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鉄道の中でも、やっぱりJR飯田線は別格、大好きです。あのど田舎の山を貫く地方交通線なのに全然電化されてるし、秘境駅たくさんあるし駅の数めちゃあるし…ただ、全区間をぶっ続けで乗ると片道6時間くらいかかるので大阪からは泊まらないと無理😂今回は小手調べ、愛知県の二大古戦場w長篠の戦いで有名な長篠城に。まず、コミュニティバスのバス停。長篠城は建物はないがお堀はありますな。本丸もただの土塁に。2017年開通の新東名が背後にある。これは資料館。んで、これがお城。んな
昨日は、栃木県市貝町にある「観音山梅の里」に行ってきました。村上城という山城跡にある梅園です。木が低い位置にあるので、梅の花が目の前で見られます。とてもきれいですねふっくらとしたつぼみも可愛らしい🥰山城跡なので、こんなところもありますクマ騒動があってから、山には全然行ってないので、こんな階段は久しぶりに登ります白寿観音像神々しいですね千手観音堂に寄ってから山頂を目指しました。山頂にとうちゃ〜く🗻ぐるっと空堀があります。すごい〜さすが山城跡ですね🏯山頂の梅もとってもきれ
群馬県大泉町立北中学校城之内剣道錬成会城之内とは、城の内秀吉の小田原攻めの時期、落城。小泉城三の丸に、町立北中学校右が本丸跡橋を渡って本丸跡本丸跡から北中学校グランド、選手が歩いてます。兵どもが夢の跡土塁昨日の長ネギの播種した育苗箱は保温して発芽を促進します。しばらく、目が離せません。
河津桜が咲く松ヶ埼城跡へ。土塁と桜が楽しめる幸せいっぱいの場所。こんなににぎわっているとは。「幸せ絶好調」とか言いながら、写真を撮る人々。桜を見るのも嬉しいですが、嬉しそうな人々を見るのもお花見の醍醐味です。帰り道、大堀川レクリエーション公園に謎の土盛り発見。その東、あけぼの三丁目の野馬土手の下を通り、二重土手?土手見も楽しいです。桜の春が始まっています。
④嵩山・空池彷徨い下山編自然歩道へ戻り、左右の原生林を覗きながら、アレコレと山遊びの事を思い描きながら、峠の分岐を過ぎました。(^_-)自然歩道を躓かぬ様に彷徨い下りです。右手の原生林は、山遊びに良いような処です。梅田峠の分岐まで戻って来ました。右手の尾根筋を覗くと、雑木の原生林が広がっています。所々に巨木が混ざっています。まるで一本橋の様な倒木をパチリ仕手いるヒゲ爺の後ろを、少し若目の山姥様が、急ぎ登山でソソクサ・セクセクと登って行
先週は北柏、我孫子近辺のお城巡りをして来ました🙆北柏駅から歩いて7、8分ほどにある松ヶ崎城😃平山城なので駅チカなのがありがたい😁松ヶ崎城は匝瑳氏(そうさうじ)という千葉氏の家臣のお城だったみたいだが、文献があまり残って居らず詳しくはよく分かってないらしい。しかし鎌倉、戦国時代の千葉県は地方の豪族がたくさん居てゴチャゴチャしてるから覚え切れません🤣松ヶ崎城跡は現在城址公園になっていて空堀や土塁などの遺構が今もハッキリ残っていて状態も良好😃こういう城跡は歩いてて面白いのだ😁特に凄かったのが腰曲
葛木城(赤磐市上仁保)『備陽記』では「村ノ乾に古城山跡アリ城主不知」と記載されているが、『吉備温故秘録』では城主を葛木左京進時景とする。『山陽町史』は、平安末期にこの上仁保地域を含む鳥取庄を開発した領主の葛木氏によって築かれ、貞治年間(1362~1368)には葛木四郎次郎左衛門茂綱が居城したと記す。『西山村史』には、曲輪Ⅰに「東南に幅2間、長さ3間半で礎石が残っており、その後に続いて長さ4間余の天守台の跡とする屋敷跡がある」と記述されているが、今回の調査では礎石等は確認されなかった。また、鉄製
