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磨崖仏三重県の芸濃地区楠原西部山中にある「石山観音磨崖仏群」は日本各地に残された磨崖仏の中でも比類なき美しさと規模の大きさを誇っています。石山の巨岩には阿弥陀如来・地蔵菩薩・西国33ケ所観音など、約40体の仏像を半肉彫りに刻み出しているのは県下にその例を見ない壮観さがあります。ひらがなの俳句川柳短歌磨崖仏苔むす顔に冬の陽や磨崖仏時を超え見守る冬の風静かなり岩に刻まれし磨崖仏祈りの声は谷へ消えゆく千年の風雪しのぶ磨崖仏★猫丸くコタツの中
面白い庚申塔などをたくさん拝見してからお参りさせていただきます左手に二十二夜念佛供養塔です宝篋印塔型は珍しい願文なのかな?と思い調べてみましたらこれは回向文でした↓天台宗ホームページよりそのおそばのお地蔵様は室町仏に見えます耳が大きく厚みがあります微笑んで宝珠を持っているようですね!陽当たりのよいところでまどろむような如意輪観音様も居ました本堂の左に薬師如来堂があります何か仏像でも?と思ったらびっくり石仏がこんなに綺麗に雛壇に高く整列している
草津に戻ってきました〜〜!!渋峠から戻ってくると草津って暖かいっすわ!!草津でワタシが観光したかったのはコチラ。「西の河原公園」です╰(*´︶`*)╯♡手洗乃湯♨️草津温泉の最西端にあることからこの名前がついたとされている「西の河原公園」は、付近一体が上信越高原国立公園に指定され、一番奥には草津三湯のひとつである大露天風呂があります。とても不思議な色。表面の一部が緑色の石。その正体はガルディエリアという藻の一種です。他の生物が生きられない環境でどんどん増え、金属を集めるという珍
雨の日のお散歩2日目。。天気予報を見ると23日頃までず~っと雨秋雨って言葉が有るぐらいですから、雨が多いのも仕方ないのですが今年は台風が来るのが遅かったせいか・・なんだか、これからまだ来るみたいですね台風21号の名前は《嵐》と書いてランと読むそうです。。さて、、私の好みなのですが・・雨の日のお散歩は、お寺が良いですなので、今日は大阪十三佛霊場の満願を目指して八尾市に有る常光寺(じょうこうじ)にやってまいりました山門(仁王門)立派な仁王様河内音頭の石
あれは夏ごろのことでしょうか。抜け道のような民家が並ぶ道路を歩いていた時のことです。ふと目にすると祠に地蔵菩薩が祀られていたので、立ち止まって手を合わせました。そして、その日の予定を済ませて家に帰ったのですが、起きているときは何も起こりませんでした。夜になって布団に入り、彼女が眠りについたと思うと、男性の話し方をする霊が現れます。わしを呼んだよないきなり、私に話しかけてきます。いや、呼んでないけど。。お前が手を合
⭐️今朝、一回お経を上げたら🙏初戦か…私、15分しか参加しなかったし星も落ち着いて描けなかった💧あの時に自分が描いて貼った星を辿り直してみよう。白い紙のイメージだったので、そこにズーンと重みを入れてみました。ズーーン重く重く。磁石星🪨の蓋。めり込め。あの時は描けなかった東北にも挑戦してみましたが、やっぱりズレる💦なんで💢青森と岩手の海っぺりだけは描きました。ド素人の想像でも、その後のお経も真言もヘタれて唱えられず本日終了空逆五芒星の結界破りがド素人のチリ積ならさ、
先祖供養をきちんとしているのに,家に問題ばかり起こる,という家は,水子が騒いでいることが多い。霊的な力が全くない人のなかには,水子は祟らないという人もいるが,とんでもない話である。水子は,中絶された時から,中有という世界に入り,そのままでは転生の機会を失うことになる。ようは,きちんと供養をしてあげないと,生まれ変われない状態になってしまうのである。故に,何もしなければ怨霊化することが多い。当然である。人工的に堕胎することは,霊の世界では,殺人行為と同じである。その罪は非常に重く,その
