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主人が突然亡くなって、今5年と10ヶ月。逢いたい気持ちを今は諦めて…と言うより、それはとてもとても諦め切れる想いではなく、だから心の奥の奥に押しやって、どこか封印するかのように生きてます。あの頃のように苦しくて苦しくて、居ても立っても居られないような気持ちとは今は違うけど、それでもその想いが一たび湧き上がってくると、それは無性に懐かしくてたまらなくて、逢いたさがどうしようもなく募ってしまう、愛しさでいっぱいになってしまう瞬間…そうなります。どんなに願っても、何をしても絶対にこの世で
この週末山奥の広大な敷地に建つ観音温泉の旅源泉かけ流し大浴場のお湯は飲用可門の左横にミーアキャットが二匹お迎え敷地内に11匹の猫ちゃんがいるそうですお目にかかったのは正面玄関に鎮座するシーちゃん微動だにしないので置物かと初日は踊り子号のハプニングで大幅に遅れ宿に到着普段歩き慣れていないせいか、私の人工膝関節と太ももはガクガク大浴場とお部屋の露天風呂のお陰で翌日の歩行は12000歩😀コロナ禍で予約していた観音温泉二回もキャンセル行っておけば良かったと後悔まさか夫と愛犬
息子の幼児返り②ここのところ、息子の様子がおかしい。『おとうさんしんだ』これはわかっているらしい。最近、まだまだわたしにべったりな状況が続いています。『息子の幼児返り』息子の幼児返り夫が死んでからのこの3週間、息子の幼児返りが激しいです。中学1年生になる息子は、ダウン症です。精神的な年齢としては、5歳位のように思います。(去…ameblo.jpそんな、わたしが、息子に言われていちばん辛いこと。『おとうさんいつげんきになる?』お父さんはね、元気にならないんだよ。死んだんだ
夫はとても忙しい人で、平日は大抵午前1時過ぎ土日も出勤が多く彼が早くに亡くなるなら過労死だろうと思っていた。私達は共働きだけど夫がそんな風なので家のこと子供のことは私が任されていて家計も私が管理夫は我が家にいくら貯金があるかも分からない状態子供達の成績もよく知らず学校へ出す提出物など書くのは全て私、PTAの役が回ってくれば大きなお役も全て私そんなわけで、私は常日頃から不満だらけだった。夫は自分の仕事に集中できて帰ったらご飯が出来ていてアイロンもかけてあって
もうすぐ恐怖のGWがやってくる。また月命日がくる…何回目だろう。最近だんだん夫の影が薄まっていくようなそんな変な違和感を感じることがある。悲しいのにこんなに苦しくなるのにどこかでこの悲しみに慣れてきている自分もいてああ、自分はもう何か月夫と会っていないんだろう。会えないことに慣れたくない…なのに…こないだ、ふと夫の口癖が口をついて出た。あー、これいつも言ってたな。久々に聞いたな。え?1
ある日の土曜日、子供達を連れて、少し離れたスーパーへ買い物に行きました。子供達と、何買おうか〜?などと買い物をしていると、「あ、Iさん!お久しぶり〜」と、長男とも次男とも幼稚園が同じ同級生のママであるM山さんに声をかけられました。(幼稚園は少し遠かったので、小学校の学区が違う)「お久しぶりです。」M山さんが「あれ?今日はパパいないの?いつも一緒のイメージなんだけど笑」咄嗟に「今日、仕事なんだ」M山さん「パパによろしくねー」その後も、夫と出会った会社の先輩が、近くまで来たから、と連絡を
『こんなところにポツンと一軒家』をたまに見る。が何でもかんでもではなく、山奥で1人暮らしを頑張るお爺さんかお婆さんの時のみ。リスペクトの念を込めて、つい見入ってしまう。老夫婦が仲良く協力し合って秘境で暮らすパターンの時は、一気に見る気が失せてYouTubeに切り替える。僻んでいるのとも少し違って興味が無いのだ。もう私には手に入らないライフスタイルだから、老後の参考にならないというか…僻むのなら私はよっぽど夫と同い年くらいのスーツ姿のビジネスマンを見る方が辛かった。私の夫だって、私
