多くの人が悼みました。岡田有希子さんは明菜と同じ『スター誕生!』出身。決戦大会では「スローモーション」を歌い合格、夢だった歌手デビューを果たします。小説や漫画に出てくる''可憐な少女''のイメージその
岡田有希子さんのホロスコープを勝手に読みます先日竹内まりやさんがテレビに出ていて岡田有希子さんが亡くなってから33年も経過と感慨深いものがありました。彼女は18歳で突然亡くなりましたが当時の写真を見るとカワイイ当時はそのままで写ってますからねアプリとかないから岡田有希子-Wikipedia岡田有希子、竹内まりやが提供した全作品を1枚にコンプリートした...アングルを見ると彼女はけっこう頑固だった
佳桜忌の次の日4月9日に大沢逸美さんに会いに行って来ました。四ッ谷での岡田有希子さんの佳桜忌で数えきれないくらいの多くの花束やグラビアや写真や手紙、思い思いのユッコフレンズさん達の今も変わらない多くの愛を見せて頂いたことを佳桜忌の次の日逸美さんに伝えて来ました。いつも可愛かずみさんを見守ってきていつもかずみさんの墓前で手を合わせている自分だから伝えることが出来る表現や言葉があったのかもしれません。83年組の逸美さんの芸能生活の中での歌手として、1人の女優として
この時期は入学・進学シーズンということで、この春に小・中・高、大学に入進学の新一年生たちは新しい環境に毎日DOKIDOKI、SOWASOWAのことかと思います。そこで今日のユッコレは、今の季節にちなんだ品をご紹介いたしたいと思います。旺文社発行の86年版「中学進学ガイド」です。新中一生に向けて作成され書店等で配布された非売品の小冊子です。超ざっくり言うと、中学生になると授業や生活などがこんな感じに変わりますよーといった内容です。(ざっくり過ぎ)岡田有希子さんが旺文社のイメージキャラクター
スター誕生の決戦大会出場を認めてもらえず、ハンストを起こした中学3年生のユッコさん、いや、佳代さん。家族と口もきかず、食事もとらずに部屋へ閉じこもる日を続けましたが、「このままじゃどうにもならない」と、4日目にお母さん宛てに手紙を書きました。(BOMB!1986年6月号より)字が小さくて見づらいと思いますが佳代さんの本気度が伝わると思い、直筆の手紙をあえてそのまま載せさせて頂きました。もしよければ拡大して見て頂ければと思います。本当に芯が強く一途な性格が伝わってきて、むしろ危うさすら感
1985年5月3日国民の祝日である憲法記念日の日に日本テレビ番組「おしゃれ」は、平日の午後1時15分から15分間放映されている。昭和60年5月3日放映の「おしゃれ」のゲストはデビュー2年目を迎えたばかりの岡田有希子だった。この日、彼女は、司会者に問われるままに、ここ何回か取り上げて来た、「スター誕生!」決戦大会を前に母が課した「佳代にとても出来ないだろうと思われる三つの条件」について語っている。ちなみに、「おしゃれ」は昭和49年に放送が始まり、初代の司会者は俳優の三橋達也とフ
2024年4月8日。この日はユッコこと岡田有希子さんがいなくなってから、38年目の命日でした。そしてわたしは初めて、当日の四谷四丁目交差点に向かいました。『#276巡る日の心に咲くは君が花』4月8日。あなたのファンになってから、この日が近づくたびに心が騒ぎます。昼下がりの空の色は、あの日あなたが見ていた空と同じでしょうか。『#94YUKIKO…ameblo.jpここに毎年、ファンの方々が集い彼女を偲んでいることは知っていました。だけどわたしはこれまで、命日に訪れたことは
荻野目洋子さんは、ユッコの1学年下で1968年生まれ。小中学生の頃から断続的に芸能活動はしていたが、ソロ歌手としてのデビューはユッコと同じ1984年4月(荻野目さんは3日、岡田有希子は21日)。「荻野目ちゃん」の最大のヒット曲といえば「ダンシング・ヒーロー」。EatYouUpというディスコナンバーのカバー曲で、キレキレの振り付けと共に幅広い世代に受けた。当時小学生だった私もこの曲はよく覚えているし、振り付けも真似して遊んだ記憶がある。(ユッコ研究のブログを書いてるくせに、ユッコ
