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本谷所在城(雲南市掛合町入間小字本谷)当城は出雲の源行近が赤色立体図より発見した城跡である。史料的な裏付けは無く、名も無い知られざる城跡…と思われる。西側から登ると、中腹に居館跡?畑跡?土塁状の地形を挟み、二段の平地がある西に突き出した土橋?西二郭?主郭南二郭からの南東帯曲輪南二郭南東帯曲輪からは東竪堀南三郭南三郭からの西帯曲輪北腰曲輪…内側が堀切状に窪んでおり、浅くなった堀切跡かも知れない北二郭本谷所在城遠望軌跡ログ雲南市の城
八幡地区の八幡宮に何らかの土塁の跡があると余湖さんのページで見てやってきましたいままでちゃんと訪れたこともなかった八幡の八幡宮狛犬の背後から、土塁らしき構造が続きますけっこうしっかりしてる反対側にもまるでこの領域を取り囲み護るようなこの辺までくるとかなり立派潮除けにしては立派過ぎると余湖さんはおっしゃられてましたが・・・現・妙宣寺の竹田城址に残る土塁跡もこんな感じなんだよなぁそこらかしこに土
渋峠が開通したようなので、初めて行ってきました。せっかく、長野まで来てるので、途中にある松代象山地下壕にもお邪魔しました。松代象山地下壕のご案内www.city.nagano.nagano.jp終戦まじかに、大本営を避難させようと掘られたようです。ちょっと離れた無料駐車場に車を停めて入口まで入口では、受付で名前と人数を書いてはいるためのちょっとしたレクチャーをヘルメットを借りて、入口のカギをスライドさせ中に入りまたしめてくださいとのことなんでも、昔、イノシシが入って大変だっ
静岡県・掛川市明日こそは、晴れて欲しいなぁ。。。なかなか歴史のある場所と思った圭那です。と言うことで・・・913年に藤原鶴翁山頂に宮柱を建てたのが始まりです。後に、砦が築かれ城に発展していきます。この城の特長として、大きく2つに分けられます。一城別郭と呼ばれる構造で、東峠側には本丸(中心より)や三の丸。西峠側には、二の丸等が有ります。登城のスタートは、鳥居から・・・。「搦手門跡」こんな、少し急な石段を登って、東峠と西峠の間くらいに進みます。
所在地〒584-0056大阪府富田林市嬉特徴幕府に反旗を翻した楠木正成の山城で、北西麓に登山口があるが駐車場は少し北になる。寺院跡や兵舎跡、段郭を経て登ると広い主郭で、西方向の眺望が良好。感想適度に整備されてハイキング向きだが、堀や土塁はなく見所は多くない。
志波城跡は、坂上田村麻呂が造営した古代城柵として知られ、東北の古代史を体感できる貴重な史跡。復元された南門や築地塀の迫力が素晴らしく、「古代の姿がわかりやすい」という印象そのままの場所。---①基本情報(場所・アクセス・概要)•所在地:岩手県盛岡市上鹿妻五兵衛新田47-11•造営:延暦22年(803年)•築城者:坂上田村麻呂•形式:古代城柵(陸奥国最北・最大級)•入場:無料、敷地内は終日見学可•ガイド:案内所に常駐(無料)志波城古代公園として整備され、広大な敷地に
羽衣石城(東伯郡湯梨浜町羽衣石)羽衣石城の創建は、南条貞宗が羽衣石に築城したのは貞治(1366)と云われる。築城の経緯について『伯耆民談記』は次のように述べている。充満寺にヒイゴ池と云うあり。大さ十歩余り、其水清くして、九夏の天にも乾く事なし。始め南条此充満寺に城をきづかんと、普請に取掛かりした、此の池に一つの燕落ちて死す。南条凶事におもひ、此所を除き、今の城山に城を築きなりといへり。大きなる石壁又後に幽谷の如くなるから堀今に残りて見ゆ。其後寺地となりて、堂塔高閣ありしが、当城滅亡しける時、
先日から「日本100名城」のお城を紹介しています。「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」「立地と縄張り」を説明した
