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年が明けて2週間ほどが経過しようとしています。広島から千葉に戻ってもうそんなに経つのかと、驚きしかありません。さて今回は、現在の広島県佐伯区(旧佐伯郡五日市町)にあった城、海老山(かいろうやま)城です。「えび」って読みたくなるんですが、「かいろう」だそうです。海老山城跡は現在、海老山公園となっていて、五日市駅南口から徒歩7~8分程度で行くことができます。五日市駅南口。JR西日本の山陽本線と広島電鉄の宮島線が乗り入れています。駅舎はJR西日本の駅と広島電鉄の駅が一体化していて、乗り換
簗場山城(倉敷市船穂町柳井原)『備中府志』には城主として横溝五忠允の名を挙げている。この城を鴨方(鴨山城)の砦とした上で、横溝氏が代々武功を成したことを記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第2冊備中編より)南の学校跡校庭跡謎の熊の像稲荷社主郭の南東土塁主郭主郭の西土塁西二郭西二郭南帯曲輪?のような墓地簗場山城遠望軌跡ログ倉敷市の城
久保城(岡山市北区御津紙工)別名:岡山市0008浄源庵の建立が伝わる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)大森八幡神社墓地となった南西三郭?南西二郭(浄源庵跡)南西二郭からの南帯曲輪南西二郭からの北帯曲輪主郭南西下段主郭北東上段北東堀切主郭の北東土塁北東堀切からの南竪堀北東堀切からの北竪堀主郭北腰曲輪上段主郭北腰曲輪中段主郭北腰曲輪下段久保城遠望軌跡ログ旧御津郡御津町の城
小松城(真庭市上水田字小松)『備中誌』は、小松内大臣重盛の部下もしくは庄一族の室氏が代々居城したと記載する。このうち、室氏は庄氏が北房に進出する以前からこの地を治めていた地頭であると『北房町史』は記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第2冊備中編より)北西三郭(曲輪Ⅲ)北二郭北西腰曲輪北二郭西帯曲輪北二郭北帯曲輪北二郭(曲輪Ⅱ)北二郭の南西土塁北二郭の南東土塁主郭南二重堀切(北)南二重堀切(南)小松城遠望軌跡ログ旧上房郡北房町の城
玉造要害山城(松江市玉湯町)出雲守護佐々木泰清の子息頼清が湯荘に入り湯氏を称した。城は湯秀貞によって築かれたとされる。大内氏が出雲に侵攻した際には湯氏は忌部まで案内しているが、毛利氏が侵攻した際には尼子清として働き戦った。やがて毛利氏が玉造要害山の尾根筋や周囲に陣城を築いたため、湯氏は毛利氏に降伏した。尼子家復興戦は失敗し、従軍した湯永綱は討死し、嫡子新十郎は出雲を離れ姓を亀井と改めた。後に新十郎茲矩は羽柴秀吉や徳川家康に属し戦功をあげ、関ヶ原の戦いで東軍に属し鹿野城(鳥取県鳥取市鹿野町)三
奈良県御所市大和・佐味城(さびじょう)佐味城は全国的に見てもかなり珍しい、特異な縄張を持った城として知られている。築城者や築城年など佐味城に関する詳細はいまだにはっきりしておらず、永禄10年(1567)に畠山氏と根来衆が攻めた幸田城、あるいは木沢長政が築いたとされる琵琶尾城に比定する説があるが、これらについても確たる証拠がありません。佐味城の縄張りは金剛山から東へ広がる尾根を大きく削平し、東へ広がる尾根の一つに築かれている。大和国に限らず全国的に見ても一風変わった縄張りを持つのが
いらっしゃいませ。Mackenの神社仏閣訪問記。今回神社ではないのですが3月太宰府天満宮の梅観に行けなかったので4月の桜は水城(みずき)で観ました。九州自動車道の太宰府インター下りてすぐにあります。太宰府市都府楼大野城市基山町筑紫野市そして水城歴史が地名として残る土地は全国に多いですが古代からの地名をいろんな世代の人々が呼び親しんできたという事に思いを巡らせると何か胸に込み上げるものがあります。年を重ねてか
1月25日(土)今日は、別府公民館・地域学講座の日でした。講師は中世城郭研究家・木内内則(きうちただのり)氏。◇テーマはメジャー測量から見た三木城攻め昨年12月、松風ギャラリーの「中世播磨の城復元図展」にてお会いし、今年になって初めてお会いする木内内則氏。会場に入る前にロビーでバッタリ、笑顔でハイタッチの再会でした。講義に入る前に木内氏のお話を聴くのが初めてという人のためにこの研究を始めたサワリを話されました。その話は、何度も聴いていたので、いつ核