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2月19日、初甲子🐭出雲大社東京分祠甲子はココから始めると決めています。これは始まる前。静かな様子ですが、多くの参列者の方がいらっしゃいました。神社は初詣に来ることも大切だけれども、節目(例えば甲子の60日ごと)に来て、こまめに自分や目標を見つめ直すといい。という内容のお話をいただきました。確かに❣️自分を知ることは強いですよね。この歳になり、自分を知らない…というか知ろうとしない人が案外多いことに気づきます。人を振りみてわが振り直せ我が育った家の教えでもあります。今年
おはようございます😊✨先日、曹洞宗のお坊さんがたからサプライズで改名祝いの「輪袈裟」をいただきました🎁箱を開けると…なんと、デザインが花柄💐ビックリするほど鮮やかで綺麗なのですが、実は私、スカートを履いていた時代でも花柄はよお着なかったタイプです😱💦正直、心の中で「いや、私にはこんな素敵な柄は無理です💦無理です💦」と思いましたが、つけてみると…👀あれ❓意外と私でもいける❓私でも、素敵につけられてる😀⁉️おかげさまで、また新しい自分にチャレンジできそうです😊❣️これも、いただいたご
今日からしばらくの間、昨年の夏の想い出をアップしましょう。国際木文化フェスティバル《WorldWoodDay2025inJapan》の一環として昨年の8月初めに神戸・竹中大工道具館を会場として開催した【大工と大工道具国際フォーラム】の国際参加者の皆さんのためのエクスカーションとして、8月3日に、兵庫県下の天台宗の古刹をめぐるバスツアーを行いました。今日から三日間は加古川市に在る鶴林寺への訪問記、その後二日間は姫路市に在る円教寺への訪問記をアップします。関東や首都
不動明王の霊地、「葛川明王院」②北嶺回峰行の祖相応和尚開創1000年以上同じ場所に建つ「相応和尚が不動明王さまを安置されてから、この地は山林修行の道場として著名であったそうです。そのことを私たちに伝えているのがこちらの本堂になります。」「現在の本堂は、正徳5年(1715)に建立された建物になります。実は平成17年から平成23年にかけて修理が行われたのですが、その際1000年以上昔に伐採された材木が多く再利用されていることが判明したのです。さらに、本堂や庵室という建物の基壇周辺の発掘調
【2月1日】京都市中京区にある天台宗行願寺(革堂)さんへ。寿老神の新しい御朱印。
不動明王の霊地、「葛川明王院」北嶺回峰行の祖相応和尚開創1日本海側から都に物資を運ぶ道として多くの人々が行き交ったという鯖街道。その鯖街道沿いに位置する坊村町に不動明王の霊地の一つとして知られる葛川息障明王院が伽藍を構えています。貞観元年(859)、相応和尚により開かれる「今回訪れていただいた明王院は正式には「葛川息障明王院」(かつらがわそくしょうみょうおういん)といいまして、第3代天台座主をつとめた慈覚大師円仁の弟子である相応和尚により開かれました。相応和尚は千日回峰行に代
京都2日目は1200年の歴史を誇る天台宗寺院である三千院を訪ねました。伝教大師最澄の草庵から始まり、応仁の乱を経て、大原の地に根を下ろした三千院門跡高い芸術性、新しい発見、物事を見る角度の変化、発想の転換、削ぎ落とし、静寂、さまざまな体験が複雑に混ざり合って、ここを去る頃には、訪れたときのじゅくちょーとはまったく別人に生まれ変わっていました。ひとつ言えることは、ここにきてよかった。三千院を訪れたのは2月15日、偶然にもこの日は「涅槃の日」といって、お釈迦様が入滅された日。涅槃とはあらゆ
天台声明の根本道場「来迎院」7この資料から伝教大師が15歳の時に近江の国分寺で出家得度し、18歳の時には国が認可した得度の認可書が出ていることがわかります。それを逆算していくと、伝教大師の生年月日が766年ということがわかります。これまでの『叡山大師伝』を基とした生年は767年なので、1年違うことになります。最近では、『伝教大師度縁案並僧綱牒』が正しいのではないかという説が学会で非常に中心的な話になっています。ただ、火災での焼失などを考えると、こうした国宝を一寺院で管理することの難しさも感じ
