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皆さんこんにちは♪おかんです!たけのこメチャクチャ好き♥なんです!牛肉とワカメで炊きます。このたけのこは山城のなんですよ!ブランドものですわ!たけのこは2回目です一回目は万代で買いました、コレは駒川商店街で買ったんですよ!デハデハランキングに参加してます。▼クリックのご協力よろしくお願いします~♪にほんブログ村ファッション(着物・和装)ブログランキングへ
400城址巡りの旅🏯346城目は鍋倉城ですよぉーみちのく桜巡り3日間の旅初日に鉄活→高松公園観桜を済ませ2日目は盛岡で友人と合流しますとレンタカー拝借し岩手右半分巡りへ洞窟&鉱山跡にヤラれまくり遠野で河童と再会果たしたところで本日最後の目的地・鍋倉城へ遠野市の高台にあるコチラ山城百選に選出されておりますが現世ではすっかり整備公園化城址遺構案内板も数あれど当時の面影はほぼ皆無想像力が試されるわ( ̄▽ ̄)天守を模した展望台もございましてとりま襲
4/20(土)に、大阪の城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。「竹中氏陣屋櫓門」からは、「関ヶ原古戦場」内を突っ走り、車で約20分位で「戦国ロード」沿いの「松尾山城登城口」に着きました。「松尾山城」の歴史と城主については、「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということは良く知られていますが、陣城として活用される前の城主は、「主郭」に詳細が記載された案内板に記載がありました。そ
前回に続いて、レイテ沖海戦に参加した戦艦を取り上げます。レイテ沖海戦では、戦艦「大和」「武蔵」を中核とした「栗田艦隊」、好悪空母艦「瑞鶴」「瑞鳳」を中核とした「小沢艦隊」、戦艦「扶桑」「山城」を中核とした「西村艦隊」、一等巡洋艦「那智」「足柄」を中核とした「志摩艦隊」が参加しています。その中で、南側からレイテ湾を目指したのが西村祥治中将率いる「西村艦隊」でした。今回は西村艦隊の旗艦であった戦艦「山城」を取り上げてみたいと思います。戦艦「山城」は、「扶桑」型の2番艦として大正2年度の
カエル姫です。去年の秋だったかの「ブラタモリ」で紹介された熊川宿に行ってきた。福井県と滋賀県の県境近く、海の幸を都に運ぶ鯖街道の宿場町江戸時代の風情を残す重要伝統的建造物保存地区である。全長約1.1kmの街道筋に伝統的建造物が並ぶ熊川宿の真ん中あたりの無料駐車場に車を停めて散策開始さながら時代劇に出てきそうな家並みここから一番賑やかな仲ノ町が始まる旧逸見勘兵衛家住宅(伊藤忠商事二代目社長伊藤竹之助の生家)現在は食事処、お茶処を営む元村役場の洋風建築
2017年11月11日さわやかウォーキングもいよいよ山場、郡上八幡城へ攻め入ります。司馬遼太郎氏が「日本で最も美しい山城であり、隠国(こもりく)の城」と評した郡上八幡城です。郡上八幡城は遠藤盛数によって永禄2年に築かれ、何回もの改修され城が整備されましたが、明治時代に石垣を残して建造物は全て破却されてしまいました。昭和の時代に再建された城なんですね。とても美しい木造の城ですが、日本百名城には含まれていませんよ。「内助の功」といえば、山之内一豊の妻
関東エリア続日本100名城登城ドライブ&道の駅・温泉巡りその9こんにちは昨日(1/18)、小生のブログに多くの来訪があり、全体ランキングが、自己最高の50,000位内の46,032位になり嬉しいです。小生のブログは、自己満足のための投稿と心に刻みながら書いていますが、やはり多くの皆様に見ていただきランキングがアップすれば、嬉しいくて内心微笑んでいます。皆様、ありがとうございます。今後も、よろしくお願いします。関東エリアの”続日本100名城城盗
こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。絶賛連載中の神武征討記今回は、外伝です(・ω・)『【まとめ記事】神武征討記本編(・ω・)』こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。神武征討記本編のまとめ記事です(・ω・)第1部(第1話~第31話)『【まと…ameblo.jp※この外伝は、2024年2月17日に公開されたものです。神武征討記外伝月のように~近衛兵長カグヤツキヒメの物語
池田温泉に浸かった後、こんな地図を見てしまったので寄りました。以前から気になっていましたし。小寺城跡・春日局ゆかりの地・黒井城跡(保月城跡)(兵庫県丹波市春日)のふもとも春日局ゆかりの地この説明板の背後の山城は、伊予の河野氏の一族だった稲葉塩塵により山城が築城されたようです。春日局の元パートナー、稲葉正成の父親稲葉一鉄ゆかりの地。https://www.town.gifu-ikeda.lg.jp/kankou/0000000500.html左が説明板右に駐車場(駐車場があるくら
心は完全に萎えていたがムスコは無駄に元気…早く終わらせたくてイライラしていたので超高速ピストンをかましてやると「オイッ〜オイッ〜」といいながら果てていった…当然コチラはノーフィニッシュ、ただ別に全然構わない。微妙に痙攣しながら赤く高揚したJの顔を見てみるとまさに猿そのもの…ノーメイクはキツイ…しばらくすると正気に戻ったようで「もう一回するか?」と恐ろしい事を言ってきたので「イヤだ!」と即答、しかし「少し休めば大丈夫じゃないか…」と引き下がらないJ…猿女とこれ以上やりたくないんだよ…「2回
いつもはアウトレットに行く佐野。いい山城が残ってるっていうので、今回は散歩に出かけました。全体はこんなお城です。蔵屋敷跡が売店と駐車場になってます。虎口、ワクワクです。本丸跡が唐沢山神社神社になってるので、大手道に鳥居も。堀切の跡とか井戸の跡なんかをみながらまったりと山道を歩くと、本丸に。もちろん眺望良好標高八百尺だそうです立派な鑑石石垣石垣崩落のおそれというので引きで見るとこんな具合の場所も、整備してくださいね~。天狗岩3月だったけど、桜も咲き始め。城内は猫がたくさ
2ヶ月ごとに開催していた滝行合宿✨最後はリピートのメンバーと、流れでご一緒することになった友人といつものメンバーでゆっくりした時間を過ごすことができました😊私の大好きなお宿は、九頭龍様と一つ屋根の下で過ごせる場所🥰ここに20回は泊まりました✨やりすぎ🤣でもまた泊まりたいって毎回思ってしまうんですよね🎵楽しい4年半でした🎵大人になってから、誰かと一緒に過ごすって、やっぱり気を使うし、何かと気にしいになってしまったり。純粋に楽しめなかったけど。ここで、神社好き、占い好き、滝行に関心があ
彼女に会えなかった2年間、LINEはたまに送っていた。メッセージを送ると5日後〜1週間程度で返信が来るという最下層ぶり、ただ彼女は必ずメッセージをくれ、どこぞやの女のようにひたすらやっつけスタンプ返しや使い回しの写真を不明に送ってくるような事はしない私のような優先順位最下層カスタマーにもキッチリ返信してくれるのは好感が持てる。Pを連れウォーキングストリートを歩いていると「2年で私老けたでしょ?」と言われたが全くそんな事はない、むしろ前より綺麗さが増したような気がする。「君は今でも全然綺麗だよ…
今回はお城の画像紹介岐阜の関市富之保一柳にある一柳城(ひとつやなぎじょう)大洞城とも言います毎度うんちくは看板任せですみません実はここ初の城友様と二人で楽しみましたいつもは単独ご覧いただき感謝
https://ameblo.jp/asok0313/entry-12825029590.html『M157山城to山城』突然のMのDMで戸惑ってしまう…というよりは全くノーマークだったMが若くて可愛いという事実に驚き、ワンチャン不倫でも日本で山城出来ればラッキーではないか?とい…ameblo.jp半ば強引な形で元バチェラーのJが1時間後にやってくる事になり、仕方なくシャワーを浴びて準備…逆山城予約なんて贅沢な話だが気分が乗らないものは乗らない…ハッキリ言って身体を綺麗にしたとてタオルは
