ブログ記事602件
新宿駅西口地下街にあるカレー専門店「イマサ」は、馴染みの店である。僕が通った大学の教養学部が富士吉田市にあり、新宿西口高速バスターミナルを発着する中央高速バス富士五湖線を使って行き来したものだった。今から30年も前の話である。バスターミナルへの入口に近い「イマサ」のカレーは、休日を東京で過ごしてから、高速バスで富士吉田に帰る前の、格好の夕食であった。あらかじめ食券を買う方式なのだが、入口の食券売り場のおっさんが、「チキンです!」「ジャーマンです!」「ポークです!」と、店中に響き渡
僕が乗って来た札幌発「わっかない」号が発着する宗谷バスターミナルは、JR稚内駅の北隣りにある。降りしきる雪の中を、僕は腕時計をにらみながら更に北へ歩いた。500mばかり行くと、オホーツク海に面して昭和10年に竣工された北防波堤ドームに突き当たる。そこを右へ曲がると、稚内港が見えた。戦前は樺太連絡の稚泊航路が発着し、今では東日本フェリーの礼文島と利尻島航路の玄関口であると同時に、北都観光が道北バスや銀嶺バスをチャーターして運行している長距離特急バスの札幌行き「はまなす」号と旭川行き「すずら
全国津々浦々を結ぶ高速バス──どの路線にも味があり、1度座席に収まってバスが走り出せば、それだけで僕は浮き浮きしてしまう。好きなものだから、一般の方々と違って、乗車時間は長ければ長いほど良い。当然のことであるが、その時代ごとに、営業距離日本一を誇る高速バス路線が存在した。僕が高速バスに興味を持ち始めた昭和60年頃は、東京と大阪を結ぶ夜行バス、国鉄「ドリーム」号が最長距離路線だった。当時は、全国でも数えるほどしか高速バス路線がなく、時刻表でも、巻末の会社線蘭に玉石混淆、私鉄やローカルバス
【主な乗り物:高速バス「ドリーミントオホーツク」号夜行便、高速バス「白鳥」号】北海道をバスで回った長旅の最後の夜を過ごすのは、前年の平成2年5月に開業したばかりの網走発札幌行き高速バス「ドリーミントオホーツク」号の夜行便である。網走バスターミナルに行くと、白地に赤と青のラインが入った三菱エアロクィーンが建物の横に待機していた。この路線は北海道中央バス・北見バス・網走バスの3社が共同運行しており、この夜の担当は北見バスだった。前もって電話予約をしてある旨を伝えて、窓口で乗車券を買い求める
3月30日土曜日なんば湊町BTから高知駅行のJRバスに乗ります旅の始まりです(・∀・)♬早めに行ったのでローソンのからあげくんと買ってきたおにぎりなど食べて待っていましたバスは時刻通り発車一睡もできないまま7時間ちょっと高知駅に着く時間を考えてか途中のSAで2時間半ほど停車してそれなら発車時刻を遅くしろ!っむかつきましたw3月31日になって朝5時半ころ高知駅に到着♪バスの案内所で洗面をしてちょっと時間つぶしをして去年の秋に撮
長崎自動車(長崎バス)の高速路線バス(長崎市内~長崎空港間「エアポートライナー」を除きます)と言いますと、平成30年11月末の時点では長崎~名古屋線「グラバー号」、長崎~大阪・京都線「オランダ号」、長崎~別府・大分線「サンライト号」を運行しておりまして、名古屋・関西方面へ行きます長距離路線も存在していたほどでもありました。しかし、利用者低迷や昨今から問題となっております乗務員不足もありまして、「グラバー号」は残念ながら廃止となりましたし、「オランダ号」は近鉄バスの単独運行で継続して
いよいよ、出雲大社へ!いよいよ振り返ると素晴らしい〜景色境内には至る所からうさちゃん因幡の白うさぎで知られてるところだもんね。これね。悟空がカーメーハーメーハーってやってる感じの像見えてきましたおーーー!これが夢にまで見た出雲大社じゃー御朱印はシンプル〜友達とイロチで御朱印帳をゲット圧巻です。その一言に尽きる願い叶ってここに立てたことに感謝。ここに稲佐の浜から持ってきた砂を納めて、砂をいただいて帰ります。地元の人に、あらあら白い乾いた砂持ってきたの?海水に浸ってる濡
富士吉田の昭和大学教養部の寮生活も9ヶ月が過ぎた、昭和60年の師走のことである。年内最後の講義が終った翌日の夕方に、僕は年末年始の帰省のために、富士急行線富士吉田駅から、新宿高速バスターミナル行きの「中央高速バス」に乗車した。信州が故郷である僕は、実家への帰省に際して、「中央高速バス」新宿-富士五湖線や、同じく新宿駅へ向かう大学のチャーター便を利用する機会は、殆んどなかった。富士急行線で大月まで出て下り特急「あずさ」に乗るのが一般的な方法であったが、当時、大月に停車する「あずさ」は
日本最長距離バスの歴史を追う、この連載も、今回からようやく高速バスを取り上げられるところまで来た。日本初の高速道路である名神高速道路が昭和39年に開通し、5年後の昭和44年に東名高速道路が開通した。その年の6月に、2つのハイウェイを走破して、東京と関西を結ぶ、初めての夜行高速バスとして登場したのが、国鉄「ドリーム」号である。開業当初は、東京-大阪、東京-名古屋-京都の2系統が運行されていた。当時の時刻表によれば、「ドリーム」1号:東京駅22:30→大阪駅7:30「ドリーム」3
