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半藤さんは、司馬さんに『坂の上の雲』のあとを書いてほしかったんだろうなあと思う。そのあとを書いてほしかった、というよりは、日露戦争勝利で終わっては困るなあ、と半藤さんは思ったのではないか。半藤さんとは、ジャーナリストで歴史作家の半藤一利氏(1930〜2021)であり、司馬さんとは小説『坂の上の雲』を書いた司馬遼太郎氏(1923〜1996)のことである。周知のとおり、日露戦争に大きな犠牲を払って日本はかろうじて勝利した。開国以来、大きな産業もない、40年前までは江戸時代だった小国日本の、
今年(2023年)は一大河ファンとして、今のところ脚本と演出が幼稚であまりにも悲惨なため、とても残念な年になりそうだ。だから、書くネタもないので、過去の大河・准大河(※1)を振り返ってみたい。1963幕末(※2)-(※3)20.2(※4)『花の生涯』記念すべき第一作1964忠臣蔵-31.9『赤穂浪士』昭和は忠臣蔵が人気の定番1965戦国-31.2『太閤記』緒形拳さんの秀吉は絶品(たぶん)1966源平-23.5『源義経』1967幕末-19
「無識の指揮官は殺人犯なり」―この言葉は、日露戦争で活躍した日本海軍の秋山真之が後輩たちに向けて語った言葉です。今BSで「坂の上の雲」が再放送されていまして、久しぶりに思い出しました。秋山真之は、日本海海戦で連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破り、勝利を導いた名参謀としてご存じの方も多いと思います。彼は戦場では指揮官の判断が部下の命を左右する。だからこそ「上官の無知や準備不足で判断を誤ることは、殺人と同じだ」と厳しく教えたと言われています。私がはじめて店長を任された時に「自分にも当てはまめ
スペシャルドラマ『坂の上の雲』を楽しむため『情報戦・日本海海戦-歴史探偵-NHK』について東郷ターンは、想定orアドリブ日本海海戦に至る情報戦(『情報戦・日本海海戦-歴史探偵-NHK』より)結果は完勝だったが、実は無理やりの東郷ターン1905年に対馬沖にて、東郷平八郎司令長官が率いた連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を、あの伝説の”東郷ターン”で見事に打ち破った日本海海戦について、その戦術の見事さがあまりにも強調されていることから、本当にどうだ
こんにちは千葉県民さゆりです昨年かな坂の上の雲というドラマを再放送していましたね私はリアルタイムで放送している時に見ていましたが旦那が昨年毎週、見ていました今回の帰省で坂の上の雲ミュージアムに行ってきました松山市大街道入り口からすぐのところにあります路面電車(旧型)大街道入口坂の上の雲ミュージアム目的はこれ‼️坂の上の雲息子が職場のお土産に買いたいというのでデパートのお土産売り場に行ったのですが売ってなくて調べてみるとミュージアムにあるというので左
東郷平八郎の言葉に感動昨年よりNHKで再放送されているドラマ「坂の上の雲」に今夢中になってますその中で少し感動した言葉があったので忘れないように書き留めておきたいと思います。場面は、日清戦争において自分の命令で部下を死なせてしまったと自信を失っていた秋山真之(本木雅弘さん)が東郷平八郎(渡哲也さん)に質問するシーン。秋山真之「よき指揮官とはなんでしょうか?あしにはようわからんのです。少尉はご自分の出した命令を後悔したことはありませんか?」東郷平八郎「おいも人間じ
こんばんは!胡蝶の夢ですタイトルとは全く関係ないんだけど、何故「胡蝶の夢」と名乗っているのかを急に書こうと思った(こーゆー突拍子もないところが発達障害なのよね…)司馬遼太郎の『胡蝶の夢』に登場する、司馬凌海という人物に共感しちゃったからなの彼は作中で、頭が切れるが偏屈で、周囲とうまく噛み合わない人物として描かれてるなんだか私みたい!って思って私、発達障害なんだけど、彼も絶対にそうだろうなぁって私は彼ほど頭脳明晰でもなければ、彼ほど嫌われてもいなくて、脳みそも嫌われ具合も彼には及ば