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月曜日に滋賀のお城EXPOのレポートを公開したばかりですが、今日は可児のイベントレポートです。THEレポートウィークです。「山城に行こう!2025」が開催されたのは約2週間前の11月15日・16日の2日間、メイン会場は岐阜県可児市の広見地区センター。滋賀に続いて両日ともに晴天に恵まれ、メイン会場のみならず美濃金山城などの城跡も大盛況だったようです。アプリブースは昨年同様、会場2階の大部屋にあったんですが、一時は行列が外の廊下へ続くまでに…。またまた大変お待たせをいたしました
岡山へ日帰り中距離遠征。情報が少ない激マイナーな山城です。岡山市北区建部町土師方備前・土師方城(はじかたじょう)土師方城の城主は山口与一兵衛光政が伝えられ、康正元年(1455)山名氏によって攻められ落城、光政は土橋の辺りで自刃したと伝えられている。標高200m(比高140m)の山城であるということは確実なようです。城山北側の山間部を通る道に土師方公民館があり、ここに本陣を敷かせていただきました。城山はこの左手になります。こちらのお城も案内板の類は一切ございません。という事
保護者様との面談の中でたくさんの質問をいただきます。その中で○○点ならどの高校に行けますか?という質問が多いので少し紹介します。久御山中学校の毎年の実力テストを見て、どれくらいの点数の生徒がどのような偏差値なのかを考慮して考えています。あくまでも私個人1意見としてお読みください。実力テストの平均点について山城通学圏で行われている1科目40点満点・5科目200点満点の実力テスト高い学校では5科目平均が120点台中堅の学校で5科目平均が1
2025.05.02訪問前回も書いた通り、この日の天気は下り坂。次に訪れる向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)は“東北最大の山城”とのこと。雨で岩に足を滑らせる危険性もあり「勇気ある撤退」も選択肢か?最寄りの美里町インフォメーションセンターまで行って情報収集をすることにした。郡山駅9:15発、会津若松駅10:31着。予定より1本早い電車に乗ることができた。駅前のバスセンターからバスに揺られること約45分で向羽黒山城の最寄り「インフォメーションセンター前」に到着。美里町インフォメーションセ
トップページ都道府県別索引へ愛知県の索引へ椎城は豊田市の中心地から東に10km弱はいった巴川流域右岸の山中にある。麓に則定の集落があって城までのハイキングコースが整備されている。戦国時代に徳川家康麾下にあった鈴木氏の居城といわれており、城内に鈴木重氏の墓石も立っている。但しこの人物のことはよく分かっておらず、築城年代など分かっていないことも多いらしい。徳川家康が関東に移るとこれに従い、城は廃されたとのこと。鈴木氏は関ヶ原合戦頃に当地に戻ってきて麓に則定陣屋を構えていた。三連休の中日、朝
今日は「山の日」。くしくも先週販売を開始した“山”アイコンを配した新作Tシャツも、おかげさまで大変多くの方にお買い上げいただいています。ありがとうございます。サイズが歯抜けになっていて申し訳ありませんが、また増産あると思いますのでしばしお待ちいただければと思います。ところで、3ヶ月ほど前のブログで「連投」の話を書きました。その中身をかいつまんで書くと、一筆啓上ではルール上は連続で投稿できるものの、46文字の中に伝えたいことを収める風情を楽しむコーナーなので、それを
岩村駅を降りて古い家並みの城下町を進みます。正面の山に登ります。ここは数年前の朝ドラ「半分青い」のロケ地です。城下町散策は次回UPしますね^^岩村城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれてます。高低差180mの地形を巧みに利用した要害堅固な山城。霧の湧き易い気象までも城造りに活かされておる。別名「霧ヶ城」ともよばれてます。これ以上岩村城について書くと長くなるから省略ね。登山口に来ました。満開の枝垂桜が迎えてくれま
トップページ都道府県別索引へ鹿鼻(ししはな)城、もしくは鹿鼻館は東北自動車道富谷JCTのすぐ北、西に道路と穀田川が並走するすぐ西側の入り組んだ丘陵地帯の中にある。すぐ北に富谷市の市役所、西と南に少し行くと住宅街になるが一帯は市街化調整区域で、谷戸と中心とする自然がよく残っている。城の歴史はよく分かっていないようで、藤原秀衡の家臣長野隆実の城とも伝わるぐらいだとか。発掘調査も行われてなさそう。GWもラス前、そろそろ夕方が近づいて来ようかという時間だったが平泉からの帰りがわりと順調だったので