僕が、生まれて初めて九州へ渡ったのは、昭和61年の師走だった。昭和58年に開業していた、大阪と福岡を結ぶ夜行高速バス「ムーンライト」号に乗ったのである。片道の走行距離658.2㎞は、それまで最長だった東京と大阪を結ぶ国鉄「ドリーム」号の574.8kmを抜いて、当時の日本最長路線となっていた。「ドリーム」号は、全国規模のネットワークを持つ国鉄だからこそ運行できた路線だった。当時、長距離を走るバス路線としては、他に、東京と仙台・山形を結ぶ東北急行バスがあったが、こちらは沿線のバス会社が出
シフトを作っている職場のリーダーから、夏休み長くなるよと言われました。大歓迎ですでも、、、どーしましょう(;^_^A今年はマジ溶けてしまうんじゃないかって思うくらい、ι(´Д`υ)アツィー。でも、家でゴロゴロ過ごすのはもったいです。どこに行っても暑いのならムムム…真夏の奈良へ°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°ライトアップやっていて、一度見てみたいなぁと思っていたんです↓なら燈花会(8/5~8/14)古都の夜を灯りで幻想的に彩る。なら燈花会/奈良公園一帯|奈良市観光協会
3月の終わりに、新宿から福岡まで夜行高速バス「はかた号」に乗車したので、その時の乗車記みたいなのを。『富士急ハイランドに行ってきた【2021年3月】』3月の終わりに山梨県の河口湖のほうに行ってきたので、その時の様子を。『河口湖に行ってきた【2021年3月】』3月の終わりに山梨県の河口湖に行ってきたので、…ameblo.jp旅行記:富士急ハイランドに行ってきたの続きとなります。河口湖駅から乗車した特急富士回遊48号を新宿駅で降りて、しばらく時間をつぶしてからバスタ新宿
「パシフィック・ストーリー」という商品がある。別名を「東京・札幌連絡切符」と言う。高速バスとフェリーを乗り継いで東京と北海道を結ぶ割引切符である。その内訳は、東京駅14時00分発・水戸駅15時53分着高速バス「みと」号水戸駅16時14分発・大洗FT(フェリーターミナル)16時40分着路線バス「50系統」大洗FT経由アクアワールド大洗行き大洗FT18時30分発・苫小牧FT翌朝13時30分着商船三井フェリー大洗-苫小牧航路苫小牧FT13時56分発・札幌駅15時45分着高速バス「
僕にとって、北への旅は、圧倒的に夜行利用であった。一人旅ができるようになった大学時代、昭和60年代から平成の初頭にかけては、東北新幹線は開業していたものの、盛岡止まりで使い勝手があまり良くなかったし、航空機は文字通り高嶺の花で、滅多に乗れる代物ではなかった。寝台特急「はくつる」「ゆうづる」「あけぼの」や、夜行急行「八甲田」「津軽」など、僕を東北や北海道への旅にいざなってくれた夜行列車は、名前を思い出すだけでも、その時の車内の雰囲気や、旅の高揚感までがありありと心に蘇ってくる。昭
ぐんま高崎~前橋ぐるぐる歴史&ライブ遠征-その1-1日目:2017年5月9日(火)天気:金山総合駅南口連休取って、群馬県の前橋までTUBEのライブにいってくるから~というと、職場で方々から聴こえてくることばが、名古屋から群馬って、どーやっていくの?ふつうのひとは、東海道新幹線で東京まで行き上越新幹線に乗り換えて高崎で降りるんだよ・・・ふつうのひと、ならね。わたしは「ふつうのひと」ではなく、できれば「寝てるあいだに移動したいひと」なので、路線があれば選択肢は夜行高速バ
2年前、甲府へ近鉄の夜行高速バスを利用したことがある。大阪東梅田から乗車、その時にミネラルウォーターを買わずに乗車した。どこかのSAで休憩があるだろうから、そこで買えばいいと軽く考えていた。梅田を出発し、最後の乗車停留所の京都駅を出発してからの乗務員の案内を聞いた時、唇を噛んだ。乗客の途中の休憩は終点まで一回もない(・∇・)運行管理の法令上、2時間に一回は休憩を挟む必要があるのだが、運転の交代と足回りの点検だけで乗客は途中で休憩することがで
東京の明治通りは、江東区の湾岸にある夢の島から、墨田区、台東区、荒川区、北区、豊島区、新宿区、渋谷区を経由して港区南麻布に至る、総延長約33.3kmの、東京初の環状道路である。僕にとって馴染みが深いのは、西半分の、いわゆる山の手を走る区間である。池袋駅前の雑踏を抜け、目白台地を緩やかにカーブを描きながら下り、我が国でも初期の立体交差として知られる千登世橋の古風なアーチをくぐり抜けて、寄り添ってくる都電荒川線とともに、桜並木に縁取られた神田川を渡るあたりは、都心とは思えないほど潤いのある風景で