12年ぶりに、安養寺に参拝しました。銭洗弁天手水舎子育て地蔵尊・出世地蔵尊聖天堂堂内本堂本尊薬師如来像安養寺天台宗東京教区によれば、平安時代初期、慈覚大師円仁によって開山されたという。一方『牛込区史』によれば、年代も開山も開基も不明としている。1591年(天正19年)、徳川家康の江戸城拡張工事に伴い移転、1683年(天和3年)に現在地に移転した。当寺の通称「神楽坂聖天」の由来となった歓喜天像は、第234世天台座主大椙覚宝が拝した由緒正しい歓喜天とい
目黒区白金台の「大圓寺」、港区芝白金台の「庭園美術館」、「自然教育園」をぶらり散歩してきました大圓寺大圓寺は目黒区下目黒にある天台宗のお寺です本尊は釈迦如来寛永年間(1624~1644)に創建明和9年(1722)の行人坂火事(明和の大火)で焼失嘉永元年(1848)薩摩藩島津斉興の菩提寺として再建されています大圓寺石仏群520躯行人坂火事の犠牲者の追悼で作られた石仏群大圓寺石仏群東京都指定有形文化財金箔の薬師如来大圓寺の本堂向拝の龍の彫刻庭園美術館港区
【2月1日】京都市東山区にある天台宗妙法院門跡塔頭香雪院さんへ。
629)良い人ばかりはいない我利我利亡者は、忘己利他の人を都合よく食い物にする?★忘己利他天台宗の開祖・最澄の言葉「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」に由来し、自分の損得勘定を忘れ、他者のために尽くすことを指す仏教の精神。自らを犠牲にして人々の幸福を願い行動する「菩薩行」の実践を意味する。★我利我利亡者他への思いやりを一切持たず、ひたすら自分の利益や欲望(我利)のみをむさぼり追求する人を罵(ののし)っていう言葉。強欲で、私利私欲のために行動する様子を指す、きわめて利己的な人を表
天台声明の根本道場「来迎院」6三尊は「過去・現在・未来」と本来は住む世界が違いますので、応永33年の大火以前は別の本堂に安置されていました。火災を逃れた現世を司る薬師如来様、来世を司る阿弥陀如様、過去を司る釈迦如来様が、ひとつの本堂に安置してあるというのが、現在の来迎院の特徴になっています。」近年になって来迎院では、大きな発見が相次ぎ話題になりました。昭和35年(1955年)に国宝に指定された『伝教大師度縁案並僧綱牒』は、伝教大師最澄が得度した後に、受戒されたことを示す公文書が、来迎院の
神社仏閣巡りのまとめのブログです(*'▽')過去から順番に書いていきたいと思ってます♪2018年9月13日に千葉県東金市に有る縁結び大社こと天台宗のお寺!関叡山妙泉寺…通称…千葉厄除け不動尊へ良いご縁を!!と願う下の娘とお参りに行ってきました(^^)/凄く広ーい境内!!ナビが馬鹿で縁結び大社にナビをセットしたのに裏の方…森の中に連れていかれたのよ\(◎o◎)/!それでGooglemapで場所の再確認して正面入り口前の駐車場へ辿り着きました(;^_^Aはとバス
天台声明の根本道場「来迎院」5大原の地の中心的な存在だった来迎院は、応永33年(1426年)の大火で、創建時の本堂に当たる薬師堂、阿弥陀堂、釈迦堂は焼失しました。室町末期の天文2年(1533年)になってようやく復興がかない、現在に至ります。「来迎院の本堂は火災の難を免れて焼け残った「木造薬師如来坐像」「木造阿弥陀如来坐像」「木造釈迦如来坐像」の三像が安置され、いずれも国指定重要文化財に指定されています。正面に祀られていますのが昔の薬師堂のご本尊、薬師如来様です。非常に優しい、気品に満
天台声明の根本道場「来迎院」4音と音の間に『塩梅(えんばい)』というものを使います。『塩梅』は地方に伝わると誰って『塩梅(あんばい)』になったと言われます。『塩梅』は最終的には演歌のこぶしになったと言われます。このことから声明は日本音楽の源流とされています。」お話の後には、齋藤師による声明「我此道場如帝珠」を唱えていただきました。静寂な本堂に響き渡る声明に耳を傾けていると、時間が経つのを忘れてしまうほど不思議な感覚に包まれます。900年にわたって受け継がれてきた声明の原点がこの地にあっ