ごんぎつね、という話をご存知ですか?夫が亡くなってから私の身を案じた友達が入れ替わり立ち替わり差し入れを持ってきてくれた。最初の頃は、ご飯を作る元気がないだろうとスーパーのお弁当やパンやおにぎりなど。やがて、果物だったり野菜だったり、高級食パンだったり、みたらし団子だったり、お菓子だったり手作りスープだったりカツ丼だったり。ピンポンしてくる時もあればそっと玄関先に置いてあったりドアにくくりつけてあったり。ごんが兵十のためにせっせと栗を置いて行ったように。そん
夫が亡くなったのは突然のことでした。誰もが、本当に驚きました。夫本人も、え?まさか?そんな?とびっくりしていたと思います。最期の意識のなかで嘘だろ?そんな?と思ったはずです。心の準備のないままに、それでも決まり通りの事をしました。戒名。通夜。葬儀。そして、火葬場。滞りなく終わりました。つつがなく、予定通り、順調でした。ベルトコンベアーに載せられたように、きちんと時間通りに進行しました。葬儀会社の方や、火葬場の方とってはいつものこと、仕事の一環、なのだろうな、とちら
昨日は病院の支払いに行った。久し振りに病院の駐車場に入った。色々思い出すのかなと思ったけど駐車場には特に感じるものは無かった。車を停めとぼとぼ歩くと正面玄関が見えてきて「毎日毎日通ったなぁ・・・」と思った瞬間夫の横たわった姿が鮮明に思い出された。目に浮かぶとはああいう感覚なのか。「やめてやめて」当たり前だが病院には夫の良い思い出は無い。絶望的な悩みだけを抱えていた場所。いつも行っていた病院の食堂でよく注文していたミニカレーを食べようと予定していたが中止することにした。用事
アメトピに掲載頂きました。私のblogは、いわゆるキラキラblogでもないですし、有益な情報がある訳でもなく(むしろ、フォロワーさん達のコメントで、教えて頂く事が多く助けて頂いています)したくはなかったけれど、兄の事故、長男の難病、次男の不登校、夫の死、ははの介護問題…一通り経験してもしも、同じような事で苦しんでいる方がいるなら、1人でも良いから、何か力になったり、寄り添っていきたい。最初は、義両親があまりにひどくて、備忘録としてblogを始めましたが、今年からは、上記したように、誰かの役
スタジオアリスから夫宛で「家族撮影無料ご招待」のハガキが届いた。息子達の一歳記念と七五三で撮影していただいた個人情報から長男が今年卒業なのでこの節目にご家族で記念のお写真を、というもの夫が生きていたら撮っただろうか…その前に息子達がスタジオで家族写真というものに拒否反応を示しそうだけど…仮に撮ろう!となっていたとしても夫はもういないスタジオアリスは夫の死を知らないだから仕方のないことでもこのハガキを見て私達家族はもうあの時とは違うんだということを思い知らさ
病院からの電話で、急いで義両親に電話し、子供達を起こし、病院へ向かおうとするとピンポーン。出ると警察官の方が二人。夫が交通事故にあった事、ひき逃げだったことを聞いた。外を見てびっくり。規制線がはられ、パトカーが何台もいた。物々しい雰囲気だった。とにかく今から病院へ行くと言うとくれぐれも気をつけてと言われる。三人で病院へ向かうと義両親はすでに到着していて呼ばれるまで一緒に待った。やがて呼ばれて、部屋へ入ると夫らしき人がベッドで横たわっていた。あぁ、良かった!そう思っ
1リットルの涙という本を読んだ事があります。ドラマ化されているのでご存知の方も多いと思いますが私は死ぬまで何リットルの涙を流すのかなとふと考えます。よく、涙が枯れるまでとか言うけれど涙は枯れません。泣いても泣いても身体中の水分は無くなる事はなく私の目からは涙があふれます。夫とのちょっとしたエピソードを思い出すたびにもう会えないことを思い知り泣けてしまいます。それは何年経っても同じことできっと死ぬまで夫を思って泣く事があるのだろうと思うのです。そ
こちらの続きです。『実家の母の話②』母には悩みがあります。それは、父が自分の資産について母に教えないこと。資産と言うと大袈裟ですが要するに母は父がどの銀行に口座を持っているのかどんな保険に入って…ameblo.jp私の言葉に、母がどうして分かるって言うの?と言うので夫が突然帰らぬ人になったことをこの人は忘れてしまったのかな?と思いだって、◯◯くんは急に亡くなったから…と言うと◯◯くんは、事故じゃないと言います。事故と病気は違う、と言いたいらしいです。そこから急に夫の
