ブログ記事1,541件
いつもだったらわたしが行きたい神社を決めて夫が付き合ってくれる…それがわが家のお出かけスタイルなのですが、今回は少し違っていました神社仏閣に興味を持ち始めた夫が「今こそ行きたい日本の神社200選」という本を手に入れて、『この中の神社に行ってみたい』と言いだしたのですひそかな目標は200社コンプリートということで…今回の旅は近江神宮に向かうことになりました境内の入り口は圧巻の開放感そして、見えてきたのが美しい楼門です思わず「うわぁ!」と声が出てしまうほどの
新月と満月は祈りの時期ですが、新月と満月では祈りの種類が違うといいます。満月の時は、エネルギーが増大することを祈り、新月の時は新しく始めることを祈るのだといいます。もしかしたら、そんな祈りが込められた詔が、昔々に発せられました。本日は旧暦では三月十七日となりますが、天武天皇十年(681年)三月十七日は、「帝紀及び上古の諸事を記し校定せよ」と詔があった日です。(当時の暦と何度も改暦された後の現在の旧暦は同じではありませんが、単純に旧暦で考えています。)十五日は満月、あるいは満月の時期となって
皆様、ご機嫌YOです!聖徳太子の時代前後に権勢をふるった蘇我氏。その権勢たるや天皇の即位にまで影響を及ぼしたばかりか天皇や皇族をも弑した前科もあるほどの一族ですが、いわゆる「大化の改新」の始まりの狼煙となる乙巳の変で入鹿、蝦夷の親子が葬られ、政治の主流から脱落します。蘇我一族の中では中大兄皇子に与した石川麻呂が生き残りますが、彼も後に謀反の冤罪で誅殺され、以降は細々と生き残るのです。そんな感じで今回は古代におけるキングメーカー、蘇我氏の盛者必衰とも言うべき流れを見ていきましょう。
日本史において最も有名な事件である「大化の改新」であるが、まったくもって意味不明なネーミングである、と言わざるをえない。何故、このような間違った認識の下で、歴史が改ざんされたのか、それについて私の考えを述べてみたい。さて、西暦645年7月に、時の権力者蘇我入鹿が、中大兄皇子、中臣鎌足によって暗殺された。権力の移行が行われただけであり、制度そのものが改新されたわけではない。この事変は、当時も、江戸時代にいたるまで、「乙巳(いっぴ)の変」と呼ばれていた。645年7月大化の改新667年3月近
日本史兄弟対決[後藤寿一]楽天市場カインとアベルの時代から、兄弟というものは争うもの。本書では15組の兄弟(1組はちょっと違う)の争いについて解説されています。有名な天智天皇vs天武天皇や、源頼朝vs源義経、織田信長vs織田信行らの対立についてはもちろんのこと、お家大事の真田親子のことも書かれています。15組目は、徳富蘇峰・蘆花兄弟。他の争いが血生臭いものであるのと比べると異質ではありますが、この兄弟にも争いがあったのかと思いました。足利尊氏vs足利直義、西郷隆盛
今日は、しぶしの日です。2006年(平成18年)1月1日に鹿児島県内の志布志町、松山町、有明町の合併により誕生した志布志市が制定。この「しぶし」という地名は天智天皇が人々の志が篤いことを喜ばれて命名されたと言われる。市では「志あふれるまちづくり」を推進することを掲げ、「し(4)ぶ(2)し(4)」(志布志)と読む語呂合わせからこの日を記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。お話しは変わりレクリエーションでは「棒サッカー」を行いました。利用者様からは、「い
あのさぁ、『志布志』って読める?アチキ、最初見た時は固まっちゃったよ。これね、『しぶし』って読むんだって。『志布志』って、鹿児島県にある市で、港町として知られているそうだよ。でね、4月24日は、『し(4)ぶ(2)し(4)』の語呂合わせで「しぶしの日」なんだって。地名がそのまま記念日になるのって、シンプルだけど面白いよね。ネットを見ていたら、『志布志市志布志町志布志』っていう住所もあるみたいだね。これって、早口言葉だよね。ゆっくりでも言い難いもんね。そう
