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新興住宅地の中を登っていきます。飛び出し知ったかぶりカイツブリ。鞍掛神社は、JR湖西線:堅田駅から南西へ1.3㎞、新興住宅地の端っこに鎮座されます。鎮座地滋賀県大津市衣川2-28-1右に手水舎。鳥居をくぐった右に手水鉢。土間拝殿越しに眺める本殿。滋賀県神社庁HPの記事を転載します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー御祭神弘文(こうぶん)天皇御神紋十六
家から一番近い神社は近江神宮天智天皇がまつられた古ーい由緒ある神社ですそして百人一首のクイーン戦が行われる近江勧学館もあります家から歩いて約20分鳥居が見えてきました静かな(普段は)境内をしばらく歩くとこの階段これを上らなくてはなりませんこれが近年きつくなってきて横にエスカレーターをつけてくれないかしら(笑)これを登り切ったところに本殿があるんですがお正月は階段が見えないほどの人・人・人で埋め尽くされますこの写真はHPからお借りしていますいつもこの場所で
百人一首の第1首「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」は、天智天皇の作品として伝えられていますが、現代の和歌研究では「天智天皇が実際に詠んだ歌である可能性はかなり低い」とされています。ほぼすべての専門的な解説・研究書で共通している見解は以下の通りです。主な根拠万葉集に非常に近い「よみ人知らず」の歌が存在する万葉集巻十・2178「秋田刈る仮庵を作り我が居れば衣手寒く露そ置きにける」→内容・語彙がほぼ同じで、こちらは明確に作者不明(民謡・農民歌の系統と考えら
2025-11-29古代火時計いっぺんどんな感じかやってもらいたいなぁさてお仲間さんがまだ少しいるうちにこちらへ入ります近江神宮時計間宝物殿はぃ、気が済みましたもちっと、天智天皇や大友皇子辺りのことが分かる資料とかあるのかなぁ?なんて思いました出まーすこちらからもパチリ大きな鳥居ですどんどん歩きますまだ境内です交差点が見えてきましたすごく対応のいい感じスタッフさんが道を教えてくれましたトコトコ〜この芝生の向こうは琵琶湖です出た〜っ潮の香りはいたしません
2025-11-29さっき、スタッフさんから聞いたのに、前に歩いているファミリーコースのお仲間さんの後をついて行っちゃって、ここだけ逆に周ります新羅善神堂の鳥居だと思う階段行きまーすなんか雰囲気いいよ〜ここかな?なんか難しいこと書いてるトコトコ〜近江大津宮錦織遺跡ここは前にも来たことがあるよ〜トコトコ〜確かここに…額田王の歌碑があったんだよね〜『王』ってなってるけど、ぬかたのおおきみって言う女子で、最初天武天皇(天智天皇の弟)の奥さんだったのが、途中から天智天皇(ここ近
0133)内戦/人の世の争いは絶えない日本における明確な内戦として記録されている最も古い大規模な争乱は、西暦672年に発生した壬申の乱。壬申の乱は、天智天皇の死後、弟である大海人皇子(後の天武天皇)と、天智天皇の子である大友皇子(弘文天皇)の間で皇位継承をめぐって勃発した古代日本最大の内乱。この戦いは約1か月にわたり続き、最終的に大海人皇子が勝利し、新たな天皇として即位した。これ以前の弥生時代後期(2世紀後半)には、中国の歴史書『後漢書』などに記述がある倭国大乱という大規模な争乱があった
天智天皇山科陵(御廟野古墳)13(京都市右京区)24年7月24日平安時代に編纂された法典『延喜式』には、「山科陵」として記載されており、これが天智天皇陵であるとする根拠の一つです。考古学的調査では、御廟野古墳は八角墳であり、7世紀末〜8世紀に築造されたと考えられています。この形式は天皇陵に多く見られるため、天智天皇の陵である可能性は高いとされています。古代の天皇陵は埋葬者の特定が困難なものが多いのですが、この陵墓に関しては、『延喜諸陵式』に「山科陵近江大津宮御宇