皆様、こんにちワールド☔☔☔☔☔本日はM柏さんラストです。当初の予定では1月末までの予定でしたが!担当インストラクターさん回復が遅れてるらしく2月末までならと引き受けてました。😐😐😐😐エンジョイA参加の皆様聞いてないと大騒ぎ😅😅😅😅スタジオ前のスケジュールに書いてあるやん!2月初頭からHPでチェックしてくれとバーニングの方々は知ってます。でも何人かは今になって参加の方もいてなんだかなぁ~今日が晴れていたら迷わず攻城していたんだがせっかくの恵みの雨
赤尾山城(赤磐市殿谷字赤尾山)別名:赤磐郡熊山町0028標高100mの山頂部。30m×30m以上の広い平坦地が存在。背後の山塊から平坦地へ至る尾根筋は、馬の背状でかつ急峻。殿谷城跡と一体的か。近世地誌類には、城主不詳または小野田左馬進が居城したと記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)北東六郭北東五郭北東四郭堀切状の窪み北東三郭横堀状の北東二郭東帯曲輪北東二郭主郭主郭の北東土塁南西二郭南西二郭の北下の西三郭赤尾山城遠望軌跡ログ旧赤磐郡熊山町の城
所在地〒699-0405島根県松江市宍道町上来待特徴宍道湖を望む大平山の北側中腹にある山城で、登山口から八重山を経て登る。堀切の先に土塁の巡る二ノ郭があり、更に上段が主郭で宍道湖が眼前に広がる。主郭から先にも段郭が続いていて、樹木が伐採されているので見晴ら
所在地〒699-0406島根県松江市宍道町佐々布特徴出雲佐々布氏の山城で、ふるさと森林公園から踏み跡程度の道を進む。堀切や段郭を越えると土塁の巡る主郭で、藪の中に標柱が建てられている。感想標準的な山城遺構が残るが、まったく未整備なので冬の訪問がお薦め。
こんにちは。スノーシーズンが始まった為に滞っていた、東北から北海道旅のブログを載せたいと思います。『津軽海峡と龍飛岬』こんにちは。旅のブログの続きです。これでやっと旅の2日目が終わります。『青森県津軽半島の眺瞰台』こんにちは。続きです。『十三湊から福島城跡』こんにちは。続…ameblo.jp続きになります、午前3時20分、4時間程で青森港から函館港へ到着。フェリーターミナルの駐車場で、少しだけ仮眠をして函館山へ。夜が明ける…函館山から降りてきた。そして函館郊外、中
大御神社の鵜戸神社の参道に日知屋城跡の堀切があり、伊勢ヶ浜海浜公園の階段を上ると西の曲輪に出て更に上ると山頂に古代メンヒル(ストーンサークル)の看板がありますが良く分かりません。海側に下っていくと土塁があり、展望台に出ると玄武岩の柱状節理の海岸線が続いています。遊歩道に戻って東の曲輪に出て、伊勢ヶ浜の上に供養塔が集められています。https://www.hyugacity.jp/bunkazai/browse.php?number=82史跡日知屋城跡/日向市文化財-日向市ホー
所在地〒692-0404島根県安来市広瀬町広瀬殿町特徴松江藩初代藩主松平直政の次男が3万石を分与されて立藩し陣屋を置いた。跡地は学校や福祉センターとなっているが、低い土塁と石垣が残っている。
一乗谷城レポ第3弾です。その2のレポ『22.11.19一乗谷城[朝倉氏本拠の詰城]その2』一乗谷城レポ第2弾です。その1のレポ『22.11.19一乗谷城[朝倉氏本拠の詰城]その1』一乗谷城下町を見終えて、次の目的地は、城下町レポの中でも、た…ameblo.jp---------------------------------------見所となる遺構(土塁や虎口など)はブルー名前がある場所(本丸や内堀など)はパープル現存建築物(移築建築物も含
