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【8月31日】岐阜県揖斐郡揖斐川町にある天台宗華厳寺さんへ。西国三十三観音霊場第33番札所。
:❖大阿闍梨の道比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨一章正井観順津軽の覚蔵⑨行の最中に『比叡山の土に』還った観順。大往生を遂げた場所には、杉の木の根が土の上を這うように盛り上がっている。「ひとが横たわるように盛り上がってきたのだから決してふんではならぬ」と小僧のころ師匠から教えられた。今でも修行者は道の真ん中に盛り上がっている杉の根を決して踏まない、合掌して通るのだと。毎日三千仏礼拝行も行った。畳には五つも六つもの穴が開いた。頭と両肘、両膝を地につけ、続いてその場に立って合掌する。これ
こんばんは。ご訪問くださり、ありがとうございます。今日は、お寺参りのときに持つ数珠(念珠)について、最近教えていただいて驚いたことや、宗派別の形状や持ち方、使い方の違いなどについてご紹介いたします。数珠は、若い頃は「お葬式のときにいるものなんだよね」と、なんとなくプラスチック製のものを持っていました。しかし、その後、ガチで仏様にお参りするようになりますと、本当の本気のときは真言を108回唱えることが大切だとわかり、そうすると、数をカウントすることができる数珠が必須になってきます。(
今から書くのは4月19日に夫と比叡山延暦寺様に参詣した記録です💓延暦寺会館の宿泊者は根本中堂での朝のお勤めに参加出来るのです❗️念の為目覚ましもセットしましたが、いつも朝5時ごろ自然に起きているので目覚ましより早く目が覚めましたほのぼのと少しずつ山の端から上る朝日が光の道を作り、その道筋が少しずつ少しずつ曙色から金色に光り輝きながら琵琶湖いっぱいに広がって、まるで鏡のように染め上げてゆく様を、夫と眺められました言葉に出来ないような至福の体験でした
今日は午前中は仕事をがんばってつつじを見に行きたかったのですが終わらない~と嘆いていたら大阪は予想していた以上の雨が降りだし出かけなくてよかったと思った次第です終わり良ければすべてよし!?昨日、京都市内で見たつつじは息を飲むほど美しかったです昨日は、ホテルオークラ京都で真正極楽寺「真如堂」竹内純照(たけうちじゅんしょう)貫主(かんす)の晋山(しんざん)祝賀会がありました。実は、先輩のピンチヒッターで、晋山式法要の後に行われる祝賀パ
本文にPRが含まれています。急に必要になることも多い「数珠」。それなりの質のものをと考えると、「どこで売ってるの?」と悩む人も多いはず。そこで、数珠がどこで売ってるのか調べてみました。販売場所販売状況・特徴コンビニ一部地域では取扱いありダイソー・セリア(100均)簡易タイプの数珠が販売ホームセンター仏具コーナーで販売ありイオンなど大型スーパー礼装コーナーに常設あり楽天市場素材・色・価格帯が豊富レビューで比較しやすいAmazon即日配送あり種類
天台宗の性暴力問題、審判結果が確定宗務総長は不服申し立てせず四国にある天台宗の寺の住職から約14年にわたって性暴力や恫喝(どうかつ)を受けたとして、尼僧の叡敦(えいちょう)さんが住職ら2人の僧籍剝奪(はくだつ)を求めた問題で、天台宗務庁は16日、宗の裁判所にあたる審理局が下した住職を罷免(ひめん)、加害の手助けをしたとされる大僧正(大阿闍梨〈あじゃり〉)は懲戒に該当しない、とする審判結果が確定した、と発表した。処分は3月24日付で、期間内に不服申し立てがなかったという。宗務庁に
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十七回峰行最大の難関の堂入り③堂内には行者のほかに、常に二人の介添えする僧がいる。行者が眠りこけそうになると、肩をゆすって起こす。香を焚いたり、ローソクを替えたりもする。介添えの僧は交替制で行者を陰から支えているのである。こうして、行者は殆ど堂内に籠もりきりになるが、一日に一回だけ出堂すかいることが許される。午前二時、「閼伽井」と呼ばれる所までいって、不動明しゅすい王に供える水を汲みにいくのだ。これを「取水」という。堂入りの中日、五日目になると、天目茶碗に入った水で
禅宗のお坊さんは『指導』とか『警告』って意味で、指をパチンと鳴らします。※密教だと『印』の一部なので、伝授が必須禅宗の場合だと『道場の中で言葉を発してはならない』という規則があるそうで、指を鳴らして警告するのだとか。この指鳴らす動作。マジシャンの方々のものと禅宗のもので、手の形が違います。【弾指(たんじ)】修行道場で指パッチン?修行僧がみんなビックリする音#曹洞宗#仏教#お坊さん#禅活お坊さんの必殺技!?【弾指(たんじ)】についてご紹介します!・弾指を実演・弾指のやり方・弾指
