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こんにちは。24系トワイライト編成へ自作室内灯取付を完了しました。やはり..色々とありました。先日来書いていますがスロネ3両入りの”特別なトワイライトエクスプレス”(以下”特トワ”)仕様、勝手にB寝台を増結したりもしています(笑)。KATOの品番10-869,870が基本、一部TOMIXが混ざります。自作室内灯が入ったカニ2410(左)とスロネフ25503です。改造前に比べしっかり、落ち着いて光ってくれています。改造前の写真は..→Nゲージ24系トワイライト編成弄り開始をご
現役蒸機終焉期のころでもD51はかなりの数が居て、両数が多いだけにバリエーションが豊富で個性的な機関車が多く、中でも戦時型のD51は戦後に性能に関係のないデフやドームはそのままの罐や程度の差はあれ標準型に寄せ換装された罐など戦時型D51だけでも一両一両本当に様々な形態のD51が存在していました。風景重視で撮っている私でもシルエットで形式が判別できるようなアングルで待っている時にカマボコドームのD51が来たときは正直残念な思いがしたものです。それがどうしたことか移動の関係などで
たまたま家に残っている時刻表を基に、無い知識を駆使したド素人の考察なのでかなり曖昧な事柄ですが、その辺は御容赦下さい。大田市駅に進入する「さんべ1号」1972年8月8日撮影この「さんべ1号」は米子発、小倉行です。上り線には西舞鶴行き546レのC57と560レ鳥取行き普通貨物のD51が待っています。通常ダイヤですとC57が牽く546レと801D「さんべ1号」は久手駅ですれ違う筈ですが先の豪雨災害でダイヤが乱れていたようです。↓の時刻表は昭和37年7月号です。益
週の始まり月曜日。また1週間が始まりました。週末、本当は3連休だった…オリンピックによりスポーツの日が移動してしまいました…(泣)。10月開催ならば、涼しくて、良いですよね。前回の東京大会は10月10日が開会式でした。開催国が違うのであれば、その国の気候に合わせてやるのが一番良いのですが、視聴率などの利権にまみれていそうなIOCには改善の見込みはないでしょうね。生きている内は2度と、オリンピックは日本に来なくても良いと思った、今大会の裏側でした。さて、ぐちぐち言っていても始まりません。楽
今日は土曜日。あっという間に週末ですが、本日は出勤です(泣)。さて、連載中の「JR西日本223系5500番台をつくる」は6回目を迎えます。ダラダラと続いています。すいません、お付き合いください。3連休で塗装まで進みましたので、屋根を組み上げて、車体に戻しましょう。まずは、屋根上のクーラーやら何やらを載せます。クーラーと配管はちょうどクーラーに小さな穴が開いているので、そこへ通しています。屋根上が一気に賑やかになってきました。それでは、車体に載せてみます。いかがでしょうか?それらし
113系3800番台は福知山電車区の所属で、福知山線北部や山陰本線の福知山近郊で活躍していました。元は福知山線電化の際に登場した113系800番台でしたが、ローカル区間の短編成化に伴いモハ113にも運転台を取り付けて2両編成になりました。この2両ともが元々運転台のない中間車で、クモハ112は先の福知山線電化の際に113系タイプの運転台ブロックを接続して先頭車化されています。後で運転台を取り付けたクモハ113のほうは運転台ブロックを付けずに、元の鋼体に無理やり運転台を増設したというお手軽改造
皆さんこんにちは。1985年3月のダイヤ改正で大阪と博多を山陰本線経由で結んでいた特急まつかぜ1号4号が、米子駅で分割されました。それと同時にキハ82からキハ181系に置き換えられて食堂車も廃止ということで九州旅行乗り鉄の帰りにお別れ乗車してきました。乗るのが精一杯でほとんど写真は残していませんが今を思えば残念なことをしました。あの頃はほぼ車内の写真を残すという習慣もありませんでした。博多駅の発車案内機。パタパタ。ちょうど向かいのホームから。急行由布1号