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。もう四半世紀ほども前のこと。ある専門紙が当時ヒットした商品の象徴として、「安さ、安全」「本物志向」「単純明快」をキーワードに取り上げた。そしてその記事には、これらの頭文字を合わせた「安・本・単(あんぽんたん)」という大きな見出しが付けられた。その新聞が配られた日、編集部に猛烈なクレームが入ったらしい。「なんだこの記事は!俺をバカにして
B363【芸能界を支配する闇の組織とは?】神田沙也加さんは暗殺されていた・・・?<神田沙也加さん>阿山>もしかして神田沙也加さんはどうですか?巫女>神田沙也加さんについては娘なんで、それはやらせてなかったみたいなんですけど、逆に母親がそういう他のタレントさんとか売春斡旋じゃないですけどそういうことに手を貸していたのを全部知ってたみたいですね阿山>X田聖子さんが斡旋をしていた?誰に斡旋してたんですか?巫女>富裕層というか、出てくるのはリストみたいなものが
ユッコのお母さんは、娘の死後に出版された遺稿集「愛をください」に手記を寄せている。これを読むと、お母さんが娘の才能に早くから気付いており、娘の気質や性格もよく理解していたことが分かる。この本にも掲載されている一枚の写真。ネット上でも、''岡田有希子お母さん''で画像検索すると出てくるが、赤ん坊のユッコを抱いて、やや俯き加減のお母さんの表情にはどこか影がある。(余談だが、お母さんに抱かれた赤ちゃんユッコの可愛いこと。まるでお人形さん。大きなお耳と、クリクリの目が特徴的だ。)写真が
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。少し前に、オンラインでスマホを買い替えたことを書いた。実は2020年春に購入した2台のiPhone7のうち片方は、わが子の都合でその後もしばらく使っていた。今月ようやく買い替えることになったけど、前の経験もあるし今度は楽勝だ!と思っていたのに。apple.comには、iPhone購入時の下取りサービスがある。SE(第3世代)を再度
岡田有希子ちゃんが亡くなるまでの最後の1年をみると、かなり深刻なうつ病を発症していたことが伺えます。歌番組のリハーサルで泣き崩れたり、表情が乏しくなってきたり、笑顔が強張ってきたりと何らかのサインが出ています。有希子ちゃんについて、サンミュージックなどの関係者たちはよく「躁うつの波がある」だとか「感情の起伏が激しい」といったような躁うつ病だったような言い方をしているようですが、私は違うと思います。そもそも、有希子ちゃんはうつの状態ではあっても躁の状態ではなかったからです。躁の状態というの
今回の記事はちょっと長くなります!「くちびるNetwork」発売記念日なので投稿しました僕の大好きな昭和アイドル・岡田有希子ちゃん(愛称:ユッコ)僕が生まれる35年前に生まれ、1984〜1986年の間活躍したアイドルです。つまり今年で活動40周年!80s音楽にハマり始めた中3くらいの頃、歌謡ポップスチャンネルというTVで偶然何曲か聴いて、2〜3曲だけ知っているにわか状態でしたところが昨年、実家で見つけた写真立てに80sアイドルの写真を入れたいな!と思って、色々迷っていたけど…「そう
ユッコファンになって彼女の事を色々調べるようになり、生い立ちやエピソードなど様々な事を知っていくにつれて、色んな思いや感情がこんこんと湧き上がってくるようになりました。不快に思う方もいるかも知れませんが、ユッコさんを語る上であの悲しい出来事はやはり外す事ができないので書かせていただきます。岡田有希子本名佐藤佳代1967(昭和42)年8月22日生まれ1986(昭和61)年4月8日逝去享年満18歳これは私の勝手な推測なのだが、自殺未遂の時点では、彼女は本気で死ぬつもりはなかったので
岡田有希子さんが亡くなって2年後の1988年に出版された「愛をください」。ユッコ好きの方達の間では有名な書籍であろうかと思います。幼少期から中学時代にかけて残した絵や習字といった作品や、芸能界デビュー前後に書き綴った日記や詩、そして有希子さんのお母さんが寄せた手記が掲載されています。娘・佐藤佳代としてこの世に生を受けた喜びから、18歳という若さで突然先立たれた悲しみまでが細かく綴られています。そしてこの本を読んだ事により、性格や気質を窺い知ることができ、ユッコさんを好きになる加速度が急激