裁判当日、私が証言台で話した内容を一部抜粋します。私は被害者の妻の◯◯です。私達は平凡だけど幸せな四人家族でしたが、私達の時間はあの日から止まってしまいました。家族四人健康で、朝起きた時に「おはよう」と言える、そんな当たり前のことがどれだけかけがえのない幸せなことだったか、今、身にしみて感じています。夫は野球が大好きで息子達が高校で野球を続けているのは夫の影響です。私も同じ高校で野球部のマネージャーをしていて夫とはその時に出会いました。結婚して子供が生まれ、家を建て、全て順調な人生で
先週、息子達のインフルエンザの予防接種のため小児科を訪れた時のこと小さい頃からお世話になっている先生も看護婦さん達も夫の訃報をご存知で行ったらすぐに受付で「大変だったね…」「頑張ってね…」などと声をかけられた。注射の前に先生と話した時に「◯◯家だから、耐えられる試練を神様が与えたんだと思うよ」と言われた。それは一見褒め言葉のような気はするけど全く嬉しくなく言葉を返せば私と子供たちがこの悲しみを乗り越えられなさそうならこんな試練は与えられなかったという事にな
世間の目が怖い。夫は交通事故で亡くなっていて当時、新聞やニュースでも報道されたので近所ではちょっと有名だ。なので、外へ出て近所の方と会うのがちょっと嫌だ。勝手にあの人のご主人まだ40代なのに事故で亡くなってお気の毒にまだお子さんも小さいのにみたいに思われてる気がして、世間の目が怖いでも仕事もしているし買い物とかいかないわけにもいかないし極力出たくないけど出ざるを得ない。そして運悪く知り合いに出会ってしまったらつい、気がついてませんよというフリをする
3月7日、通夜。3月8日、葬儀。無事旦那を送り出すことが出来ました。愛知からはさすがに親族だけだと思ってたんだけど、旦那のお友達、同僚や上司の方も遠路遥々来て下さり、旦那も喜んでいると思います。我が家の永代供養墓のある日蓮宗のお寺の副住職さんに読経していただきました。永代供養墓自体は宗旨宗派問わない括りになっていて、私は今後檀家になるつもりは無いですが、熱心な日蓮宗の家に生まれ育った旦那は日蓮宗のお経で送り出してあげたくて。触るととても冷たいけど、もうこの皮膚に触れることが出来ないと
夫が亡くなってしばらくして初めて夢で出会った夫はガラス張りの部屋の向こうにいた。なぜか隣にはお坊さんみたいな人がいて夫はとても悲しそうな顔をしていた私達の間にはガラスがあるので言葉を交わすことはできないそんな夢だった二度目に夢で会った時はなぜか家の玄関で私は夫に触れることもできてあったかい、あったかいって喜んでいた私が病院で会った夫はもう冷たかったから二度目の夢の中で私たちは会話もできたけど明け方夫の映像が固まって目が覚めたそして昨夜、三度目の夢を見た夫
夫の死について誰一人私を責める人はいないでも私は、二ヶ月経った今でも私が夫を救えたはずと考えてしまう。いつも飲み会へ出かける時は私が送迎することはなく誰かに迎えに来てもらったり自力で行ったり帰りはタクシーだったりとにかく私をあてにしない私も帰りを気にすることなく自由にお風呂に入り自分のタイミングで先に寝ていたでも、あの日、もしも夫の帰りを少しでも気にしていたら?いつ帰る?と聞いてもう歩いて向かってるよと返事が来たらなかなから帰ってこない夫を気にして電話し
よく、亡くなった人が側にいてくれるのを感じる瞬間があると聞きますが…今日息子と一緒にユニクロに買い物に行った時のこと息子が買おうかなと思っていた服のLサイズがちょうど残り一枚で試着した後、他の服と迷っている間に他の方がカゴへ入れてしまいました。それはそれで仕方ないので他の色にするか、別の服にするかあと見本でハンガーにかかっていたのもLだったので、まぁ、それでもいいかなんて考えていたら…その方がふと戻ってきてカゴからそのLサイズを棚へ戻したんです。私達の目