『忘己利他』志賀内泰弘よく腹を立てます。いけないことだとわかっていますが、腹が立ちます。その原因は、自分で蒔いたタネです。というのは・・・。よく相談事を受けます。いろいろあります。仕事の紹介、相続問題、経営アドバイス、家庭内問題。自分で解決できないときには、友人たちの力を借ります。それは私の仕事ではないので、成功報酬はいただきません。ある相続問題が解決した際に、びっくりするほどのお礼を持って来られました。そりゃあ、人間ですから、お金は欲しいです。でも、
ヒロさん、何時もお世話に為って居ります。お陰様で在ります。感謝で在ります。まだまだ寒さ続きますが、どうぞ、御自愛の程、参拝下さいませ、リブログさせて頂きます。令和八年如月拾四日丙午己未合掌『関山中尊寺』かんざんちゅうそんじ関山中尊寺こんばんはご訪問ありがとうございます基本情報【所在地】岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202【宗派】天台宗【寺院本尊】…ameblo.jp『御朱印帳【寺院用】10冊目』こんばんはご訪問ありがとうございます寺院用御朱印帳、ようやく
天台声明の根本道場「来迎院」3声明というと、葬儀や法要など、儀式の際に聞くものと思われますがそうではありません。声明の文化は都に伝わり、当時の流行り歌である今様に強く影響を与えます。白拍子による『今様』『浄瑠璃』『謡曲』『長唄』『小唄』『端唄』、さらに日本各地に伝わる民謡、最終的には演歌のこぶしになったと言われています。つまり京都大原の地に日本音楽の原点があると言っても過言ではないかと思います。」「声明では楽譜と言わずに『博士(はかせ)』と言います。こちらの本堂に掲げているのが『総礼伽陀(
【1月18日】京都市東山区にある天台宗妙法院門跡塔頭香雪院さんへ。
天台声明の根本道場「来迎院」2このお寺を再興した聖応大師良忍は、愛知県のご出身で、13歳で比叡山延暦寺に上り、実の兄である良賀阿闇梨という大変優秀な学僧に従い比叡山の教えを学びました。しかし、良忍上人は23歳の若さで比叡山を下山し、大原に隠棲されたと言われています。当初、良忍は勝林院に入り修行しました。勝林院は大原では一番古いお寺で1000年以上の歴史があります。そして、修行の後、晩年38歳にこの来迎院を再興しました。当時、比叡山では声明の流派が7つに分かれていて、良忍は比叡山での修行
皆さま、お早うございます。寺社仏閣マニアな旅するコピーライターのふじやんです。速報でもお伝えしていましたが、2025年12月21日(日)〜23日(火)の2泊3日の日程で毎年恒例の年末京都独り旅へ行ってきました。毎年恒例となっている、12月の京都旅行の理由はこちら。『毎年12月21日に京都へ行く理由。』それは世界遺産の東寺で、終い弘法が開催されるからです。終い弘法についてはこちら。東寺終い弘法2022年12月21日(水)8:00~16:0021日は弘法大…ameblo
おはようございます二荒山神社から東照宮前を経由混雑のない穏やかな参道少し下って天台宗別格大本山日光山輪王寺天台宗別格大本山日光山輪王寺·〒321-1494栃木県日光市山内2300★★★★☆·仏教寺院maps.app.goo.glとても立派な輪王寺をお参り日光山輪王寺オフィシャルサイト【公式】世界を平和の輪でつなぐ日光山輪王寺へようこそ。日本の伝統文化を通して、深い心の学びを促してくれる神仏の世界
2001年紅葉の京都の最後は真如堂(真正極楽寺)。昨年の秋に行ったときは、ピークを過ぎていましたが、この年はいい感じで紅葉を楽しめました。こちらも紅葉の季節は定点観測ポイントです。猫が描かれた涅槃図や涅槃の庭も印象に残っています。真如堂(しんにょどう)は、京都市左京区にある天台宗のお寺で、正式名称は真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といいます。10世紀末頃、具体的には永観2年(984年)に比叡山の戒算上人によって創建されました。本堂の通称である「真如堂」が広く定着していますが、正式名称の「
私のブログは、不明なことを調べてみることその結果を編集して、投稿することが目標です。我が国は、過去、中国をはじめ様々な国の人々の貢献を受けてきた。その方々について、調べてみたくなった。まず初めに、中国の鑑真和上鑑真和上は、姓が、艦名は真なのか、姓を略し、名が鑑真なのか?