天武天皇の出自と「王朝交代」の謎天武天皇の出自については、古くから「天智天皇の弟ではなく、全く別の血統(大陸系や地方豪族など)ではないか」という疑念が、多くの在野研究者によって指摘されてきました。わたしの仮説では、日本の旧王朝と百済が「兄弟国」であり、その源流をエジプトに持つという壮大な歴史観があります。これに対し、天武天皇(漢皇子)を大陸からの侵入者である「唐(漢民族)」、ひいてはエジプトを追われたヒクソスの末裔と捉える視点に立つと、当時の日本における対立構造は以下のように整理されます。
鹿島立ちといわれますよね旅や新しい事を始める時に参拝すると良いとされます。鹿島立ちの起源とは天智天皇2年(663年)に白村江(はくすきのえ)の戦いで唐(現在の中国)・新羅(現在の韓国の東側にあった国)の連合軍に大敗した倭軍(古代の日本)は、連合軍が攻めてくる危機を感じ、天智天皇3年(664年)、対馬、壱岐、筑紫国(現在の長崎県と福岡県の北側沿岸部)に防人(さきもり)を配置して守りを固めました。はじめのころ防人は、遠江(現在の静岡県)以東の東国からおもに集められ、九州に赴きました。防人
本来、日本の王権継承の象徴である「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の物語は、佐陀神(さだのかみ)からその御子であるスサノオ尊へと正当に受け継がれた、輝かしい王位継承の記録でした。しかし後世、漢(あや)氏をはじめとする渡来系氏族の筆によって、この歴史は大きく塗り替えられます。彼らは本来の王権の正当性を覆い隠すため、この伝承を「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」という恐ろしい化け物を退治する物語へと変貌させたのです。ここで語られる「八岐大蛇」の正体とは、実は出雲の地で尊崇された古き神、猿田彦大神(さるたひ
時の神様やかるたの聖地として知られる、天智天皇をお祀りしている神社です2026年04月07日
『いざ旅立ち湖都古都めぐりへと!』…つづき(№3)京阪電車·石山坂本線沿いの桜を見ながら「近江神宮駅」に降り立ちました。徒歩で歌かるたの祖を祀る開運へと導く神社「近江神宮」へ…第38代天智天皇を祀る近江神宮は、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社です。境内には天智天皇をはじめ、さまざまな歌碑などが点在します。手水舎…色鮮やかな朱色の楼門…外拝殿…内拝殿・本殿…
滋賀県、琵琶湖の西岸にある神社。前回の天智天皇つながりと言う事です。社名:おうみじんぐう御祭神:天智天皇授与地:滋賀県大津市天智天皇が小倉百人一首の巻頭句を唄っている事もあり、全国高等学校小倉百人一首かるた選手権の大会が行われる場所である。漫画や映画の「ちはやふる」などでも出てくる有名な場所。「ちはやふる」とは、勢いが凄い、荒々しいと言う意味で、神様にかかる枕言葉だそうです。私が訪れた時は、けっこうな雨でした。本殿前の階段。いろんな映画などで有名です。雨の日でも、なんとも言
今年も咲きました。ー不老長寿の霊果ーむべは、アケビ科の果物です。万葉の古代人から不老長寿の果実として親しまれ、天智天皇が原産地の近江八幡付近を御視察の折に、無病延命の霊果として「むべ」を御嘉納になられた故事が伝えられています。花は咲いてくれるのですが、未だに「結実」してくれません…。桃栗3年柿8年むべはいつぞや???^^↓ご参考まで…。前出のむべやむべソーダ
これまで何度も記事にしました古代の皇宮跡、今回紹介するのは『近江大津宮』です。数多い古代の宮城でも特に取り上げたいとずっと思っていましたが、実際に現地を訪れるのはこれが生まれて初めてになります。(明治時代から宮跡とされていた近江神宮には、昔行ったことがあります)近江大津宮とは?辞書には以下のように書かれています。近江大津宮おうみおおつのみや天智(てんじ)天皇の宮室。近江宮、大津宮、さらに近江京ともよぶ。ただし京域を設定したか未詳。天智天皇は即位前年の667年(天智天皇6)3月に遷都