大子町に来ています続いて訪れたのは吉田神社です着いたよすぐ脇は国道118号線先は福島県矢祭町方面になります隣は卸売りセンターさらに先には久慈川が流れています大河好き流々とうねる大河行ってみましょう南天の赤い実が正月感強めているわぁどやさ鏡山城たてという処から明治17年にそりに乗せて運ばれたそうです
ネットで検索してもほぼ出てこない。このブログも知名度が低すぎるのでググってもでてきません。あはは・・・Twitterで検索するとほんのちょっと出てくる。そんな「日本の山城100名城カード」。もうちょっとアピールしてもいいんじゃないですか!?もったいないよ~こんなにいいカード。しかも500円のお菓子を買うと5枚もついてくるんですよ~~断言してもいい。来年の大河ドラマ「麒麟がくる」が始まって可児市に観光客が来るようになると間違いなく大人気商品になる。
【問題】山城において、斜面に竪堀が連続して配置されたものを次のうち何というか?【選択肢】滑面竪堀群畝状竪堀群海鼠竪堀群数珠竪堀群【正解】畝状竪堀群【解説】日本の山城では、斜面に竪堀が連続して掘られた「畝状(うねじょう)竪堀群」の遺構が数多く見つかっている。「畝状阻塞(そさい)」などとも呼ばれる。
気持ちの良い青空ですうっきうっきのどかな風景の中車を走らせていますほぉら何にもない見事じゃねぇ山を走らすことん十分まだつかない・・・まだつかない・・・かなり昇りましたが・・・まだつかないでたぁ遂にたどり着きました山入城です山城です山の頂に山入城では上ってみます
勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なっている上相遺跡では、この道路に沿うように延びる2本の切り通しが見つかりました。この切り通しの底にはいずれも細かな砂利が敷かれており、出雲街道に先立って使われた道の跡と思われます。特に、上幅9m、深さ3.5mもある南側の切り通しは、断面がV字形をした山城の堀とよく似ていて、あるいはその技術を応用してつくられたのかも知れません。山城が築かれは
▲河後森城跡(かごもりじょうあと山城)愛媛県北宇和郡松野町松丸汗だく💦▲案内マップ車は風呂ヶ谷駐車場まで入れます大型バスも駐車可城の築城の年代は不明ですが主に天文後期から永禄期天正期(1500年代後半頃)にかけて機能していました伊達秀宗が宇和島藩を創立した際に付家老の桑折氏が居城した城です四万十川の支流広見川その支流の堀切川・鰯川の三つの川に囲まれた独立丘陵上にあって最高所の本郭を中心として山の稜線部には馬蹄形に曲輪(くるわ:平地)が展開しています▲真っ
みなさん、ごきげんよう😊一昨日はテレビで温羅のことが紹介されて喜んでいましたが、本編がまだ完結していませんでした、、書くのが追いついてない、、💦前回③からのつづき、、『温羅の恨み、晴らさでおくべきか??③鳴釜神事でダメ出神示@吉備津神社』みなさん、ごきげんよう😊②からの続きです『温羅の恨み、晴らさでおくべきか??②バレンタインに鬼の愛の話@吉備津彦神社、吉備津神社』みなさん、ごきげんよう😊前回…ameblo.jp吉備津神社参拝後、北西に進み、鬼城山へ向かいました温羅一族が築いた鬼
<速報>昨日(4/20)、城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。どちらのお城も以前から登城したい山城で、「菩提山城」は昨年に「竹中氏陣屋」に行った際に、後方に見えた菩提山頂にあるお城は「羽柴秀吉」の軍師であった「竹中重治(半兵衛)」が居住していたお城とのこと、「松尾山城」は「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということで、いずれも興味津々の山城でした。「米原」でカーシェアによる車で
