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5月の3〜5日に実施した山城スプリングマッチの結果です。優勝田辺中学校準優勝宇治中学校3位長岡第二中学校立命館宇治中学校
トップページ都道府県別索引へ千葉県の索引へ京成線宗吾参道駅から西の程近いところにある岩橋城は、谷戸が入り組んで細い稜線になった丘の上を占めている。宗吾霊堂からも徒歩圏内だが周辺は鄙びた集落。このあたりは千葉一族の当主だった千葉輔胤の所領があったところで、この城もかれが築いたと考えられるが歴史は不明、というところらしい。京成本線に乗ってこのあたりの城を徒歩で回ったこの日、大佐倉駅チカの花輪台城に続いて2つ目だった。小雨降る中の京成酒々井―宗吾参道と二駅分の徒歩が何気に長い…🥵→現在位置
Tetsu龍でございます。正門入口の横に城址碑があります。ここの雰囲気、竹田城の入口となんとなく似ている気がした。石垣の城がやはり好きですね。勝連城は、梯子を登るように上がっていったのですが、中城城はそんな感じでもない。連郭式の山城に分類され、海が見える側の石垣に上がると、金武湾が広がっているので、高台にあることが判ります。正門から入った処、右側が南の郭、左側が西の郭になります。西の郭は、東西に長く120mあります。馬場の訓練場と思われます。南の郭は野面積で一番古く、この
2月3日火曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物武田佐吉(村上新悟)武田左吉(たけださきち)は、戦国時代の武士で、織田信長の近臣・代官を務めた人物。名は左橘とも。諱を信吉(誤伝か)とする史料もある。武田左吉は、信長の側近として活動した家臣で、高木左吉と並び両左吉と呼ばれた人物である。近臣として度々戦功を挙げたことが『武家事紀』等に記されている。『武家事紀』によれば、武田左吉は信長の近臣として活躍し、その子・坂井久蔵は六条合戦の後、信長が京都
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)420城目は鷺山城ですよぉ~加納城跡から約20分鷺山城公園駐車場へピットイン1185年に築城~1556年廃城となった鷺山一帯に置かれた山城も現世ではお約束の公園化。。。遺構は段々状の形状で残っておりただ廃城から数百年経た城址遺構としては不自然過ぎるほど整ったビジュアル石垣も確実に後世に積まれたものではて、これホンマに城跡なのかしらと疑念( ̄▽ ̄)つーワケで妄想タイムに切り替えまして遠く岐阜城を拝
城めぐりに嵌っているので、原城跡(大分県)に。「荒城の月」のモデルの城。今回山道ばっかり~跡なので、建物はなし。平日だったが、意外にも人はそれなりに(こちらは外国の人は皆無)。桜のおかげなのかも~前日かなり歩いたので足は大丈夫?と気になったが、なんとか頑張る。駐車場が高い所にあるので、そんなに大変ではなかった。基本、城はどこも高台にあるので足腰大丈夫でないときついかな。石垣まわりが断崖で、そりゃ難攻不落でしょ。攻めたいか、と言われれば、攻め取っていいもの手に入れら
おはようございます昨日、神戸に帰ってきました〜。これは大阪上空の写真ですが、思った通り雪はもう無かったです旅程1/11(1日目)・神戸から特急で鳥取へ・道の駅琴の浦(琴浦町A)・三朝温泉ほっとプラ座(三朝町A)・三朝温泉泊1/12(2日目)・鳥取から新見へ移動・新見市観光案内所(新見市A)・高梁観光交流センター(高梁市歴まちカード)・武家屋敷旧折井家(高梁市A)・備中松山城(日本100名城スタンプ)・帰宅2026.1.12(月・祝)
『近江の山城ベスト50を歩く』高田徹氏の縄張図より右下端に南堀切があります。南堀切から登ります。右手を見ると南堀切から竪堀のようなものと土塁のようなものが来ています。南堀切を見下ろす。右に土橋が見えます。左に竪堀のようなものがあります。南堀切の土橋を見下ろす。木之元宿方面が遥か下に見えますね。土橋の形状も大きな堀切の形状も不明瞭になってきていますね。ホリホリしたい。さて、先へ登ります。この竪堀状の左は土塁?高齢化が進む高月町方面。
