ブログ記事774件
新宿駅西口地下街にあるカレー専門店「イマサ」は、馴染みの店である。僕が通った大学の教養学部が富士吉田市にあり、新宿西口高速バスターミナルを発着する中央高速バス富士五湖線を使って行き来したものだった。バスターミナルへの入口に近い「イマサ」のカレーは、休日を東京で過ごしてから、高速バスで富士吉田に帰る前の、格好の夕食であった。あらかじめ食券を買う方式なのだが、入口の食券売り場のおじさんが、「チキンです!」「ジャーマンです!」「ポークです!」と、店中に響き渡る野太い声で、客の選んだカレー
【主な乗り物:高速バス「東名ライナー」号、夜行高速バス「グラバー」号、夜行高速バス「スサノオ」号、急行「さんべ」】東京駅発10時00分の名古屋駅行き超特急バス「東名ライナー」は、宝町ランプから首都高速道路に乗り、ビルの谷間を縫うように都心を西へ抜けて、多摩川の手前から東名高速道路に入った。車両は、当時採用されたばかりの3軸スーパーハイデッカーで、乗り心地も眺望も申し分ない。きついカーブが連続する山岳ハイウェイで、箱根山を北側から眺め、雄大な富士の裾野を半周する。由比と興津の波打ち際で、
かつて「ミルキーウェイ」を名乗った夜行高速バスがあった。東急バスが、自社の高速バスに共通のネーミングを施したのである。天の川とは、満天の星空の下を走る夜行高速バスに、なんと相応しい愛称だろうか。シルバーにブルーの濃淡のストライプが入ったボディカラーも、星が散りばめられた銀河を彷彿とさせ、なかなかシックな雰囲気だった。決して派手でなく、僕が大好きなカラーリングだった。「ミルキーウェイ」が登場したのは、昭和63年10月、渋谷と和歌山、渋谷と鶴岡・酒田を結ぶ2つの夜行高速路線である。「
11月14日(金)は、倉敷駅北口3番を20時20分の「新宿⇔倉敷ルミナス・マスカット号」に乗りました。料金は、D日程で11400円。車内は3列独立シートで、左通路が狭く、右通路が広く、右列下にトイレ、洗面所、冷水お湯が。カーテンは、左列は右、右列は左、中列は右のみにあります。座席をリクライニングさせ、足置き・当てを出し、靴、靴下を脱ぎ、網ポケットの使い捨てスリッパを履いて、持参したアイマスク、マスク、耳栓を付け、備え付けの毛布を掛けて寝る体制に。全席
平成18年2月の週末、寝台特急列車「出雲」で東京駅から出雲市駅までの一夜を過ごした僕は、快晴に恵まれた出雲市駅前で、さて、どうしようか、と僕は思案に暮れた。のんびりした夜行列車を利用したために、既に日曜日の午前11時を過ぎようという頃合いで、身体を包み込む空気は冷え冷えとしているものの、太陽は頭上に高々と昇っている。もちろん、遙々と出掛けて来たからには帰らなければならないから、復路をどのようにするか、と計画する楽しみは残されている。出雲空港から羽田行きの飛行機に搭乗してしまうのが最も手っ取
サンデン交通におきまして現在運行されております高速路線バスは、上の画像にもあります下関~福岡線「ふくふく天神号(画像1、下関230あ52-50、日野2TG-RU1ASCA)画像2、下関230あ52-24、いすゞ2TG-RU1ASCJ)」のみでありまして、福岡へ行かれる方が利用されております。最近では、上の画像にありますようにハイデッカー車の導入が見られておりまして、「ふくふく天神号」では主力車両として存在しております。やはり、ハイデッカー車であるならば床下トランクにも多く積み込ん
【主な乗り物:夜行高速バス「LionsExpress」号】東京と福岡は遠いようでも、この2つの都市を結ぶ高速バスの歴史は古い。平成2年10月に、新宿と福岡を直結する「はかた」号が開業し、僕もその直後に乗車したことがある。当時の「はかた」号は、新宿から中央道・名神高速・中国道・九州道を経由して、走行距離1161.1km、所要15時間10分であった。東京と福岡の間に定期高速バスが走り始めたことには、心底、驚いたものだった。「はかた」号を超える長距離高速バスはなかなか登場しなかったが、平成
【主な乗り物:夜行高速バス「ムーンライト」号、東海道・山陽新幹線「ひかり」】僕が、生まれて初めて九州へ渡ったのは、昭和61年の師走だった。昭和58年に開業した大阪と福岡を結ぶ夜行高速バス「ムーンライト」号に乗ったのである。片道の走行距離658.2㎞は、それまで最長だった東京と大阪を結ぶ国鉄「ドリーム」号の574.8kmを抜いて、当時の日本最長路線となっていた。「ドリーム」号は、全国規模のネットワークを持つ国鉄だからこそ運行できた路線だった。当時、長距離を走るバス路線としては、他に、