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探索日2010/03/21山陽本線下関駅周辺の臨港貨物線、専用線細江方面からのびてくる線の跡左へ曲がっていく貨物線跡奥が下関駅奥へ続く廃線跡錆びついた機器箱が転がる踏切跡うっすら痕跡が残る山陽本線と隣接して続く貨物線跡第一、第二突堤方面へのびていた線の跡街中に残る線路跡二線に分岐左が突堤方面への臨港線跡右はなんかの専用線跡上写真、右へのびる線の跡日本食糧倉庫、日本塩回送への専用線がこれか?現在このあたりには、下関食糧や日本たばこ産業
2022年にデビュー40周年を迎えたJR西日本の115系3000番台。国鉄形車両ながら、山陽本線岩国ー下関間のローカル輸送では依然主力として活躍しています。117系に似た転換クロスシートが並ぶ同番台。今回は乗り鉄視点で見てみました。※参考として取り上げた列車の運転時刻は、25年3月ダイヤ改正に対応しています※115系配置区所の表記は24年6月以降の「下関総合車両所下関支所」にしています※23年10月14日から営業運転を始めたリバイバル瀬戸内色編成は末尾に追記しました■山口県内
今なお115系をはじめ多くの国鉄形車両が行き交う下関地区のJR山陽本線。特に注目を集めるのは朝夕にある105系と元荷物電車123系の併結列車です。「鉄道開業150年」の個人的なイベント?として、普段は眺めるだけのこの列車に乗ってみました。105系(前寄り2両)と123系の併結列車。異形式の組み合わせ自体はそれほど珍しくありませんが、両運転台の元国鉄荷物電車の存在は異彩を放っています=下関駅普段は宇部線や小野田線を走っている105系と123系。山陽本線での運用は、所属先の下
人気車両が揃う本日25/3/31,「瑞風山陽上りコース」が運行されました.月曜日〜火曜日にかけて運行される「山陽上りコース」で筆者が見送りをするのは難しく,「防府駅で『瀬戸内色』車両と並ぶ」タイミングで見送りに行くことを検討していましたが,早くも,2025年度初となる今回の運行で実現しました.防府駅では普通の平日(ただし,春休み中です)でありながら歓迎の熱意は非常に高く,「山陽下りコース」の岩国よりも多くの人出がありました.もちろん,「ぶっちー」の着ぐるみも登場しています.2025年
1982(昭和57)年に広島都市圏で等間隔・高頻度運転をする「ひろしまシティ電車」に合わせてデビューした115系3000番台。当初はクリーム色に青帯の瀬戸内色でしたが、93年に新広島空港の開業を機に設定された快速列車に充当するため、「広島快速色」と呼ばれた塗色に変更しました。瀬戸内色から広島快速色へイメージを一新した115系3000番台=富海—防府、2000年この広島快速色は、白とグレーを基調に瀬戸内海の朝焼けをイメージしたという5色のグラデーションラインを入れた塗装で、
JR西日本岡山地区の主力として活躍してきた115系近郊形電車。300番台など一部で廃車が進んでいますが、検査を受けて営業運転を続ける編成もいます。下関総合車両所(山口県下関市)で全般検査を終え、1月16日に本線試運転を実施した岡山電車支所のD-03編成を見てみました。山陽本線と山陰本線の合流地点を快走する、試運転中の115系D-03編成=新下関—幡生115系D-03編成は、クモハ115ー1547、モハ114ー1202、クハ115ー1238の3両で組まれ、いずれも国鉄時代の
皆様こんばんは、備前国鉄道です。暑い日が続いておりますが、皆様元気にお過ごしでしょうか?さて、今回は先週のとある日のお話。駅スタンプ集めが最近のマイブームになっていまして、この日は半日を使って岡山近辺のスタンプを巡る旅をしてみました。大元駅からスタートし、1つめ「宗忠神社」を押印後、瀬戸大橋線の普通列車に乗って終点の児島へ。下津井の風景にジーンズ、鷲羽山の展望台の石碑とそこから見える瀬戸大橋と、児島の見所がぎゅっと詰め込まれたデザイン、いいですね~倉敷へは路線バスで移動。所要時間は