トップページ都道府県別索引へ静岡県の索引へ薩埵(さった)の本城は景勝地で知られる今の薩埵峠から南へ1km足らずのところにある薩埵峠ハイキングコース途中、薩埵峠標柱すぐ脇の山中に眠っている。薩埵峠は薩埵山が駿河湾にせり出す難所で、歴史上何度か戦場になったところだった。ここは永禄十一年(1568年)に武田信玄が駿河に侵攻し、今川氏真と後北条氏が迎え撃ったときの陣城遺構と考えられているらしい。この付近には、さらに山奥になる薩埵山の奥にも陣城遺構らしいものが残っているという。翌日が桶狭間古戦
トップページ都道府県別索引へ静岡県の索引へ山頂目指して麓から登ってきた発端丈山。この山頂は城でもあり、三津城あるいは三津古城というのだとか。南北朝時代の康安・正平年間に幕府の重臣だった畠山国清が築き、鎌倉公方足利基氏との抗争の時に修善寺城、金山城とともに拠点になった城だったとか。国清は結局敗れて後の消息は明らかでないという。城もそのまま放棄されたか。ということで、戦国時代の末期に後北条氏が築いた三津新城などとは来歴が異なるらしい。三津北口から三津新城、発端頂砦と登ってきて、いよ
先日清書した宇津城に行ったとき、メインはこちら。デカンショ街道から天引を園部方面へ。日吉ダムから道風神社~前坂を通って。洛中を車で通りたくなかったので…。なぜこの城が気になったかといえば…櫓台ですよ、櫓台!今年の「中世城郭セミナー」のテーマですよね。「土壇」ですけどね。櫓がそこに建っていたかどうかなんてわかんないじゃん。まあそのほかに横堀、土塁…どれも「あるのはわかっていたが想像以上」でした。画像ではよくわかんないですね、あるある。城はほぼ単郭ですが、土壇abcdと付随
こんにちは、くるまやまこっちゃんです!ご覧いただき、ありがとうございます☆今回は雲海を見に来たのではないのですが、近くに来ましたのでウォーキングをしようと竹田城跡に向かいました。何度も来ている場所ですが、今年の竹田城跡をご紹介します。播但道の生野第二北を降りて9キロ程で到着します。バス停も有り!歩いて登り下りされている方は私達と女性4人程で、最近は熊が気になってバスで真ん中まで行かれているみたいなお話しをされていました。駐車場🅿️から竹田城跡まで2.1キロあります。登りは少しキ
神辺古城の行き方ですご登城の方は必ずお読みください!航空地図を参考にしてください●車でお越しの方地図内の駐車場と書かれたところは高屋川土手下になり車を止めることができますが指定の駐車場ではなく河川の場所を利用した一時的に車を止められる場所になりますので、神辺古城を見た後は速やかに移動をよろしくお願いします徒歩や車でお越しの方(車の方含めて)神辺古城の入り口は必ず西側の方から上がってください古城八幡宮の鳥居と階段が西側にありますのでここから上がってください北側の
〇山形県民にとっての重要な歴史的合戦:長谷堂城の戦い「長谷堂城」この城自体は規模の小さな山城…というよりは丘城のような現代なら15分もあれば、登れるような城です。しかし、この城は山形県民にとっては重要な歴史的舞台の場所になりました。それこそが慶長5年(1600)の長谷堂城の戦いです。関ケ原戦役によって日本全国の大名達は天下を二分する大合戦に否応なく巻き込まれます。西軍方となった会津の上杉景勝は背後の安全を確保するために出羽における東軍方であった最上義光の山形城に向けての侵攻を重臣の直江
備中松山城4月6日(月)は登城バスが運行されていたため城に一番近い駐車場ふいご峠に自家用車は入れませんでしたなので城まちステーションに車を停め1時間登っていくかまたはそこから登城バス(ワンボックス)かタクシーに乗りふいご峠まで行き20分ほど登っていくか‥迷わず登城バスの始発8:45を選びましたバスの客は私達だけでしたバスには顔出ししなければワンコも乗れますふいご峠からの20分程の登り舐めていました昨日の竹田城跡の登りよりずっとキツイ休み休み登りましたところが90過
(´-`).。oO2025.6.2この日登ったのは…赤穂市「はげ山75m」「尼子山259.2m」「尼子山」は別名「赤穂富士」と呼ばれるだけあって美しい山…の右にぴょこんと出っ張っているのが「はげ山」尼子神社からスタート(9:52)鳥居の横に登山口歩きやすい山道10分で「はげ山」❗️下から見ていた時から思っておりましたが、別にハゲてはおりません木の間から見えるのは千種川少し戻って「尼子山」への道の続きを登りますこの「山城へGO」の幟が道中のポイントにあり分かりやすい視
