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今日は日露戦争に勝つまでの映像作品な「坂の上の雲」です。正岡子規が死ぬまではあまり面白くないし男の話なので女が絡んでも面白くなかったっすね!・内容ガキが3人おった。一人は陸軍、一人は海軍、一人は結核。日露戦争で活躍した兄弟とその周りの話。・感想朝ドラみてえな贅沢な尺の使い方が多くて退屈なシーンが非常に多かったっすね!!あと私は原作未読ですが原作読んだ人間の副音声を聞いたら、なんか戦争関連の詳細は結構省かれてる所多いらしくて、それなら女が絡むつまらねえ所とか正岡子規死ぬまでの所もガ
沙河会戦日露戦争1904年10月9日〜10月20日『宮さま旅団』といわれていた。関院宮載仁親王が旅団長として指揮していた。このひとは明治十四年陸軍幼年学校を出てからはフランスで士官教育と騎兵教育をうけた。サンシール士官学校ソミュール騎兵学校を出てさらに参謀学校を教育と騎兵教育をうけた。晩年、元師になり陸軍の諸要職を歴任したころはまったくの飾りものでさほどの能力のある様子もうかがえなかったがこの日露戦争の沙河後におけるかれの功績は大きい。かれがひ
11月30日。お昼ごはんの鯛めしのあと、消化促進のため、ぶらぶら歩きながら移動、こちらは、秋山好古と秋山真之の兄弟ふたりの生家です。「坂の上の雲」の3人の主人公(秋山好古、秋山真之、正岡子規)のうちのふたり、好古は陸軍に、真之は海軍に、それぞれ軍人となりました。正岡子規の名は教科書に出てきますから、誰でも知っていると思いますが、この、秋山兄弟のことは、教科書には載っていないのではないでしょうか。私は、「坂の上の雲」に出会うまで、この兄弟のことは知りませんでした。そんなのは、私だけ
沙河会戦日露戦争1904年10月9日〜10月20日沙河戦においてロシア軍はその本来の強さをみせた。ロシアが農村からかりだしたその下士官と兵卒は命令に対して忠実であり、とくに陣地戦になると独特の粘着力を発揮した。が、歩哨とか斥候とかいったような任務になると日本軍の下士官・兵のほうが数等まさっているようにおもわれた。機敏に状況の変化を察しさらにそれを確認しときに全体の状況からその変化についての解釈をくだしたりする点は日本兵のほうがすぐれているであろう
沙河会戦日露戦争1904年10月9日〜10月20日『日本の各般指揮官のなかで、秋山さんほど苦労しているひとはない』というのは、のちに好古のもとから長駆してロシア軍の後方攪乱をやったいわゆる永沼挺身隊の水沼秀文中佐がつねにくりかえしいっていたところであった。好古は劣弱な日本騎兵をひきいて、惨澹たる苦労をした。坂の上の雲より⏬️✨️坂の上の雲より✨️⏬️⏬️✨️永沼秀文インターネットより✨️⏬️永沼秀文🌟生誕1866年11月10日🌟江戸幕府陸
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あらためて、明けましておめでとうございます。今年もこのブログのご愛読をよろしくお願いいたします。私は、2009年から2011年の暮れに放送されたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の録画を今でも録画でよく観ます。(昨年にも日曜日の夜に再放送が行われました。)日本海海戦の大勝利・・・そして日露戦争の(実はギリギリの)勝利・・・冷静な判断を積み上げて、国家の存亡を懸けたギリギリの舵取りを、各人が懸命に務め挙げて行ったあの時代から、やがて過信盲信の時代に陥ってしまい、遂には太平洋
沙河会戦日露戦争1904年10月9日〜10月20日⏬️✨️秋山好古インターネットより✨️⏬️好古の支隊は主力をもって黒溝台に進出したえず捜索隊を北方に出していたが十一日ごろから激戦期に入った。支隊はたえず優勢な敵に圧迫され、ときに敵の得意の騎兵団が嵐のようにやってきては支隊を潰そうとした。好古の戦術はこの嵐に堪えられるだけ堪えてそれが吹きすぎたあと尺取り虫のようにしてつぎの拠点にうつるという式であった。嵐に堪える方法は騎兵たちに騎兵であることを
