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GW前の人出が少ない日を選び、家康関連の所へ行ってきました。◎緒川城・愛知県(2024年4月訪問)愛知県知多郡東浦町緒川字古城初代緒川城主・水野貞守が文明年間(1469~1486)に築城して以来、約130年間水野氏の居城だったが、慶長11年(1606)最後の緒川城主・水野分長が三河国新城1万石に移封となり、廃城となった。ここは家康の母・於大の方の生まれた所。※於大・・享禄元年(1528)、尾張国知多郡の豪族・水野忠政と華陽院(於富)の間に生まれ、慶長7年(1602)8月に家康の滞在す
飛山城は宇都宮氏の家臣芳賀氏の居城で、13世紀後半築城、16世紀に秀吉により廃城となった。宇都宮市の鬼怒川東岸に位置し、東西240m、南北420m、面積14㌶の平山城で、国の史跡に指定されている。空堀と土塁。突出部には櫓があった。3つ目の櫓台。桝形。土橋と門。再建された掘立柱建物。5棟ある。将兵の詰所として使われた。北側の曲輪間の空堀。西側の展望。左遠方に男体山がうっすらと見えたのだが。もっと左には富士山も見えるらしいのだが、この時は肉眼でも見えなかった。下方は鬼怒川。東側の空堀
所在地〒781-3409高知県土佐郡土佐町和田特徴鎌倉幕府の有力な御家人で北条氏に滅ぼされた和田氏の末裔が築いた山城。主郭の一段下まで林道が通じ、主郭は狭いが土塁の囲まれ、奥には段郭が続く。感想鎌倉で一族もろとも滅ぼされた和田氏に末裔がいたことに驚いた。
岡崎の山城に行ってきました山中城岡崎市舞木町徳川家康の側室、西郷氏の一族が築いた城、後に家康の祖父、清康が攻め取った城でもあります。土塁や曲輪もよく残っています。近くに5台位止められる駐車場🅿️があります登城🏯口、ゲートを開けて入ります道はよく整備されていて歩きやすい🚶です山中城の主郭、元城主一族の大久保氏の揮毫です縄張り図近くには山中八幡宮があります家康が一向一揆の軍勢に、追われてこの洞穴に隠れていた所、追手が来たが鳩🐦が飛んで行ったので🕊️鳩が居るなら人が居るはず無いと
所在地〒781-3521高知県土佐郡土佐町田井(地主神社から)特徴土佐中部に位置する山城で、神社から奥へ進み、適当な所で右側の斜面を登る。堀切と段郭を越えると高土塁で、その先が土塁の巡る主郭になる。感想主郭内は放棄された墓地で、整備されていないが散策は可能。主郭と二ノ郭を区切る高土塁が見所で、縄張りもかなり技巧的、残存度合いも良好なので、ぜひ整備してもらいたい。
茨城県…思えば2年間だけの生活でしたが、その職場は過去最高で初めて「この職場で一生働きたい…」と思えるものでした。東京からも近く、色々な意味で過ごし易かった茨城での生活…今となっては懐かしく感じています。そんな常陸国は城跡巡りの方も2年間で多く回ってきました。これまで旅行の中では比較的関東の中では少なかった茨城県…しかし「地元」として過ごしてみると色々なこれはこれで茨城らしい特徴ある多くの城跡と歴史がありました。今回からはそれを紹介していきます。まずは一つ目は県南部の城から。〇北関
南砺市文化芸術アーカイブズ寺家新屋敷古舘跡南砺市文化芸術アーカイブズculture-archives.city.nanto.toyama.jp南北朝時代に築かれた館跡のようです。戦国期には、改変、リユースされたようで、庄丿城の支城だったようです。城って、リユースされているパターンが多いですね。せっかく都合よくあるものなら、改変して、さらに防御、攻撃性を高め、人件費と工期に無駄がないようにしたいでしょう。南北朝時代の城跡の印象は、静岡県の勝間田城跡が思い返されます。勝間田城跡