トップページ都道府県別索引へ鹿鼻(ししはな)城、もしくは鹿鼻館は東北自動車道富谷JCTのすぐ北、西に道路と穀田川が並走するすぐ西側の入り組んだ丘陵地帯の中にある。すぐ北に富谷市の市役所、西と南に少し行くと住宅街になるが一帯は市街化調整区域で、谷戸と中心とする自然がよく残っている。城の歴史はよく分かっていないようで、藤原秀衡の家臣長野隆実の城とも伝わるぐらいだとか。発掘調査も行われてなさそう。GWもラス前、そろそろ夕方が近づいて来ようかという時間だったが平泉からの帰りがわりと順調だったので
<京都福寿園山城館>3月28日(土曜日)、朝の番組「おはよう朝日土曜日」の「土日どーする」コーナーで、比較的近所の京田辺や木津川市を紹介していたので、お昼前に家族三人で出かけました。福寿園山城館-山城茶問屋の文化を伝える・福寿園山城館福寿園創業の地京都・山城は古来より茶の栽培が行われ、明治の輸出茶の時代から大正昭和の国内需要の時代に至る永い歴史の時間を発展し繁栄してきました。その歴史の一端に触れていただけます。fukujuen-yamashirokan.com最初の目的地で
トップページ都道府県別索引へ山梨県の索引へ山梨県内には戦国大名武田氏が置いたという烽火台、狼煙台がたくさん残っている。いまは山梨市に属する笛吹川沿いも例外でなく、この下釜口烽火台は国道140号を『笛吹の湯』あたりまで行ったすぐ裏山に構えている。またの名を『三富の城山』とも呼ぶようで、『城山城郭遺構』として山梨市の史跡になっている。笛吹川沿いでは、下流の成沢烽火台の次に訪問したんだが…かつては『笛吹の湯』隣のグラウンド隅に立てられた螺旋階段から登れたようだが、登ったすぐ上にコンクリ擁壁が
鳥越城に行った後に小島谷城へ。近所の方がいたので話を聞いたら、先代から話は聞いてたようで、一応城域に入る許可をもらいました。車は集落センターに停めれるようなのですが、許可取ってないので手前の入り口付近に停めさせていただきました。林道を進むと堀切が見えるので、ここから入る事に。登って見ると、意外と高低差ありました。(左端が林道)正面が堀切です。深さは2〜3mってところでしょうか。堀切を上から撮影。そして切岸も中々のものです。井戸跡です。更に東側へ
この週末、「山城に行こう!2025」が開催されていました。アプリブースへお越しいただいたみなさん誠にありがとうございます!例によってイベントレポートは後日しっかりアップしますので楽しみにお待ち下さい。さて今日は熊の話。ニュースなどでも報じられている通り、今年は例年にも増して熊の出没が全国的に多くなっています。人里近くまで下りてくるケースもあり、登山やキャンプを控える方も増えているようです。城をめぐるという行動にも大いに影響があります。これまで特に意識することのなかった
公益社団法人落語芸術協会による真打昇進披露パーティーが、京王プラザホテルにて盛大に開催され、出席させていただきました。落語芸術協会www.geikyo.com今回、新たに真打に昇進されたのは、・春風亭昇太門下春風亭昇吾氏・桂竹丸門下桂竹千代氏・雷門助六門下雷門音助改メ三代目雷門五郎氏(襲名)・昔昔亭桃太郎門下昔昔亭喜太郎氏以上、4名のみなさんです。私は、桂竹千代応援団の関係者として出席させていただきました。幼少の頃か
所在地〒915-0000福井県越前市村国町(芦山公園から)特徴越前市街の東(村国山)にあった山城で、展望台の駐車場から登る。堀切や段郭などが残り、山頂にはパラグライダーの発射場があり展望がよい。感想遺構はまとまりがなく残存度合いも高くない。山頂の南側にも遺構があるようだが訪問していない。
この日は上越妙高エリアの保存会4団体による講演会『上越妙高お城サミット』に出席し、私はその第二部で講演させていただきました。場所は妙高市姫川原コミュニティーセンターで、旧姫川原小学校跡地を再利用して使われているコミュニティーセンターです。写真:ほむほむ私は開始一時間半前に到着したのですが、駐車場に車が一台も停まってなくて一瞬時間間違えたかなと思ったのですが、鳥坂城跡保存会の方が来てくださり、鍵を開けて下さいました。時間近くになり、PCのセットして待機していたのですが、次から次へと
甲冑も展示されています。武者走りです。中央の部屋を囲む構造で、戦闘時に武士が素早く移動したり、壁の狭間(銃眼)から敵を攻撃したりする「戦う城」としての機能を持った空間です。石落としの間です。付櫓から張り出した部分が石落としで、この床を開いて石垣に迫った敵を攻撃します。現在は床はふさいであるそうです。外側から見るとこの部分です。上段の間です。上段の間は、一段高い畳敷きの床、床の間、違い棚を備え