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お待ちかねの餘部です。前に来たのは16〜7年くらい前で丁度旧鉄橋が架け替えられる工事を着手した時期になります。その時は鉄橋の上を走る車両を見る事ができました。そんな思いもコンクリート橋になってしまいましたが特別の場所に変わりないです。道の駅にバイク停めて餘部鉄橋を楽しみました。餘部の駅にガラス張りエレベーターに乗ろうとすると、散歩中の犬がくつろいで動かないと老婆が手を焼いてました。エレベーター内より餘部の町。旧餘部鉄橋の一部。駅のホームへ出てみると6年くらい前か?青春18きっぷで
山陰本線をゆく特急まつかぜが車両トラブルに見舞われこの煽りで岡山行きやくもに30~60分の遅れが発生しました。この後やくもの車両運用がどうなるか危惧されましたが国鉄色編成が所定9号から11号へ変更する措置が取られました。予定スジから1時間遅い代走列車をどこで捕えるか思案した結果、山陰本線の安来まで足を延ばすことにします。予報通り雲が湧き出して移動中は曇ってましたが米子を抜けた辺りから上空の雲が割れ青空が見えてきます。1011Mやくも11号
探索日2014/04/19切り替えは1989年の複線化時この先が亀岡駅方新旧線分岐点旧線はこっちへ直進してくる柵の立っているとこが旧線の路盤跡西川に架かっていた橋りょうの橋台左は現在線西川橋りょう現在線を221系電車が通過奥へ続く旧線跡旧線はこのへんを通過痕跡はまったくないここに旧馬堀駅があった旧線は交差点の位置を左右に走る奥に見えるのが現在の馬堀駅右はローソン亀岡馬堀駅前店道路がほぼ廃線跡旧線は画像右
かつて全国各地で活躍した旧型客車の鈍行列車。私は地域的にも世代的にもほとんど接することができなかったのですが、1985(昭和60)年8月、山陰本線松江駅で見かけたオハフ33形などが印象に残っています。手元にある写真などから、当時の車両について探ってみました。国鉄末期には数を減らしていた旧型客車ですが、山陰本線にはまだ残っていて、当時のファンの方々は熱心に追いかけられていたようです。私が朝の松江駅で待っていたのはDD51形ディーゼル機関車がけん引する寝台特急「出雲1号」でしたが、そんなブ
(この記事は「陰陽連絡バス素描・番外編~さらば寝台特急出雲~」を一部加筆・修正して「東京発寝台特急の挽歌」シリーズに加えたものです)平成18年1月の週末、山陰へ向かう寝台特急「出雲」は、東京駅を定刻21時10分に発車した。東海道新幹線が次々と滑り込んでくる高架に沿いながら、有楽町、新橋、浜松町と、窓外を過ぎていく駅のホームと駅前の人混みを見下ろしていると、旅立ちの高揚感が胸に湧き上がってくる一方で、つい先程までどっぷりと浸かっていた浮き世のことが無性に懐かしくなり、少しばかり心細く
今日はNゲージ鉄道模型、またまたレイアウト線形弄りの話です。使っていなかったKATOのY字ポイントを活用しあれやこれや..でコンテナ貨物列車20両運転を全3編成で実現、ローカル駅から複線のように続いていた線形も大きく離して単線×2のように出来ました。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。弄る前の線形です。ローカル駅へDD511027牽引タキ1900の貨物列車が入線して来ます。ローカルですから単線っぽくしたいところですが左へ分岐するもう1本、スペースの都合留置線へと
令和6年3月4日撮影分出遅れましたが米子方面へ進出381系の回送があるようなので狙います間に合う場所が少ないので、光線の良さそうなところで…山陰本線臨時回送列車(所属先(後藤総合車両所出雲支所)から後藤総合車両所への車両回送)回8442M381系4両編成(クモハ381508+モハ38084+サハ381225+クロ381128)影が残念でなりませんが、撮れただけいいということに…💦出雲まで行く体力がありませんでした境線臨時回送列車(所属先(後藤総合車両