到達石都々古和気神社〒963-7858福島県石川郡石川町下泉296三芦城みよしじょう三芦城は石川有光が藤田城に代わる居城として築いた城です。陸奥石川氏代々の居城でしたが、佐竹氏ら諸勢力の圧迫から伊達氏の庇護を求めるため、1563年(永禄6年)に24代当主・石川晴光が伊達晴宗の四男・親宗(のちの石川昭光)を養子に向かえて家督を譲りましたが、1567年(永禄10年)に佐竹義重に攻め落とされました。その後、佐竹
所在地〒594-0081大阪府和泉市葛の葉町1(信太森神社)特徴和泉国北部にあった中世の平城で、神社境内の北東に土塁と虎口が現存している。感想周辺は住宅地だが、境内は元の地形が色濃く残っている。
佐賀県唐津市にあり、白山の山頂(標高228m)に位置し、城の周囲は急な崖となっています。有明海(佐賀県の西部にある海域)と玄界灘(福岡の北部に広がる海域)の分水界に近く防衛の拠点。二の丸は周囲を天然の岩の上にあり、見どころ!登れる箇所を探すのも楽しい♪【獅子ヶ城】有明海と玄界灘の分水界に近く防衛の拠点佐賀県唐津市にあり、白山の山頂(標高228m)に位置し、城の周囲は急な崖となっています。有明海(佐賀県の西部にある海域)と玄界灘(福岡の北部に広がる海域)の分水界に近く防衛の拠点。二の丸は
佐賀県唐津市にある別名鬼子嶽城。東から松浦川が、西から波多川が流れて合流する中間の要害に位置し、唐津湾に至る水運を支配する上での要衝で、山頂付近は急崖に囲まれ、その山頂部の南側尾根の上に築城。この山は岩石が多いようで多数の石垣があります。【岸岳城】上松浦党の盟主として活躍した波多氏の居城佐賀県唐津市にある別名鬼子嶽城。東から松浦川が、西から波多川が流れて合流する中間の要害に位置し、唐津湾に至る水運を支配する上での要衝で、山頂付近は急崖に囲まれ、その山頂部の南側尾根の上に築城。この山は岩
7世後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城。復元した建物が有名だが、何百mもある土塁の上を歩け、2つの門の防御力の高さには目を見張ります!【鞠智城】7世後半にヤマト政権が築いた山城7世後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城。復元した建物が有名だが、何百mもある土塁の上を歩け、2つの門の防御力の高さには目を見張ります。【アクセス】バス①熊本駅・C1-3菊池温泉行⇒90分⇒菊池温泉・市民広場前下車②バス乗り換え:michi-kiwa.com▼山城関連記事です。是非、ご覧
直谷城は佐々川の支流、福井川の浸食作用によって西側を除く三方を削られた河岸段丘の一つ、標高160mほどの内裏山山頂に築かれた山城。【直谷城】三条の土塁と空堀で堅固の防御を有する大手道が見もの直谷城は佐々川の支流、福井川の浸食作用によって西側を除く三方を削られた河岸段丘の一つ、標高160mほどの内裏山山頂に築かれた山城。【アクセス】・西肥バス「福井農協前」下車徒歩20分近くに「福井洞窟」があるので一緒に見学をおすすめします。michi-kiwa.com▼山城関連記事です。是非、ご覧
所在地〒597-0043大阪府貝塚市名越特徴秀吉と対立した根来衆が、和泉国南部に築いた城の一つ。主郭の周囲に帯郭を配した輪郭式で、堀や土塁の痕跡が残る。感想しかし、地形は改変が著しく風化も進んでいる。
安田城跡みどころマップ(富山市教育委員会埋蔵文化センター)この資料、とてもわかりやすくできています縄張図本丸の南の土塁上から見た水堀幅が広いですね。矢でも鉄砲でも届きにくそう。南西の角西側土塁の幅が広いことがわかります。この規模の平城跡で、この幅広の土塁は、見たことがありません。方形館は、甲賀等でよく見ましたが、土塁の幅も規模も小さかったし。土塁西側から見た本丸の虎口土塁から降りて、西側の水堀縁を歩きます。蓮が密生しています。夏には、腐臭がしそうですね。HPの説明