【初公開】物部守屋直系『秘伝の系図』歴史講座「壬申の乱1350年―天武が目指した世界―」【ゆっくり解説】覇王!天武天皇の謎!天智天皇と天武天皇は兄弟ではないという話を聞く今日この頃『万葉集があばく捏造された天皇・天智』の読後感想と佃收説『万葉集があばく捏造された天皇・天智』の読後感想と佃收説tsukudaosamu.com天智天皇は大和朝廷の皇子ではなく、九州から東征した天智6年に近江遷都するまで、天智は九州に居た日本書紀では、持統天皇と組んだ藤原不比等によって歴史が改ざんさ
天智天皇山科陵(御廟野古墳)11(京都市右京区)24年7月山科が天智天皇の陵を設けるほどの関係を持つ場所なのか。近世に入っても様々に語られています。まず、『出来斎京土産』(できさいきょうみやげ)は、浅井了意によって延宝5年(1677年)に著された地誌で、京都の名所や寺社を紹介する書物です。別名として「京土産」「京みやげ」「山城名所記」とも呼ばれます。この書は、七巻七冊の構成で、京都の名所を巡る出来斎坊という人物が各所で狂歌を吟じる趣向凝らした内容になっています。その
最近はいろいろと本を読むようにしているのだけれども、こんな本を読みました。上下二巻でけっこう長かったですが、細かい考古学的な事実の考証が長々と続くので、門外漢の僕にはなかなか難しいところがありましたね。この本を手に取ったのは、「序」のところで、日本が敗色濃厚な戦争を戦い続け、自分と同窓生も学徒出陣で出征して死ぬかもしれないという悶々とした日々を戦時中に過ごした経験、「なぜ日本はこうなったのか」という思いが日本の古代史の研究に著者を赴かせたという、著者の原体験を記した記
壬申の乱(じんしんのらん)は、672年に天智天皇の死後、皇位を巡って天皇の息子である大友皇子(おおとものおうじ)と、天皇の弟である大海人皇子(おおあまのおうじ)が争った古代史上最大の内乱です。本来の皇位継承の慣例(兄弟優先)に反して天智天皇が息子の大友皇子への継承を望んだことなどが背景にあり、大海人皇子が吉野で挙兵し、近江朝廷の大友皇子軍を破り、勝利した大海人皇子は天武天皇として即位し、律令国家体制の基礎を築きました。争いの経緯背景:天智天皇(中大兄皇子)は、弟の大海人皇子を皇太
今回から筑前大野城(日本100名城)の紹介です。私はこれで100名城をすべて訪問出来ました。11月7日の夜行バスで、大阪から福岡に行きました。次の8日朝8時ころに福岡に到着して、駅前でレンタカーを借りて、午前10時前に大野城へ出発しました。今回は大野城の歴史です。天智天皇のとき665年『日本書紀』には、「・・・大野と椽、二城を築かしむ」と、記載されています。基肄城については『基肄(きい)城1歴史』今回から基肄(きい)城の紹介です。佐賀県の基山町にある
本日は有間皇子(19)が処刑された日です。天皇であった父親は天智天皇にいじめられて死亡皇后も含め皇族や家臣がみな皇太子の位置にあった天智天皇に従う政争に巻き込まれるのを避けるために心の病を装いますが圧をかけられうつ病のようではあったがさらに気がふれたフリをした。—気がふれたイメージ@集合的無意識はスサノヲ—デタラメもデタラメ⚄にはできない=パターンがある周囲も気の病でありこのままでは廃人になると心配—早発性痴ほう症(統合失調症)湯池療法で回復
日本の伝統が息づく聖地、滋賀県大津市の近江神宮。折しも紅葉がまさに見頃で、楼門をくぐった瞬間、目に飛び込んできたのは、燃えるようなモミジの錦だった。朱色の外拝殿と真紅の葉が重なり合う光景は、遠く千三百年前、天智天皇の大津宮が炎に包まれた、あの壬申の乱の残光を今に留めているかのようだ。多くの国民は近江神宮といえば、小倉百人一首の聖地、競技かるたの殿堂、そして現代の文化作品『ちはやふる』の舞台というイメージが先行する。境内には末次由紀氏が寄進した歌碑が立ち、若い女性たちが集う光景が見られるが
天智天皇山科陵(御廟野古墳)9(京都市右京区)24年7月三条通の喧騒から離れ、天皇陵の中に歩を進めると、静まり返っていてまるで別世界です。天智天皇は、主に飛鳥・難波・大津で活躍しており、山科とは縁もゆかりもないように見えます。一見すると近江宮から近いように感じられますが、山で隔てられています。記録に現れていないだけで何らかの関わりがあったのかもしれませんが、山科は、今でこそ京に近い場所であるものの、まだ平安京も存在しない当時は何もない農村であり、ここに天智天皇の縁があったとは