①地蔵三経のち《地蔵菩薩本願経》《占察善悪業報経》は中国に!おいて既に「偽経」とサレテおり《大乗大集地蔵十界軽》も〝方便のオシエ”であり[釈尊の本意]でも[真実のオシエ]でもアリませんさらには日本における〈地蔵信仰〉の〝もと”なっている《地蔵菩薩蕯発心因縁十王経》《延命地蔵菩薩経》も偽経と断定!サレテます②このように【地蔵信仰】は《偽経&方便経》を〝出所”として〝仏教”を装ってるがその実体は〈仏教〉とマーータク掛け離れた《低欲なモノ》でアリます③近年【流産・事故】で子
●愛宕権現(あたごごんげん)(※画像はwikipediaより)権現とは、菩薩が姿を変えた尊へ送る日本特有の神号で、その一尊である愛宕権現は、敵軍調伏の境地を持つ地蔵菩薩とされた神。故に、別名を「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」。発祥は、一説であるが、白山修験の開祖たる泰澄(たいちょう)と役小角が、共に山城国の愛宕山に登った際に、大雷鳴の後に龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・富楼那尊者(ふるなそんじゃ)・毘沙門天・愛染明王と共に現れた地蔵菩薩が、天下万民の救済を誓った際の姿
寺院を参拝すると、それぞれ、その寺院しか持ちえない特有の雰囲気(個性)を感じます。その雰囲気については、祀られている仏像や仏堂の形状や色合い、香の種類、鐘の音色、参拝客の質、掃除の行き届き具合、お坊さんの読経や所作など、様々な要素が組み合わされて形成されるもので、そして、しっかりと「僧侶によるお勤め」や「信者によるお祈り」がされている寺院の雰囲気というのはどこか何かが違います。さらに言えば、霊的なものを感じさせるような雰囲気(何らかの仕掛け、あるいは、実際に霊魂なるものが飛び交っているのかもし
19尊目。●地蔵菩薩(じぞうぼさつ)(※画像は文化遺産オンラインより)(長野県上伊那郡辰野町の七蔵寺所蔵「木造地蔵菩薩座像」)インド名は「クシティガルバ」。訳すると『大地の母(蔵)』。無限のものを蔵する大地の母胎という意味になる。釈迦入滅から弥勒菩薩が世を救うため現れるとされる56億7000万年後までの間、六道全ての人々を救い悟りの世界に導くのを担っているとされる。地獄を支配する十人の王を支配する者であるとか、閻魔大王が姿を変えたものだともされる。日本では平安時代か
「お地蔵様」の正体は“閻魔大王”!?意外すぎる事実と誕生・伝来の秘話(週刊女性PRIME)のコメント一覧-Yahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/887491adb3a7af76b22fb24eaf991f054d0bbc42/comments大学の学長でもあり、お寺さんの住職を兼ねておられる方がこのような荒唐無稽な説、「嘘」を公のメディア媒体を使って発信するという……大変罰当たりな所業です。多くの人は、【大層な肩書】に騙されます。例
①から続きです。送っていただいた東林院の事務員さんにお礼の納札をお渡しし、帰られるのを見送ってから四国1番前札所と言われる十輪寺を参拝しました。本堂の御本尊は地蔵菩薩です。足場が組まれていて、何かしらの工事が行なわれるみたいです。基本的に無人なので、読経のあと本堂入口の脇にある納札入れの上に置いてあった書き置きの納経印を頂こうとしたら、お寺を管理しておられる方が偶々居られて、直書きの納経印を頂けるという幸運に恵まれました。十輪寺の解説冊子も頂きました。十輪寺から20分ほど歩いて、1番
令和6年1月10日令和6年日野七福神めぐり、毘沙門天安養寺の次に川辺堀之内地区の延命寺を訪問致しました。寿老人(寿老尊)をお祀りしている真言宗の寺院です。延命寺の山門と言うか、入り口ですね。延命寺(えんめいじ)山号:有王山院号:地蔵院寺号:延命寺宗派:真言宗智山派ご本尊:地蔵菩薩座像札所:多摩八十八箇所霊場八十三番札所日野七福神:寿老人境内からまず目に付いたのが。立派な庫裡そして板碑--------------