2023年8月の撮影です。撮影地は山陰本線の泊〜松崎です。前年に羽合温泉に宿泊し、何気なくキハ40を撮っていたらまさかの5連に遭遇し、驚き、感激してまた撮りたい、と思いを馳せてこの日は倉吉に前泊し、初撮影となるこの撮影地をまずは下見。前日夕方の撮影から。おぉ、下調べしたよりいい感じの撮影地で安心です。後続の特急スーパーまつかぜのキハ187系。こちらは鳥取方面行きの列車撮影。明日の5連運用はまずこちらの鳥取方面行きで登場しますので念入りに撮影地を下見。同じ列車をアップで。俯瞰気味に撮る
山陰本線のキハ40、キハ41、キハ47の運用表です。F…前側B…後側○…始点△…終点令和5年3月18日改正形式:キハ40形又はキハ41形又はキハ47形編成:キハ40×2又はキハ41×2又はキハ47×2[21]◯(豊岡)629-161D-752(浜坂)802-164D-910(豊岡)1012-165D-1121(浜坂)1205-172D-1317(豊岡)1355-171D-1509(浜坂)△◯1609-178D-1715(豊岡)1729-175D-1837(浜坂)1845-1
21年を通年で取り上げようと考えているテーマのひとつ、「迂回(うかい)運転」の掲載された時刻表から、その事実を残していこうと思っています。過去に紹介したう回列車の数々については、こちらからご覧になれます。『■まとめページ■THE迂回』21年を通年で取り上げようと考えているテーマのひとつ、「迂回(うかい)運転」の掲載された時刻表から、その事実を残していこうと思っています。その「迂回運転」に…ameblo.jp9回目は、1993年9月から2年あまり実施された、山陰本
今月12日に実施されるダイヤ改正の解説、続いては北近畿エリアと和歌山エリアです。211217_05_fukuchiyama.pdf(westjr.co.jp)1.特急列車・「こうのとり」新大阪~福知山間1往復、「きのさき」「はしだて」京都~福知山間1往復が臨時列車となり、金曜や土休日中心の運転になります。これにより、臨時として設定されている「こうのとり」は4本から6本に、「きのさき」「はしだて」は2本から4本となります。徐々に定期列車から臨時列車へ変わっている列車が増えており、少々
鳥取と出雲市の間を走る観光列車「あめつち」、前回の「車両編」に続き、今回は「車内販売」をまとめる。【1】予約制申し込み「あめつち」では、ビール、コーヒー、つまみ類は、カウンターで販売している。ただ、弁当やスイーツのセットは、事前予約制になっている。下りは「弁当」「スイーツ」の2種類、上りは「酒&つまみ」「和菓子」の2種類を予約できる。それぞれ2000円~2500円で手ごろな金額だ。予約は、日本旅行の営業所、またはホームページからの申し込みとなる。私は、ホームページから、クレジ
今日はNゲージ鉄道模型、最後まで残っていたDD51759と852のジャンパ開放栓ケーブル更新を終えた話と、851、852号機の屋根に通風口表現を付けたことなどです。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編になります↓。DD51は全車KATO,DD51852厚とDD51759東新の並びです。SG無しの800番台と付の500番台の他、旋回窓の有無、手すりの色等々個性があります。今回連結器右側から手すりへと伸びるKE70開放栓ケーブルをカラーワイヤーからトレジャータウン
JR綾部駅AYABE🔴総合版(💯点満点)2024年3月現在①交通利便性3点②治安9点③買い物環境6点④飲食店6点⑤子育て環境7点⑥公共施設7点⑦観光スポット3点⑧家賃価格など6点⑨商店街・SC3点⑩防災10点合計60点🔴一人暮らし男性版合計57点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計60点※一人暮らし女性版は交通利便性と治安重視🔴子育て世代版
撮影日は全て1972年8月9日です。益田駅で2時間停車してその間に自ら牽いて来た貨物列車の入れ替え作業をする貨物列車861レを牽くD511です。益田には貨物列車組成のためのC56や山口線のD51が居て構内は常に蒸気機関車の煙が立ち上っていました。(以下↓に同日の動画をアップしています)https://www.youtube.com/watch?v=34LYvSVhIAY標準レンズを付けたカメラにはカラーフイルムを入れモノクロを入れたカメラには望遠レンズを付