こんばんは。☆彡今日もこちらは暖かい一日でした。雲が多かった気もしますが、最高気温は26℃前後でした。まだ黄砂が飛んでいる気もしましたが、洗濯して久しぶりに外干。さて、リコメやコメントが遅れていて大変失礼しています。実はこのGWどうしようかと、ちょっとドタバタ。最後のあがき。(笑)円安が続いているし、中東情勢もさらに緊迫化。完全に逆風ですが、なんとかその間隙を縫ってどうにかならないかと足掻いてみています。先日、弘前や金木の桜の記事をリブログしたところですが、弘前で桜が
前回より4月中旬の週末に新潟県内を訪問、「グルメ&山城めぐり🏯」を愉しんだ旅の様子を紹介しています。今回は最初の訪問地「南魚沼市」にある「樺沢城(かばのさわじょう)」を登城とある理由から「営業準備中」と訝しんだのでした。樺沢城は営業準備中ここは今回登城するお城の最寄り駅「上越国際スキー場前駅」付近。訪問時は積雪がなかったので、宿泊施設の近辺は静かでした。今回訪問する樺沢城の「下屋敷跡」を早速見つけたよ。こちらには「城之腰跡」近くで上越線の電車が数1
この日(11月11日、1回目の時です)川中島古戦場に来ていた私は、駐車場の奥にある案内板を見つけました。鞍骨城?清野氏の居城らしいですけど聞いたことないですね。片道100分とか書いてますけど……取り敢えず『城』という文字を見てしまった私は、行かなければいけないといういつもの病気が始まり、熊ベルとトレッキングポールを準備、途中まで小型4WDなら行けると書いてあるので行けるところまで車で行くことに。この判断が、のちにある案内表示を見つけてしまったが為に歩く距離を大幅に延長することに
2017年12月9日醒井宿から鳥居本宿への中山道を歩くさわやかウォーキングに参加しています。中山道の番場宿を進みます。鎌刃城跡へは3キロほどありますね。鎌刃城は、江北と江南の国境線に位置する境目の城で、湖北最大級の山城だったようです。城跡は2005年に国の史跡に指定され、2017年に続日本100名城に選定されています。古くは、京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台となっています。信長が美濃と近江を平定後、まもなく廃城となったようです。
雨上がりの新緑は、奇麗だなぁ~と感じる光景です。新緑の箕冠山(みかぶりやま)242mに日が当たったので新緑に引かれて近づきましたちょっと高い所から箕冠山は戦国時代の山城で高田平野を見渡せる位置にあり、関田山脈を越えて侵入する敵を見張る役目があったようです山頂部には土塁・空堀・井戸があります山頂部のアップ妙高山は山頂(中央火口丘)は見えませんが写真中央部に名物『はねうま』が見えますよ火打山方面パノラマ合成すると右端青田南葉から妙高山まで残雪は約900m以上となっていき
川田城に行った後に訪れたのが北方城。ここはフォロワーさんが場所を特定したもののどうやって行くのかがわからないとの事で私が同行する事に。国道405号線から少し入った所に車を停めて地理院地図を見ながら入れる場所を探して民家脇の道から入る事にしました(民家が写るのでここでは掲載しません)。道を入っていった先は貯水池になっており、下の写真の足場板を渡って奥へ進みます。真ん中で折れかかっているので渡る際は注意が必要です。無事に渡り切ると、道が出来ているのでそのまま進みます。下の写真の場
今日は備陽史探訪の会の踏査会にお邪魔することになっております。美作経由で備中新見へ勝山の高田城へチョイ寄り石垣造りの虎口が発掘されたようです。その後新見へ楪(ゆずりは)城は新見市の北にある山城で備中兵乱における三村氏・毛利氏の重要な城であったといいます。備陽史探訪の会では幾度かに分けて備中兵乱に関連した城を踏査していたらしく、今回もその一環であったようです。講師は岡山のたかまるサン。因みに楪城の名は城域に楪(譲り葉)↑が多くあったためで、史料等の呼称は新見要害というのが正しいよ