番城(東伯郡湯梨浜町羽衣石)標高413m・比高162m。番(物見)をする砦であろう。標高400mで本城(羽衣石城)より高い。『伯耆民談記』などの記述には出ないが、字「番城」の地名が残っている。本城(羽衣石城)の北北東500m(直線距離)にある。一帯に帯曲輪の跡が認められる。(※東郷町誌より)空堀状の北東帯曲輪(下)北竪堀空堀状の北東帯曲輪東下段空堀状の北東帯曲輪中央上段北東帯曲輪西下段土塁囲みの東二郭東二郭の東土塁東二郭の北土塁主郭東腰曲輪主郭東上段主郭の東土塁主郭の
▲しだれ桜▲以前は車通れましたが今は通行止めにしてるようです松前藩戸切地陣屋までの800mに太平洋戦争の勝利を祈願して函館の呉服商である岩船峯次郎が300本のソメイヨシノを植えたそうです岩船家は商売繁盛の恩返しのため現在の函館の香雪園に公衆トイレや芝生広場をつくって1927年(昭和2年)から市民に無料開放もしました香雪園の紅葉は北海道とは思えない美しさです🍁まだ桜が残っていて良かったです🌸(4月30日)▲ヒトリシズカ▲松前藩戸切地陣屋跡北海道北斗市字野
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。今回も4月下旬に「2026春・日帰り高崎お城めぐり」と題して群馬県高崎市のお城めぐりの様子を紹介します。最終回は「山城X昧」と称して、X個の山城を登城した様子をまとめて紹介します。北新波砦を登城最初に訪問したのは「北新波砦」北新波砦跡は、早瀬川と関端川に挟まれた、75メートル四方の正方形の土塁で形作られたお城。約1.5メートルの土塁の上にキレイに植物が植え込まれていました。土
京都府京丹後市峰山町五箇船岡丹後・五箇城(ごかじょう)別名五ケの御城五箇城は一色氏(清和源氏義国流で足利氏の一門。若狭国・三河国・丹後国などの守護職)の重臣で加悦城主の石川直義の弟、小治郎によって築かれた城です。天正年間には一色氏の家臣、山岡民部介の居城となりましたが、天正10年(1582)に細川幽斎の家臣、松井佐渡守康之によって攻められ落城しました。当城は五箇集落の西側、久次集落との間に延びる丘陵上に位置します。城跡の位置する鱒留川流域は、中郡盆地から久美浜湾へと抜ける交通の
①基本情報(場所・アクセス・概要)宇都宮城跡は、栃木県宇都宮市の中心部にある平城の復元公園で、江戸時代の本丸の一部が忠実に再現された歴史スポット。現在は「宇都宮城址公園」として整備され、土塁・櫓・堀が美しく復元されている。•所在地:栃木県宇都宮市本丸町1-15•アクセス:JR宇都宮駅から徒歩約15分•公開:24時間(櫓・展示施設は9:00〜19:00)一般社団法人宇都宮観光...•入場料:無料芝生が広がる開放的な公園で、散策にもぴったり。---②歴史・由来(宇
4/29〜5/6のGW連休が始まりました。初日(4/29)は早速麻雀🀄️1半荘目、南2局までラス目だったのを2着目から「インチキ倍満」をあがり、トップで終了✅ズバリ役は…リーチ一発表3裏3です、ええw役なしドラ5sアンコでリーチして先制リーチしていた2着目の上家が一発で掴み、裏見たらあっ!裏も5sだわw16000😂2半荘目は2着とここまではよかったが…ハコラス→3着結局4半荘打って−4800ツモ😅後半ズッコケすぎましたwさて、本題へいきましょう昨日(4/30)は毎年恒例、
和樂備神社の隣は蕨城址で、神池は堀で土塁の跡があります。公園には成人式発祥の地の碑があり、本丸は市民会館になっています。https://ameblo.jp/yoichi101/entry-12495887600.html『蕨市蕨城址公園』和樂備神社の隣は蕨城址で、堀の跡の先は広場になっています。蕨城https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%A8%E5%9F%8…ameblo.jphttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95