トップページ都道府県別索引へ長野県の索引へこの城への訪問には道迷い、滑落、危険生物など多くの危険が伴うと思われます。城の直下まで仕事道はありますが踏跡程度で急斜面やガケの脇を通過していたり、枝道が錯綜していたりします。城直下を流れる須沢は渡渉が必要ですが、梶谷川との出合付近に滝が連続するような急流なので増水時には流されないよう要注意と思われます。城へ最後の登りは急斜面の直登、城内も細尾根が多く切岸がガケのようなので、滑落や落石に要注意でしょう。また、ヤマビルのいる山域なので暖候期に
トップページ都道府県別索引へ長野県の索引へ塩田城は上田市の南西のほう、独鈷山前山寺の近くの山稜北面にある。この地には鎌倉時代の1277年に鎌倉幕府の連署北条義政が職を辞し、この地にやってきて館を構えたのが始まりとか。鎌倉幕府が滅んだ後は千曲川沿いにいた村上氏の支配下にあった。戦国時代になって天文二十二年(1553年)になると甲斐の武田信玄が村上義清との戦いの中でこの城を奪い、川中島合戦のときには重要な拠点になったとのこと。もっとも少し後には浦野川沿いに新たに築かれた岡城に拠点が移った
神奈川県西部の山北町に、河村城址があります。山北町の観光案内、また山北町のあちこちで『河村城址あちら➡️』的な表示があって河村城が気になっていたのです。でも河村、関東にそんな戦国武将おられましたっけ?と思いつつ、道標を頼りに河村城址に向かってみました。山道を登っていきます。小田原方面の街と相模湾が見渡せるナイスロケーション。ここに川村城址の案内板があります。河村氏は波多野氏の家系なんですね。波多野氏は現在の神奈川県秦野市を領した坂東武士です。波多野遠義の次男、波多野秀高が当
室町時代に足利尊氏の熱心な地蔵信仰が「罪障消滅のためのみでなくて…戦捷の守護神としての勝軍地蔵の冥助を祈念」し、一般武人も愛宕、清水、白河(川)の勝軍地蔵などを信仰、これに対し一般庶民は六地蔵を信仰していたとし、勝軍地蔵は愛宕山で軻遇突智(かぐつち)神と合体して防火・勝軍の守護となる我が国独自の「勝地蔵」が創造され各地に祭祀された。その出典は『蓮華三昧経』で「頭に畢竟空寂の兜を頂き、身に随求陀羅尼の鎧を纏ひ、腰に金剛智の大刀を佩き、発心修業の幡(旙)を飜し、悪行煩悩の軍を斬る剣を執り、左右
山形県尾花沢市にある延沢城…交通の便が良いとは言えない立地ですが、ここは昔延沢銀山があり、非常に栄えた地でした。その名残はフォトスポットとしても有名な「銀山温泉」に残っており、かつては銀山の採掘で栄えた地に設けられた湯治場だったのがその由来です。そして銀山を守る役割を担ったのが、この地にある延沢城でした。更に戦国期以前、ここは東西南北を通じて、東北各地へ行く街道が交差する要衝。そのためか、この延沢城極めて技巧的な構造をしており、なんと桝形虎口まで備えています。素晴らしいことにその遺構は良
トップページ都道府県別索引へ長野県の索引へこの城の訪問には危険が伴うと思われます。詳しくはアプローチ編冒頭に示しましたので確認されたく思います。迷いやすい仕事道に急傾斜でおっかないガレ場とかをなんとか通過し、水量のけっこうある須沢を渡渉し、最後は四つん這いの直登の山…💦そんな金冷やしな登山の末に、ようやく西の端の曲輪に登りついた🙌東側の高くなっているのが主郭か。北の方、少し下に小さな曲輪があるようだ。さて、主郭へと登ってみるか。南側には露岩が並ぶ。その北側は土の坂にな
滝山城(別称:布引城・多芸山城・多喜山城)兵庫県神戸市中央区創設年代・・・・鎌倉末期創設者・・・・・赤松則村形態・・・・・・山城遺構・・・・・・堀切・土塁・郭・石垣新神戸駅のすぐの裏山、ハイキングコースにポイント西方の再度山城、東方の摩耶山城を両翼に置き、海辺に近く、大阪湾を往来する舟を監視出来る戦略上重要拠点。縄張りは東曲輪群・中央曲輪群・西曲輪群の三つから構成され、これらの曲輪群は大規模堀切で区画されている。中央曲輪群
トップページ都道府県別索引へ静岡県の索引へ高根城は浜松の中心地から国道152号をひたすら北上し、水窪の町まで来たところの入口付近にある。JRでいうと飯田線の向市場駅すぐ南のトンネル上で、駅近くからよく見える。戦国時代の国衆奥山氏の城だったが北の遠山氏に攻められて落城、のちに甲斐武田氏の拠点となった。長篠の戦いの後に武田氏が撤退すると廃されたという。いまは時代考証に基づいて櫓や城柵などが整備されていて、中世山城の雰囲気を味わえる。ただしこのあたりにはヤマビルもいるとの事で訪問は寒候期