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紀行作家宮脇俊三氏に『「富士」の哀れ』と題したエッセイがある。『列車に愛称名がつけられたのは、いまからちょうど50年前の昭和4年9月、東京‐下関間を走っていた1・2等特急を「富士」、3等特急を「櫻」としたのが最初であった。翌昭和5年10月には東京‐神戸間に特急「燕」が新設され、これら3本の列車が戦前の日本を代表する優等列車として君臨した。とくに「富士」は、速度の面では「燕」に1歩を譲ったものの、寝台車、洋食堂車、展望車を連結して格式が高く、列車番号も下りが1列車、上りが2列車であった。
東京—九州間の寝台特急のうち、JR九州の受け持ちだった「はやぶさ」「富士」。使用された24系25形客車のオハネフ25形は1980年代後半、貫通幌(ほろ)が青色になりました。編成端の変化について探ってみました。「富士」の編成端に組まれた、貫通幌が青色だった熊本運転所のオハネフ25形100番台=防府、1990年国鉄分割民営化を控えた86年11月ダイヤ改正では、九州ブルートレインも編成や車両配置が見直され、品川客車区(南シナ)配置だった「はやぶさ」「富士」の24系25形は、基本
1984年10月19日(金)、山陽本線・西明石駅構内で、寝台特急「富士」の脱線事故が発生しました。客車14両中13両が脱線しました。オハネフ25-205(左)、オハネフ25-107(右)山陽本線は、この西明石駅で下り線は複々線から複線に、上り線は複線から複々線と変わる駅です。山陽本線の複々線区間は、特急、貨物列車が走行する列車線と、快速や普通電車などが走行する電車線に分かれています。この切り替え区間、列車線を走行する列車は100km/hの速度で通過しますが、電車線を走行する
東京と九州を半世紀以上にわたり結んだブルートレイン。最後まで残った寝台特急「富士・はやぶさ」には14系客車が使われ、電源供給を行うスハネフ14、15形は10両が配置されていました。基本的には共通運用だったと思われる両形式ですが、車端部の異なる形状から、ある程度決まりのようなものがあったのでは…と、最近気になり始めました。当時撮影した写真などから連結位置などを考えてみました。下り「富士」編成の最後尾12号車に入ったスハネフ14形=2009年スハネフ14形は1971(昭
1985年から2009年まで東海道・山陽本線のブルートレインけん引機として活躍した下関運転所(下関車両管理室)のEF66形電気機関車。最後まで残った10両のほとんどが総走行距離800万キロ以上を記録した中、40号機は全EF66形の中で最も早い1995年に廃車されるなど、短命の機関車でした。寝台特急「みずほ」をけん引して東京から一晩かけて本州の西端・下関に到着したEF6640=1991年87年4月の国鉄分割民営化の際、東京ー下関間のブルトレけん引に当たるEF66形は、40
(寝台特急「富士」脱線事故・1)では、脱線の原因と経緯について書きました。今回は、その続きです。西明石駅構内へ足を運んでみると、機関車次位に連結されていたオハネフ25がホームに激突して大破していました。オハネフ25-104進行方向右側が原型をとどめていない程、大破しています。幸いだったのは、大破したのは寝台側ではなく、通路側だった事です。オハネフ25-104さらに駅構内の先にけん引していた機関車が停止していました。EF65-1099機関車は脱線する事
さて、先週に引き続き海田市駅にやってきました。先週は湘南色廃車回送ということで下関方面に向かう車両でしたが、今回は下関から大阪へ向かう「サロンカーなにわ」2泊3日のツアーの昼間走行を狙います。サロンカーなにわ、一度見てみたかったのですが廃車の噂がささやかれ始めています。そんな中今回団臨の走行ということで撮影してきました。本音を言えば撮るより乗りたかったのですが・・・ということで待っていると向こうから牽引機EF65、PFの姿が見えたと同時に、あぁ、手前から227が・・・基本山陽線下りは左側
(寝台特急「富士」脱線事故・1)(寝台特急「富士」脱線事故・2)では、脱線の原因と経緯や他の寝台特急の回送について書きました。今回は、その続きです。15時00分いよいよ、脱線した車両の復旧のために、線路内にクレーン車2台が入りました。2台のクレーン車で客車1両ずつを吊り上げて、線路へ復帰させてゆきます。しかし、ホームに激突して大破したオハネフ25-104は、ホームに食い込んでクレーンでの吊り上げすら不可能でした。そこで、現地解体が行われる事になりました。16
(前回記事の続き)(下吉田駅ブルートレインテラス)★過去記事↓↓【富士急行から富士山麓電氣鐵道へ①】観光列車「富士山ビュー特急」(大月→下吉田)『【富士急行から富士山麓電氣鐵道へ①】観光列車「富士山ビュー特急」(大月→下吉田)』(富士山ビュー特急@富士急行線・下吉田駅)JR特急「かいじ」で、中央本線(中央東線)を西へ多摩川を渡る。東京都・神奈川県から山梨県へ。大月(おおつき)駅…ameblo.jp富士急行から富士山麓電氣鐵道へ大月駅〜河口湖駅(26.6km)を結ぶ富士急行株式
1985年3月に寝台特急「富士」の東京ー下関間のけん引機がEF66形に交代する際、新たなヘッドマークが検討されました。下関運転所では、浮世絵師・葛飾北斎の「赤富士」を図案化したヘッドマークが試作されました。「赤富士」は84年9月末ごろに製作。鉄製の本体に、アクリル板を赤く塗装した「富士山」とアルミ板を磨いた「雪」を取り付けたそうで、非常に凝ったデザインでした。下関車両センター(現下関総合車両所)公開時に展示された、赤富士ヘッドマークを掲出したEF6650しかし、85年
(『東京発寝台特急の挽歌第4章~南宮崎行き「富士」80年の足跡を偲ぶ前編~』の続きです)『東京発寝台特急の挽歌第4章~南宮崎行き「富士」80年の足跡を偲ぶ前編~』紀行作家宮脇俊三氏に『「富士」の哀れ』と題したエッセイがある。『列車に愛称名がつけられたのは、いまからちょうど50年前の昭和4年9月、東京‐下関間を走ってい…ameblo.jp熱海、沼津、富士、静岡、浜松と、寝台特急「富士」が静岡県内の駅に丹念に停車を繰り返しながら進んでいくうちに、釜飯弁当の夕食が終わった。