山陰本線から客車列車が消え30年近くになる客車列車のいいところは超編成で基本的に空いていた事だ。今では2両、場合によっては単行もある山陰本線の普通列車も客車時代は4〜8両編成だった昔のような貸切体験はかなり列車を縛らないといけない。それもあり終列車に近い時間帯の列車を選んで乗ってます。しかし日のある時間帯となるとなかなか難しい。という事でいつも米子8:10発鳥取行きに乗ってます。というのは後続の8:39発快速「鳥取ライナー」に抜かれるため、Yahoo!乗換検索に引っかからない。いわゆる幽
近年、鉄道雑誌やディーゼル機関車関連サイトで、ディーゼル機関車DD54が寝台特急《出雲》を牽引した期間が昭和47年(1972年)3月から昭和49年ごろまでと記されている記事を散見します。此の昭和49年ごろの“ごろ”と言うところが微妙ですが、昭和48年8月の夏休みに山陰本線西部へ撮影に行った際に、既にDD51が牽く特急《出雲》を実際に写真に撮っている私にとっては、とても違和感を覚える記事です。上は昭和48年3月黒松駅下り方で撮った写真です(無断転載厳禁!)上↑のDD5435
探索日2010/03/21防災対策のための線路移設切り替えは1985年6月5日日本海沿いを走っていた旧線は、1,610mの木与トンネル経由に改められた旧線には二つの短いトンネルが存在する宇田郷駅方新旧線分岐点旧線は国道191号線に沿って山沿いを進み、新線は(新)木与トンネルに入る木与トンネル右が旧線跡撮影位置が廃線跡椿原トンネル宇田郷駅方口コンクリートで完全封鎖椿原トンネル木与駅方口こちらもふさがれている坑口前は木与雨量観測所椿原トンネルから続く旧
(新旧「トワイライトエクスプレス」が並ぶ)この編成が本当に山口県に現れた,ちょうど5年前の衝撃と,駅の賑わいを忘れることはできません.本日は,TOMIXから模型化された,「特別なトワイライトエクスプレス」を紹介します.「特別なトワイライトエクスプレス」は,第三編成をベースに,3両の「スロネ25500」を集結,4両・最大43名のみを募集するツアー列車として運行されました(「ロイヤル」は2名利用です).ちょうどTOMIXではもともと第一編成(車番変更で第二編成にも仕立て可)を,当時「さ
島根旅の2日目は、三瓶から江津経由で浜田へ向かいます。例のマップでいくと、江津市と浜田市のエリアになりますね(^^ゞまずは、お土産購入のため、道の駅「サンピコごうつ」にやって来たのですがこの道の駅のお隣にあった、食事やお土産販売などの施設「舞乃市」がリニューアルしてました。新名称は「なぎの木テラス」らしいまあ、中身はそんなに変わってない感じで、オシャレになって逆に「ありきたり」感が増したような気もしましたね(^_^;)で、今回はここでは何も買わず、「サンピコごうつ」の方で何点か購入(
山陰本線の須佐と宇田郷の間には山陰本線最長の大刈トンネルが横たわり、両駅を出た山陰本線の列車は峠のある大刈トンネルに向けて延々と勾配を登り詰めて行きます。峠の宇田郷側には有名な惣郷のコンクリート橋があり写材に事欠きませんが、峠の須佐側は波穏やかな須佐湾を望むSカーブ俯瞰が唯一の好撮影ポイントでした。須佐湾を望むSカーブにD51重連の客車列車が現れました。線路脇の民家の庭先にはちょうど桜の花が満開のようです。山陰本線須佐-宇田郷1974年4月上の写真のほぼ真っ反対から
明けましておめでとうございます。旧年中は多数のアクセスを頂きましてありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。昨年末に到着していた新製品からスタートします。当初2024年10月に発売予定でしたが延期され、12月末に発売されたKATO製DD51シリーズの国鉄時代の山陰本線版です。DD51後期・暖地形(品番7008-N)国鉄時代に山陰地方で活躍した重連形の後期・暖地形がモデルになっています。添付パーツは、ナンバープレート,ヘッドマーク,ナックルカプラーです。