おはようございます☆昨日も猛暑の中、御参拝いただき、絵解きをさせていただけることがありがたく、感謝しておりますm(__)m今日は『三途の川』のお話しです。死天山(死出の山・針の山)を越えた先に、この世とあの世の境となる『三途の川』があります。三途の川は、この世での行いによって三通りの渡り方があるので『三途の川』と呼ばれ『三つ瀬川』や『葬頭川』とも表記されます。三途の川の橋渡し熊野観心十界曼荼羅より①有橋渡(うきょうと)善人は地蔵菩薩が橋を架けてくれて橋の上を渡ることができます。
橋本駅前の商店街通りを歩き、分岐する道で左の道を行ったのですが、右側の道の方は、道に挟まれた存在感のある家が珍しかったです。道の突き当りに見えていた建物は、小林家住宅主屋で、国登録有形文化財の建物でした。入母屋造の主屋は、江戸時代末期のもので、橋本市に残る数少ない町屋です。犬矢来(いぬやらい)が京都の町屋の雰囲気ですね私有物につき、普段の建物内見学は行っていないそうです。「暑い暑い」と言いながら、夫が先ゆく後を歩いて行きました。小林家住宅の土塀が続
●焔摩天/閻魔天(えんまてん)(※画像はwikipediaから)密教に於ける天部の一神で十二天として南を守護する。元は、インドの古代神話の光明神「ヤーマ」で、それに漢字を当て嵌め焔摩/閻魔/夜摩とした。ヤーマには一対を為すという意味があり、双王とも訳されるため、ヤーミーという妹と双子であるとも言われる。インド神話『リグ・ヴェーダ』では、ヤーマとヤーミーは人間の祖であり、この二人が近親婚した結果、最初の人類が誕生したとしている。また、ヤマは人類最初の死者であると
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります国道480号沿いの湯浅警察署二川駐在所の南側の有田川に架かる橋を渡って突き当たりを左(南。右側に休校中の有田川町立白馬中学校)に曲がって、ひたすら道なりに行きます。三瀬川地区を過ぎると林道三瀬川清水線の入口があり、そのまま林道(道端狭くなりますが、路面は舗装されています。落石に注意⚠️)をひたすら道なりに行くと左側に五社山地蔵の辻があります五社山地蔵の辻『境内由緒書』『紀伊続風土記』より旧在田郡山保田荘三瀬川村にあり
●宝印手菩薩(ほういんしゅぼさつ)(※画像は「仏教珍籍刊行会」発刊『新纂仏像図鑑.地之巻』より)梵名は「阿羅怛那波尼(あらたんなはに)」。密号は「執契金剛」、または「執持金剛」。印可決定(いんかけつじょう)の義にして、この菩薩の大悲手を以って一切衆生を救えば、決定して菩提を證する徳を生ずる故に名づく。「清浄無垢地蔵」・「持地地蔵」に該当する。六地蔵尊の中の一尊で、胎蔵界曼荼羅は地蔵院の第三位に住す。秘蔵記には「肉色にして左手に蓮華を持ち、上に一股跋折羅あり、
阿弥陀様、本当に本当に、ありがとうございます。九八さん、ゆみさん、奏ちゃん、つきこさん、声聞衆の皆さま、本当に本当に、ありがとうございます。皆さんの光がお手本と成り、「絶対に漏らさない」とお救い、引き上げて頂いてます。今朝、太陽の陽射しを受け、涙と声が溢れ出す、大浄化起きました。少し落ち着いた所でリブログした方々の更新を読んだら読んでる途中でも、また泣けて泣けて、どうしようもなく泣けてます。「ありがとうございます」が自然と言葉となって出てきます。奏ちゃんが言っている通り、自
こんばんは。四条通沿い、四条大橋から南座側を八坂神社の方向へ歩き、一本目の大和大路通との交差点を少し過ぎたところに仲源寺があります。みやげ物店や飲食店などが並ぶ中にお寺があり、うっかりすると通り過ぎてしまいますが。「目疾地蔵」の通称で知られている浄土宗の寺院です。平安時代後期の治安2年(1022年)、寄木造技法の完成者とされる仏師、定朝(?~1057)が四条橋の北東に地蔵菩薩を祀ったことがお寺の由来とされています。その後、安貞2年(1228年)に鴨川が氾濫、洪水
我家の祭壇チョッピリ手狭になってましたのでぇ~年末に増設する予定でしたがぁ~本日ご覧の通りぃ~気持ちだけぇ~増設したしましたぁ~!!これからもぉ~朝・夜確りとぉ~お勤めしていかないとですねぇ~!!
