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ミャクミャクのマンホールが気になる、大阪・関西万博真っ最中の中、この横断歩道の先にあるのは、JR大阪駅西口、この道路の並びにあるバス停は、全国各地へ向かう高速バス乗り場。夜10時過ぎ出発の高速バスに乗って長野へ帰省です。ちなみに高速バス乗り場はJR桜橋口の案内ですが、どちらかというとJR西口側です。高速バスで帰省するのは2度目、今回帰省を決めたのが直前だったので希望の席はすでに埋まっていて今回は窓側1席と真ん中3席です。本命はこの
「日本最長距離バスの系譜」では、昭和22年に開業した「豊岡-神戸直通バス」を筆頭に、太平洋戦争後から昭和・平成・令和に至る我が国の最長距離バス路線の歩みを綴ってきた。ならば、戦前はどうだったのだろうか?そのような思いに駆られていた時、1つの資料に巡り会った。『昭和平成の長距離バス・交通年表』である。主な路線を抜粋すれば、昭和5年開業の鉄道省岡多線の岡崎-多治見57.1kmに始まり、昭和6年:鉄道省防長線三田尻(現・防府)-山口17km(昭和8年に山口-東萩延伸;計67km)昭
【主な乗り物:夜行高速バス「ムーンライト」号、東海道・山陽新幹線「ひかり」】僕が、生まれて初めて九州へ渡ったのは、昭和61年の師走だった。昭和58年に開業した大阪と福岡を結ぶ夜行高速バス「ムーンライト」号に乗ったのである。片道の走行距離658.2㎞は、それまで最長だった東京と大阪を結ぶ国鉄「ドリーム」号の574.8kmを抜いて、当時の日本最長路線となっていた。「ドリーム」号は、全国規模のネットワークを持つ国鉄だからこそ運行できた路線だった。当時、長距離を走るバス路線としては、他に、
(『平成29年「ドリームスリーパー」の個室で味わう最上級のおもてなし前篇』の続きです)広島バスセンターを21時50分に発車した、全席個室の夜行高速バス「ドリームスリーパー広島・東京」号の走行距離は833.4km、12時間もの長旅である。中国道を山陽道に乗せ換えて、新名神高速道路や新東名高速道路を使うことで、平成元年に誕生した「ニューブリーズ」号に比べて100km近くも短くなったのかと思う。ビルの3階にあるバスセンターの連絡通路を下り、桜並木が囲む広島城の脇をすり抜けて、まばらに
(「日本縦断高速バス紀行3000km(1)東京-稚内「日着」を可能にした鉄道の進化」の続きです)平成18年8月の真夏の盛り、深夜の11時を迎えようとしている最果ての街で、僕は、長年思い描いていた夢の旅を始めようとしていた。ここは、稚内の駅から数分ほど歩いたバスターミナルである。薄暗い待合室には、23時ちょうどに出発予定の札幌行き夜行高速バスを待つ人々が、思い思いにたむろしていた。喋っている人はごく一部で、誰もがベンチにうずくまって、じっと自分の殻に閉じこもっている。1人旅の客が多い
かつて「ミルキーウェイ」を名乗った夜行高速バスがあった。東急バスが、自社の高速バスに共通のネーミングを施したのである。天の川とは、満天の星空の下を走る夜行高速バスに、なんと相応しい愛称だろうか。シルバーにブルーの濃淡のストライプが入ったボディカラーも、星が散りばめられた銀河を彷彿とさせ、なかなかシックな雰囲気だった。決して派手でなく、僕が大好きなカラーリングだった。「ミルキーウェイ」が登場したのは、昭和63年10月、渋谷と和歌山、渋谷と鶴岡・酒田を結ぶ2つの夜行高速路線である。「
11月14日(金)は、倉敷駅北口3番を20時20分の「新宿⇔倉敷ルミナス・マスカット号」に乗りました。料金は、D日程で11400円。車内は3列独立シートで、左通路が狭く、右通路が広く、右列下にトイレ、洗面所、冷水お湯が。カーテンは、左列は右、右列は左、中列は右のみにあります。座席をリクライニングさせ、足置き・当てを出し、靴、靴下を脱ぎ、網ポケットの使い捨てスリッパを履いて、持参したアイマスク、マスク、耳栓を付け、備え付けの毛布を掛けて寝る体制に。全席
1長電バス飯山営業所所属三菱ふそうエアロエース2TG-MS06GP昨年の秋頃に導入された、都市間高速仕様のエアロエース。同年の末頃から、野沢温泉・飯山・長野〜京都・大阪・神戸間で運用されています。車内は、左後部にトイレが配置されていますが、3列シートのレイアウトとなっています。トランクルーム1箇所はこんな感じで、床下仮眠室が設けられているため、昼行も夜行も問わず運用出来るようになっています。同社において、この仕様エアロエースは3台目となりますが、新たに非常用解放コックが装備
【主な乗り物:高速バス「JAMJAMライナー」新宿-大阪線、夜行高速バス「サンライズ」号、九州新幹線「みずほ」、特急「スーパーはくと」、高速バス「オオクニヌシ」号、寝台特急「サンライズ出雲」、高速バス品川・羽田空港-大多喜線、高速バス新宿-木更津線、いすみ鉄道、小湊鉄道】平成28年9月の週末、東京の街並みは降りしきる雨の底に沈んでいた。途切れることなくバスが出入りするバスタ新宿の窓から外に目を向ければ、代々木駅前にそびえるDocomoビルのてっぺんに漂う靄が、そのまま陰鬱な空に繋がって、まる