【飛鳥時代】20白村江の戦い百済復興のため唐・新羅連合軍と激突【日本史】白村江の戦いから始まる朝鮮の侵略史①今日は、白村江の戦いについてのお話しです。白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に、朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた百済復興を目指す日本と百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争です。唐・新羅連合軍によって滅ぼされた百済の遺臣である、鬼室福信(きしつふくしん)から救援要請を受けた倭の斉明天皇は、出征を決断しま
《裏政治と裏科学》でぶった斬る今後30年、新時代の動向Amazon(アマゾン)2,420円${EVENT_LABEL_01_TEXT}経済アナリスト藤原直哉の未来を拓く思考法Amazon(アマゾン)1,590〜5,477円${EVENT_LABEL_01_TEXT}「天のシナリオ」の読み方:人知を超えて動く「経済」と「時代」Amazon(アマゾン)100〜500円${EVENT_LABEL_01_TEXT}生きかた革命:2009年世界大恐
最近、秋篠宮家バッシングがすごいですね。ミッチー叩きも。いろいろ、噂はありますが。実のところは、どうなのでしょう?*******私に言える実のことはこれだけです。私の母は昔、「美智子さま、美智子さま」・・・と、キャーキャー騒いでいましたが。子供の私には、それがよくわからなかった。・・・ということ。あのおばさんの、なにがそんなに良いの?・・・と思っていた。・・・ということ。
読み終わりました。先日読み終わった(といってももう10月末でしたか、、、)「小説壬申の乱(星空の帝王)」:著樋口茂子が天智天皇の皇子、大友皇子を主人公に描いていたのが、女性である樋口茂子であったのに対してこの「額田女王(ぬかたのおおきみ)」:井上靖著では、井上靖という男性が女性の額田女王の目を通して描かれているのが面白い。作者は男性なのに、よく、妃たちの間にいる額田の気持ちの綾がわかってるなあ、、、と感心したり。この小説では、ほとんど真ん中くらいにやっと大
天智天皇山科陵(御廟野古墳)6(京都市右京区)24年7月やってまいりました。天智天皇山科陵です。航空写真を見ても一面の森となっていて、古墳の形状は確認できません。拝所の手前には5段の石段を設え、その脇には「天智天皇御陵兆域原標」の先標が立ちます。一礼して石段を登り遥拝すれば圧倒的な御陵の杜。一段と蝉しぐれが降り注ぎ烏の鳴き声が木魂します。正面は鉄扉が閉じられ、前面に白砂が敷き詰めれた奥に鳥居とその前には更なる石柵が巡らされます。ここで異なものを見つけました。なんと石柵と
こんにちわ読んでくださりありがとうございます。現在絶賛楽曲製作中なのですが音楽プロデューサーである尾飛先生からいつも的確なアドバイスをいただいて作曲までできました。あとは歌詞なのですがこれもまた尾飛先生から「藤原鎌足に生き埋めにされる巫女の情景」がよいのではと言っていただき私もそうしたいと思いました。具体的にじゃなくてその時の景色とか空気を淡々と描写するだけでもいいと思います。それでもその時にわたしたちは繋がれることを知った
デフレ、万博、お米券、神倭朝9、キリバス、千葉の民宿|かなまさ99%の人が間違えている「デフレ」「インフレ」の真相/なぜデフレ脱却宣言は2022年にされなかったのか?[三橋TV第1100回]三橋貴明・浅野久美結局最悪な形で安定してしまったってことですよね。経済も政策も何も成長しなかった。97年から失われた30年、消費税増税、増税メガネ、減反政策自民党じゃ無理なんで自民党は消滅させましょう。デフレが長く続い…note.com99%の人が間違えている「デフレ」「インフレ」の真相/なぜ