何故かお腹を下しました体調は問題なかったので、下す約30分前に食べたアジフライが原因なのかっ食べる少し前に買ってきたばかりなのに・・・気温の変化に身体がついてってないのかも知れませんね。。普段ならビクともしない太っ腹があっ・・・又、どうでも良い事を書いてしまった。。充電の無駄使いいや、腹が痛いこんばんわ味醂です{横向きでブログ書いてるよ(笑)そんなブログの内容は2月のはじめに行った東京の事渋谷から田園都市線で2駅🚃三軒茶屋までやって来ました東京
目次のリンクはページ内のジャンプ用リンクです。各寺院名の説明にあるリンクは各公式サイトへの外部リンクです。◆連絡事項◆【令和7年7月6日更新】比叡山延暦寺の入壇料情報を更新しました。◆目次◆このページの目的掲載基準表記について結縁灌頂に関するQ&A五重相伝会を載せていない理由(令和5年10月21日追加)『檀家相当』になった経緯(令和4年9月25日追加)【通年】高野山大師教会(令和4年12月4日追加)善光寺大本願(令和4年12月4日追加)善光寺大勧進(令和4年12
比叡山延暦寺への誘い東京・広島❖比叡山延暦寺への誘い広島フォーラム日時:2025年9月15日(月・祝)開場12:00~開演13:00~閉演15:45場所:広島YMCA国際文化センター本館B1F国際文化ホール(広島県広島市中区八丁堀7-11)基調講演比叡山延暦寺副執行今出川行戒パネルディスカッション露の団姫落語家僧侶渡邉賢一デザイナー武円超延暦寺執事前坂良樹西教寺
長春寺(ちようしゅんじ)(駒ヶ根市下平)(天台宗)(当山ご本尊)阿弥陀如来ちょうど銀杏(いちょう)の木が色づき綺麗でした境内の前に子供達の遊具がありました春の桜秋の彼岸花も見事との事茅葺屋根の山門が歴史を感じさせ趣きのある良い寺です
何時もブログをお読み頂き有り難う御座います。m(__)m❗正月2日、今日は箱根駅伝の青学往路優勝を見終えてから、自宅から一番近い平泉中尊寺に行ってきました。中尊寺が正式名称は、天台宗東北大本山関山中尊寺で850年(嘉祥3年)慈覚大師円仁による開山から1,175年も経つ、皆さんご存知の古刹です‼️正月2日と有って参拝客は少なめで、並ぶこと無く参拝する事が出来ました。そして今年も中尊寺の縁起物「熊手」1,800円を購入❗金色堂は創建900年+1年です。そして、昨夜のNHK-
夢前七福神【第七番】性海寺(弁財天)に行ってきました!姫路市イメージキャラクターの「しろまるひめ」も連れて行きましたよ!性海寺は、徳道上人が霊亀二年(716年)に開山した天台宗の寺院。室町時代に隆盛を極め、播磨の守護赤松氏、英賀城主の三木氏の庇護を受けました。
先日平泉の白山神社を訪れた帰りに中尊寺のお堂などでお守りを何気を見てまわリました。するとこのような手彫りで仏師が掘った。ありがたい木札のお守りを見かけることはもうありませんでした。AIモードすべて完全一致商品見た目で一致5件のサイトこの画像に写っているのは、岩手県平泉町にある世界遺産・中尊寺のお守りの木札です。木札には「中尊寺」という文字と蓮の花の彫刻が施されています。中尊寺は850年に開山された天台宗の寺院で、平安時代の文化財を多く所蔵しています。特に金色堂は有名で、奥州藤原氏
■日本の仏教十三宗五十六派1940年(昭和15年)、「宗教団体法」が施行される以前に日本の仏教の成立から見て、教義・歴史・伝統がその根本にある宗派「十三宗」とは宗旨「五十六派」とは、それぞれの分派宗教学上で仏教の伝統宗教と定義される、この五十六派
令和7年11月23日日輪寺は八溝山の中腹にあります八溝山山頂には八溝嶺神社があるというのでまずはそちらを参拝しました福島県側から八溝山に登ったのですがグーグルナビでちょっと失敗377号がなかなかの酷道で細くてすれ違えないところが多いです紅葉がきれいだったのでまだ良かったですが294号から行った方が良かったかもしれません日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征した際に、『この先は闇ぞ』と言ったことからこの名がついたとか八
天台宗と真言宗の違いとは?仏教にはさまざまな宗派があり、その中でも天台宗と真言宗は特に有名です。しかし、この二つの宗派にはどのような違いがあるのでしょうか?今回は、天台宗と真言宗の違いをわかりやすく解説します。1.信仰の対象の違い天台宗と真言宗の最も大きな違いは、信仰の対象です。・天台宗:お釈迦様(釈迦如来)と大日如来を同一視し、仏教の根本に据えます。・真言宗:大日如来を宇宙の根本仏とし、お釈迦様とははっきり区別します。天台宗は、お釈迦様が説いた法華経を
3月3日春桃会(もものほうえ)にお参りしました。この日は無料公開されています。なかなかの雨☔でした。
ブログ更新6551回目滋賀「湖東三山百済寺」日本の紅葉百選にも選ばれる聖徳太子創健の寺院紅葉が美しい所長散策ぶらり~お散歩旅です。百済寺(国史跡)は、今から1400年前の推古14年(606)に、渡来人のために聖徳太子さまが創建された近江の最古刹です。像高2.6mの十一面観音を本尊とし御堂は百済の「龍雲寺」を模して創建され、開闘法要には高句麗僧恵慈を冗願とし、百済僧遭欽や暦を伝えた観勤も永く住したと伝えられております。その後、鎌倉時代からは「天台別院」と称され、