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東京と九州を半世紀以上にわたり結んだブルートレイン。最後まで残った寝台特急「富士・はやぶさ」には14系客車が使われ、電源供給を行うスハネフ14、15形は10両が配置されていました。基本的には共通運用だったと思われる両形式ですが、車端部の異なる形状から、ある程度決まりのようなものがあったのでは…と、最近気になり始めました。当時撮影した写真などから連結位置などを考えてみました。下り「富士」編成の最後尾12号車に入ったスハネフ14形=2009年スハネフ14形は1971(昭
1984年10月19日(金)、山陽本線・西明石駅構内で、寝台特急「富士」の脱線事故が発生しました。客車14両中13両が脱線しました。オハネフ25-205(左)、オハネフ25-107(右)山陽本線は、この西明石駅で下り線は複々線から複線に、上り線は複線から複々線と変わる駅です。山陽本線の複々線区間は、特急、貨物列車が走行する列車線と、快速や普通電車などが走行する電車線に分かれています。この切り替え区間、列車線を走行する列車は100km/hの速度で通過しますが、電車線を走行する
東京—九州間の寝台特急のうち、JR九州の受け持ちだった「はやぶさ」「富士」。使用された24系25形客車のオハネフ25形は1980年代後半、貫通幌(ほろ)が青色になりました。編成端の変化について探ってみました。「富士」の編成端に組まれた、貫通幌が青色だった熊本運転所のオハネフ25形100番台=防府、1990年国鉄分割民営化を控えた86年11月ダイヤ改正では、九州ブルートレインも編成や車両配置が見直され、品川客車区(南シナ)配置だった「はやぶさ」「富士」の24系25形は、基本
1985年から2009年まで東海道・山陽本線のブルートレインけん引機として活躍した下関運転所(下関車両管理室)のEF66形電気機関車。最後まで残った10両のほとんどが総走行距離800万キロ以上を記録した中、40号機は全EF66形の中で最も早い1995年に廃車されるなど、短命の機関車でした。寝台特急「みずほ」をけん引して東京から一晩かけて本州の西端・下関に到着したEF6640=1991年87年4月の国鉄分割民営化の際、東京ー下関間のブルトレけん引に当たるEF66形は、40
(寝台特急「富士」脱線事故・1)では、脱線の原因と経緯について書きました。今回は、その続きです。西明石駅構内へ足を運んでみると、機関車次位に連結されていたオハネフ25がホームに激突して大破していました。オハネフ25-104進行方向右側が原型をとどめていない程、大破しています。幸いだったのは、大破したのは寝台側ではなく、通路側だった事です。オハネフ25-104さらに駅構内の先にけん引していた機関車が停止していました。EF65-1099機関車は脱線する事
(寝台特急「富士」脱線事故・1)(寝台特急「富士」脱線事故・2)では、脱線の原因と経緯や他の寝台特急の回送について書きました。今回は、その続きです。15時00分いよいよ、脱線した車両の復旧のために、線路内にクレーン車2台が入りました。2台のクレーン車で客車1両ずつを吊り上げて、線路へ復帰させてゆきます。しかし、ホームに激突して大破したオハネフ25-104は、ホームに食い込んでクレーンでの吊り上げすら不可能でした。そこで、現地解体が行われる事になりました。16
(前回記事の続き)(下吉田駅ブルートレインテラス)★過去記事↓↓【富士急行から富士山麓電氣鐵道へ①】観光列車「富士山ビュー特急」(大月→下吉田)『【富士急行から富士山麓電氣鐵道へ①】観光列車「富士山ビュー特急」(大月→下吉田)』(富士山ビュー特急@富士急行線・下吉田駅)JR特急「かいじ」で、中央本線(中央東線)を西へ多摩川を渡る。東京都・神奈川県から山梨県へ。大月(おおつき)駅…ameblo.jp富士急行から富士山麓電氣鐵道へ大月駅〜河口湖駅(26.6km)を結ぶ富士急行株式