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トップページ都道府県別索引へ新潟県の索引へ久田(くった)城は出雲崎町の北端近く、日本海に面した小山のてっぺんにある。荒波打ち寄せる海岸の間近にあって好天下なら佐渡島も見え、山が迫る狭隘な海岸沿いに道路や集落が海岸沿いにへばりつくように連なっている様子が望める。この地にあって御家人に列せられていた城長茂が建仁元年(1201年)に挙兵した事件にあたって追討軍に参じた土豪長野源左衛門が、その前後に築いたといわれるが定かではないとか。またずっと後の戦国時代には越後上杉家が家臣を置いていたとも
昨年10月、箱根山中の山中城跡へ。小田原北条氏3代目・北条氏康の頃に小田原西側の防衛目的で築城され、豊臣秀吉の小田原征伐の直前、急ピッチで改造され始めたものの、秀吉の本隊の到着時には完成していなかったという、不運。豊臣側の7万にも及ぶ大軍勢に対して、小田原北条氏は、小田原本城に兵力を集中させた為、山中城の守備兵は2千〜3千程だったとか。霧に閉ざされた山中城跡。↓↓↓三ノ丸の駐車場から。↓↓↓駐車場の奥には、すぐに空堀が。↓↓↓ここは、三ノ丸堀。二ノ丸方向を見る。↓
萩一輪で朝ご飯の前にホテル裏の菊が浜までお散歩夏は海水浴で混むようだ砂浜を萩城に向かってずっと歩いたここから萩城に続くのだ朝のお散歩、気持ちよかったチェックアウトしてバスで津和野へ約2時間のバス旅バスも空いてるし到着した津和野も閑散としているまだ新しい津和野駅めちゃくちゃおしゃれとても無人駅とは思えない改札は無人駅だからないけど観光案内所はちゃんとあるこんな有名な観光地なのになんで無人駅?駅前には蒸気機関車ここから一つ観光してから(また後日書
今回の駅から登山ツアーは、「日本一の山城“高取山”と眼病封じの“壷阪寺のさくら大仏”ハイキング」です。近鉄壷坂山駅を出て土佐街道に入ると、薬の街高取の旧城下町、町家の軒先に飾られた沢山の雛人形を愛でながらゆっくりと進もう、高取広場からハイキング道に向かい駅から約1時間で眼病封じの名刹“壷坂寺”にたどり着く、ここでは入場拝観で約1時間を取ります。この時期は、日本最大級の大雛曼荼羅を見ることができたり、満開の桜を背景にした巨大な大仏や観音像など見どころもたくさんある。その後、五百羅漢像を巡り、日
所在地〒915-0000福井県越前市村国町(芦山公園から)特徴越前市街の東(村国山)にあった山城で、展望台の駐車場から登る。堀切や段郭などが残り、山頂にはパラグライダーの発射場があり展望がよい。感想遺構はまとまりがなく残存度合いも高くない。山頂の南側にも遺構があるようだが訪問していない。
3月18日水曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物三好長逸(中野秀樹)三好長逸(みよしながやす)戦国時代の武将。三好氏の家臣。三好一族の長老的立場であり、松永久秀と共に三好政権の双璧と称される。また、三好宗渭や石成友通と共に三好三人衆の1人に数えられ、その筆頭格であった。永正13年(1516年)誕生。永正17年(1520年)に祖父とされる三好之長と父とされる三好長光が等持院の戦いで戦死している。三好長慶に仕える三好一族の1人(従叔父)として、長
2025.05.02訪問前回も書いた通り、この日の天気は下り坂。次に訪れる向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)は“東北最大の山城”とのこと。雨で岩に足を滑らせる危険性もあり「勇気ある撤退」も選択肢か?最寄りの美里町インフォメーションセンターまで行って情報収集をすることにした。郡山駅9:15発、会津若松駅10:31着。予定より1本早い電車に乗ることができた。駅前のバスセンターからバスに揺られること約45分で向羽黒山城の最寄り「インフォメーションセンター前」に到着。美里町インフォメーションセ
旅行が好きな方はたくさんいると思うのですが、一口に旅行といっても、その目的、楽しみ方は、まさに十人十色ですよね歴史が好きな私の意向により、我が家の旅行は史跡重視です。息子が生まれてから、日本100名城を巡ろうと決めました『子連れ滋賀旅行⑤【安土城~観音寺城断念】』3歳11ヶ月の息子と0歳5ヶ月の娘を連れて、滋賀旅行に行ってきました3日目は、安土城と観音寺城の100名城スタンプをゲットしにいきます色々とトラブルがあり、安…ameblo.jpブログ内お城記事はこれが最新かも…『日本