岡田有希子さんが18歳で亡くなった時、私は17歳。高校3年生でした。当時特にファンではなかった私にとっても、人気の高かった現役アイドルの死という前代未聞の事態に衝撃を受けました。私の手元に、一冊の週刊誌があります。事件後に発売されたフォーカス1986年4月18日号です。ユッコさんの死後、このフォーカスを含め何度か週刊誌を購入して読んでいた記憶がありますが、読んだ後はすべて処分してしまっています。しかし、このフォーカスだけはどうしても捨てる気になれず、35年たった今も保管しています。ご存
今年の漢字に選ばれた「密」。密といえば岡田有希子さんのスケジュール。密というより過密だ。今回はユッコさんのスケジュールのお話を書きたくなりました。※私はまだまだ人間ができていないので、時折こうしたネガティブな話もしたくなります。でも、これらの事もユッコさんを弱らせてしまった一因と考えているため、この場を借りて私の思いをぶつけさせてもらってます。拙い文章ですがお付き合いいただける方は最後まで読んで頂けると幸いです※ユッコファンの方が作ったHPを見つけまして、(結構前のものですが今も残されて
今日は、4月21日。岡田有希子さんがデビューして40年を迎えました。しかしひと口に40年と言っても、色々と振り返ってみるとやはりとてつもない年月が流れたなあと感じます。いい歳になってからユッコさんにハマり、日々こうしてメロメロブログ(笑)を書いているなんて彼女がデビューした当時は想像すらしてなかったですよ。でも、どうしてもいつも思ってしまう事。リアルタイムで彼女を感じてみたかった。リアルタイムで彼女を応援してみたかった。あんなにキラキラしていたユッコさんに当時気付かなかったのは本当
1986年、岡田有希子さんの事件に関して特集が組まれた週刊誌です。その中には、ユッコさんの担当マネージャー溝口伸郎氏(故人)のインタビューが掲載されています。このインタビューの中には、出会いから最期、マネージャー目線から見た努力家・岡田有希子、そして彼女の性格や人間性なども語られています。全文を引用させて頂きますので、よろしかったらお読みになってみて下さい。一部、リアルな描写もありますので苦手な方はスルーして頂きますようお願い致します。4月8日は、私は子供の入学式に出席していました。有
✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。投稿が遅くなりましたが、この間、岡田有希子スプリングコンサート「ハートにキッス」のパンフレット、手元に届きました(•ᴗ•)初めてめくってみる、ユッコちゃんのコンサートのパンフレット、いろんな表情の写真の数々、本当に素敵😍全ページ見終わったら、気持ちが穏やかになるんですよねぇ🍀ユッコちゃんの魅力、魔法って不思議(*'ᴗ'*)黄色と白のチェックのブラウスに合わせた、淡い緑のワンピースとても可愛いですね♥いろんな服がお似合い(,,>
数多くのブログのなかから、当ブログをご訪問いただき誠にありがとうございます。太字は過去記事へのリンクです。もしよろしければ、ご覧になってください。ユッコこと岡田有希子さんにとって、それは生涯最後の夏だった。1985年夏、彼女のスケジュールはコンサートツアー「ファンタジアン」を中心に、ぎっしりと埋まっていた。7月25日に和歌山・新宮から始まった公演は、和歌山・田辺、名古屋、鹿児島、熊本、宮崎・都城、福岡、金沢、大阪、秋田、岩手・遠野、水戸、東京・新宿、徳島、松山、広島、東京・芝、群
今日は菊池桃子さんの話題から始めます菊池桃子さんの9枚目のシングル「SayYes!」1986年9月3日リリースでした。高校3年の秋、この曲が流行っていて、(オリコン1位にもなったのですね)テレビで歌う桃子さんの姿をよく見ていたという印象があります。ユッコさんが亡くなって半年が経とうとしていた頃でした。そして今年に入ってから、この歌の持つ意味を知る事になりました。ユッコさんの死後、多くの若者達が誘発されるように自ら命を断ってしまうという悲しい出来事が起きてしまいました。社会問題に発展