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お疲れ様です😊今日は今年最後の縁日寄席でした👘お勤めのあとの法話では、今年大変だった1日の話題から、皆さんがなんとなく知っているけど、実は意味がよく分からない仏教用語についてお話をさせていただきました🙏✨寄席の部では、ききょう姉さんの『七度狐』、クラウンキョロさんのジャグリングで大いに盛り上がりました❣️私は、神崎京一先生に書いていただいた創作落語『親鸞の身代わり』をネタおろし😊✨マクラでは天台宗と浄土真宗の関係をお話ししましたが、おかげさまで沢山笑っていただけました🙆♀️おてら
今日は用事で祇園へ行ってました。あっ❣️❣️見つけた清浄歓喜団です。京都通なら知ってるお菓子😅解説。。訳してお団と言う遠く奈良時代に遣唐使により我が国に伝えられた唐菓子数多い京菓子の中で千年の歴史を昔の姿そのままに今なお保存されている。唐菓子とはからくだものと呼ばれ仏教と共に伝わる天台宗、真言宗などの密教のお供物で当時は一般庶民は口にする事は出来なかった。貴族のみが食べていた。。七種の香を入れて包んでる。八種の結びは八葉の蓮華を表している形は金袋にな
酒井雄哉大阿闍梨の世界七十伝統ある回峰行者の夏の荒行③ちなみに行者に対する呼称はこうなっている。新達―葛川夏安居に初度から七度参加したもの。先達―同じく八度から十四度参加したもの。大先達―同じく十五度から二十四度参加したもの。大々先達―同じく二十五度以上参加したもの。新行—百日回峰の行者。白带行者——五百日を満じた行者。当行満阿闍梨——七百日を終わった行者。大行満大阿闍梨——千日回峰を満行した行者。記録によれば、天正十二年から現在に至るまで、葛川夏安居に参籠した新達行者
これは、前の「No02の段」「教外別伝の誤り」の延長である。「道元」和尚は、「正伝の仏法=釈尊の仏教=原始仏教」に回帰した。釈尊の仏教は、言葉でしか伝わらない。実際の歴史がそれを示している。『阿含経』や『初転法輪経』、パーリ仏典で、明確に示されている。他方、「中国禅」は「老荘思想」だから、「真理」は「言葉」で伝わらない、と教える。だから「教外別伝、不立文字」を主張する。その結果「仏化之始終」「二生之感果」を教えない。これは、全く、別の宗教である!「如浄
西国三十三観音霊場巡りの続きになります。第16番音羽山清水寺から坂道を下り、歩くこと約15分。第17番補陀落山六波羅蜜寺昨年冬の参拝以来になります。宗派は真言宗智山派、御本尊は十一面観世音菩薩、開祖は空也上人で、創建は天暦5年(951)になります。今回も空也上人のアクスタ購入しちゃいました。いただきました御朱印がこちらです。第17番補陀落山六波羅蜜寺京都府京都市東山区ロクロ町81-1第18番紫雲山頂法寺(六角堂)こちらも昨年来
No04そもそも、道元は、8歳の冬に、生母に死なれて、「観無常」を知った。母ではなく、「自分は、死ぬのだ」と、本当に知った。それまでは、「死」は、他人事であった。今、「肉親・最も近い生母の死」が、道元にショックを与えた。この「死苦」に駆られて、道元は、9歳で、最高の哲学・世親の『倶舎論』を「読み・暗記」して、(これは、ギリシャ哲学のプラトンの「イデア論」と同じであり)、「無為の世界」、そこに「永遠の命」を求めた。・・・なお「現在の読む・黙読の動作」は、漢字「看」で
12月22日月曜日冬至(とうじ)二十四節気の一つ。現在普及している定気法では太陽黄経270度時(黄道十二宮では磨羯宮の原点に相当)で毎年12月22日頃。平気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と平気で一致する唯一の節気である。暦ではそれが起こる日を冬至とするが、天文学においては太陽の視黄経が270度となる瞬間を「冬至」と定義しており、この場合は冬至の瞬間を含む日を冬至日(とうじび)と呼ぶ。期間としての意味もあり、こ