12月3日水曜日天智天皇忌天智天皇は、天智天皇10年12月3日(672年1月7日)、近江大津宮で崩御。若き頃、中大兄皇子として蘇我入鹿を殺害する大化の改新を断行した。朝鮮半島へ出兵し、白村江の戦いで大敗を喫した後、唐・新羅連合軍の侵略を恐れて、飛鳥から内陸部の近江大津宮(現在の滋賀県大津市)へ遷都。日本最古の全国的な戸籍「庚午年籍」の整備や、時計(漏刻という水時計)を作ったことでも知られる。陵は、京都府京都市山科区御陵上御廟野町にある山科陵(御廟野古墳)
天武天皇八年(679年)、天武天皇が吉野に行幸した際、鵜野讃良皇后(天智天皇の皇女で後の持統天皇)も列席する中、天智・天武両天皇の諸皇子とともに、皇位継承の争いを起こさないよう結束を誓う吉野の盟約が行われました。その諸皇子とは、草壁皇子(天武天皇と鵜野讃良皇女の皇子で天武天皇の第二皇子)、大津皇子(天武天皇と天智天皇の皇女大田皇女との皇子で天武天皇の第三子)、高市皇子(天武天皇の第一皇子)、川島皇子(天智天皇の第二皇子)、忍壁皇子(天武天皇の皇子)、そして天智天皇の第七皇子の施基親王(志貴皇子)
土曜は、LIONさん協賛の「KANSAIウォーク2025」の最終回に参加。今回は8人で、琵琶湖畔約8.5kmを歩きました。京阪「びわ湖浜大津」駅を降りて、琵琶湖を見ながらペディストリアンデッキを歩いて、大津港シンボル緑地公園のスタート受付へ。初めて京阪の三条からびわ湖浜大津まで乗りました。友人たちも、「初めてこの駅に降りた」とか言ってました。歩き出してすぐに、琵琶湖疏水。「これが蹴上まで繋がってるんや〜」って、当たり前ですが。紅葉もちょうど見頃でした。これは、長等小学校の校庭の銀
天智天皇を祀る近江神宮を訪れる。(鎮座地)滋賀県大津市神宮町(祭神)天命開別大神(=天智天皇)1940年に創建された。国家神道のお宮である。天智天皇の近江大津宮の隣接地に建てられたものである。朱塗りの楼門が目立つ。拝殿。昔、日本史を学習した時、天智天武と並べて覚えたものである。天智天皇を祀る神社は創建されたが、天武天皇を祀る神社は小さなものが少しあるだけである。何故なのかなと考えてしまう。こういう疑問は次々を生じてくるね。近江神
標準版とは表情やスタイルが異なる飛び出し坊や。皇小津(すめおづ)神社は、JR東海道本線:乗山駅から北へ3㎞の所に鎮座されます。鎮座地:滋賀県守山市今市町102右に手水舎。湯立神事に使われる竈。昭和五十六年五月の奉納された狛犬。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー御祭神天智天皇御由緒貞享元年、祭神天智天皇を杉江町の式内小津神社より勧請遷宮。大小津大明神と称
「アケビの実」と「ムベの実」のいろいろ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓①たわわに実った「あけび」の実②口が開いた「あけび」の実の大きさ①③口が開いた「あけび」の実の大きさ②④淡紫色(タンシショク)の小ぶりな「あけび」⑤「むべ」の蔓(つる)が巻きついているアーチ型の鉄製の棚(たな)⑥アーチ型の棚から垂れ下がった「むべ」の実⑦暗紫色(あんししょく)の「むべ」を見上げた様子⑧熟すのを日当たりで待つ「むべ」の実(僕の故郷ではモミガラの中に入れて熟させていました)⑨半分に割
「大化の改新」の中心人物、藤原氏の祖先である藤原鎌足公と中大兄皇子(天智天皇)が極秘の談合をしたとされる奈良県桜井市にある「談山神社」十三重塔の写真を妹が送ってきてくれた⛩️京都は、あちこち知っているつもりだが奈良は大仏殿くらいしか知らず…😅高市総理の出身地としても注目されている中国の唐の都「長安」をモデルとした日本で初めての本格的な都が作られた奈良にも、ゆっくり行ってみたくなった🦌🔮本日11月28日:金曜日横浜中華街「縁占館」「大通り本店」にて中華街大通りの大きな
大津市坂本のマリーナで、ボート免許の更新講習を受け・・・。後は日没まで、日吉大社で紅葉狩りを楽しむつもりだった。(^^)b観光案内板で、近くに古墳がある事に気が付き・・・。なぜか、そっちに行く気になった。国内に、およそ16000基の古墳があると言う。これは全国のコンビニの、3倍の数だ。日吉大社は全国にココだけ。にもかかわらず、数からしてあまり珍しく無い古墳を目指すのだから・・・。僕のへそ曲がりっぷりも、我ながらたいしたものだ。石垣の町を散策