所在地〒692-0202島根県安来市伯太町安田関(長台寺から)特徴尼子十砦の一つで、毛利方に攻められて落城した。長台寺から登山道を30分ほど登り、段郭や数段の堀切を越えて城址に至る。主郭はかなり広いが土塁は見られず、奥にも遺構は確認できない。感想城址より登山を目的に登られてい
さて大混雑の好古園をさっと見学して、大手前公園でお昼ご飯を食べる。小さい店なのに団体予約のお客さんでいっぱい。外人だらけや〜〜中国・韓国の団体さん、欧米人も多いね〜…こら城内は大混雑してるだろ〜なぁもう内郭部分は行きたくないや姫路名物穴子重を食べる。¥1,700だったかなぁ鰻重はもっと高かったなぁ混雑してる割にはすぐに出て来たちょっとびっくりそして桜門橋すでにえらい人出ですわ😣門は戦前に再建されたもので史実とは違うのです大手橋は発掘調査で出土した礎石などを元に再建されたので江戸
丹波に1つ気になる山城がありまして、今回はその山城を攻める前哨戦として再度八上城を攻めさせていただきました。兵庫県丹波篠山市丹波・八上城(やがみじょう)別名:八上高城八上城を攻めるのは二度目です。本丸がある高城山(標高460m)山頂までのルートは幾つかあり、前回は正攻法(?)というか一般的な城山北西麓にある春日神社に登山口がある地獄の模木階段右衛門コースで攻城したんです。あと、そのやや東からの藤木坂コース。北東麓の弓月神社からの蔵屋敷コース(途中で藤木坂コースと合流)があります
所在地〒683-0224鳥取県西伯郡南部町金田特徴伯耆西部の在地領主の山城で、城の西に説明板があるが登城口に案内はない。北麓から入山し廃墓地から藪に分け入ると、かなり感動的な遺構が残っている。深い堀切や土塁と空堀、険しい切岸など見所は多い。反対側へ回り込むと広い空き地で、階段を登ると
『三重の山城ベスト50を歩く』より縄張図ピンクの線が私が歩いた経路見事に西側の尾根をすっ飛ばしていました北のⅡ曲輪は、切岸の右下を歩きました。天守台南側低い土塁に囲まれているようです。『信長公記』(KADOKAWA)より北畠(織田)信雄が、上方へ出陣すれば自分が治める伊勢の武士や民衆が苦労する。ならば、隣国の伊賀を攻めていれば上方へ行かなくて済むと思い、丸山城あたりを(勝手に)攻めた。けれど、大事な家臣柘植三郎左衛門を失ったばかりか、敗走することとなった
お陰様でパソコンも私の腰も何とか復旧致しました。暖かい励ましのお言葉、本当にありがとうございました。ということで今日から正常運転?に戻りたいと思います。時間をアクシデント前に無理やり戻しまして(すんません)先週、戸山公園で白梅を見たときの続きを再開します。前回の最後はこの画像。高台から児童公園と咲き始めた梅の花を見たところでした。土壌汚染の改良工事が少しずつ進んでまたここで子供たちが元気に遊ぶ姿を見られて嬉しいです。同じ場所から回れ右をすると…
にほんブログ村私のライフワークである???(いつから??)城址を巡るシリーズ…なんせ私「城マニア」でありますので…それも…ただの「城マニア」ではなく…石垣や土塁などの遺構をみて古の戦国ロマンを妄想するのが…楽しみといった…「妄想城址マニア」妄想の中で築城し放題…笑の私が今回、攻城しようと出向いたのは三河山中城址久々の山城攻城にテンションがあがる!30分に一本しか電車がこない名鉄名電山中駅で降りて
縄張図主郭周囲が土塁に囲まれています。300坪くらいあるとのこと。南虎口と土塁さて、気になっていた北東虎口の外側を見て行きます。北東虎口の外は、こんな景色。久米川(天然の水堀)の向こうには集落があります。北東虎口東から北にかけては、高さ2mほどの背の高い土塁で囲まれています。北東虎口を出ます。北東虎口の外側下方は、深く広い横堀がありました厳重に防御主郭を囲うように延びています。おそらく東側の横堀に繋がっている