交直流近郊形電車415系の鋼製車では比較的新しいグループだった500番台。当初からロングシート仕様で、国鉄末期には5編成が常磐線から九州地区に移り、関門トンネルを抜けて山陽本線まで直通運転していました。小郡駅に乗り入れた415系500番台(B514編成)。当時は「タウンシャトル」のヘッドマーク付きでした=1988年415系500番台は1982年から4両編成24本、計96両製造されました。全車が勝田電車区に配置され、常磐線などで活躍しました。FRP製の箱型通風器が並び
山陽本線広島地区向けに1978年にデビューした115系2000番台。旧形車の置き換え目的で配置された生え抜きで、約40年間活躍しました。国鉄近郊形電車標準の湘南色時代からリニューアルされた後年まで、その変遷を振り返ってみました。山陽本線で活躍した湘南色時代の115系2000番台=防府—大道、1990年◾️80系の後継車両115系2000番台は、シートピッチを1490ミリに広げるなどして座席を改善した同系1000番台の耐寒耐雪設備を一部省略した仕様で登場。広島運転所に
混雑する車内を快適に2024/10/5,JR西日本ではダイヤ修正が行われ,山陽本線の広島地区(と神戸地区)で,一部の快速列車の一部の座席を指定席とする「うれしート」のサービスがスタートしました.栄えある1番列車「Rシティライナー2号」にはA48編成が充当されました.この「うれしート」,これまで大和路線で運用されていた通り,列車の最後尾の車両後ろ半分を指定席とする運用であり,その分け目はのれん一枚となっています.該当の列車では「1号車の後ろ半分は指定席である」「指定席券をお持ちでない方は
地元の方やご覧の方はご存知ではないかと思いますが、山口県下関市の新下関駅は、山陽線と山陽新幹線との共用駅であります。その新下関駅は、画像2の見取り図にもありますように、下に山陽線の在来線ホーム、上に山陽新幹線のホームとなっておりまして、いわゆる十の字のようなホーム形態になっているのも特徴であります。実際に、この駅の仕組みは上の画像1にもあります新幹線口の駅舎がこの新下関駅のメインの駅舎である訳ではありますが、ホームが以下画像にあります新幹線ホームが有効長16両分で2面3線のホ
東北本線、高崎線の輸送力増強などの目的で1973年に登場した115系300番台。国鉄末期の86年には広域転配が行われ、一部は山陽本線に活躍の場を移しました。その後30年にわたって運用された下関・広島地区配置車の変遷を振り返ってみました。国鉄末期に一部が東北本線、高崎線などから山陽本線に移った115系300番台=防府—大道、1987年◾️山陽本線へ66両が転出115系300番台はオリジナルの0番台から設計変更されたグループで、76年まで計488両が製造されました。当初
クモに83を2両連結した153系がやってきた!しかも湘南色と新快速色のごちゃ混ぜな編成湘南色は高運転台、新快速色は低運転台サボを見てみると、「宇野ー新大阪」「急行」急行「鷲羽」でした。でもお客さん乗ってなかったし回送だったようです。この頃の鷲羽はもう夜行の1本しかなかったんじゃないかな。最後部は湘南色の低運転台車でした。撮影場所:大阪駅撮影時期:昭和50年代中盤ごろ?1編成で153系の色んな顔が楽しめるお得な編成でした。しかもクモニ83も付いてるし!急行「鷲羽」が
人気の車両を見る本日1/18は山陽本線・山陽新幹線を走る多くの車両を見ていました.「WESTEXPRESS銀河」の山陽下り列車では,柳井駅でまとまった時間停車し,朝食に便利な弁当類が販売されていました.「WE銀河」は「遠くへ行きたい,を叶える列車」ですが,それ以上でもそれ以下でもありません.道中の食料品の確保は念入りに行っていただきたいところです.そして,その上で柳井駅で購入していただけると筆者としても大変嬉しいです.その後,所用(当ブログの活動内容ではありません)で広島へ行きまし