ずっしりと横綱級の鏡餅坂の上の雲のように、棚に上げられた鏡餅はありがたい。生活あれば行事あり、行事あれば祭あり、祭ありて楽もある。地上のものは、雲上ものにあこがれて、悲しいほどの急坂を、のぼるノルマを繰り返すのか。
遼陽会戦日露戦争1904年8月24日〜9月4日⏬️✨️秋山好古インターネットより✨️⏬️義経の作戦は、天才のみがなしうる作戦であった。あの場合、敵の平家の大軍はいまの神戸市にいた。神戸はノコギリの刃のような山波が海にせまっていてその山と海のあいだに土地がある。土地は東西にほそながい。そこに平家の主力軍が東西の縦陣地をつくっている。東がアタマで、西がショボであった。瀬氏の主力軍の大将は義経の兄範頼であった。範頼は、東から攻めた。東が正面であり、平
皆様おはようございます(AI画像作成)お友達の投稿したセキセイインコの写真をLINEで見たので頭の上に乗せてみました(笑)今年、最後のブログです。たまたま日曜日からNHKラジオで聞いている番組について。朗読司馬遼太郎の「昭和という国家」、とても興味深いです。検索すると8月にも放送されたようです。松重豊が読む、司馬遼太郎「昭和という国家」第1回-朗読朗読特集として、作家・司馬遼太郎の作品「昭和という国家」をお送りします。俳優・松重豊さんの語りでご堪能ください。5回シリーズの
【11/23】時は変わって、勤労感謝の日。いやいや、それは戦後の…の事情の中で名づけられたもので、本来は、「新嘗祭」だってば。そんな日に、府中の大國魂神社を初訪問です。大國魂神社といえば、くらやみ祭りが有名というのは知っているのですが、まだ見たことはないどころか、来たことすらなかったという…入り口の提灯群はなかなか華やかですが、一歩境内にはいると、そこは落ち着いた神社でした。いいね、この落ち着いた色合いが。御朱印はこちら。武蔵の紙という和紙に書かれ
お約束となるとどこなんだろねー。と言うとこれだよねじゃーん!テレビでやってたやつってこういうことかー。混雑する前にやっておこなるほどー。当たり前だけど、品種でこれほど違うんだー。後ろから来たお客さんは案の定、カメラをセットして動画撮影してました。やりたくなる気持ちもわからんでもない。次は坂の上の雲ミュージアム安藤忠雄さんのやつ。なるほどねー。面白いねー。これもまた、なるほどなー。そうなるよなー。萬翠荘。小洒落てますなー行ってみましょ。これは何かの撮影でも使えそうだ。と、思っ
年末最後の会なのか、選曲はKさん好みの柔らかいものからスタンダードものまで硬軟取り揃えたラインアップとなりましたのっけからザ・ピーナッツが出てきました!「可愛い花」懐かしい~これが出ると、シャボン玉ホリディですね!ちょっといやいいっぱい古いね今聞いてもよくハモッテいるなー続いて、青江三奈が登場ご存じ「伊勢佐木町ブルース」演歌はありません!NYでの録音はジャズナンバーに~~次は私好みの、ひちりきの東儀秀樹この人器用なんです、ピアノ、ドラム等の本人
遼陽会戦日露戦争1904年8月24日〜9月4日遼陽会戦における秋山好古の騎兵旅団の役割は日本軍主力の左翼に位置して軍の運動とともにすすみその左側を掩護するにあった。『ミシチェンコが出てくる』ということが日本軍の頭痛のたねであった。ミシチェンコのことはすでにのべた。コサック騎兵集団の長の名前である。もし遼陽へすすむ日本軍主力がその延びきった行軍隊形を横撃されてしまえば潰乱するほかない。このふせぎを、好古にうけもたせた。(騎兵のつかい方を知らない)
レガーロ【うた声の輪ハーモニー】12月15日(月)の本番の演奏動画公開いたしました“うた声の輪”クリスマスミニコンサート付イベント内にてStandAlone坂の上の雲より合唱うた声の輪ハーモニー指揮周藤容子ピアノ松尾典子あたたかく美しいハーモニー言葉の表現などにも気を配って歌いました演奏が終わった時メンバーさんからの「楽しかった~」「良い曲ですね」一番うれしい声が聞けました2025年も楽しく一緒に歌いましょう