賀田城(飯石郡飯南町下来島)賀田城は飯南町下来島の標高494mの松木山にある。『赤穴家系図』には、石見の国人の佐波実連の弟・秀清が、都賀(美郷町)の高巻城に籠城したものの、後に下来島の高名和城に籠ったという。この高名和城を賀田城とする説もあるが詳細は不明である。永禄五年(1562)、毛利氏は石見を抑え出雲に侵攻してきた。この頃には出雲国人の中にも、湯原春綱や米原綱寛など毛利氏へ味方するものが現れた。瀬戸山城の赤穴氏も議論の末、毛利氏へ味方することとなった。しかし、赤穴氏家臣の島田権兵衛、森田
4月26日日曜日五稜郭公園🌸五稜郭タワーのそばを飛行機✈️が私も飛行機✈️に乗って旅したい『函館の桜2026③〜日曜日は桜満開の五稜郭公園で弟夫婦にバッタリ』日曜日五稜郭公園の外周を満開の桜🌸をてくてく🚶♂️🚶♀️まだ半周くらい💦起点から900mウォーキングも五稜郭公園外周は時計周りがルール『函館の桜2026②…ameblo.jp↑この続きです岩手県大槌の山林火災が雨でだいぶ沈静化したそうでいつも晴れて欲しい✨って願ってばかりだけれど今回は雨☔がありがたい
官兵衛ゆかりの藤をあとにし、有岡城跡(伊丹城跡)に向かいました。(*^o^)/駅からすぐ城跡があるって言えば、『三原城跡』を思い出しました。(*^o^)/\(^-^*)なんせ、駅から出ずにお城の跡を見れましたからね。天正2年(1574)、武将・荒木村重が伊丹氏を追放し、伊丹氏の築いた城「伊丹城」を大改築を施し、名を「有岡城」と改めたのが「有岡城」。侍町・町屋を堀と土塁で囲んだ惣構(そうがまえ)の城(東西0.8キロ、南北1.7キロ)で、難攻不落の名城とうたわれました。しかし、村重が主君の
尾崎山城(出雲市佐田町宮内)詳細不明だが、毛利氏による改修か?上は源行近の作図、下は出雲・隠岐の城館に記載の図西三郭西二郭西上段西二郭東下段西二郭の東土塁土塁の上は曲輪並みに広い西堀切主郭西上段そこには溜池跡のような大きな窪み主郭中央下段の西側主郭中央下段の仕切土塁主郭中央下段の東側主郭東上段主郭北東帯曲輪主郭北東帯曲輪の東虎口?竪堀?北東二郭南上段北東二郭中段北東二郭北上段東竪堀南東二郭南東堀切北二重堀切(南)北二重堀切(北)北土橋北出丸南二
さ~て、今日は、名城・盛岡城(岩手公園)に関して見て参りたいと思っています。以下の本文中にも記載のある石川啄木の歌『不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心』を中学3年生の国語の教科書に掲載されて以降、遊びで、短歌を作る様に成りました。不来方のお城の中で嫁探し、三十路(みそじ)も過ぎて四十路(よそじ)も近しとある方をイメージして詠んだところ、大うけ。以降、短歌を作って遊んでいます。では、以下、盛岡市の公式ホームページに掲載されていた内容を転載さ
八幡山城(出雲市佐田町大呂)詳細不明。北三郭北腰曲輪北三郭北三郭の南西登り土塁北二郭北帯曲輪北二郭主郭主郭の南土塁主郭の西土塁主郭西帯曲輪東五重堀切1東五重堀切2東五重堀切3東五重堀切4東五重堀切5自然地形の東二郭東の谷間の曲輪群上段東の谷間の曲輪群中段東の谷間の曲輪群下段北出丸?は墓地となっていた八幡山城遠望軌跡ログ出雲市の城
宮市の要害(日野郡江府町宮市)別名:宮市城・要害城・イゲ城標高340m・比高50m宮市城の創建年代や城主は不明である。構築位置については『日野郡史』に「字いげ谷に在り。北を大手とし、前に堀あり。東西は深谷にして険阻地。近地に地大名と云う所あり。」と記され、『伯耆志』は「村の東南二丁許にありて字を恵下谷と呼ぶ。伝詳らず。」とし、『日本城郭大系』もこれと全く同じことを述べている。地籍図によると、現在の宮市集落背後の標高300~400mの山地の地域に「イゲ」の小字名が検出される。恐らく、この地
