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【初公開】物部守屋直系『秘伝の系図』歴史講座「壬申の乱1350年―天武が目指した世界―」【ゆっくり解説】覇王!天武天皇の謎!天智天皇と天武天皇は兄弟ではないという話を聞く今日この頃『万葉集があばく捏造された天皇・天智』の読後感想と佃收説『万葉集があばく捏造された天皇・天智』の読後感想と佃收説tsukudaosamu.com天智天皇は大和朝廷の皇子ではなく、九州から東征した天智6年に近江遷都するまで、天智は九州に居た日本書紀では、持統天皇と組んだ藤原不比等によって歴史が改ざんさ
【滋賀】【近江神宮限定御朱印帳】近江勧学館限定御朱印帳近江勧学館のために書き下ろされた奉納原画がデザインされたステキな【御朱印帳】【近江神宮切り絵御朱印】社紋は箔押し【宇佐山城址御城印】以前お受けした【近江神宮御朱印帳】【近江神宮御朱印】【近江神宮御朱印】【楼門】【外拝殿】【内拝殿】【御祭神】天智天皇第38代天智天皇をお祀りした全国16社の勅祭社の一社。境内地約6万
御陵宝満神社(ごりょうほうまんじんじゃ)福岡県大野城市中1-9-7(以下『筑前国続風土記附録』)社伝によると、玉依姫はこの地でお亡くなりなられた。よって御陵を築き、神廟を建てて祟め祭った。ここは、初代神武天皇の母、玉依姫が亡くなった地!(以下、現地案内板)祭神(左座)神功皇后(中座)玉依姫(右座)應神天皇西曆七一年~一三〇年景行天皇在位期間天皇自ら筑紫に下らせ給い。熊襲を征伐し給うこの時、御陵の宮に、ご祈願ありて賊を平らげ給う一九二年~二
大雪警報の発令される中、積雪量世界一を誇る伊吹山山麓に鎮まる滋賀県米原市の泉神社へ。天智天皇の御代、天智天皇がこの地を弓馬繰練場と定められ、人々が住居を構えた際に霊泉が湧き「天泉所」と名付けられ、伊吹の大神、つまり八岐大蛇を水の神として祀ったのが起源。以後「天泉所」と呼ばれ、地名も「大清水」と改称された。伊吹三名水の一つで、日本武尊が伊吹山山頂に鎮まる伊吹大神の毒気にやられた際、下山後に息を吹き返した居醒の水として、又、小栗助重が病の平癒を祈願した命乞いの水として、その力は古来知られ畏れら
【宇治創こころ】さんで記念メダルを購入してきました◆百人一首記念メダル◆◆紫式部記念メダル(金ゴールド)◆裏面ご当地キャラ・おうじちゃま◆紫式部記念メダル(銀シルバー)裏面茶壷宇治創こころ有機栽培、地場野菜、減農薬米を使用した、身体に良い料理が自慢ujisou-cocoro.com
「心もしのに」考(柿本人麻呂と近江大津宮)(万葉集巻3—266)bySAKURAnoG淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(琵琶湖の岸辺夕日を浴びて群れ集う千鳥たちよお前たちが鳴けばただひたすらにいにしえの出来事が思い出されて私の心は張り裂けそうだ)皆さん、こんにちは。今回は、夏の夜のつれづれにやまとうたについて語ろうと思ひます。筆者の訳を読まれた読者の方の中には「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。そうです、「心もしの
最近はいろいろと本を読むようにしているのだけれども、こんな本を読みました。上下二巻でけっこう長かったですが、細かい考古学的な事実の考証が長々と続くので、門外漢の僕にはなかなか難しいところがありましたね。この本を手に取ったのは、「序」のところで、日本が敗色濃厚な戦争を戦い続け、自分と同窓生も学徒出陣で出征して死ぬかもしれないという悶々とした日々を戦時中に過ごした経験、「なぜ日本はこうなったのか」という思いが日本の古代史の研究に著者を赴かせたという、著者の原体験を記した記
中学生むけ歴史参考書「大化の改新」の項に、こうあります。「645年、中大兄皇子(のちの天智天皇)、中臣鎌足らが、蘇我氏をたおし、大化の改新と呼ばれる政治改革を進める」中学生向けの、まとめ要約ですから、ざっくりしすぎてるのは、仕方ないんですけど。蘇我氏をたおし、というけど、蘇我一族が全滅したわけではありませんし、そもそも蘇我氏は氏族として団結して戦ったわけでもありません。このとき権力を握っていたのは、蘇我蝦夷・入鹿の親子です(蘇我本宗家、と呼ばれます)。そこで、この二人を