砺波チューリップ公園を見た後、必ず行きたいと👴が言ったのが、安田城跡。私は、全く知りませんでした。豊臣秀吉の白鳥城の支城にあたるのが安田城。秀吉は、ここも手に入れないと気がすまなかったのね。国指定史跡だけあって、資料館もあるし、整備もされていて、気持ちよく観ることができました。東海北陸自動車道と、県道62号線と、井田川に挟まれた立地。水堀は、井田川から水を得ていたのでしょうね。井田川自体が天然の水堀代わりだったでしょうし。国指定史跡安田城跡史跡安田城跡安田城は富山県富山市婦
三月末に整備完了された水城跡に行ってきましたおぉぉ!以前は案内看板もなく、ただただ荒れた丘でしたきれいになったもんです”水城跡”とは1300年前に作られた1.2㌔の防御用の土塁だそう階段が見えますがここはロープが張られてて行けません順路看板があり違う階段から上ります・・・・げげっ何もない石碑や看板でも立ててくれるとそれらしくなるんですけどねぇここで出土した、木製の水路”木桶(もくひ)”は、以前行った事がある《春日市
新しく登城するたびに、登城先を加筆していますので、そのたびに更新しています。悪しからず。2013年から頻繁に訪れるようになりました。再訪したい所は太字にしてあります。滋賀県賤ケ岳砦、小谷城、山本山城、佐和山城、彦根城、山崎山城、安土城、観音寺城、八幡山城、水口岡山城、音羽城、長浜城、肥田城、目加田城、水口城、膳所城、坂本城、大溝城、百済寺城、日野城磯野山城(登城路入口まで。竹や木々など繁茂していて登れる状態ではなかった。)京極氏館、上平寺城(登城路入口の神社まで。
裏門橋方向の土塁と雲青空だと気持ちいいね。満開じゃないけど、ソメイヨシノもきれいだな~風が強いから、箱館奉行所を取り巻く、旧建物の跡がある場所に行ってみる。いつもなら、あの土塁の上の道を歩いたりするんだけど・・・緩やかな坂、冬はそり遊びをしてる親子の姿を見かけたことがある。☆☆☆4/23(火)今日は無事、義母が退院して、家の近くの施設に入居。午後、仕事を終えて面
朝一に従兄から到着の連絡を受けて一日が始まった。まず朝に母の施設を訪問。私の名前を憶えていた母。横に立っている従兄を見て誰かはすぐに分かったようだが名前が出てこなかった。名前をおしえると「そう!そう!」と、会えたことを心底喜んでいた。でも。さすがに自分の母と父の亡くなった事は従兄は言わなかった。わざわざ悲しませることは不本意だから。ひとしきりおしゃべりして写真も撮って楽しく過ごした。従兄が行きたいところは、勉強して調べて覚えた。
先日は北条氏ゆかりの常陸の城「逆井城」にいってきましたが、今回4月12日~13日は大学時代の友人と一泊二日で、北条本拠地小田原方面の3つの城跡に行って来ました。友人の一人は北条推しの歴史ライター板嶋恒明氏なので、詳細な解説を頂きながらの城・城郭めぐりとなりましたJRの小田原駅で10時半に待ち合わせて、徒歩10分弱の小田原城へ。この時間天気がぐずついていて、お堀端の桜が綺麗だったのですが、写真に光が足りませんね↓お城の東側に南北に通る水堀のわきを南下して、馬出し門から入場。馬
長船城(瀬戸内市長船町長船)別名:兼光屋敷城の内の築地(つんじ)と呼ばれているこの地は、南北朝代、太刀を鍛えた褒美として足利尊氏から、当時の名工兼光が賜ったと伝えられています。一町(約100m)四方の壕をめぐらし、四方に櫓を建てた城に、代々刀鍛冶が居住し、鍛刀したといわれています。文明十五年(1483)福岡合戦のとき、松田勢によってこの城のほか周辺の民家までがすべて焼き払われたことが、『備前軍記』に記されています。永年にわたって作刀の地であったことから、この辺りの田畑からカナクソと呼ばれる鉄