11月30日。道後温泉駅から、路面電車に乗って出発です。お城が大好きな夫が大喜び、松山城。子どもの頃、父の転勤で広島に、6年少し、住みました。その頃、広島に訪ねて来る関東のお客様には、だいたい泊数に合わせた我が家なりの観光コースが決まっていたと思います。1日目は、広島市内の平和記念公園、原爆ドーム、資料館、それから広電で宮島口、フェリーで宮島。2日目は朝早くに家を出て山口まで足を伸ばして秋芳洞、秋吉台、そして錦帯橋。これらがメインコースだったと思います。日曜日や祝日があたった時に
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』のテーマソング、『StandAlone』を演奏してくださったのは、Kさんご夫妻久石譲作曲の、壮大なスケール感で、ドラマティックに盛り上がるサウンドを、素敵に奏でてくださいました高音も多かったし、三連符、そして転調等、苦労する部分もありましたが、たくさん努力を重ね、一つずつクリア、本番では、綺麗なハーモニーでした毎年、ご夫婦でデュエット、来年もデュエットにしようかな、それとも、初のソロにしようかな、悩むところではありますが、これからも仲良く頑張ってくださ
黒溝台(こっこうだい)🌟日露戦争中の1905年1月25日〜1月29日⏬️✨️秋山好古インターネットより✨️⏬️『臨時立見軍』の各師団が軍としての連繫活動を開始したのは二十八日朝になってからである。中核である立見の弘前師団の左右に各師団が併進しとくに最右翼をすすむ名古屋師団(第三)のうち歩兵第十八連隊(豊橋)が躍進して秋山支隊の拠点のひとつである啞叭台に進出し同拠点を包囲中の敵二個連隊を撃退したのが成功の皮切りになったさらに砲兵第十三連隊は秋山支隊
フランス式馬術からドイツ式馬術に❓️⏬️✨️秋山好古インターネットより✨️⏬️『秋山大尉。きみは伊予松山だったな』と記憶のいいところをみせた。好古は、この社会でいう不動の姿勢をとった。騎兵ズボンの腰がはちきれるほどに肉がつきはじめている。『申しあげたい結論は馬術という一点においてはドイツ式が欧州馬術界の定評になるほどに欠陥がありフランス乗馬術がきわめて優越性に富んでいるということであります』といった。こういう、結論から意見を出発させてゆくという方式もメッ
少数派シリーズ/暮らしどうして上司はアホばかりなのか?藤原和博著「坂の上の坂」から知る❗ベストセラーになった藤原和博著の「坂の上の坂」からの紹介です。ご存じのように、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」は有名です。明治維新から日露戦争までの、日本人の心意気を描いた作品です。しかし藤原和博氏は、明治の頃と異なり現在は寿命が延びたので、坂を登り切った上には「まだなお坂(老後)がある」と想定した著書です。50代のうちから、長く続く“坂の上の坂”のためにやるべきことと姿勢を著書で述べています。中年以降の方
お越しくださってありがとうございます。これまでに4度の転職を繰り返しながらも、まだ現役エンジニアを続けてます。今年高齢者の仲間入りし、厚生年金と基礎年金とををいただき始めました。今年から在職老齢年金の年金停止が無くなった週4日勤務(基本在宅勤務です)での生活とか、日々の出来事とかを気ままに綴ってるブログです。4度の転職記事はこちら苦手ですずっと昔から不得意科目だった歴史。歴史の授業は何度聞いても、教科書は何度読んでも、さっぱり頭の中に入ってきませんでした。なんと、
フランス式馬術からドイツ式馬術に❓️むろん、日本を出るときからこれは覚悟していたが正式に公示されてみるとやはり好古としては動せざるをえない馬術は、フランス式とドイツ式ではまるでちがうのである第一、これをきいたフランス軍人はことごとくこの日本の措置を不愉快がった『日本人はよくない』と露骨に好古にいう士官学校教育もいたし日本人は恩を知らないのではないか、という者もいた『あんなものは馬術ではない』とかれはいったい『秋山もパリをすててベルリンにゆきたいので