天台声明の根本道場「来迎院」1京都大原の地は、別名魚山とも呼ばれ、来迎院を創建したと伝えられている慈覚大師円仁が中国の五台山で修行した峰の名が魚山だったことに由来します。慈覚大師円仁は本格的な天台密教を延暦寺にもたらしましたが、お経独特の節回しで唱える声明(しょうみょう)もまた日本に伝えました。この声明を大原の地で発展させたのが、隠棲していた修行僧たちでした。中でも聖応大師良忍は、延暦寺を離れ平安時代末期の天仁2年(1109年)、大原の地にある来迎院を再興。声明の根本道場として、7つあっ
かんざんちゅうそんじ関山中尊寺こんばんはご訪問ありがとうございます基本情報【所在地】岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202【宗派】天台宗【寺院本尊】釈迦如来(本堂本尊)【寺格】東北大本山【創建】伝・嘉祥3年(850年)【開山】伝・円仁(慈覚大師)【札所1】奥州三十三観音霊場番外札所【札所2】四寺廻廊東北の世界遺産、中尊寺です説明は不要ですね観光地は朝イチで訪問がベスト静かな境内を歩きます●月見坂地味に意外と勾配がある●月見坂八幡堂
色々なしない事が大事なんだよ。例えば相手を否定しないとかさ銀次郎です今朝、相席のおばちゃんは親子丼でしたʅ(◞‿◟)ʃ火渡りじゃ長野の星が輝く阿智村に佇む「信濃比叡廣拯院」-御朱印・修行体験南信州最大の温泉地「昼神温泉郷」からほど近い山あいに佇む廣拯院。天台宗の開祖伝教大師最澄が東山道最大の難所であった神坂峠を越える旅人のために布施屋(無料宿泊所)として、廣拯院を建てられました。この事から特に比叡山と縁の深い地であり「信濃比叡」の呼称が許され、本堂内には、1200年の灯「不滅の法
天台宗🐉龍台寺🐉JR南武線及び田園都市線の溝の口駅から10分くらいのところにあります。溝口駅を市営バスロータリー側に降りて、真っ直ぐ進んだ先、大蓮寺の前を通って先に入り口があります。寺号標この階段を登っていきます。💧手水屋💧観音堂⛰️本堂⛰️めぐり地蔵尊萬霊供養塔ペット供養塔
葉上照澄大阿闍梨の息吹⑨無住からの復興が進む常住寺を訪ねる葉上照澄大阿闍梨引用いろり端探訪「1200年の魅力交流」客殿最後にご紹介頂いたのは客殿として使われている2階建ての建物です。「1階の祭壇には、徳川家の将軍や葉上師をはじめ、歴代住職の位牌が祀られています。お寺は祈りが大切なので、建物を復興するだけでなく、荒廃していた中から取り出した位牌をこうしてきちんと祀ることも大事な復興の一つとして行ってきました。」つづいて、2階に上がります。「お寺らしくないと思われるか