金川から、今度は東に向かいます。コンビニで昼食を購入して、基本、岡山らしい丘陵地帯を走らせます。途中、グーグルマップさんが謎のナビをした事もありましたが次の目的地の駐車場に到着しました。和気の美しい森と言う、キャンプ場の駐車場です。この施設の尾根伝いに、目的地があるのですが、そこには二つの城郭があるのです。以前なら訪れた順で、写真を撮っていたのですが、今回は先ずは後で訪れた城までシャッターを押すのを我慢して、レポをし易いようにしたのですが、そのレポを書くまで3年以上待ったので、
五稜郭の東側の方、お堀沿いを歩く。内側の土塁の上にも目を向ける。土塁の下は時々、桜の花もじっくりと眺める。つづく☆☆☆4/25(土)今日は午前中、元町公園~元町配水場(ロープウェー乗り場)付近まで、お花見しながら散策。元町公園・広場からの眺め(クルーズ船が停泊してた。)元町配水場の展望台からの眺めまた後で紹介し
蛇山山頂である土塁とされるところで昼ごはんを食べた後は西側にある中世山城部分を見て稲荷山への縦走コースで下山します。左側の土塁から降りてきました奥に見えるベンチの左側奥に稲荷山への縦走コースの案内があります。後で気づいたのですが、谷のようになっている部分は昔の山頂を削った堀切なのではないかなぁ土塁西側に降りる道は短いですが大変滑りやすく急斜面。右側は崖なので落ちたら⭕️⭕️ます。🥶曲輪跡まで降りてきました。こちらから見るとどうも山頂部分に続く稜線を削っているような気がする曲輪部分も5×1
☆撮影お堀の石垣と桜お堀(左側)と土塁(右側)の間の桜並木お堀の向こう側を眺める。歩いて来た方向を振り返って、裏門の橋の上を見ると↓函館に来て、最初に住んだアパートがお堀に近い場所にあったから裏門の橋を渡って五稜郭の中へ散歩に来たり、数回、お堀の外側を走ったりした。橋の上から亀を眺めたり・・・絵手紙サークルに入ってた頃は、ハガキに絵を描いたり。いろんな思い出がある。^^進む方向は↓
友人に誘われて、世田谷区の等々力渓谷公園へ。20年か30年前の記憶は、見晴らしの良いカフェでお茶したこと。暗い森の印象があるので、あの頃は常緑樹が多かったのだろうか。公園の大きな樹木が幹折れや倒木などで遊歩道が閉鎖され、この春に樹林地の健全化作業を終えたということで、平日に出かけてきた。都営三田線に東急が乗り入れがあり、大岡駅で東急大井町線の乗り換えるだけ。約1時間で到着。帰りも、大岡駅で西高島平駅行きがあり、ほんとうに楽。成城石井の先を右折するとすぐにゴルフ橋。ここから
高田公園は近年「高田城址公園」と正式名を変えた。築城当時から本丸は有っても天守閣がなく、堀は有っても石垣がない城だったから、城跡としての存在感をせめて名前には残そうということになったらしい。今年の観桜会にも40万人以上が訪れたらしいが、5日たった今日はもう元の静けさの中だ。あらためて見ると高田城の外堀は大きい。あと数週間もすると蓮の新葉が出てくるだろう。それが大きくなって水面を埋め尽くして、夏には蓮の花がいっぱいになる。「観蓮会」も開かれる。花が終わり秋が深
☆撮影五稜郭タワーからの眺め、いいだろうな~^^土塁の上を歩いて、振り返った眺め土塁の下も満開進む方向の眺めこの場所は一番見ごたえがある。タワーと函館山と満開の桜!すっきりした青空だったら最高だね。つづく☆☆☆4/24(金)今朝はすっきりした青空~今、町内の気温表示は、6℃。函館の天気予報は☀12℃/2℃今までよりも、気温は低い
昨日は蔦屋書店からの帰り、次の予定まで時間があったので、五稜郭公園の満開の桜を見にいきました。ちょうど黄砂が来ていて空はぼんやり霞み、なんとなくムーディな感じ。桜を遠くから愛でていると、樹の下や上から人が現われて、「あ、あそこに行けるんだ」とびっくりしたもの。今は、公園内の構造がわかって散策も自由自在です。園内の外側⇒内側へ順に、歩ける場所を挙げると、➀公園外周の桜並木の下(緑地)②堀の外周(アスファルト)人が多くて迷うことなく安心。③堀のすぐ内側、土塁との