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十九伝統ある回峰行者の夏の荒行②安曇川支流の明王谷にかかる第三の滝を行場と定め、断食・不眠の行を続け、一心に祈ること十七日間、相応和尚はその滝壷の中に身を投じた時、滝壷の中から忽然と不動明王が出現し、相応和尚を助けたという。葛川夏安居の期間中に、新達らによって行なわれる「太鼓乗り」は、この故事にならったものである。昭和六十一年度の葛川夏安居に、私も同行した。七月十六日朝五時、四十数人の行者が隊列をつくって葛川明王院をめざす。途中の道で行者を待ち構える信者の一人ひと
京都新聞で学ぶシリーズ暖かい雨の中で行われる年の瀬の行―三千院「托鉢寒行」京都市左京区大原で三千院「托鉢寒行」暖かい雨の中、僧侶らが山里巡る2025年12月21日16:00雨の中、三千院門前の店先で読経する僧侶たち(21日午前9時10分、京都市左京区大原)京都市左京区大原で12月21日、三千院の歳末行事「托鉢(たくはつ)寒行」が行われた。降りしきる雨の中、僧侶たちはほら貝や鈴の音を響かせて洛北の山里を巡り、年の瀬の到来を告げた。続き読む→京都新聞記事の要点まとめ(京都新聞)
11月中旬京都の大原を訪れました。京都大原三千院〜こちらの歌をご存知でしょうか?デューク・エイセス【女ひとり】昔、なにかのCMに使われてまして昭和生まれの私は大原といえばこのメロディなんです。。でも訪れたのは初めてでして大原が京都市内だと知らずびっくりしました。京都駅からバスで1時間もかかりますし••京都市内って広いなー大原へのアクセスはいくつかありまして京都駅から1時間バスに乗るルートはかなり混みそうかなと思い京都駅から京都市営地
天台宗(特に比叡山延暦寺を中心とする勢力)による浄土真宗(親鸞を祖とする浄土真宗)への直接的な攻撃・弾圧・批判は、主に鎌倉時代初期の専修念仏(他力本願の念仏信仰)に対する念仏禁止運動の一環として行われました。歴史学・仏教学の研究で確認されている主な事例は、以下の2件に集中しており、これらが最も明確で影響力の大きいものです。これらは天台宗単独ではなく、南都六宗(奈良の旧仏教勢力)との共同請願が中心ですが、比叡山延暦寺が主導的役割を果たしたことが史料で記録されています。建永の法難(承元の法難、12
上野公園から寛永寺、谷中の寺町をぶらり散歩してきました黒田記念館洋画家黒田清輝の遺言で建築黒田記念館国立博物館の別館国際子ども図書館旧帝国図書館国際子ども図書館の前の小泉八雲記念碑国際子ども図書館の外壁の紋章寛永寺墓所スカイツリーが見えます5代将軍徳川綱吉霊廟勅額門教育委員会説明板南天と冬桜厳有院霊廟勅額門4代将軍家綱霊廟天璋院篤姫墓所は非公開了翁禅師塔碑東京都旧跡説明板慈海僧正墓教育委員会説明板東京都旧跡寛永寺鐘楼東叡山寛永寺根
土曜日。いいお天気だし思い立ったらお墓参り~安つコロナ禍で遠慮していた臨済宗大本山南禅寺父方の祖父母のお墓があります。墓石にはまぁまぁ苔が付いてて長らくのお詫びを臨済宗大本山南禅寺臨済宗大本山南禅寺公式サイトnanzenji.or.jpそして南禅寺からすぐ。平安神宮の側を通りすぎ🚙💨浄土宗総本山知恩院なかなかの階段御影堂でお礼を「国宝」まだまだ「国宝」に敏感お参り↑この泥の池が↓
天台宗(比叡山延暦寺を中心とする)および日蓮宗(法華宗)による浄土真宗(一向宗)への焼き討ち事件について、歴史的事実を徹底検証した結果をまとめます。検証結果の概要歴史的事実として確認できる天台宗・日蓮宗による浄土真宗への焼き討ち事件は、以下の2件のみです。これらは室町時代後期から戦国時代初期の宗教勢力拡大による対立が激化した時期に発生したものです。寛正の法難(1465年)加害側:天台宗(比叡山延暦寺の僧兵)被害側:浄土真宗(本願寺の大谷本願寺)概要:浄土真宗の急速な拡大に対する危機感から
おはようございます。本日12月21日は今年最後の弘法大師さまの縁日で『納め大師』となります。清瀧寺は、現在は『天台宗』ですが、平安時代・大同2年(西暦807年)の創建からしばらくの間は『真言宗』だったと伝えられています。江戸時代に入り、東叡山寛永寺さまとのやり取りが残っているため、江戸時代からは『天台宗』であったと推測されております。現在でも、地域の弘法大師信仰の中心寺院であり『新四国大井沢霊場』の総本社が置かれ、境内には33体の弘法大師像が祀られ『三十三大師』と称されています。宗派は