この国宝仏について触れる前に、先ずは2点....。一つ目は...お彼岸を一週間間違っておりました(笑)...。何とも格好の悪い話です(笑)。まあ、先日アップした海神念仏堂の記事は...単純ミスっつー事でお許し頂きたい(笑)。私にとっては、良うある事ですわ。ちょい早めの参拝っちゅう事で...阿弥陀さんも、戊辰の戦死者達もお許し頂けると思います...。戒めのため、記事はあのままにしておきます。皆懺悔🙏二つ目は...先日募金させて頂いた、比叡山の【ウクライナ人道危機救援募金
●宝處菩薩(ほうしょぼさつ)(※画像は「仏教珍籍刊行会」発刊『新纂仏像図鑑.地之巻』より)梵名は「阿羅怛曩羯洛(あらたんのうきゃら)」。別名は「宝光」、「宝光明」、「宝作」など。密号は「詳瑞金剛」。大疏に曰く「宝處とは宝の海より生ずるが如く、彼の処より生ずるが故に宝處と名くるなり」と。「大光明地蔵」・「宝印地蔵」に該当する。六地蔵尊の中の一尊で、胎蔵界曼荼羅は地蔵院の第四位に住す。左手の蓮上に三股を建て、右手は与願にして膝の上に置き、赤蓮に座す。=====
こんばんは。5年ぶりに大原にやってきました。バス停を降りると、東の三千院を先に行こうか、西の寂光院を先に行こうか迷いますが、今回は先に寂光院でした。バス停から西へ約1.3kmほど、道が整備されていて、途中に「寂光院」と書かれた、矢印の看板がいくつかあり、迷うことなく山門にたどり着きます。山門を入り、右手の受付で600円の拝観料を志納し、ご朱印もここで受け付けています。まずは本堂へ、2000年(平成12年)に本堂が放火によって焼失し、現在の本堂は2005年に再建され
神秘の神社三つの日本一・権現造社殿・内部極彩色白檀塗・自然石参道大神山神社奥宮(撮影日2023・8・21)大神山神社(おおがみやまじんじゃ)鳥取県にある神社である。式内社、伯耆国二宮で、旧社格は国幣小社。伯耆大山山麓(米子市)の本社と山腹(西伯郡大山町)の奥宮とがある。今回は大山寺と一緒にお参りするので、奥宮の案内になります!それでは大山寺と大神山神社奥宮を目指して登って行きましょう。この真っすぐな長い参道は、大山寺の山門につながっています!今回は車で手前の駐車場まで車で
目指すは「石円空」祈りの彫刻家土屋誠一彫刻家-土屋誠一静岡県島田市在住立体的で精神的な作品に憧れ手彫りの彫刻を始める。精神的な世界観を持つ地蔵に惹かれて石地蔵を中心とした制作活動に至る。目指すは石円空!◇手彫り石地蔵制作販売「注文制作OK]◇可愛いお地蔵さん「手元供養」「先祖供養」他寺院や街中のお堂などで良く見かけるかけることが多いお地蔵さん。正式には「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」と呼ばれる。釈迦の入減後、弥勅菩薩(みくろぼさつ)がこの世に現れるまでの間、人々を
昨日より寒行に入りました。21日間ですが、結集のお寺の星祭まで昨年から続けています。このようなブログに書くような内容ではないかもしれませんが、記録の意味も込めてさせて頂きます。古来より寒中の練習や稽古は常よりも所得がある、と言われています。信仰についても同様で各宗派で昔より寒行はされています。各宗派は私に言わせれば語弊があってあくまで個人の信仰に依るものであるのが大切です。信仰は自分の心と神仏の世界なのが基本です。現世は人間世界なので一宗一派による規律もありますが、明治以前は現在の
ようこそいらっしゃいました!のせでんハイキングを終え、次にやってきたのは清和源氏ゆかりの寺院頼光寺さん紅葉の季節は紅葉で埋め尽くされ、空も見えませんが、今は綺麗に見えています。この時期は新しい生命が来たるべき時に向けて力を蓄えています。地蔵菩薩さんを祀る本殿願王殿畦野駅から乗った列車はミャクミャク号阪急に乗り換え梅田へ車止めもお正月モードですね。この投稿がアップされる頃には、通常の鉢植えに戻るのかな?いつもありがとうございます!
こんばんは!今日は、半端な雨のため出かけるのを断念しようと思いましたが、夕方になり一瞬晴れ間が見えましたので、母から頼まれたものを買いに出かけました。歩いていると、北千住には神社、寺がかなりあることに気がつきます。私的な意見ですが、千住宿は、南千住・北千住とわかれますが、日光街道の最初の宿で江戸時代には、かなり栄えたと思います。南千住側には、吉原という遊びがあり、それなりの仁義も格調があったと聞き、歴史的に有名で前のブログにも書きましたが、浄閑寺などもあり、語られる事は多く、