浜坂駅に到着です~(^_-)-☆浜坂駅の入口のれんが・・・【濱坂驛】かっこえぇ~それほど大きな駅でもないのですが、この駅からあの【はなあかり】が【かにカニはまかぜ】に連結されて大阪まで運行しています。発車まで少し時間があったので、浜坂駅周辺をうろうろしました。こちらは駅前にある観光案内所です。中に入ると、かに汁を無料で振舞ってくれました。(#^o^#)温まりましたぁ~ごちそうさまでした。(^^♪『あじわら小路』を散策・・・なんだか風情があって良
↑台風により築堤が削られ113系キトC04編成が脱線転覆。徹夜の作業で復旧がなされた。1997年6月29日。王寺水害の後も台風の影響により113系が被害を受けている。1997年6月28日には、山陰本線立木~安栖里間で線路肩が崩落、通りかかったキト113系が宙吊りになった線路の影響を受け、脱線転覆した。113系はC04編成で、福知山方からクハ111-7604モハ112.113-7020クハ111-7504の4両で、後部のクハ111-7504は築堤から転落した。山陰本線は園部
1975年1月15日D51488のキャブで鈍く光る加減弁引き棒が印象的です。さよなら蒸気機関車「石州号」を牽いて来たD51488の運転席には、浜田まで帰る真の本州最後の蒸機列車9928レの時刻表が掛けられていました。さよなら列車を牽いた機関士さんに記念写真を撮らせて貰いました。これまで無数の蒸気機関車の方向転換をしてきた益田支区のターンテーブルおそらくこれが現役蒸機最後の方転罐替えもこれが最後の作業一両づつ浜田へ帰るための給水を行います。炭
たまたまウィキペディアの出雲号のページを見ていた際に、下記の記述が目に止まりました。「1987年から翌1988年にかけての一時期、出雲市行きの「出雲」3号は、毎日運転の臨時普通列車として出雲市→知井宮(現・西出雲)間で延長運転を行っていた。「出雲」3号の車両を回送する際の間合い運用であったが、寝台特急列車の末端区間を普通列車として運転するのは極めて珍しい事例であった。」(ウィキペディア出雲(列車)の運用上の例外から)本当か?と思い、所蔵の時刻表から探してみたら、確かに存在し
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「夜行鈍行「山陰」9両セット」その➊(品番10-1879)です。※ブログ容量の関係で3回(その➊~❸)に分けて掲載します。夜行の普通列車「山陰」は、国鉄時代に山陰本線(京都~出雲市間)で運行されていた列車です。旧型客車で組成された編成にはB寝台車も連結されていました。座席管理へのマルスシステム導入に伴い、編成中のB寝台座席の発券管理上、列車名が必要となったことから普通列車ながら「山陰」列車名が与えられました。模型の「夜行鈍行「
旧国鉄が増備した一般形気動車で、現在では数多くのバリエーションが存在するキハ47形。JR西日本下関総合車両所新山口支所配置のキハ471507は、寒地向け・トイレなしの1500番台「最後の1両」として注目を集めています。2月1日に山口線の運用に入るキハ471507=新山口駅キハ47形は1977年に登場したキハ40系の両開き扉・片運転台のグループで、寒地向けは500・1500番台に区分されました(500番台はトイレ設置)。1500番台は21両製造され、当初は全車が新潟地区に配
三江北線に入る気動車の横で下り列車を牽くD51の運転整備が続きます。243号機は長門の機関車のようで集煙装置が着いていません。1971年8月15日キハ65の車内から浜田機関庫を望みます。機関庫の妻壁は長年の蒸機の煙に燻され真っ黒です。1972年8月8日改札口からも機関区に憩うD51を見る事ができました。集煙装置が着いていないのは長門の機関車着いているのが浜田か米子の機関車でした。1972年3月31日この春から特急「やくも」の新設、「出雲」が特急に格上げされ
短命シリーズの今回は、1970年代に山陰本線で運転されていた急行はぎ号を取り上げます。列車名はあの長州藩の城下町からはぎ号は、山口県北部にある、江戸時代より毛利氏の居城があった萩市からの命名であることは明らか。とはいえ、この列車、萩市の中心駅東萩駅ではなく、長門市発になっているのは、美祢線との接続があるなど交通の要衝であることが要因なのかなと推察しています。静かに登場し、3年後に愛称消滅今回取り上げるはぎ号について、運転期間、区間をかんたんにまとめておきます。1