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十八伝統ある回峰行者の夏の荒行比叡山の回峰行者にとって、絶対に欠かすことのできない修行に「葛川夏安居」がある。これは毎年七月十六日から二十日まで、千日回峰行者、百日回峰行者らによって、裏比良の葛川明王院で、回峰行の始祖・相応和尚を偲んで行なわれるもので、「葛川入寺」とも呼ばれている。相応和尚の遺徳を讃えるとともに、その苦行の一端を体得し、同時に不動明王に一歩でも近づこうとする、千年を越す長い歴史を受け継がれてきた伝統ある回峰行者の夏の荒行である。相応和尚の苦行とはこ
No04そもそも、道元は、8歳の冬に、生母に死なれて、「観無常」を知った。「自分は、死ぬのだ」と、本当に知った。それまでは、「死」は、他人事であった。今、「肉親・最も近い生母の死」が、道元にショックを与えた。この「死苦」に駆られて、道元は、9歳で、最高の哲学・世親の『倶舎論』を「読み・暗記」して、(これは、ギリシャ哲学のプラトンの「イデア論」と同じであり)、「無為の世界」、そこに「永遠の命」を求めた。・・・なお「現在の読む・黙読の動作」は、漢字「看」である。「看経」
そもそも、道元からの質問ではない。如浄禅師自身が、道元に教えたかったのである!それが、最重要である!・・・「中国人・禅者」は、如浄禅師が教えても、一人も、これを受け入れてくれないのである!〇〇〇「如浄禅師の教え」は「心塵脱落」本来、清浄心であるのに付着した塵を、洗い落せ!天台智顗の『摩訶止観』の教えである。道元の『宝慶記』の「如浄禅師の教え」である。つまり、「塵を洗い落とす」を教えている。が、「道元」和尚は、これを「身心脱落」に、変更している!「肉
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十七回峰行最大の難関の堂入り③堂内には行者のほかに、常に二人の介添えする僧がいる。行者が眠りこけそうになると、肩をゆすって起こす。香を焚いたり、ローソクを替えたりもする。介添えの僧は交替制で行者を陰から支えているのである。こうして、行者は殆ど堂内に籠もりきりになるが、一日に一回だけ出堂すかいることが許される。午前二時、「閼伽井」と呼ばれる所までいって、不動明しゅすい王に供える水を汲みにいくのだ。これを「取水」という。堂入りの中日、五日目になると、天目茶碗に入った水で
今までの「日本禅宗史」は根本から間違っていた!道元と達磨宗・懐鑒とは、「ジョイント・ビジネス」だった。道元と懐鑒とは、「越」の地において「喧嘩別れ」したのではない。懐鑒は、道元の下から出て行くが、近くに居を構える。そして、実際、義介は、懐鑒に通って修業し大悟し、嗣法している!1241年春、「懐鑒、義介、義演、義準、…、達磨宗の組織」が、傘下に入った。1243年7月、(東福寺・円爾弁円禅師の進出で、京都にての布教が不可能になったので)、北陸「白山天台」の元の本拠地に戻
少し古い話に戻ります。湖東三山西明寺の紅葉狩りの最終稿です西明寺の参道の紅葉です『湖東三山西明寺参道の紅葉』先週末に湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)の紅葉めぐりをしました。毎年勇んで出かけるのですが、一番近い百済寺で終わってしまいました。今回は一番遠い西明寺から…ameblo.jp西明寺の庭園の紅葉です『湖東三山西明寺庭園の紅葉』11月の末に湖東三山西明寺の紅葉狩りに出かけました。蔵入りしそうなので取り出してきました。前回のブログでは西明寺参道の紅葉の様子をアップ
大篠3部作の最後まずは場所:Googleマップ・津山市大篠『善応寺』最初に余談から。訪問日は11月23日、大篠地区へ行くには、B作の実家の前を通らないと行けなくてこのときはまだB作の訃報を知らないが、ここの道を通るのは、それこそ二十数年ぶりなんだか、虫の知らせみたいに引き寄せられたのかな、(-_-;)到着、すでに紅葉がこぼれちゃってますが、ちょうど1週間前にクラシックコンサートやったみたいであえてそこを外して、人がいないのを狙っての訪問手水場と、奥の地蔵尊像十六羅漢像”群”