3月20日姫路でお腹が満たされた後は、再び乗り継ぎ開始。まずは相生まで。URARAに乗り換え。糸崎から岩国行きに乗車するも000広島から新幹線ワープ!どうせ乗るなら九州新幹線さくらに乗車。短い時間だけど、翌日のためにコマを進めておこう。新山口に到着。山陽新幹線は50周年か。新山口は昔、小郡だったよね。ホテルにはフロアごとにコーヒーサービスが。カフェラテとセブンの広島風お好み焼き。デザートは桜もちもみじ饅頭。山口県入りは久しぶりだね。続く
山陽本線・岩徳線下松駅山陽←櫛ヶ浜駅→徳山駅周防花岡駅↙2020年10月11日(日)に訪問した、山陽本線・岩徳線櫛ヶ浜駅の画像をUPします。単式ホーム1面と島式ホーム2面の、合計3面4線の地上駅です。土曜・休日は、無人になります。出光興産、帝人ファイバー、徳山競艇場、蛭子神社の最寄り駅です。櫛ヶ浜駅の山陽本線ホームの駅名標です。櫛ヶ浜駅の岩徳線ホームの駅名標です。櫛ヶ浜駅の山陽本線ホームの鳥居型駅名標です。櫛ヶ浜駅の岩徳線ホームの鳥居型駅名標です。以上です。山陽本線・岩徳
地方電化路線用として1981年に登場した105系電車。広島・山口地区では国鉄分割民営化後、白地に青色と赤色のラインが入った広島色に変更し、長年親しまれてきました。このほど1編成でこの塗装が約5年ぶりに復活し、7月6日に山陽本線で試運転がありました。本線試運転を行う下関総合車両所運用検修センター所属の105系K-02編成(クモハ105-14+クハ104-14)。帯色はJR西日本の「青」、広島県のモミジと山口県のアカマツの「赤」らしいのですが、鉄道ファンの間では圧倒的に「ゆうパック色」の呼
東海道・山陽本線を走ってきた貨物列車が九州に向かう際、電気機関車の付け替えを行う幡生操車場(山口県下関市)。直流機のEF210形から交直流機のEH500形へのリレーが日常的に見られます。見学できる場所で午後のひとときを過ごしてみました。幡生操車場に到着したEF210-901(右)がEH500-47、70と顔を合わせる幡生操車場で入換中のEH500-47幡生操車場は山陽本線の本州西端に当たる幡生ー下関間にあります。関門トンネルを抜けた門司駅構内から交流電化となるた
国鉄末期の1986(昭和61)年、郵便・荷物列車の廃止に伴い、荷物電車クモニ143形、クモユニ147形から生まれた123系電車。全国的にはマイナーな形式ですがJR西日本に5両が残り、主に宇部線と小野田線で活躍しています。現存するクモハ123形は二つのタイプに分かれ、2~4は片開き扉とスイング開閉式の大きな側面窓が特徴。一方の5、6は両開き扉に2段式側面窓の組み合わせで、以前は荷物搬入用の側引戸跡を利用した扉位置だったようです。5両とも後年トイレが設置され一部の窓が埋められたことで、さらに特
水道から陸地の方へ目を向けます。1718M岡山行き115系6B広島方面行きの列車も狙います。1516M三原行き尾道らしい風景とともに。軽快に駆けてゆきました。尾道ー東尾道にて
探索日2013/02/10東高梁川廃止にともなう線路移設旧線時代は、川と直交させるために大きくカーブしていた廃川でその必要がなくなり、曲線を緩和することになる切り替えは1924年12月20日の複線化時やと思う東高梁川の廃止は1925年倉敷駅方新旧線分岐点奥で新線と分かれた旧線はこのあたりへのびてくる水島臨海鉄道水島本線をMRT300形気動車が走るあの手前が現在の山陽本線側溝の左沿いが廃線跡現在線を115系電車が通過旧線は右へカーブしていく道路沿いが旧線跡
JR山陽本線の「3線区間立体交差」としてその筋には有名な場所を訪ねてきました。最近ずっと工業用水関連か水利関係の遺構ネタに偏っていたので、今回は全く畑違いのジャンルを3部形式で記事にしたらどうなるか…という無謀な試みです。鉄道関連は専門外なので、深い洞察はできません。上巻は幼い頃の思い出から随筆風に始め、中巻で今回撮ってきた現地の写真をまとめ、下巻では現地で掘り起こしたちょっとコアなネタに挑んでいます。いずれも既知の内容で新しい情報は期待できませんから、軽い読み物としてお楽しみ下さい