2024.1月夫の突然死あまりにも突然で正直、初七日までの記憶がほとんどないでも嫌な思いのみが昨日の事のように頭に残っていて…あの日あの時そして今に至るまで忘れない内に文字で残そう時間を重ねていくうちに薄れゆく記憶がきっとあるこれからの事も忘れたい忘れたくない葛藤しながらブログを書いていつかの自分の為同じ境遇にある方や読んでくれている方に何かしらの役に立つかもしれないいや、立たないのかもしれないわからない意味がないかも続けれるのかも不明でも書いてみる
葬儀社に着くと先程の男性が夫の所まで案内してくれた。夫は仏式の祭壇前でストレッチャーのまま寝かされていた。綺麗な模様の白い布団のような物を掛けられていたがそれはドライアイスの目隠しみたいな物だった。お線香の用意もしてあり、手を合わせた。不思議な感覚。夫が仏様になっているなんて、夫に手を合わせるなんて冗談の様だ。何とも言えない光景だった。「パパ、何か変なんだけど・・・」夫の様子を一通り確認し、男性の待っている長テーブルの席に。「本日は誠にご愁傷様でございました。」とまた深々とお辞
今日は部活がないから私より早く帰ると思うと次男が言ったでも家に帰ったらまだ誰も帰ってなくて少しおやつを食べながら待っていても帰って来ない夫が亡くなってから私達三人はお互いの位置情報を共有しているので次男がいまどこにいるのかスマホで確認してみたすると、家から3.5キロも離れた山の方に次男がいることになっていてえ?もしかして連れ去られた⁉️ってめちゃくちゃあせった。あわてて電話しても出てくれないどういうこと?何かすごく嫌な予感がしてもう一度位置を確認すると駅か
我が家は四人家族。なので、常に四等分する癖がついていた。ホールケーキは四つに切るパックのお刺身も四皿に分ける餃子を焼いたら4分の1ずつ食べる子供が大皿料理のおかずを「これいくつ食べていい?」と聞くと、夫はいつも「好きなだけ食べていいよ」と言っていたけど、私は「家族4人でしょ。考えて食べて」と言っていた。買い物する時も四人で分ける前提で買っていた。でもこれからは家族三人。いつものペースでは買いすぎてしまう。夫は牛乳が大好きだったので、毎回二本買っていたが夫がいな
夫の交通事故の公判で免許取消になる予定のひき逃げ犯は今後一生免許の再取得をしないことを誓っていた二度と車を運転しないと一緒に傍聴していた友人は一生運転しないとは言ったけど一生飲酒しないとは言わないんだねと言った無免許でも運転することはできる無免許かつ飲酒で事故を起こしたら今度は無保険だからもっと不幸な被害者を出すことになる本気なら、本当に反省しているなら二度と飲酒しないと誓うのではないかパフォーマンスでもそう法廷で言えないのは、正直なのかバカなのか私は冷静では
色んな書類で配偶者の有無を書く時私は「無」にマルをつけなければならないそしたら、結婚指輪はどうなんだろう?もう結婚していないのにいつまでも結婚指輪をしているのはおかしいのか?でも結婚以来ずっと24時間つけていたものを急に外すのも違和感がある私と同じようにご主人を亡くされた皆様は結婚指輪はどうしているのだろう?
月命日をきっかけに周りに知らせた事もあり先週は続々と夫の訃報を知った友人達が弔問に来てくれていました。癌の事もほぼ周りには話してなかった事もあって急な訃報に同年代の夫の死は友人達にとってもショックだったようで、私がどんなにか落ち込んでいるだろうと心配してやって来てくれた。こうやって気にかけてわざわざ来てくれてたくさんの人に支えられているのをありがたく感じてます。思ってたよりも元気そうで安心したと言って貰えて良かったけれど、、、正直な気持ちゆっくり休む事はしたくない悲しみに呑み込
お盆は東京にいます。(東京のお盆は先月でしたが。)お盆や年末年始は心なしか街が静かな感じがして好きです。今日は図書館で読み物をする前にデニーズで桃パフェを食べました。隣のテーブルではおばさま集団が賑やか談笑。その中の一人のご主人が最近亡くなったようで「主人いなくなってスッキリした~☆」と明るく話されているのを聞いて、憧れの未亡人、、、なんだか羨ましくなりました。そして家に帰ってテレビをつけていると、今度は、ご主人に先立たれ食事も喉