表題の山は、ヤマレコの「登った山」リストになっていて、実質的に一回の山行でリスト一件をコンプリート出来ます。ピーク1(P1)~ピーク9(P9)まで尾根上にピークが連なっています。もっとも他の山域だったら単なる「尾根上のコブ」扱いにされてしまいそうな山も含まれているので、「縦走」といっても驚くようなレベルではありません・・・P2は「龍王山」、P9は「吾妻山」と独立した名称も付けられています。スタート地点にもよりますが距離で4km、コースタイムで3時間程度のコースです。上信電鉄の神農原
こんばんは。深夜の更新となりました。先日の1月6日、大雪に見舞われた地域、関東地方以外にもまさかのオイラの住む東海地方でも大雪になりました。降り始めてすぐに積雪…。ホントなら、この日に山城攻めに行く予定でしたが、様子を見てから…との事で結局かなり積雪したので奥三河はもっと凄い事だろうと諦めました。翌日、奥三河の山城攻めに行く気持ちは変わらなかったので、出向きました。途中の道端で目的地の岩古谷山が見えたので、遠い距離から撮影しました。(低山登山する人の間ではちょっとした有名な山なんです
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ麓から急な登りの連続する尾根を登り、曲輪らしいところもいくつか通過して、比高にして170メートルばかり登ったところで、ようやく主たる曲輪群の一つの直下へ到達🙌ここも急斜面で、登れるところを探して西に回り込んでみると…なんか、虎口っぽくない?左の高台を右から回り込んで登ってゆくイメージなんだが…😅この西側にも尾根が落ちているが、その途中にも小さな段郭が一つだけ見えたりして…そして登った上は、東西に長いテニスコートより少し狭いぐらいの平場
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ山梨県内には戦国大名武田氏が置いたという烽火台、狼煙台がたくさん残っている。中央道須玉ICから増富温泉の方へ登ってゆく塩川沿いにもいくつか並んでいて、信州の千曲川上流方面までも繋がっていたらしい。この前の山烽火台は途中の塩川ダムの左岸すぐ上の山上にある。この日は津金方面の城2つを首尾よく回った後にこの流域を狙ったのだが、最初の目標だった大渡の烽火台は入山禁止の看板が立ち、次の比志城は駐車場を見つけられずに敗退した😅諦めきれずに地図を眺めてい
所在地〒919-1145福井県三方郡美浜町金山特徴金ヶ崎の退き口において徳川家康が陣を置いたとされる山城。水道施設への作業道を登ると、タンクの奥に二つの郭と堀切が残る。感想タンクのある場所も郭だっと思うが、祠があるだけで遺構は破壊されている。
山形県尾花沢市にある延沢城…交通の便が良いとは言えない立地ですが、ここは昔延沢銀山があり、非常に栄えた地でした。その名残はフォトスポットとしても有名な「銀山温泉」に残っており、かつては銀山の採掘で栄えた地に設けられた湯治場だったのがその由来です。そして銀山を守る役割を担ったのが、この地にある延沢城でした。更に戦国期以前、ここは東西南北を通じて、東北各地へ行く街道が交差する要衝。そのためか、この延沢城極めて技巧的な構造をしており、なんと桝形虎口まで備えています。素晴らしいことにその遺構は良
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ花咲城もしくは花咲鐘撞堂は中央道大月IC・JCTのすぐ北隣に盛り上がった小ピーク、花咲カントリークラブとの間の狭い空間にある。いまは諏訪神社があって麓から登る道があるが、一部が放置状態に見える。歴史は不明なようだが、このあたりを領していた小山田氏の烽火台と考えられているらしい。午前中に御坂山地のトバ口の大野城に登ったが、疲れが来たので笹子トンネルからトンボ返りし、途中で立ち寄ることにした😅大月から上野原までの桂川沿いにはこんな感じの烽火台
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ山梨県内には戦国大名武田氏が置いたという烽火台、狼煙台がたくさん残っている。いまは山梨市に属する笛吹川沿いも例外でなく、この下釜口烽火台は国道140号を『笛吹の湯』あたりまで行ったすぐ裏山に構えている。またの名を『三富の城山』とも呼ぶようで、『城山城郭遺構』として山梨市の史跡になっている。笛吹川沿いでは、下流の成沢烽火台の次に訪問したんだが…かつては『笛吹の湯』隣のグラウンド隅に立てられた螺旋階段から登れたようだが、登ったすぐ上にコンクリ擁壁が