場所はふたたび尾道界隈です。尾道の街並みに飲み込まれる観光列車。8234D週末限定の全グリーン車の快速列車です。快速etSETOra車窓に流れる尾道水道を想像しました。何とも魅力的な観光列車です。尾道ー東尾道にて
JR西日本岡山地区で40年近く活躍し、湘南色で人気だった現役最後の115系300番台、下関総合車両所岡山電車支所のD-26・27編成が2月1日、山陽本線徳山—下関間で最終営業運転を行いました。途中の新山口駅でも大勢の鉄道ファンらが国鉄近郊形電車の雄姿を見送りました。日が暮れた雨の中、新山口駅に入線する115系300番台湘南色の最終営業運転列車115系300番台D-26・27編成の最終営業運転は、6両編成の団体列車として徳山駅17時6分発、下関駅19時12分着のダイヤで運行
和田岬線のシンボル4/25に関西に行ってきた話の最終回です.これまでの旅路『2025/4/25その3323系の通過運転』323系の快走!これまでの旅路『令和7年4月25日その2エキスポライナーに乗る』令和マイナス48年にタイムトリップ先日「ワンピース新幹線・ハローキ…ameblo.jp4/25に関西に行った主目的は,一度和田岬線の兵庫運河にかかる回転橋を見たかったためです.「ワンピース新幹線」「ハローキティ新幹線」はその手段に過ぎず,エキスポライナーについ
令和6年11月4日撮影分前日クタクタになったのに、なんと74レが遅延していて岡山を昼に通過するとか撮らないわけにはいきませんが、どこへ行けばいいか…迷いながらも再び東へ結局また兵庫県に入りド定番で待つことに山陽本線74(遅延)EF652096+コキ100系貨車こんなに空コキばかりなんて聞いてないよと少々残念でしたが、天気だけはよかったので…
かつてブルートレインで活躍し、その後は工事列車などを担っていたJR東日本の電気機関車EF651103が12月12日、長野総合車両センターに回送されました。46年の長きにわたり走り続けて、引退を迎えた同機。平成初期の臨時列車「カートレイン九州」のけん引シーンを振り返りました。20系客車とワキ10000形で組成された「カートレイン九州」をけん引するEF651103=防府—大道、1990年1103号機は1978年9月6日に落成。EF65形1000番台(PF形)7次形のうちの
どうも。グッズの発送メールを今か今かと待っとったけど「土日祝はStoreの休みやで」といわれてがっかりしている者ですwさて、わたしは藤井風をナメておりました。ずっずさんのダイアリーを受けて昨日の投稿にこう👇書いたんじゃけど帰りが別行動なのは当たっとったけど、まさか面がかなり知れ渡っとる岡山で電車に乗っとるとは!しかも年始に!!どがーなっとんぞwどこまでも、いつまでも藤井風は藤井風でしたwww☝☝☝オトン様と風くん、在来線で岡山駅に向かう、の図。あ、オトン様
JR西日本下関総合車両所下関支所の115系3000番台で唯一ワンマン非対応だったN-06編成が、このほど全般検査と対応工事を受け、2月4日に山陽本線で試運転を行いました。同線のワンマン化に伴う2023年3月の運用離脱から1年11カ月を経て、復活を果たしました。山陽本線で試運転を行う115系3000番台N-06編成。解体されずに置かれていたことから多くのファンが復活を期待していましたが、ついに実現しました=新下関—幡生115系3000番台N-06編成は運用離脱後、下関総合車
探索日2010/11/07兵庫駅と神戸市場駅、兵庫港駅を結んでいた貨物線1984年2月に廃止された線路は山陽本線支線(和田岬線)その左に臨港線が走っていた兵庫駅から1kmの区間は和田岬線と並走する奥の高架橋は阪神高速3号神戸線、国道2号線和田岬線の左が臨港線跡右へ分かれていく線路は川崎重工業兵庫工場への引き込み線貨物支線は和田岬線の手前に隣接していた今も一線分の用地が残るここで和田岬線と分かれ、左へ曲がっていく三階建のビルの左に線路があった奥のマン