お城の桜・・・・・まだ載せてないのがいっぱいあるので・・・・・とりあえず4/13午後散歩からこの日は南口から入りました入るとすぐに桜のトンネルが旧テニスコート跡地昨年までだとまーくんをこの土塁の上に連れて行くんだけど今年は足がまだ本調子ではないので行きません平坦地なら普通に歩けるんだけど急こう配とか階段はまだちょっときついので・・・・・帰り路西口のお堀から____________今年から始まった渡し舟です・・・・・4~6月の
所在地〒470-0344愛知県豊田市保見町御山前特徴東古城と西古城は中世の山城。東古城は児童公園や中学校で、西古城は公園になり藪の中に土塁や帯郭が残る。伊保城は丹羽氏の伊保藩1万石の陣屋で、畑に中に土塁が残っている。感想狭い範囲に三つの城が位置するが、どれも見所は限定的。
こちら前々から目論んでた城跡なんですが、一部立入が制限されてるとのことで、後回しにしてたんです。全面解除になった情報もないまま、辛抱たまらず椿尾上城を攻めた後に突撃してしまいました。奈良県生駒郡平群町椿井大和・椿井城(つばいじょう)別名:椿井山城椿井城は、築城時期、城主に関する確実な史料が残っていないものの、当初は在地土豪の椿井氏が室町時代から戦国時代の間に居城として築いたとされる。天正期には大和国で筒井氏と松永弾正さまの抗争が続いており、弾正さまは滅亡する天正5年10月まで椿井
桜花きれい!群馬県高崎市高崎市役所前広場レポート。さっそく散策。芝生広場広々!ソメイヨシノいっぱい!桜花きれい!土塁上る。ツツジ咲いてる!桜のトンネル通り抜け!土塁下りる。花壇花いっぱい!チューリップかわいい!ちょっと休憩眺める。春本番!花を楽しむ!高崎市役所前広場で
お城の太鼓橋を渡ってからは中学校の正門付近で屋台がでてどんちゃん騒ぎでした。これ平日だと授業どうなんだろう。まあ、昔もうるさかったかも。学校の建物は変わってません。右に曲がるここの道は舗装されてました。昔砂利だったのにね。土塁も草でボウボウしてましたが、今は刈られたらしくて綺麗。石垣が立派なイメージがあったが、こんなに低かったんか。お堀側の土塁の登り口は立ち入り禁止になってました。残念。道も消えてるようです。昔の散歩道でした。北側の土塁はもう少し荒れています。木が蔦でもしゃもしゃして
遠州飯田城跡🏯(静岡県周智郡森町)『えんしゅういいだじょうあと』と読む飯田城🏯は、応永年間(1394年−1428年)頃に山内氏に築城され、1569年に落城した城跡のようであり、地元では『本城』と呼ばれているようです▼城跡入口▼▲谷堀▲▼看板▼▲腰曲輪▲▲本曲輪口▲▼想定図▼▲本曲輪▲▼東土塁▼▼物見曲口▼▼説明板▼▲祠▲▼飯田城跡記念碑▼▲説明板▲▼飯田城跡記念碑▼▲東土塁▲▼本曲輪上段▼▼堀切二重堀▼▼堀切
3月13日、男鹿線で秋田駅へ戻る途中で下車土崎駅JR男鹿線とJR奥羽本線が合流した場所の駅なので、ポケモンGOのポケストップには奥羽本線の駅として登録されていますね。下車した理由はこれ湊城という城跡があるから。一応、遺構として土塁が残っているという話。一番下が土崎駅の西口中央やや左上の赤いジムが湊城の跡ポケモンGOのMAPと同じだ!駅を出る前にいろいろ見ると、SLの模型がいくつかありました。道路左側の木々が茂った場所が城址ここが城址現在は土
児玉、雉岡城跡の桜R6,4,12児玉の千本桜を見た帰りに雉岡城跡にも桜があるというので駅に戻るついでによる。たいしたことはないのではと思いつつやって来たが思ったより桜は多い。というより目の前、全部桜だ。土塁のような所、谷になった所何となく城跡だと感じる。桜は満開で散り始めている。少しの風で弱い桜吹雪が起きる。そっと桜が舞って居る。残念ながら桜の散る様子は絵に出来ない。どこか城郭らしき景色はないものかと歩いて探す。自然の地形を生かした土塁の様な尾根の