真夏の白昼夢それは昭和47年8月27日のこと浜田区に居たD511の梅小路入りを記念して出雲市ー米子間に四重連の記念列車が仕立てられたのです。記念列車とは言えスジは未だ浜田区のC57の通常運用だった546レで米子まで行き、復路は通常DF50牽引の533レのスジが充てられました。もうこの頃になるとイベント列車なら12系客車が使われることも考えられましたが、定期列車のスジで運転されたこともあり鋼体客車を使われたのも嬉しい出来事でした。D511を先頭にした四重連がヤマタノオロチ伝説の斐伊
(新旧「トワイライトエクスプレス」が並ぶ)この編成が本当に山口県に現れた,ちょうど5年前の衝撃と,駅の賑わいを忘れることはできません.本日は,TOMIXから模型化された,「特別なトワイライトエクスプレス」を紹介します.「特別なトワイライトエクスプレス」は,第三編成をベースに,3両の「スロネ25500」を集結,4両・最大43名のみを募集するツアー列車として運行されました(「ロイヤル」は2名利用です).ちょうどTOMIXではもともと第一編成(車番変更で第二編成にも仕立て可)を,当時「さ
平成23年から翌平成24年頃まで、下関駅に隣接します下関総合車両所下関車両管理室(←運用検修センター)には、キハ181系気動車が留置されておりました。このキハ181系気動車は、前年平成22年まで運行されておりました、大阪~(播但線)~香住・鳥取間を運行されておりました、特急「はまかぜ」の専用車両として、旧京都総合車両所(現・吹田総合車両所京都支所)所属車として存在していた車両たちでもありました。しかし、この年キハ189系気動車に「はまかぜ」は変わりまして、それからは翌平成2
JR山陰本線福知山にてJR西日本223系5500番台近フチF15+F1普通東舞鶴行き舞鶴市西舞鶴地区でのMAIZURUPLAYBACKFES開催に伴い4両に増結された223系5500番台です。定期では平日朝1本を除いて2両ワンマン運転なのですが、多客対応として車掌業務の4両編成になりました。運行範囲が山陰本線京都~城崎温泉、舞鶴線綾部~東舞鶴、福知山線篠山口~福知山となっています。ロングラン運用として山陰本線園部発豊岡行きや、山陰本線福知山発京都行きがあります。
2024年3月ダイヤ改正の前後を比較しながら考察するコーナー、今回はJR西日本の京都・滋賀エリア編ということで、山陰本線(嵯峨野線)・湖西線・草津線について取り上げます。https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231215_00_press_daiyakaisei_kinto.pdf1.山陰本線(嵯峨野線)普通列車増発日中時間帯に京都~嵯峨嵐山間で普通列車が毎時1本増発されます。これにより、同区間の普通列車の本数は毎時3本(20分間
皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。最近は相変わらず調子も悪いということで記事重視で行きたいと思います。この記事は2月末から書き始めていたのですが資料の整理や構成を考えるのに時間が掛かっております。書き始めたものの文量が多くなりすぎた場合は2つに分けるかもしれませんのでご了承願います。急行型気動車であるキハ58系は、郵政省所有のキユ25と、兄貴分のキハ65を合わせて1926両が製造され、一時は気動車の3分の1を占めるほどの一大グループとなりました。しかし登場
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。今回は智頭急行スーパーはくとをはじめ、智頭急行についてご紹介します。●智頭急行智頭線とは1892年に山陰・山陽連絡線の一つとして姫路〜鳥取間を結ぶ鉄道建設運動が起きたことから始まります。鉄道敷設法では、建設線に編入し着工していましたが、国鉄の経営悪化が進んだことから、1980年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が成立し、施行され工事が中断します。そこで地元地方自治体により引き受けて第三セクター方式で開業させたのが、智頭急行