伊賀の丸山城跡を登城してから、比自岐神社経由で伊賀コリドールロードを走って天然温泉さるびのへ直行する途上で見つけました。標示に従って細い道を入っていくと、広い駐車場がありました(たぶんお寺さん用)城跡登城は、まず、駐車場の確保が第一課題。百地丹波守城跡から遠望する集落自宅にはこの本がありますが、三重県版は、ほとんど登城していないので綺麗。しかも、携帯していくのを忘れたので、読み返し、参考にしました。『三重の山城ベスト50を歩く』福井健二・竹田憲治・中井均編
愛知県・岡崎市途中、予定が有り2日間に分けて4城巡りです。山城なので、2日間晴れで良かった圭那です。と言うことで・・・西郷信貞が大永の初め(室町時代)に築城した三河地方最大規模の山城で、土濠土塁跡もよく保存されています。標高204mの山頂には「山中城址」の碑が建ち、居館や曲輪跡から当時の山城のしくみを知ることができます専用無料駐車場は、狭いですがキレイに止めれば4~5台は停められますが・・・。駐車場から、県道324号線を横切って徒歩3分くらいで登城
岩槻城は太田道灌が築いた城、と今まで頭にインプットされていた。ところが近年、成田氏が築城したという史料が見つかったことで、今のところ両論並立となっているらしい。かつては川と沼と町屋を取り込んだ総構えの壮大な平城だったと言われているが、今はそのほとんどが公共施設や住宅となっていて、往時をしのぶものはわずかに、移設された門や一部残っている土塁、空堀だけとなっている。黒門と呼ばれる長屋門。農家の長屋門より小ぶりな感じだが、武家の門という雰囲気が伝わってくる。元々どこにあったのかは不明らしい。
新しく登城するたびに、登城先を加筆していますので、そのたびに更新しています。2013年から頻繁に訪れるようになりました。再訪したい所は太字にしてあります。滋賀県賤ケ岳砦、小谷城、山本山城、佐和山城、彦根城、山崎山城、安土城、観音寺城、八幡山城、水口岡山城、音羽城、長浜城、肥田城、目加田城、水口城、膳所城、坂本城、大溝城、百済寺城、日野城磯野山城(登城路入口まで。竹や木々など繁茂していて登れる状態ではなかった。)京極氏館、上平寺城(登城路入口の神社まで。)、佐久良
船山城(岡山市北区原)別名:須々木城『備前記』にみえる「船山古城山」に比定され、須々木豊前が居城したと伝える。また、『日本城郭大系13』によると、築城時期は不明であるが、戦国期に須々木氏が居館を構え、永正・大永年間(1504~1528)には存在していたと推定されている。須々木豊前は三村氏に従っていたが、永禄10(1567)年の明禅寺合戦によって宇喜多氏が完勝すると、須々木氏の城と領地を没収させたとある。『備前国御野郡原村舟山城図』に表現された縄張りは、頂部に曲輪と土塁、南西側に帯曲輪、北側に
埼玉県狭山市柏原城山砦跡知ったかぶりしたくないため、知らない事は書きません🙇💦私的には、©みうらじゅんさんの【良い崖出してる】とこにグッときます☺木がなければ高低差見えるんだけど見下ろすとかなりの深さ
岐阜県不破郡関ケ原町雲多めの、晴れです。。。主な陣跡は、ほぼ周った圭那です。と言うことで・・・関ケ原合戦当日午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動させました。緑の芝生の写真は、ネットに多く有りますが・・・。雪で、真っ白なのは珍しいかも?(笑)家康?(笑)誰かが作った雪だるまが・・・。大き目の、最後の陣跡の石柱の奥に有るのが。床几場・・・合戦後はこの場にて引見