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先ずは日本の作品から。「坂の上の雲」ダントツこれです。2020年に松山旅行の際には秋山兄弟生誕地を訪れました。↓『GOTO松山②』松山と言ったら『坂の上の雲』ですが、実を言うと四国に行ったことが無かったので、今回初めて松山の場所を正確に知りました。^^;司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』…ameblo.jpこのオープニングを見ると、当時の日本人の気概が伝わります。【FULL】坂の上の雲オープニング続編(第三部ver.)をアップしました。https://youtu.be/YjsD
秋山真之司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み終わった。飛ばし読みの部分もあるが3度目の通読となった。沢山の資料を調べた著者の努力には驚くばかりである。読後の感想文がわりに、主人公のひとり秋山真之が起草したとされる「連合艦隊解散の辞」を日記に残すことにした。秋山真之は正岡子規とは同年配で二人とも伊予松山城下に生まれ育った。上京して大学予備門に仲良く通っていたが諸般の事情により子規と別れて海軍兵学校に入る。優秀にして首席で卒業し軍人となった。日露戦争の日本海大海戦は東郷平八郎の下の参謀として
むしろ「史実に反するエンタメ狙いのフィクション」ではない、ってところに、ポイントっていうか、問題があるんです。坂の上の雲は、もちろん小説です。松山出身の同世代の二人、正岡子規と秋山真之、それと兄の好古の三人を主人公にして、日露戦争に向かう上り坂の日本の姿を、社会と文化のいろんな側面から多面的に描いていこう、っていう意欲的な小説だったんですが。ところが、司馬遼太郎先生というのは御存知のとおり、徹底的に調べて書く人なんで、だんだん取材成果の発表のほうの比重が増えてきて、特に正岡子規が死んだあとは
✨秋山助六郎✨助六郎ハ余カ長男今茲甲辰征露ノ(すけろくろうはよがちょうなんこんじきのえたつせいろの)役戦死ス行年三十六(えきせんししすきょうねん36)其最後決死ノ際寄する所ノ書左ノ如シ(そのさいごけっしのさいきするところのしょひだりのごとし)続きます…📚💦余カ=よが日露戦争=1904年2月8日〜1905年9月5日にかけて、日本とロシアの間で行われた戦争⚔⚔役戦=『役』は、国が国境を守るために兵士を徴用する兵役戦役的な意味を含めた戦いです⚔⚔また、辺境の地での戦い
✨秋山助六郎✨助六郎ハ余カ長男今茲甲辰征露ノ(すけろくろうはよがちょうなんこんじきのえたつせいろの)役戦死ス行年三十六(えきせんししすきょうねん36)其最後決死ノ際寄する所ノ書左ノ如シ…(そのさいごけっしのさいきするところのしょひだりのごとし)八月三十一日0時後遼陽総攻撃二(8月31日0時ごりょうようそうこうげきに)從事シ同地東方二里ノ敵壘ヲ(じゅうじしどうちひがしかたにりのてきるいを)決死突撃シ名誉ノ戦死ヲ遂く(けっしとつげきしめいよのせんしをとぐ)家門ノ
隣ビルの東急リバブル前で、あるマンションの図面が目に留まった。物件名は、西戸山タワーホームズ。1988年に完成したこの辺りで最初に建てられたタワーマンションだ。いわゆるバブル期の「億ション」ではあるが、僕が購入を考えていた20年前は、6000万弱になっていた。その時で築15年を超え、やや古めの物件だった。それから約20年超たち、今の価格は約1億円。最近でこそ物価が上がったとはいえ、建物は古くなっているわけでそれなのに価格上昇して1億なんて。。前の価格を知っているだけに、
正観さんによると…。すべてがあなたにちょうどいい。父母も子も、夫も妻も兄妹も。上司も部下も友人も。すべてがあなたにちょうどいい。-釈迦の言葉ー会社務めをしている人で、自分の会社の悪口をいう人がいます。悪口というよりは愚痴や文句なのかもしれませんが、「うちの社長はワンマンで怒りっぽくて仕方ない」とか「専務はこうで、部長はこうで、嫌になってしまう」というようなことです。その人の言っていることは、きっと正しいことなのでしょう。その上司や会社は確かにど
今年は一大河ファンとして、今のところ脚本と演出が幼稚であまりにもつまらないため、とても残念な年になりそうだ。だから、書くネタもないので、過去の大河・准大河(※1)を振り返ってみたい。1963幕末(※2)-(※3)20.2(※4)『花の生涯』記念すべき第一作1964忠臣蔵-31.9『赤穂浪士』昭和は忠臣蔵が人気の定番1965戦国-31.2『太閤記』緒形拳さんの秀吉は絶品(たぶん)1966源平-23.5『源義経』1967幕末-19.1『三
「坂の上の雲」は真実ではないゾ‼️乃木大将は立派な将軍だった❗️旅順、乃木希典、という地名人名を知ったのは、「水師営の会見」という軍歌でした。「乃木」と検索すると「乃木坂46」が出てきますが、その乃木坂の淵源が乃木希典であることを知らない人も多いかもしれませんねさて、1番の歌詞ですが、旅順開城約なりて敵の将軍ステッセル乃木大将と会見の所はいずこ水師営旅順要塞陥落後、日露両軍の将軍が「水師営」という場所で会見する、場面を謳ったものです。4番に至ると昨日の敵は今日の友