ちょっとした用事で綾部市へ…行ってきました。地図で改めて見ると綾部市広いです。ここは高速道路も鉄道もあるので京都北部地域の玄関口的な街になります。明智光秀さんがいたことでも有名です。今回は二条駅からJRの特急にのってきました。特急乗る前に、お昼を買う。ガラスに自分が少し映り込んでます(笑)、まぁいいか…。ここのパン屋さんは京都では少し有名かも。おいしいです。時間があまりないので、ささっとパンとコーヒーを購入して…駅にむかいます。格安特急券の買い方は後述します。電車は数分遅れ
撮りトリをして待っていると、あ、特急が、バク走で通過していきました。追い掛けます。スーパーまつかぜ。見えなくなるまで、撮りましたが、何気にこの瑞風が気になりました。駅前には瑞風の幟がありました。他には何も情報はなし。まあいいかとなりました。赤瓦の民家と海。駅舎に入ると、タンクのある小部屋がありました。工事中でした。新しいお店でもできるのね、そんな程度で見ていました。それが何と偶然な、昨年の11月に乗車したラ・マルやまなみで、ここのビールに出会いました。
真夏の白昼夢それは昭和47年8月27日のこと浜田区に居たD511の梅小路入りを記念して出雲市ー米子間に四重連の記念列車が仕立てられたのです。記念列車とは言えスジは未だ浜田区のC57の通常運用だった546レで米子まで行き、復路は通常DF50牽引の533レのスジが充てられました。もうこの頃になるとイベント列車なら12系客車が使われることも考えられましたが、定期列車のスジで運転されたこともあり鋼体客車を使われたのも嬉しい出来事でした。D511を先頭にした四重連がヤマタノオロチ伝説の斐伊
最後部の展望室へこれまでの旅路『【目次】2023/9/28〜9/29サロンカーなにわ「兵庫テロワール旅号」』特別な列車で兵庫県を横断!筆者は2023/9/28〜29に,日本旅行が企画した「貸切サロンカーなにわ『兵庫テロワール旅号』で行く湯村温泉」に参加しました.筆…ameblo.jp『2023/9/28その5和田山駅〜円山川沿いを下る』但馬の入り口・和田山「【旅行記】23/9兵庫テロワール旅号」を再開します.ニュース系の記事を書くことが多くなかなか進んでいません.これ
こんにちは。今日はNゲージ鉄道模型、キハ58系の話です。KATOのキハ58が2両、キハ28が1両在籍しています。最近発売のものではなく、2018年の購入品です。DCC化は以前からやっていましたが、今回サボ入れ、カプラー交換など整備をしました。例により?後追い写真ですが、前(奥)からキハ282395(6115)-キハ58668(6113[M])-キハ58676(6114)の3両編成(カッコ内はKATOの品番)、昨日の播但線記事で実写をUpした”急行但馬”のようなイメージです。製品
JR山陰本線は京都駅から幡生駅(山口県下関市)まで日本海沿岸を通る全長約673㌔の路線。国鉄時代には特急「まつかぜ」(京都-博多)などの長距離列車もありましたが、現在は各地域ごとに分断されていて「偉大なるローカル線」といった感があります。山陰本線の西端区間である山口県エリアでは、主に国鉄以来のキハ40系が活躍しています。特に小串駅(下関市豊浦町)以北ではキハ40形が単行で活躍し、響灘沿いを走るシーンが見られます。実際に乗ってみてもどこかのんびりしていて、ボックス席で一人くつろぐ人
今日5月8日の語呂合わせは58系気動車。といってもキハ58の実物写真は持っていないので模型です。キハ58-キハ28kato製16番モデルです。急行型気動車キハ58系。キハ58-キハ28の2両編成を基本単位として間にグリーン車キロ28等もはさんで全国各地で活躍しました。私自身は昭和50年代後半、就職して京都に赴任していたころ、京都府下の舞鶴、与謝方面に移動する際によく京都駅から山陰本線、宮津線方面に向かうキハ58系の急行「丹後」を利用しました。なお、いすみ鉄道で58系のキハ