フランス式馬術からドイツ式馬術に❓️⏬️✨️秋山好古インターネットより✨️⏬️好古に課せられた多くの事柄のなかにフランス風馬術の真髄を身につけて、帰国後日本人たちに教えねばならぬということがあったそれを、励んだところが滞仏中に日本陸軍がフランス式からドイツ式に切りかえるという旨の公示が正式に発せられた坂の上の雲よりフランスの馬術は日本固有の大坪流などと同様騎手の姿勢や反動の殺ぎかたは馬の運動のリズムに行おうとしているきわめて柔軟であることを本則として
やっと「その3」ですが・・・。まだ1日目の14時15分頃の話ですどうぞお付き合いくださいませ。(いや、めんどくさいと思う方はスルーで~)「しまなみ来島海峡遊覧船」に乗りたくて、よしうみいきいき館に行きたいんですけど・・・」と、出口の方に伝えます。ETCだったら、多分料金取られてしまったのでしょうが、出口にいた方が話しを聞いてくださいまして、調べてくださいました。そして・・・。「一旦高速から出て、Uターンして入ってきてください。バーの所に人がいるので、こ
桶狭間會戰ノ研究『しかし過去の例でいえば先刻の四人しかいないというお説は訂正していただかねばなりませんな先生の博学は有名ですが日本のことはご存じない世界に六人いるとおっしゃるべきでしょう』『つまり日本人を二人加えろというのかねたれとたれだ』好古は、源義経と織田信長の二人をあげ、義経の鵯越と屋島における戦法を説明し織田信長については桶狭間合戦を語った老教官はおどろき何度もうなずき、以後六人ということにしよう、といった坂の上の雲より⏬️✨️織田信長インタ
『しかし過去の例でいえば先刻の四人しかいないというお説は訂正していただかねばなりませんな先生の博学は有名ですが日本のことはご存じない世界に六人いるとおっしゃるべきでしょう』『つまり日本人を二人加えろというのかねたれとたれだ』好古は、源義経と織田信長の二人をあげ、義経の鵯越と屋島における戦法を説明し織田信長については桶狭間合戦を語った老教官はおどろき何度もうなずき、以後六人ということにしよう、といった坂の上の雲より⏬️✨️織田信長インターネットより✨️⏬
【9/198日目①】いや~やばいやばい。早くレポ書かないと、2年前の記事になってしまう~ということで、早々に…(爆目を覚ましたのは、とある島の道の駅。道路でつながっているから、離島ではなく島。そろそろ復路なのだ。明確に往復してるわけではないので、どこがターニングポイントなのかはわからないけど、四国から出るということは、明確に家に向かうということなので、復路には間違いないのだ。まだ愛媛県だけど。でもまあ、まだ時間はあるので、島内散策!だって、島に着いてしたことは、
『しかし過去の例でいえば先刻の四人しかいないというお説は訂正していただかねばなりませんな先生の博学は有名ですが日本のことはご存じない世界に六人いるとおっしゃるべきでしょう』『つまり日本人を二人加えろというのかねたれとたれだ』好古は、源義経と織田信長の二人をあげ、義経の鵯越と屋島における戦法を説明し織田信長については桶狭間合戦を語った老教官はおどろき何度もうなずき、以後六人ということにしよう、といった坂の上の雲より⏬️✨️源義径インターネットより✨️⏬️
先週末に学生時代の友人3人と横須賀に出かけました。京急の横須賀中央駅に九時半に集合。朝は時間がなかったので、休日にしては少し短めの15キロ走りました。最初の目的地は猿島です。フェリーで片道10分ほど。往復の乗船券と入園料で2000円。フェリーの乗客は200人くらい?猿島は無人島。ガイドツアーに申し込みました。1時間のアドバンスツアー。一人500円ガイドさんに「今日は、週末にしては人が少なくて、皆さんラッキーですよ」と言われまし