2026道心寺🌸新春法要&新春寄席🌸のお知らせです😊✨1月2日&3日開催の新春寄席では、お客様全員に素敵なプレゼントが当たる抽選会があります🎊お得な通し券やペア割もございますので、是非ご利用ください🉐落語が初めてという方も大歓迎です🙆♀️お正月から大笑いして一年の開運を祈りましょう🎊1月2日(金)2回公演🌸新春法要🌸10時〜10時45分⭐️落語会⭐️あさ11時の部11時〜13時《出演》桂小留、桂咲之輔、露の五九洛、桂三象、露の団六《三味線》佐々木千華《料金》2500
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十六回峰行最大の難関の堂入り②では、なぜそれほどまでの荒行をするのか。七百日までの行は、自分自身のための自利行で、八百日以降は他の人のためにする化他行である。そのために不動明王と一体になる、すなわち生身不動明王になるための行を修しなければならないのである。まさに、「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」という教えそのものではないか。では、堂入りの実際はどうなのか。堂内は、内陣と外陣に仕切られていて、行者は午前三時、十時、午後五時
こんばんは京都のkojiro(小次郎)です今日は2025年12月18日木曜日京都市内の今朝の最低気温は4.8℃、日中の最高気温は12℃まで達しなかったみたいです。今朝の小次郎は検査のために病院に行ってきました…体温も落ち着いて喉の状態もかなり回復してるとのことでした(ただし、外出する際にはマスクの着用を厳命されてしまいました)。さて、今回の「kojiroの京散歩」は前回に続いて2025年11月の京都散歩画像から紅葉前の(楓が色づき始めた)京の寺院をご覧いただこうと
天台宗玉泉寺小田急線和泉多摩川駅を出て直ぐは裏手なので、敷地に沿ってぐるっと回った反対側に入り口があります。⛰️山門⛰️こちらは閉まっていますので、照隅殿から入ります。寺号標⛰️照隅殿⛰️十一面観世音菩薩堂⛰️本堂⛰️七地蔵菩薩様こちらは七人おられます。福徳観音様
文化財の資料収集で光秀山西向寺へ(浄土宗鎮西派本山は善導寺)話を伺いにいきました天正3(1575)年存太和尚の創建寺宝に恵心僧都真源(942〜1017)の真筆で山越の御影三尊来迎絵図がありますそれは明智光秀が若侍の頃諸国行脚の途中恭敬院に立ち寄り28日間宿泊した折の出発の際に奉納したとされています御開帳は33年に一度だけとされていますが文化財の資料収集ということであればと今回特別に観せてくださいました恭敬院は龍誉存太和尚が入寺して天台宗か
酒井雄哉大阿闍梨の世界六十五回峰行最大の難関の堂入り千日回峰行の最大の難関は「堂入り」という荒行である。七百目の回峰行が終わって、その日から九日間、不眠、不臥、断食、断水で不動明王に祈りを捧げ、十万遍の不動真言と『法華経』全巻を唱える。文字通り、死を賭した行である。酒井阿闍梨はこの荒行を二度行なっている。昭和五十三年十月と昭和五十九年の二回である。酒井阿闍梨は最初の堂入りに先立って、「ここに愚鈍の行者雄哉、日畢生の悲願を凝らし、九日間断穀、断水、心身を清めて不動明王の心地に到達せんことを期
12月14日義士会法要がありました。直書き午前の法要参加者の直書き書き置き午前中の法要に参加して、再び午後1時半に集合。新たな討ち入りを果たすため。それは間違い探し。8箇所あったけど、1箇所間違えたから失敗。こちらの書き置きがもらえました。☺️討ち入りそばも頂きました☺️
「日本の禅宗」は、「日本天台宗、達磨派」の初祖、大日能忍、「無師、独悟」で、中国の禅語録を忠実に研究して、その通りに、自分で修業して、悟った。しかし、それは、「人が神と成る日本人の心」の中に、新しく「生まれたもの」であった!土壌は、「日本人の土着の心情」から、産まれたものであり。「日本天台本覚思想」の具体的な結実「完成体」であった。だから、日本人の全ての信仰をその中に取り込んでいった。形式は、仏教の姿を借りているが、ご先祖様信仰を中核とする、所謂、「葬式仏教」を、発明して