佐々木ガイドさんが古代の寸劇を。。。あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(ねぇそんなに袖振って、見張りに見られちゃうわよ…っていう恋の歌)天照大神と三輪の地山の辺の道って、実は天照大神の世界とつながってる場所なんですね。三輪山は「神様そのものの山」だから、神話の話をその場で聞くと、急にリアルになる。山の辺の道はただの歴史じゃなくて恋・政治・神様が混ざった場所木瓜の花ピンクの桜ばかり見ていると真っ赤な木瓜が目を引きますこの場所での歴史語り額田王をめぐる
大津に十年以上住んでたので壬申の乱最後の決戦地「瀬田の唐橋」は家のすぐ近く毎日の散歩コースだった今でも時々行くんだけどいつから欄干が金色になったんや?むかしは赤色じゃなかったっけ?まぁそんなことはどおでもいい話今日は歴史は何度も繰り返すの物語皇位継承争いの衝撃の真実!天智と天武の関係は?古代日本史上最大の戦乱「壬申の乱」あんまり歴史詳しくないので最近になって気づいた…「壬申の乱」と「大坂の陣」ってそっくりじゃね?壬申の乱(672年)は、天智
昨日より4月に、今月もよろしくお願いします。朝から雨でしたので、近くの近江神宮に朔日詣りしました。途中三井寺も車窓だけですが見頃でした。さて近江神宮到着です。とても広いのですが楼門の前に車停めれました。楼門への階段どこも参道は階段が多いですねその前に雨なので保護フィルターに水滴がついてしまいました。ちょっと見苦しいですがご容赦願います。楼門越しに境内ご祭神は天智天皇です楼門を潜ると階段の上に外拝殿があります外拝殿の右手左手の桜見頃でした。
小倉百人一首メダル第一弾。京刻舎という会社が企画、茶平工業が製造している。第一弾はもちろん小倉百人一首の巻頭句。天智天皇の句である。「秋の田のかりほの庵の苫を荒み我衣手は露にぬれつつ」※秋に田んぼの仮小屋に入ったら、なんか汚れてボロボロなので、ここで1人で田守は怖く寂しい、涙で袖を濡らしてしまいそうなのに、夜露で私の着物は濡れているのです。と言うようなことを唄っている句。実体験の句ではないようです。田守とは、技術指導や害獣駆除など田畑を管理する職業で、当時は農民などの中から選ば
【滋賀】令和8年3月20日よりステキな【限定御朱印】がいただけます【近江神宮限定御朱印】桜時期限定箔押し御朱印※無くなり次第終了前回お受けした【近江神宮御朱印帳】近江勧学館限定御朱印帳近江勧学館のために書き下ろされた奉納原画がデザインされたステキな【御朱印帳】※近江勧学館にて入手できます【近江神宮切り絵御朱印】社紋は箔押し【宇佐山城址御城印】【近江神宮御朱印帳】【
壬申の乱(西暦672年)の舞台は吉野川と書くと奈良の吉野川か、とお考えでしょうが、奈良の吉野川は船を浮かべ、女官を乗せて進軍できるような川ではありません。筏も流せない急流。だから1本づつ流す川。下流に行くと紀ノ川になりますね。壬申の乱は、日本書記などでは、近江の大津、琵琶湖北岸、関ヶ原、吉野山、奈良、壮大なスケールで描かれていますが、進軍のスピードや距離など矛盾だらけです。乙巳の変(645年)皇太子の中大兄(後の天智天皇)と中臣鎌足が宮廷中で、蘇我入鹿を暗
「以下は、旧版『筋権党宣言草稿』に、その後発見された原稿や資料をもとに再編集したものである。特に前半には動画資料が追加された」→減酒断煙に失敗して筋力低下し醜態を晒す筋力劣者筋力劣者が2kgダンベルとペットボトルの力を借りて自分を糊塗しようとしているところ↑気まぐれ再掲です。宜しければご覧下さい。くれぐれも過度なご期待はなさら
佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)近江国栗田郡滋賀県大津市大石中1-2-1(境内に駐車スペース有り、河川敷にも大駐車場有り)■延喜式神名帳佐久奈度神社名神大の比定社■旧社格県社■祭神瀬織津姫命速秋津姫命気吹戸主命速佐須良比売命祓戸大神を祀る総本宮。琵琶湖を源流とする「瀬田川」が、大きくうねり突然急流になる地、近江国粟田郡(現在の大津市大石)の川畔に鎮座する社。琵琶湖の南端より6~7kmほどでしょうか。「瀬田川」はこの後「宇治川」と名を替え、都を流れた後に「淀川」と合