「〇〇の末路」という記事の末路って、大概どうってことない終わり方しますよね笑この記事も御多分に洩れず、どうってことありませんので、劇的なラストを期待した方は読まない方が良いかもしれません笑本題です。家掘りシリーズでキハ58が10年以上の眠りから覚めた訳ですが、せっかくなので編成をちゃんと調べることにしました。と、その前に、一つ告白をさせて頂きます。実は私、鉄道にあまり詳しくないのですww長年鉄道模型をやっている割に、実車の知識に造詣が深くないのです。そのためキハ58の編成を“ちゃん
昭和49年11月までに日中線など会津若松を中心としたC11やC58が廃止となり、山陰本線西部に残された浜田区と長門区のD51が本州最後の現役蒸気機関車となりました。山陰本線西部のD51も昭和49年11月30日に完全無煙化されて、翌50年1月12日の日曜日には長門-下関間を長門区のD51720とD51612が重連を組んで「さよなら」のヘッドマークを掲げ蒸気機関車の「さよなら列車」が運転されました。それから遅れること3日のちの1月15日に米子-益田間に「石州号」と名付けられた蒸気機関車
日もとっぷりと暮れた大仏峠を登ってきたD51貨物夕暮れ時はそのブラスト音もどこか物悲しく聞こえます山陰本線江崎-飯浦1974年9月綺麗な夕焼け空の下地上駅だった出雲市駅を貨物列車が出てきました山陰本線出雲市-直江1973年12月各家々から夕食の支度をする音が聞こえて来そうなそんな頃、須佐の町をD51貨物列車が峠に向けてダッシュして行きます山陰本線須佐-江崎1974年8月寂しそうな夕暮れ時に一人ぼっちのD51は良く似合います山陰本線宇田郷-須佐
(高額だが価格に見合った決定版)筆者の手元には購入・整備したにもかかわらず紹介できていない車両が多数あります.今回はその中でも,2022/4に発売されたTOMIXのDD51を紹介します.TOMIXではEF66もそうでしたが,中国産となっていた形式の国産リニューアルが進んでおり,DD51ではその第1弾となります.『TOMIX98449&953512・15系「だいせん・ちくま」』(ありそうでなかった製品がついに登場)TOMIXから「だいせん・ちくま」が発売されました.12-30
181系特急いそかぜ号鉄道雑誌を見て鉄道仲間と訪問しました海岸線近くまで下りて撮影しましたこちらはキハ58,28の列車当時の山陰本線は国鉄型の車両が多く運行されていました
因美線の急行「砂丘」フィーバーも収まった1995年ごろは、鳥取鉄道部にはまだまだ国鉄型気動車が国鉄色のまま「とっとりライナー」などで活躍していた時代でした。私はと言えばサーフィンに明け暮れてた日々で、鳥取で海に入った日などは時々帰りがけに湖山の車両区によって国鉄型の気動車を撮っていました。仕業を終えた「とっとりライナー」が湖山に帰って来ましたこれは国道29号線の陸橋から遠望したもの右側の「とっとりライナー」がヘッドライトを点けて仕業に出て行くようです。こちらは県道の陸橋か
2023年8月の撮影です。撮影地は山陰本線の日野川橋梁です。ケツ撃ちになりますが、上り線は下り線より一段高い鉄橋になります。通常カラーの381系特急やくも。そして、パノラマ顔を先頭にスーパーやくもカラーが登場。このカラーの現役時代を見たことがないので、あまり思い入れはないですが、随分と思い切ったカラーですね。こちらもケツ撃ちですが、キハ121系。回送とありますが、この日は九州への台風上陸の影響が山陰にも残り、午前中はやや風が強かったようで、山陰本線の米子〜倉吉は午前中区間運休でしだか、昼
JR山陰本線は京都駅から幡生駅(山口県下関市)まで日本海沿岸を通る全長約673㌔の路線。国鉄時代には特急「まつかぜ」(京都-博多)などの長距離列車もありましたが、現在は各地域ごとに分断されていて「偉大なるローカル線」といった感があります。山陰本線の西端区間である山口県エリアでは、主に国鉄以来のキハ40系が活躍しています。特に小串駅(下関市豊浦町)以北ではキハ40形が単行で活躍し、響灘沿いを走るシーンが見られます。実際に乗ってみてもどこかのんびりしていて、ボックス席で一人くつろぐ人