中大兄皇子が百済の王子・扶余豊璋(ふよほうしょう)と入れ替わったという説は、歴史ミステリーとしては面白いですが、現実的にはかなり無理があると考えられます。皇子には常に多くの側近や女官が仕えていました。顔立ちだけでなく、言葉遣いや習慣が全く違う「外国人」が成り代われば、すぐに露見するはずです。豊璋は長く日本に滞在していましたが、白村江の戦いの直前(661年)に百済復興のため帰国しています。一方、中大兄皇子はその間も国内で政務を執っており、物理的な整合性がとれないのです。当時の豪族たちは血統に非
聖徳太子の生家で生まれ育った場所とされている橘寺『聖徳太子の橘寺に行く前に天武天皇、持統天皇陵に寄る』聖徳太子(厩戸王子)様が気になる様になったのは2025年3月末に京都奈良旅に行った際の事。京都の桜🌸を見たかったのだが開花が遅くそれなら奈良まで行こう❣…ameblo.jp『聖徳太子の生家の橘寺は田道間守が橘を植えた場所』奈良、飛鳥を旅する際に電動自転車🚲の鍵を無くした事により時間⏰がなくなり、寄る事になった橘寺こういう時は、あちら(神様、仏様、守護霊)から強制的に"寄らさ…
お気に入りの音楽は?▼本日限定!ブログスタンプ飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)とは?意味や使い方-コトバンク改訂新版世界大百科事典-飛鳥浄御原令の用語解説-日本古代の法典。《日本書紀》に,681年(天武10)編纂に着手し,689年(持統3)に施行されたと伝えるものが,これにあたる。ただしこの《日本書紀》の記事については,古くはこれを,天智天皇が藤原鎌足らに編纂させたといわれる近江令を681...kotobank.jp681年の今日は-天武天皇が飛鳥浄御原令の制
「お彼岸3日目」今日は、近江神宮とはみなさんおはようございます彼岸の3日目ですご先祖様との会話は進んでいますか春分点が近づいてきました20日23時46分です昼と夜が同じ長さの時しっかり準備をしていきたいですねやや上を向く、弥生、3月フワフワとした気分で(笑顔で)「小川翔護とハタラク仲間たち(OHN)」ご参加いただいた皆様、いつもありがとうございます3月19日は中大兄皇子は近江大津宮へ遷都し天智天皇に即位しました白村江
大友皇子パンフレット制作プロジェクト今月は、地元の大友天神社(大友皇子が御祭神の神社)お世話係りを10年以上やってくださっている地元の方、そして地元の市議福田市議にもご同席いただいて大友天神社について取材をさせていただきましたやっぱり、地元の話が1番面白い歴史の話じゃなくても最近の話も面白い地元の史跡や文化、お寺や伝承を継承していくことは大変だと思いましたご奉仕してくださる係の皆様にはいつも頭が下がる思いです大変ではあるけれどある時期に形を作って残すことができれば
前回までのブログは天智天皇が近江へ朝廷を移動させて政務を行った事を書きました。『天智天皇と近江八幡宮⛩️謎の場所』聖徳太子の話からはずれてしまってますが、聖徳太子の後の後継者争いの話がバタバタなのでもうちょっとお付き合いを…。『聖徳太子の橘寺に行く前に天武天皇、持…ameblo.jp『聖徳太子の橘寺に行く前に天武天皇、持統天皇陵に寄る』聖徳太子(厩戸王子)様が気になる様になったのは2025年3月末に京都奈良旅に行った際の事。京都の桜🌸を見たかったのだが開花
【起稿2026年3月9日記事】久しぶりの「歴史シリーズ(妄想😅)」記事の新作です。前作では、所謂「伝承の時代」(神武朝~武烈朝)から歴史時代への橋渡し役の継体天皇を取り上げさせて頂きました👇『歴史的解釈(その15北の古代強国)』【起稿2025年10月30日記事】※この記事で引用した画像は著作権に配慮し一部を除き削除しましたm(__)m久しぶりの「歴史の話(妄想😅)」は、北の強国「…ameblo.jp今度取り上げるのは、飛鳥~奈良時代の大政治家、「淡海公」こと藤原朝臣不比等公(659